[番外編]恋という名の毒
本作に登場する船出 道音視点の番外編です。
私は、昔はヒーローになりたかった。巨悪に立ち向かう、仮面を被った正義のヒーロー。
悪人に困っている人を見つけては、正義のヒーローに変身して、悪を打ち倒す。そんな毎回お決まりの展開に幼い私は目を輝かせていたものだ。
だけど、小学校時代の大抵の女子は、可愛らしくてキラキラとした、いわゆるファンシーものを好く子が多かった。だから、そんな中でヒーローものを好く私のことを「男みたい」だなんて揶揄されることばっかりで、辟易としていた。
自分を偽って、周りが求める女の子らしい自分を演じなければいけなかった。
実際、動きづらいからと言う理由でショートカットの髪型で、男の子に交じって運動したりしていたからそれもあるんだろうけど。
★★★★★
そして、私は中学生になった。いわゆる思春期の時代に入り、それなりに身だしなみを意識するようになった。髪の毛も伸ばし始めて、シャンプーやトリートメントも良いものを選ぶようになった。
服装もちゃんとして、周りに馴染むようにと努力した。
だけど、私の風貌が変わるにつれて、周りの目線は徐々に変わっていくのを自覚していた。「男みたい」と揶揄した男の子達でさえ目線が徐々に異性を見るそれへと変わっていった。かつては親しかった男子でさえも、私を友達では無く異性として見るようになり、そして告白されることも増えた。私が求めていた友達としての間柄を、相手は全く求めていなかった。向こうも思春期というのもあるだろうが、性欲に満ちた目線で、かつての男友達が私を見るようになる。その事がとても辛かった。周りの女子も、「男に媚びを売っている」と陰口を叩くようになった。
己の欲求と、僻みと、妬みと、色々な他人の感情をぶつけられ、私は人と接することに嫌気が差していたのを覚えている。
中学の時、私はバレー部に入っていた。元々運動神経には自信があり、周りを先導できるようになるのにそう時間は掛からなかった。
先輩もしっかりと私達を指導し、練習への協力も積極的だった。ただ、一人だけ指導が他の人よりも厳しく、苦手な先輩がいた。それが一ノ瀬 有紀先輩だ。彼は指導内容こそ的確だったが、妥協を許さず毅然とした振る舞いを好む人だった。よく言えば効率的、悪く言えば機械的。
だからその先輩とは関わりたくなかった。
その代わりに、私の部活指導に熱心になってくれる男の先輩がいた。彼は親身に部活の相談に乗ってくれて、悩みも聞いてくれる、良い先輩だった。
良い先輩だと思っていたのに。
★★★★☆
ある日から、私が家に帰る最中、誰かに付けられている気がした。
振り返ると、誰も居ない。けれど、気配は確かにそこにある。その不気味さを、気持ち悪さを感じながらも私は学業に、部活動に励む。誰かに悩みを打ち明けたかったが、部活動で他人を引っ張る立場である手前、あまり他人に余計な心配を抱えることをしたくなかった。
私はその事に耐えきれず、ある日。
その頼りにしている先輩にうち明けた。
「可愛い後輩が困ってるんだ。俺が助けになるよ」
と、その先輩はとても頼りになる言葉を掛けてくれた。その言葉だけで私は安心できる気がした。
しかし、結論から言えばストーカーの正体はその先輩だった。
しばらくしたまたある日、私が駅のホームで待っている時、たまたま一ノ瀬先輩と出会ったのだ。
正直関わりたくなかったから、軽い挨拶を交わす程度で話し掛けるつもりなんて無かったけれど。
「あ、一ノ瀬先輩。お疲れ様です」
「おう、船出か。最近よく頑張ってるみたいじゃねーか。けどトスの時、踏み込みが甘いから、そこだけ気をつけろよ。いつも軸がずれてるからボールが時々狙っていない方向に行ってるだろ」
「あはは……ありがとうございます。気をつけます」
こんな時まで部活の指導か……本当に、面倒くさくて、とことん苦手な先輩だ。
正直、それ以上は話すつもりは無かったが、何かを思い出したように一ノ瀬先輩は語りかけてきた。
「なぁ、あいつ……お前がよく話している男は、良い奴だと思うか?」
あいつ、というのが誰か一瞬考えたが、恐らく私の指導に親身になってくれている先輩のことだろう、と気付いた。
「はい……?あ、はい。良い先輩だと思います」
「……そうか、なら別に良いんだけどさ」
それ以上は一ノ瀬先輩は何も言わなかった。ただ、何かを考え込んでいるように地面をじっと見ていた。
そう言えば、先輩は家が駅近くだから電車に乗る必要は無いのでは無いか?と疑問が湧く。
「あの、一ノ瀬先輩は確か家が近辺でしたよね?電車に乗る必要あるんですか?」
「あ?あー……いや、丁度友達に誘われてな。今から会いに向かうところ」
