第5話 門の塔、差押転配
第5話 門の塔、差押転配
北門は川に跨いだ石橋の上にある。橋脚が二本、灰色の水に立ち、門楼の梁に古い刻印が残っていた。
朝の霧がまだ薄く残る時間、私たちは二基目の徴魔塔を据えるための基礎石を運び込んだ。ジュノが膝に革当てを巻き、鉄のハンマーでボルトを締める。リサは巻物をひも解き、市役所の代官に短い宣誓文を読み上げさせている。正当性は書面と声で起こす。
「名前は門標にしようぜ」ジュノが笑う。「門のための税標。橋からの清算も引き受ける仕様だ」
「なら、定義はこうだ」
私は手帳を開き、台座の前で声を乗せた。
門標(Gate Pylon):門と橋の通過取引を記録し、周辺に持続課税域を形成する徴魔塔の一種。塔は清算リンク(Clearing Link)で市中の塔と接続し、徴収の一部を都度割当として門衛と救護に自動配分する。
清算リンク:複数の塔の入金と割当を同期し、偏りを調整する線。塔同士が同意した瞬間に開通する。
門衛の隊長が兜に手を触れ、私に向かって顎を引いた。「ここは流民と隊商が多い。非殺傷が第一だ。だが今日、傭兵団が川向こうに陣取っているという噂がある」
カゲトラが門楼の陰から現れ、外套の襟を立てた。「灰翼連隊。前金をもらえなかったから、自力徴収に来たらしい。貸与術で身を固め、過剰与信を重ねて踏み込む手口だ」
「貸与術?」
「術のレンタルだ。担保は“あとで払う”という口約束。利息は筋に来る」
私は塔の受け座に差押印を重ね押しし、常時運転を始めた。税率二%。
リサが辺りの石橋の欄干に誓札を結びつけ、市民の拇印を受けていく。寄託担保が塔の内部で灯る。
「もう一つ、今日から新しい術を使う」私は手帳を示した。「差押転配(Seized Reallocation)。敵の自己バフから徴収した分を、味方全体に自動振替する」
差押転配:差押で確保した効果量を割当ポリシーに編入し、味方全体へ統一再配分する機構。奪うではなく流路を付け替える考え方。法的には守備目的の緊急移用。
「快感が来るぞ」ジュノがにやりと笑い、塔の側面を軽く叩いた。
◇
昼が近い。川上から灰翼連隊が列を組んで現れた。盾と槍の歩兵の背に、灰色の布で覆った箱――術具箱。先頭の女隊長の肩には、黒い貸与印がいくつも刺繍されている。
箱から白手袋の術者が貸与札を取り出し、兵に貼り付けて回る。兵は礼を言い、前金の代わりに**“あとで払う”**と笑う。その笑みが、橋の石を冷やした。
私は課税域を橋上に薄く伸ばした。税率三%。
貸与術は直接の記録が薄い。注入と同様、原則税の射程外……だが兵が札を受け取った瞬間、札の裏で補助術が一つ決済された。貸与の成立確認だ。
一%が三%になって、チャリンと塔の中で鳴る。入金。
塔が割当を返す。防御四割、機動三割、鎮痛二割、詠唱支援一割。
門衛の盾が軽くなり、足が揃う。広場で泣いていた子どもが、母の背で息を整える。
灰翼の女隊長が声を張った。「通行税は不当だ! 慈善貸与で街を守ってやる。免税だ!」
免税――言葉が空気を裂く。
私は喉で短く定義を上塗りした。
免税の条件:奉納と監査と透明性。利息込みの貸与は商行為であり、免税ではない。
石橋の上の市民の視線がこちらへ揺れる。正当性の針が小さく戻る。
灰翼の術者が鼻を鳴らし、貸与印の上に銀の糸で偽の免税の字を縫い始めた。
私は二重帳簿の原型で借方/貸方を突き合わせ、空白の上に朱で「未記録」と書く。塔の監査鐘が一打だけ鳴った。
視線がさらにこちらへ寄る。正当性が立つ。
「押し込め!」女隊長が貸与札を次々に貼り、兵の筋が膨らむ。過剰与信。
私は差押転配を起動した。塔の清算ノードが道を開く。
