第九章:虚空回廊、歪んだ光景
建物の中に入ると、神韻たちは、そこが想像していた部屋や廊下ではないことに気づいた。「扉」が消えると、彼らは灰色の、果てしなく続くような空間にいた。足元には冷たく水晶のような地面が広がり、その周囲を濃く這い寄る影が覆い、空気は骨まで凍るような冷気と不穏な囁きで満ちていた。
ここはむしろ、「虚空」の特徴を具現化した、ねじれた回廊といったところか。
「ここは……『虚空』の内部と直結しているのだろうか?」神韻は難なく尋ねた。体内の霊力がひどく抑圧され、一歩一歩が泥沼を進むようだった。
左無文は首を横に振った。「そうではない。ここは彼らが現世に築いた『橋頭堡』だ。特殊な素材と力を用いて『虚空』の環境を模倣し、同時に現世との中継地点としても機能している。」彼の声は、空虚な廊下にかすかな反響とともに反響した。
彼はこの空間が不安定であることを感じ取った。場所によっては空間構造が極めて不安定で、今にも崩壊したり歪んだりしそうだった。空中に響く囁きは、現実の音ではなく、虚空略奪者たちが貪り食った「思念」や「精髄」の残留揺らぎだった。それらは、何らかの力によって「精製」あるいは「貯蔵」されているのだ。
左無文は囁きを無視し、廊下の壁を注意深く観察した。壁はあの固体化した影でできていたが、よく見ると、無数の濃密なルーン文字と線が刻まれているのがわかる。以前見た「空」の刻印に似ているが、より複雑で体系的だった。
「これらはこの空間を構成する『規則』のルーン文字だ」左無文は言った。「この場所の安定を維持し、環境特性を決定づけているのだ」
その時、周囲の影が蠢き、凝縮し始めた。影の中から、ぼんやりとした人影がいくつか現れた。それらは定まった形を持たず、歪んだ黒い霧のようで、冷たく飢えた息を吐き出していた。
「虚空の略奪者だ!」神雲の顔色が変わり、彼は即座に武器を構えた。
しかし、これらの人影は、左無文が青山鎮や清水県で遭遇した虚空の略奪者とは別物だった。彼らは幻影のように見え、突き刺して貪り食う本能はなく、むしろ…ある種の護衛か霊媒のようだった。
「気をつけろ。直接攻撃してくるわけではない。精神と知覚を乱すだけだ」左無文は念を押した。
確かに、黒い霧のような姿はゆっくりと近づいてきた。襲いかかるのではなく、目に見えない波動を発していた。この波動は人々の精神に直接作用し、恐怖、後悔、怒りといった負の感情を心の奥底に呼び起こそうとする。
神韻と真躾組の面々は、たちまち様々な負の思考が心に浮かび上がってくるのを感じた。過去の過ち、後悔、そして恐怖が波のように押し寄せ、彼らの動きは鈍くなり、目は混乱した。
「これは…虚空の略奪者の“残響”だ」左無文は冷たく言った。「虚空略奪者の残された力を使って、このような精神干渉体を構築している。肉体を傷つけることはできないが、ここで迷わせることはできる。」
彼は影響を受けなかった。心の中には負の感情もあったが、真実を探求する彼の「極限の執念」は、これらの干渉を遮断する不滅の障壁のようだった。言い換えれば、彼の「執念」自体が強力な「思考」であり、虚空略奪者の「反響」を別の形で拒絶、あるいは吸収していたのだ。
左無文は手を伸ばし、指先に微かなオーラを漂わせた。彼は黒い霧を攻撃するのではなく、周囲の「空虚」な空気を奇妙なリズムで叩いた。
一撃ごとに、目に見えない太鼓の皮が触れ、左無文だけが聞き取れる微かな共鳴音を発していた。黒い霧のような姿は、左無文が叩くたびに震え始め、不安定になっていった。
「彼らの本質は、『空』の法則に基づいて構築された『反響』です。この『空』の法則が乱されれば、彼らは消滅します」と左無文は説明した。