どことなく歯切れの悪い返答だったが、それ以上話す気にもなれず「そうでしたか」と返す。それ以上は言葉を交わすことは無かった。
駅構内から家に向かう帰路。
やはり、私を誰かが付けている気がする。何も証拠があるわけじゃ無いけれど、どことなく不気味な、下卑た視線を感じる気がして定期的に振り返る。
だが、やはり誰も居ない。ドロドロとした気持ち悪さと、恐怖とが入り交じりながら私はゆっくりと帰路を辿る。
そして、ようやく家が見えてきて「やっと帰ってきた……」と思った瞬間。
「てめぇ何やってんだ!!」
と男の怒号が聞こえた。その声に驚いて振り返ると、一ノ瀬先輩が、私が親身になっていた男の先輩を羽交い締めしていた。
「え、ちょっと、先輩!?何やってるんですか!!?」
私は驚いて駆け寄ると、その男の先輩は私の方を見て、ニヤニヤと笑う。
「……君が悪いんだよ、俺の想いに答えないからさ。君が俺自身を狂わせたんだ……!」
「ッいい加減にしろよ!おい、船出!お前さっさと学校か警察かに連絡しろ!!」
一ノ瀬先輩が必死に私を見て叫ぶ。だが、私は呆然とするばかりで、言葉が出なかった。
「あ、え……嘘、だ……」
頭の中が真っ白になる。あれだけ私の指導に親身になってくれた先輩。本当に信頼できる人だと思っていたのに。
私に近づく男の人は……皆。皆おかしくなってしまうのか。
呆然とする私を余所に、一ノ瀬先輩は必死にその男を食い止めていた。
「君が、君が君が、俺の全てだよ、俺はこんなに想っているのに!こんなにも苦しいのに!!だから僕は応えて貰いたかったからここまで来たのさ!君が好きだから!!」
ああ、好きという言葉はこんなに人を狂わせる。こんなにも、こんなにも。
徐々に今まで親身にしてくれていたはずの先輩の偶像がガラガラと崩れ落ちる。崩れ落ちた瓦礫の中から、もはや人とは呼ぶことの出来ない異形の生物が姿を現している。
徐々に思考が醒めていくのを感じた。……もう、私を真っ向から見てくれる人なんて居ないのだと、失望さえ感じていた。
その時。
「ふざけんな!!てめぇのエゴでこいつの部活人生を狂わすんじゃねぇ!!こいつの人生はこいつのもんだろ!?」
怒号にも似た、一ノ瀬の叫び声。私は、その言葉でハッとした。
そういえば、彼だけは、私を最初から特別視などしていなかった。ただ一人の部員として見ていたんだ。
その言葉に、私を見てくれる人は居たんだと、どこか胸の奥が熱くなる。
私はすぐに家の中に駆け込んで、警察へ連絡した。
★★★☆☆
やがて、その男は警察へと連行された。私はそれを見届けてから、一ノ瀬先輩に深々と礼をした。
「本当に、有り難うございました。まさか、あの先輩がストーカーだったなんて……」
彼は、私を見て呆れた目線を送る。そして、割と強めの力でデコピンをされた。
「いだっ!何するんですか!?」
「……お前の悪い癖だ。今まで他人からの評価ばっかを気にして生きてきたのかは知らねえけどさ、あんま簡単に周りからの評価に呑まれんなよ」
その言葉は、私の胸の奥深くに刺さり込む。それは私の核心を突くとも言える言葉だった。
「……本当に、ですね。気をつけます」
そう言って、深々と礼をする。
「それでは、また部活動でよろしくお願いします」
「おう、お疲れ様」
彼の言葉をバックに、私は玄関のドアを開ける。
すぐに入口に飾られた、幼い私と映るヒーローの写真が私の視界に映った。
これは私が小さい頃、無理を言って連れて行ってもらったヒーローショーで撮って貰ったものだ。
ヒーロー……か。
あの瞬間の先輩は、私にとってのヒーローだった。私が困った時に助けに来てくれる、冷たい態度の仮面を被ったヒーローだった。
『こいつの人生はこいつのもんだろ!?』
『あんま簡単に周りからの評価に呑まれんなよ』
彼が言った言葉の一つ一つが思い返される。
私が欲しかった、求めていた答えを彼はいとも容易く出して見せた。その事が嬉しく、思い返すだけで胸の奥が熱くなる。
「……え?」
今まであまり意識をしたことが無かったのに。一度その刺さったトゲに気がついてしまえば、そこからあふれ出る恋という名の毒が全身に回るのにそう時間は掛からなかった。
「え、え……?」
顔が熱くなる.胸が苦しくなる。喉元がつっかえる。
私は、一ノ瀬先輩に恋をしたんだ――。
★★☆☆☆
案の定というか、件の男の先輩は、地域にいられなくなったのだろう。転校する、との旨の連絡が届いていた。
今日は授業の間も、ザワザワと私の方を見る者が多く、あまり良い気分ではなかった。恐らく、部活でしたしげに話しているところを見ていた人達から噂が出回っているのだろう。
