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テセウスの船(前編)

一体どれほどの時間泣いていたのだろう。俺はどれだけ堪えていたものがあったのか、と客観的に自分を見る自分自身が最も驚いていた。

肉体の変化に伴って、俺自身涙もろくなってしまったのだろうか?

やがて涙も涸れ果て、ゆっくりと深呼吸をする。目元が涙の跡でヒリヒリするのを自覚しつつ丸めていた背中を伸ばし、船出の方を見る。

「……ごめんな、お前がいなかったらどうすることも出来なかった。本当にありがとう」

「うん、……どういたしまして?」

彼女……船出 道音(ふなで みちね)は俺の口調に首をかしげた。……あ、そうか。彼女は、今の俺を一ノ瀬 有紀(いちのせ ゆき)だと分かっていないんだ。

だが、それはともかくとして、俺は船出に色々と聞きたいことがあった。

これから聞く内容は、もしかしたら俺が聞きたくなかった内容かも知れない。それでも、聞かなければ先に進むことは出来ない。

胸の奥がずくりと痛み、服の上からわしづかみをするように手で押さえる。

聞きたくない、けど、聞かなきゃ。

逸る動悸を抑えるべく、再びゆっくりと息を吐き、彼女に目線を合わせる。

「……落ち着いた?」

「……うん。大丈夫……、あ、あのな……」

「うん?」

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……」

彼女は、「あ、待って」と手をかざし俺の言葉の先を遮る。周りを見渡し、院内に併設されたカフェの方に視線を向けた。

「とりあえず周りの目もあるから、一旦カフェにでも行こっか」

「え?あ、おう」

そうして、俺達はカフェの方へと移動することにした。


☆★☆☆☆


俺と船出が入ったそのカフェは、ナチュラルな雰囲気を醸し出したところだった。テーブルや椅子などはブラウンで揃えられ、優しい色合いで揃えられており、店内に入るだけでどこか気持ちが落ち着くのを感じる。

窓は全面ガラス張りとなっており、外からの日差しが差し込む開放的な空間となっていた。

丁度、窓際の角の席が空いており、俺達はそこへ案内された。テーブルにお冷とおしぼりが配置される。

「へー、病院内なのにちゃんとした雰囲気の店だなあ」

船出がそわそわと興味津々と言わんばかりに周りを見渡す。その姿は年相応の女の子と行った様子だ。

「……」

「あ、君はこういう所はよく来るの?」

「あ、え」

以前からの知っているはずの間柄なのに、相手はそれを認識していない。その半ば矛盾した事象に対し、俺はどういう態度を取るべきか迷っていた。

よそよそしくするのも不誠実な気がするし、かと言って男の時のように雑な態度を取ることもどこか抵抗感があった。あれは、彼女がそういう態度を取ることを受け入れてくれていたから成立した間柄だったのかと今になって自覚する。

「……あ、あんまり、来ないです。カフェって、なんだかお洒落で入りにくくて」

結局、俺は他人行儀で返事をすることにした。さっきは気が動転していたから自然体で返事をしていたが、初対面として対応するならばこっちの方が自然なのだろう。

頭ではそれが道理なのだと理解していたが、人間関係が完全にリセットされてしまったようで心の奥底が痛む。

だが、彼女から見れば俺は緊張しているようにしか見えないらしい。気にした様子も無く、俺の言葉に相づちを打つ。

「あー。そっかあ。慣れてなかったり一人だったら緊張するよね、私はよく友達とか……()()()……とかもよく来るよ」

彼女が[先輩達]と言ったとき、表情に陰りが見えた。寂しそうな、苦しそうな表情が刹那的に過ったが次の瞬間には元通りの表情へ戻っていた。

「……あの」

「そう言えば、君はどうしてこの病院に入院しているの?見た感じそれほど大怪我じゃないみたいだけど」


「え、と、土砂崩れに巻き込まれちゃって」

「……!」

俺がそう答えると、彼女が明らかに息を呑む音が聞こえた。それはもはや隠しきれないほど目が大きく見開かれ、身体は前のめりになり俺の顔をまじまじと見る。

「もしかして、それって、この間の――?」

「え、あ、はい」

「……そっか。あ、ごめんね。私も色々と聞きたいことがあるけど、ひとまずは飲み物を頼もうか」

「……はい」

やはり彼女としても色々と思うことが多いのだろう。俺は自分の正体を隠すべきなのか、それとも伝えるべきなのか。そして、それを伝えたとして信じてもらえるかどうか。

様々な葛藤が脳裏を過っていた。

そんな俺の傍らで、彼女はメニュー表をまじまじと見ているが、どこか気が落ち着かないのだろう。チラチラと俺の方へと目線を向けていた。

()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()


