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 朱華桜子という女は、元は、冬雨とうう天子の弟であった、秋風しゅうふう天子第二神子・冬雫ふゆしずく側女そばめであった。


 天子の子たる神子には、正室である神子妻みこさいの他に、側室である側女を一人まで迎えることができ、冬雫の神子妻の侍女として後宮に入った桜子を、冬雫が見初め、側女にした。

 彼女を側女として迎えてすぐに、冬雫の神子妻は流行り病で亡くなり、冬雫と桜子は市井の夫婦のように仲睦まじく宮中で過ごしていき、やがて子宝に恵まれる。

 順調に肚の中で子供は育ち、そろそろ臨月という頃──それまでこの国を統治していた秋風天子が崩御した。

 冬雫を含め、秋風天子には五人の神子がいたが、次代の天子となる世継せいしを決めぬままでの崩御であり、そうなると、争いを起こさぬ為、世継がいない場合は最年長の神子が次代の天子となる取り決めになっていた。


 秋風天子第一神子・冬雨ふゆさめ

 ──もとい、今上天子・冬雨ふゆさめ


 天子が代替わりした際に、次の世の泰平を願って行われる神聖なる儀式、『四季渡り』も無事に済み、冬雨が正式に天子の座に就くと、和暦も秋風しゅうふうから冬雨とううとなった。

 天子の兄弟姉妹は臣籍降下となり、和国・桜花の首都である玉黄を出て、他所の土地で民と同じように生きることが義務付けられている。

 そのことに異論のない冬雫は、北の地に向かうつもりでおり、桜子も共についていき、そこで出産するつもりだった。


 だが、冬雨がそうはさせなかった。


「天子の名の元に命ずる。朱華桜子を余の側室に迎える」


 誰もが自身の耳を疑った。

 天子が兄弟神子の側女を側室に迎えるなど、前例はあれど稀なこと。四季渡りも済み、新しき世を迎えるという大事な時に、その始まり方は如何なものか。

 臣下達は何度も冬雨に物申したが、冬雨は全く聞き入れず、時には口喧しい臣下を罷免することすらあった。そして、冬雫と桜子が首を縦に振るまで、何度も何度も命じ続ける。


 神子の言葉は神の言葉。

 世継の言葉はその更に上。

 天子の言葉は絶対であると。


 そんな風に言われているとしても、冬雫も桜子も絶対に従わなかった。冬雫は身重の妻を何よりも愛していたし、桜子は夫以外の男の閨に侍るつもりなどない。


 共に支え合いながら抵抗していたが──天子の元に届けられた一通の文が、二人の仲を切り裂く。


 その文は桜子の侍女が持ってきたものであり、内容は──『秋風天子第二神子側女・朱華桜子は、側女という立場上、大っぴらに口にすることはできませんが、まことは、天子様の元で生涯を過ごしたく思います』。

 桜子にそんなものを書いた覚えはない。そのようなありえない寝言を起き抜けに聞かされ、飛び起きた桜子は身支度もろくにせぬまま、天子の元へと腹を気にしながら向かう。

 これは何かの間違いだと訴える為に。


「間違いでも構わない。ここに記された言葉を、余の権限で真実とする!」


 既に桜子の為の部屋が、花園殿の中に建てられた四季ノ舎内に用意されていた。彼女の位は春更衣。それは、天子の下級妃の中でも最上位の位であった。

 桜子は用意された部屋で、出産の時まで幽閉された。冬雨としては、生まれてくる子供は自分が密かに種付けした我が子だと言い張りたかったが、それはさすがに周りの者が許さなかった。神聖なる系統に不備があってはよろしくない。

 桜子を妃にすることは認めるから、腹の子は父親に引き渡してくださいと、臣下達は必死に懇願する。そして誰だったか、一度身籠ったのだから、またすぐに妊娠するだろう、天子様の特別な種ならそれも叶いますとおだて、ようやく冬雨に子供を諦めさせることができた。

 出産後は乳を与える暇もなく、赤子の顔をちらりと見せられただけで、桜子は我が子と引き離された。子供はもちろん、桜子が真に愛する冬雫とも、二度と会うことはなかった。


 身体の調子が落ち着いた頃より、桜子は──朱華春更衣は頻繁に夜伽を命じられるようになる。


 月の障りがある時は別の女達が寝所に侍っていたが、それを偽ることは許されない。

 今上天子の為の後宮において、朱華春更衣が寵妃と呼ばれることに異議を唱える者は、表向きにはいなかった。


 尊き天子様を誘惑した女。

 貞節を守らぬ恥ずべき女。


 裏では言いたい放題言っており、そのほとんどは朱華春更衣の耳にも入っていた。

 面と向かって何か言ってくるようなら、その都度対応してきたが、裏で行われている陰口に対しては、ただただ煩わしさを覚え、放置した。そんなことに労力を割きたくなかったのもあるが──その全てが偽りだと、自分だけでも分かっているから良いのだと、我が子と冬雫を想ってひたすら祈ることに時間を使う。