彼はこれらの『反響』を構成する『法則周波数』を見つけ出し、自身の霊力と『空』の理解を用いて、それに反する『周波数』を適用し、法則に干渉を起こした。
左無文がノックを続けると、黒い霧のような姿の人影は静かな呻き声を上げ、太陽の光を浴びた氷や雪のように急速に溶け、ついには跡形もなく消え去った。
神韻たちへのプレッシャーは一気に和らぎ、心の中のネガティブな思考も静まった。彼らは左無文を不安げに見つめ、彼の問題解決の手腕に再び驚嘆した。
「左先生…これは一体どんな魔法ですか?」神韻は尋ねた。
「これは呪文ではなく、『空』の法則を応用しただけだ。彼らがここで法則を作り上げ、私はその抜け穴を見つけて利用しただけだ」左無文は軽く言った。
彼は前進を続け、神韻たちはより慎重に、すぐ後ろをついてきた。この「橋頭保」の危険は、彼らが想像する以上に予測不可能で奇妙なものだった。
彼らは曲がりくねった回廊を次々と抜け、さらに奇妙な光景を目にした。壁には無数のぼんやりとした人影が映し出され、その表情は苦痛に満ち、声もなく叫んでいるようだった。左無文は、それらが呑み込まれた者たちの「思考」の残滓だと知っていた。ガラスのように割れた空間は、その背後にある深い闇を露わにしていた。それは「空地」の顕現だった。祭壇のような構造物があり、そこにはかすかな光を放つ水晶がいくつか置かれていた。左無文はそれらの水晶の中に、精製され純粋な「思念」のエネルギーを感じた。
「あの水晶は…奴らが貪り食った“精髄”だ。」左無文は祭壇を指差して言った。「奴らは貪り食った“思念”を精製し、このエネルギーへと変換するのだ。」
これらの発見により、神韻たちは虚空の略奪者とその背後にある勢力について、より直感的で恐ろしい理解を得た。彼らは殺戮者であるだけでなく、「死神」でもあり、組織的かつ意図的に生き物の霊的精髄を集めている。
彼らは廊下を歩き、建物の中心部へと至る道を探した。この空間には固定された構造はなく、何らかの法則、あるいは彼らの意志によって道筋が変化するようだった。左無文は依然として「虚」のエネルギーの軌道を感知し、その軌跡を頼りに道を進んでいた。彼は最も強力な「虚」のエネルギー源を探していた。それは黒幕の居場所か、「虚の地」を繋ぐ拠点かもしれない。
ついに彼らは巨大な空間に辿り着いた。この空間は以前の通路よりも広く、中央には巨大な物体がゆっくりと回転しながら浮かんでいた。
その物体は、無数の複雑な「虚」の刻印が織り込まれた球体のような姿をしていた。球体の内部は冷光を放ち、強く息苦しい「虚」の息吹を発していた。その球体の周囲には、精錬された数十個の「思念」の結晶が浮遊し、衛星のように球体の周りを回転しながら、絶えずエネルギーを球体に送り込んでいた。
「これが…核か?」神韻は息を吸った。
「ああ。」左無文の視線は、刻印された巨大な球体に釘付けになっていた。 「これがこの『橋頭堡』の中核であり、橋頭堡を動かし続けるエネルギー源であり、『虚空』、あるいは黒幕と繋がるハブなのだ。」
この中核の下に、人影が立っていた。大きな黒いローブをまとい、全身が影に覆われていた。顔ははっきりと見えなかったが、左無文は彼から発せられる強大な『虚空』のオーラを感じ取った。それは印のついた球体と同じものだった。
「お前は誰だ!?」神韻は叫び、武器を構えた。
黒いローブの男はゆっくりと頭を上げ、フードの下から一対の目を見せた。それは漆黒の虚無でできた両目で、瞳孔はなく、底知れぬ闇だけだった。彼の声は嗄れ、低く、まるで遠くの虚空から聞こえてくるかのようだった。
「侵入者…お前たちはここにいるべきではない。」
彼はヴォイド・プランダラーの背後に潜む「コントローラー」であり、この「橋頭保」の守護者、あるいは操り手である。