そして、俺はブラックコーヒー、彼女は紅茶を頼んだ。

しばらくして、店員がトレーに乗せたそれらを俺達の前へと置いていく。

フレッシュも砂糖も入れず、そのままブラックコーヒーをゆっくりと口に運ぶ。深みのある苦みが口の中でふわりと広がった。

「……君って結構渋いものを頼むんだねえ」

「え?いや、あはは……」

一口すすってから、俺はコップをソーサーへと戻す。カチャリと乾いた音が俺達の間へと響く。

「……そういえば、貴方は……」

「あ、私は船出 道音っていうの。気軽に道音、でいいよ?」

「……道音さんは、どうしてこの病院へ来たのでしょうか?」

答えはおおよそ想像が付いていた。だが、そのことを俺の口から出す気にはなれず、彼女の言葉を待った。

だが、その答えはすぐには返ってこなかった。

代わりに彼女の目が徐々に潤む。小さな唇が小刻みに震え出す。

俺はその姿に思わず狼狽する。

「え、あ、あの」

「……私の先輩達ね、あの土砂崩れに巻き込まれたんだって。一人は見つかってここに入院しているんだけど、もう一人は、まだ……」

「……」

言葉の一つ一つが零れる度、彼女の瞳に潤む涙は徐々に増していく。そしてそれは瞼に留まることが出来ず、ついには零れてしまった。

気丈に振る舞ってこそいるが、やはり心の奥底に眠る感情は……。

「その、今も見つかっていない、先輩ね?……わ、私が……好きな、先輩、なんだよ……ずっと、大好きな……」

「……道音、さん……」

「ごめんね、わたし、せんぱ、い……のことすきだ……ったんだ、だから、いまごろ、みつかって、こ、こにきてるって、おもって……」

「……」

隠すこともせず、嗚咽を漏らし泣きじゃくる彼女。その慟哭にも似た嗚咽は、店内に大きく響き渡るが、俺はそれを止めることは出来なかった。

俺は先刻までの己の考えにいたく後悔していた。そして、己自身へ激しい怒りを感じた。

――自分のことばかりを考えて、残された者の気持ちを考えていなかった。信じてもらえるか不安、じゃないだろ。

かつて、俺が発した「てめぇのエゴで他人の人生を狂わせるな」という言葉が思い返される。その言葉はまるで映し鏡のように、俺へと還る。

(てめぇ)のエゴで、彼女は、大事な人を喪うという場面にぶち当たっているのに、俺は自分のことばかりで。

彼女の孤独と不安を癒やせる鍵を持っているのはお前だろ――。


「道音」

俺は、彼女の目を見据えて名前を呼んだ.そう言えば、彼女の下の名前を呼ぶのは初めてだ。

「ぅ、ぅえ……な、あ、なに……どう、した……の」

彼女はぐしゃぐしゃに潰れた表情で俺の目を見た。彼女から見れば、俺は非力な一人の少女に映るのだろう。だが、それでも言わない訳には行かなかった。

俺は大きく深呼吸をする。彼女が一体どのような言葉を求めるか、ある程度の予測は立っていた。

息を吐く頃には、覚悟は決まっていた。

「……ごめん」

「……なぁ、に……が……?」彼女は鼻をすすりながら、涙に潤む瞳で俺を見る。

「『俺』は、お前の人生はお前だけのものだって昔言ったよな。だから、俺の身に何があろうとも、お前は幸せになってくれればそれでいいんだ、そう思っていた」

「……?」

「だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という考えにはたどり着いていなかった。俺……一ノ瀬 有紀もお前の人生の一部だったんだな。すまなかった」

俺は深々と頭を下げた。そして、顔を上げたときには、彼女の瞳には驚愕と疑惑と、不安が入り交じった表情が浮かんでいた。

「あ、え、え……?」

「三日振りだな……。部活動は頑張っているか?また、軸はズレていないか?」

もう、後戻りは出来ない。返しの付いた言葉を彼女の心奥深くへと突き刺す。

それは、彼女から幾度も告白されてきた俺自身が分かっていた。

「……せん、ぱい……?まさ、か……」

彼女はまだ信じられない、と言った様子で再確認をする。

もう、逃げる訳にはいかなかった。

()()()()()()()() ()()()()()。どうしてこんな身体になったのかはわからないがな」

「――っ!!」


彼女はより一層、激しい嗚咽を漏らした。それは、店内に響き渡り、店員さんが困惑してやって来るほどの……。


続く

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