 気付いた時には九年が経つ。


 美しさにも翳りが見えてきたと、朱華春更衣自身は思っているが、冬雨からの寵愛は続いている。この間、一度たりとも彼女は身籠らなかった。

 神子時代からの正室である天子妃も、朱華春更衣の代理で閨に侍った側室達も、身籠る者は身籠ったというのに、彼女が再び身籠ることはない。


 彼女は、支給される金子をいくらか宮廷医に渡し、孕まぬよう薬を作らせていた。


 国の宝である神子を授かることは何よりの名誉。その名誉を踏みにじるような行為は──死に値する。

 気付いている者は気付き、天子にも進言したが、天子は全て無視した。寵妃を害するような真似をするつもりはなかった。天子の耳に入ろうとも、朱華春更衣は薬を飲み続ける。


 日々は過ぎ、日々は過ぎ──事件が起きた。


 今上天子・冬雨に、寵妃・朱華桜子春更衣が傷を負わせたのだ。

 後遺症が残るほどの傷ではなかったが、尊き現人神の身を傷つけた。その罪は、死で持って贖わなければいけない。

 謝れば許すと冬雨は言った。朱華春更衣は絶対に謝らなかった。

 選ばれたのは絞首刑。粗末な服を着せられた朱華春更衣は、化粧もしていなければ髪を整えていないにも関わらず、生まれたままの美しさを誇り、玉座に腰掛ける冬雨の前に跪かせられる。


「ひ、え」


 細い首に布が巻かれる。力が込められる前に、冬雨は懇願した。

 言え、と。

 話すことに苦労している様子なのは、朱華春更衣に舌先を思いきり噛まれ、未だ傷が癒えていないから。

 朱華春更衣は何も言わなかった。冷たい目で冬雨を見つめるばかり。

 春の女神のような、温もりと美しさに満ちた笑みはそこにない。冬将軍の妃のごとく、冷えきった無表情。


「……ひゃ、れ」


 首を締められ、目を細める朱華春更衣。呻き声を上げど、謝罪を口にする様子はない。


「ひえ、ひっへふれ、はふらほ……はふらほ!」


 朱華春更衣は、冬雨の望む言葉を口にせぬまま、息絶えた。

 罪人の骸はぞんざいに片付けられ、墓に入ったか、穴にでも埋められたか、粗末に捨てられたかは、誰にも分からない。──冬雨とうう天子が崩御するまでは、誰にも、分からなかったのだ。


 春露にも、そこまでしか情報を集められなかった。


 春露と、姉の春霧の祖母にして、彼女達の父である冬雨天子を生んだ母、神楽稲荷かぐらいなりみかげは、不思議な力を持っていたという。曰く、未来が視えるのだとか。

 みかげの出身である神楽稲荷家は、遠い昔に天狐と交わったという伝説があり、そのせいか、不思議な力を宿した子供がよく生まれた。

 その力は、冬雨には遺伝しなかった。春霧には遺伝しなかった。──春露にだけ発露した。


 ──過去視。


 人間であれば目を合わせれば、場所や物であれば凝視すれば、それに関わる過去を覗くことができる。長じてからの春露はその力を使い、朱華春更衣の処刑の真相について調べ、そこまでのことが分かった。

 あまり感情表現が上手ではない春露だが、そんな彼女も、あの春の日に、朱華春更衣に魅せられた一人であった。

 温もりに満ちた美しさは、宮中の誰も体現できない。

 朱華春更衣を失ってからの冬雨天子はすっかり元気をなくし、精神も不安定になってきた。そんな父をほんのりと疎みながら、春露は朱華春更衣の痕跡を辿る。

 あの、温もりに触れたい。それだけで。


「──気色悪い」


 春露の部屋に、供もなく一人で訪れた春霧が、目の前で踏み砕いたのは頭蓋骨だった。


「我が父ながら、気色悪いことこの上ない」


 何度も何度も踏み潰す。踏みつける力には、ありったけの恨みが込められていた。


「これね──あの石女の頭蓋骨よ」


 春霧が石女と呼ぶ人は、一人しかいない。

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