赤色嫌悪
「目玉焼きに醤油をかける人は、前世、馬。」
という、意味不明な本で一世を風靡した占い師が、またまた変な本を刊行した。
題名は、
「トイレ内に赤いモノを置くと、寿命が縮む。(トイレ本体が赤い場合は要買い替え!)」
という、非常に幼稚で滑稽で、その上、胡乱なものだ。
まっとうな人間ならば、娯楽とみなし、相手にしないだろう。
しかし、予想に反して、人々が「うちのトイレマット赤色だ!」と真に受けるものだから、たちまち、社会現象になってしまった。
もう、それがすごいのである。
赤いトイレマットやペーパーホルダーは販売中止。
余った在庫は超安値で売り切り、という始末。
更に、その風潮に追い打ちをかけるかのように、死亡事件が発生。
とはいえ、事故現場が偶然、赤いタイルの貼られたトイレだっただけで、赤い色に非はない。
しかし、占い師の流したデマを盲信する人々だ。
やはり、この事件も、「赤いタイルのせい!」と真に受けてしまう。
そのうち、人々の恐怖の矛先は、徐々に、赤いモノのあるトイレから、赤色という概念にまで広がってしまった。
赤色を嫌うという意味の、“赤色嫌悪”ということばは、辞書にまで載るようになった。
そして、
赤いリボンを付けた国民的キャラクターが、恐怖の権化として扱われるようになってしまってからは、もう、歯止めが効かない状態だ。
*
首都郊外のとある小学校にて。
「赤羽まさきさん」
出席簿を片手に先生が言うと、たちまち嘲笑がもれた。
そう、彼の名が、「赤」羽まさき だからだ。
「ヒトの名前を笑わない!」
そう言う、いかにも謹厳実直そうな先生も、赤色嫌悪派のひとりだ。
先日、後期学級委員を決める時、手を挙げた彼に、「君は…なまえがね…」と口ごもり、別の子を選んでいたのがその証拠だ。
「僕の名前…これじゃなければ、よかったのに」
赤羽くんは、思い切りくちびるを噛んだ。
すこし滲んだ血が、赤色で、なんだか泣けてきた。
赤羽くんは、涙まみれのまま、“ももいろ相談室”に行った。
“ももいろ相談室”は赤色嫌悪にまつわる心の悩みを、打ち明けられる場で、東京都の公立小学校には、必ずひとつ設置されている。
「いらっしゃい、まさきくん」
“ももいろ相談室”のお姉さんは、彼を、下の名前で呼んだ。
お姉さんは、赤羽くんの味方だ。
「こんにちは、ほわいと先生」
赤羽くんは彼女をそう呼んだ。
“ももいろ相談室”専属のカウンセラーは、ほわいと先生と呼ばれている。
赤に白を足すとももいろになるように、カウンセラーとのおはなしを通して、不安をやわらげられますように、という思いがこめられているらしい。
「どうしたの、おはなし、はじめていいよ」
ほわいと先生は、洗いたての布団のようにやわらかな口調で言った。
「うん。あのね、僕ね、名前が嫌だ」
「そうなのね」
「そう!この名前のせいで、みんなにバカにされるし…」
「あら、それはくるしかったでしょう」
「ほんとに!」
「だーいじょうぶ。ほら、ゆっくり、しんこきゅう」
ほわいと先生は優しいけれど、優しいだけだった。
解決には全くもってつながらなかった。
まあそれもそのはず。
白色は、その色を薄めることこそはできるものの、別の色に変えることはできないのだ。
「まさきくん、チャイムなったよ。おきょうしつ、もどる?」
「やだ」
「そう、じゃあ、ここでもうちょっと、ゆっくりしようね」
「うん」
“ももいろ相談室”には5人ほどのほわいと先生が常駐しているから、ひとりの児童につきっきりになることもできた。
ひとつの学校に5人配属…
赤色嫌悪の威力がよく分かる数値だ。
*
同学校の2年4組にて。
笹本咲花ちゃんは困っていた。
トイレに行きたい。
空いた個室がひとつある。
でも、行けない。
何故って、空いている一番奥のトイレは、便座が赤いのだ。
だからみんな使いたがらない。
先生たち曰く、部品が足りなくてこうせざるを得なかったらしいが、小学生にそんなこと通じない。
第一、この赤色嫌悪の風潮を生み出した書籍の名が、
「トイレ内に赤いモノを置くと、寿命が縮む。(トイレ本体が赤い場合は要買い替え!)」
だから、赤い便座になど誰も座りたくないのだ。
でも、咲花ちゃんは達観していた。
こんなのただの迷信だ、根も葉もない話だと、小2にして、既に知っていた。
だから、赤い便座のトイレを使うことに、抵抗はない。
しかし、使えなかった。
-いじめられるからだ。
咲花ちゃんは見た。
赤い便座に座った子が、苛烈ないじめを受け、不登校になるまでのあらましを。
結局、咲花ちゃんは別の個室が開くのを待った。
でもなぁ…。
咲花ちゃんは考えた。
ひとつ空いているのに、ずっと待っているなんて、いくらなんでも、馬鹿馬鹿しい。
そうだ!