灰翼の兵の自己バフが網に触れた瞬間、徴収分が塔へ吸い込まれ、味方全体の靴底と盾とこめかみに落ちる。
撃つほど、こちらが強くなる。
門衛の若い兵が驚きの声を上げた。「足が――勝手に揃う!」
彼の隣で年配の兵が笑う。「塔の拍に乗れ。息を合わせろ」
灰翼の前列が盾を上げて突進した。貸与術で膂力が上がっている。橋の上で石が鳴る。
私は課税域に細い縁を追加し、足首の高さに遅延をかける。延滞金を微量返す。
前列の兵の足が半拍遅れ、二列目の槍のタイミングが狂った。
門衛の槍が柄で前列の盾の端をはじき、列が崩れる。
塔の割当が機動を上げ、門衛の踏み替えが揃う。
女隊長が歯を食いしばり、胸の貸与印に指を立てて上乗せを命じた。
過剰与信。
未納が膨張する音が、私の皮膚の下の勘定線にざわと触れた。
私は督促を短く切り出した。納期限:今ここ。満期だ。
簡易督促(短期):当該貸与が守備妨害に該当するとき、即時納期限を宣言し、未納を延滞金として還付する。
黒い勘定線が女隊長の上腕に浮き、ぱちん。
彼女の握りが一瞬緩み、号令が半拍遅れた。
その半拍を、塔の清算が拾う。
割当の詠唱支援が後衛の口に乗り、短詠唱が同時着弾した。
小さな衝撃が橋上で連続し、灰翼の前列が膝を落とす。
女隊長は苦笑し、私を見て唇だけで言った。「徴税の悪魔」
「数字の悪魔のほうが性に合う」私は返す。「差押は返す設計だ。割当で街に降らせる」
彼女は肩をすくめ、背後の術者に合図した。術具箱から黒い札が出てくる。
カゲトラが目を細めた。「連帯貸与だ。複数人で互いの未納を肩代わりする契約――破綻するとまとめて倒れる」
私は課税域の縁を、灰翼全体の足の下で結び直した。遅延の返済を連帯に切り替える。
連帯延滞。
一本の黒い線が、数十本の勘定線を束ねた。
灰翼の列が一拍遅れ、連鎖が背まで走る。
門衛の隊長が短い笛を吹き、列が前へ出た。
塔が拍を打つ。撃つほど強くなる。
女隊長は舌打ちをし、撤退の合図をする。
灰翼は訓練が良い。崩れず、後退の形を保つ。
私は塔の割当から追撃への機動を引き、鎮痛と詠唱支援に回した。
勝ちは追わない。正当性は節度を好む。
◇
橋の上に、風だけが残った。
私は課税域を常時運転へ戻し、塔の清算を締める。寄託担保の残りが市民の呼吸に返り、胸の奥の灯が静まる。
門衛の隊長が兜を脱ぎ、汗を拭った。「差押転配、効いた。こちらが撃つほど強くなるのが、手のひらで分かった」
「配分規則を残しておきます」私は塔の台座に小さな銘板を取り付けた。「通常:防40/機30/鎮20/詠10。非常:防50/機30/鎮20。――変更は、監査官と門衛の共同合意で」
「政治が来る」リサが静かに言う。「免税僧団は、今日の監査鐘を二度鳴らされたことを不敬と取るはず。塔と門の権限を争ってくる」
「塔は拠点。正当性を預かる倉だ」私は答えた。「来れば、記録する。課税する」
ジュノが門標の側面に手を当て、目を細めた。「清算リンク、感じる? 南広場の塔と拍が合ってる。街が一息で動く」
「ああ」私は胸の奥の勘定線を撫でる。拍は塔と街を繋ぎ、私を中継する。
快感が遅れて来る。差押した滴が、割当で街に降った手応え。個が合唱に溶ける音。
鼻の奥がつんとする。赤が一筋。
袖で拭って、私は銘板に最後の一文を刻んだ。
定義:差押は“奪う”ではない。“街へ返すための転配”である。
川上で雲が割れ、日が橋の石に落ちる。
門の外、遠くの堤で、灰翼の女隊長が振り返り、軽く頭を下げた。
私は差押印を握り直し、塔の受け座に軽く触れた。
黒字は、血ではなく、設計で作る。
そして、未納には、利子を。
次の鐘は、街を狙う魔獣波だ。第六話、サイレンス連鎖の出番になる。