咲花ちゃんはひらめいた。
こういうとき、相談する場所があった!
「いらっしゃい」
ほわいと先生の、模範笑顔を見て、咲花ちゃんは安堵した。
うわさ通り、優しそうな人だ。
「あのね、すわるとこが赤いトイレがあるの」
「そうなのね」
「それで、そこを使うと、いじめられちゃうの」
「あら、それはたいへんだったでしょう」
「うん。でも、そこしか空いてないときは、使ってもいいよね?」
「たしかに!いいかもしれないねぇ」
「うん!じゃあね!」
何の解決にもなっていないのに、
咲花ちゃんの足取りは、軽かった。
ほわいと先生のセリフは、先程のまさきくんのときと、九割方同じだった。
*
同学校、6年3組にて。
「これは、戦争後の教科書です。戦争に関することが、墨で塗られていますね」
先生が説明し終わるが早いか、
「ねぇ、アコ」
クラスメイトがアコの肩を叩いた。
「なあに」
「わたしたちはさ、教科書の、赤字の部分を、塗りつぶしたいよね」
「う、うん」
「現代版、墨塗り教科書、なんちゃって」
「うん…あはは」
アコの顔は陰っていた。
笑おうとしても、ぎこちなく歪んでしまった。
アコは、昼休み、“ももいろ相談室”に行った。
何だか、いたたまれない気分だった。
「いらっしゃい」
アコの顔を見たほわいと先生は、いつもの笑顔を、誤って剥がしてしまった。
なにか、勘づいてしまったのだ。
でも、笑顔笑顔と自身に言い聞かせ、いつもの笑顔をこしらえて言った。
「おはなし、はじめていいよ」
「はい」
アコは蚊のなくような声でこたえた。
「あの、私、なんか申し訳ない気持ちでいっぱいなんです」
ほわいと先生は、やっぱり、と確信した。
「あの、例の本を出した占い師、私の、おかあさん…」
ほわいと先生はおもむろに口を開いた。
「あの人には感謝してるよ」
「え?」
ほわいと先生はうすら寒い笑みを浮かべた。
「あの人が、赤色嫌悪をつくってくれたから、私の仕事がある」
「そう…ですか」
「これね、決まったセリフを言ってるだけで、成り立つ商売なのよ」
アコの前に座っているほわいと先生は、
腹黒そうな、
ぶらっく先生だった。
*
その日の夜、
「ただいま、遅くなってごめんね」
占い師-母の声にアコは体を硬直させた。
「おかあさん、仕事が長引いちゃって」
次はどんなうわさをまくのだろうか、とアコは身震いした。
「トマト買ったよ。アコ好きだったでしょ」
テーブルの上に置かれたトマトは、皮肉にも真っ赤だった。
「マンガも買ってきた。欲しいって言ってたやつ」
目の前にあるマンガは、あの本の印税で買ったのだろう。
アコは、母の暴走を止められなかった。
赤色嫌悪は、終わらない。