しかし、今私の意識は今は違うところに向かっていた。
体育館に入ると、私は他の誰にも目をくれず一直線に一ノ瀬先輩の元へと向かう。
「おはようございます!一ノ瀬先輩!」
「お?おう、おはよう。……大丈夫か?昨日はよく寝れたか?」
一ノ瀬先輩はコートの準備をしながら、戸惑った様子で私の顔を見る。昨日までの態度とあからさまに違うことに戸惑っているのだろう。
改めて彼の一挙一動を見ると、私が今まで思っていたよりも冷たい人間ではなかった。対等に、一人の人間として扱ってくれている。
それがとても嬉しくて、とても愛おしい。
「はい。お陰様で!本当にありがとうございました」
「そうか、それなら良かった。今日は部活に集中できそうか?昨日指導したところの訓練をしようと思うんだが」
「あ、はい!お願いします」
私がそう言葉を返すと、先輩は私の方から離れて他の部員の元へと向かっていった。
「おい、注目!!……今日は俺が皆にサーブ打つからしっかり狙ったところへ返せよ!」
と部員全体へ声を掛けていた。
その様子を見て、私は複雑な心境になった。
彼は別に私にだけ優しいわけじゃ無かった。私も、ただの一部員としか認識されていないのだ……と気付いてしまった。
その事に気がつくと、私は嫉妬にも似た感情が渦巻くのを自覚せずには居られない。
あれだけ、女らしいことが嫌だと思っていたのに、湧き起こる感情を抑えることが出来ない。
この嫉妬にも似た感情は、あまりにも自分が女性らしいのだと言うことを顕著に表していた。
練習が一段落し、部員全員が休憩のため各々水分摂取などを行っている最中。
私は、一ノ瀬先輩がよく親しげにしている鶴山 真水先輩に声を掛ける。
「……あの、鶴山先輩。ちょっと良いですか?」
「ん?ああ、船出さん。お疲れ様。どうしたの?」
大人しげな風貌をした彼は、バインダーをすぐに拾いに行こうとしたため、慌てて制止する。
「あ、いえ、部活のことでは無く……一ノ瀬先輩のことなのですが」
「ん?有紀がどうかしたの?」
そこで私は、急に気恥ずかしくなり俯きながら言葉を続ける。
「……一ノ瀬先輩は、え、えと、彼女……とか、いるのですか?」
「……ぶふっ」
「先輩!?」
突如として吹き出した鶴山先輩に、つい私は彼を咎めた。
半分涙目になりながらも、笑顔で彼は言葉を続ける。
「やー、そうかそうか、船出さんもそうなんだね」
「え、あ、はい……『も』……?」
思いも寄らぬ接続詞が入り、私はすかさず疑問をぶつける。すると、彼は一ノ瀬先輩の方に視線を向けた。
「いや、有紀って結構冷たそうな雰囲気だけど、結構さ、努力家でしょ?そんなもんだから案外隠れファン多くてね……」
「……へー……」
「ま、彼は結構鈍感だから、よっぽどじゃないと気付かないと思うけど」
……よっぽどじゃないと気付かない、ね。私は、その言葉に活路を見出していた。
鶴山先輩に礼をしてすぐさま一ノ瀬先輩のところへ向かう。
「一ノ瀬先輩、お疲れ様です」
「おう、船出か。お疲れ様。今日はサマになってるじゃん。この調子でいけよ?」
「ありがとうございます!それと、あのですね?」
「?どうした?」
私は、大きく息を吸い込んだ。次に発する言葉が、彼に、皆に、届くように。
「私は、……一ノ瀬先輩が、好きです!付き合ってください!」
部活中に、白昼堂々と、はっきりと大声で。
私は彼に告白をした。
周りの部員全員が驚いた様子で私の方を見る。鶴山先輩に至っては再び吹き出していた。
「……はぁ?」
当の一ノ瀬先輩は、目をまん丸にして私を見ていた。
「さあ、さあ!!一ノ瀬先輩!!答えをお願いします!」
「え。えーと、……いや、そもそも恋愛に興味ないし……」
彼は、戸惑いながらも、案外バッサリと私の告白を断った。数多くの男を狂わせた、この私の告白を。
これが、私が初めて彼に告白をして、振られた日だった。
★☆☆☆☆
この日から、私は一ノ瀬先輩の後をついて回るようになり、執拗に告白しては振られる……と言う日々を繰り返していた。
私が告白をして、先輩が面倒くさそうに振って、それを鶴山先輩が楽しそうに笑う。
こんな日々がずっと続く。続くと。そう思っていたのに。
『昨日未明。○○市で土砂崩れが発生。十代の男女二名が意識不明の重体。一名が行方不明。現在も懸命な捜索が続けられています』
そんなニュースが届いたのはある日の日曜日のことだった。学校近くの山道であったが、恐らく生存している可能性があることから名前は公表されていないのだろう、と他人事のようにニュースを見ていた。
この時は先輩達のことだとは思いもしなかった。
だけど、学校のチャットグループで、土砂崩れに巻き込まれたのが一ノ瀬先輩と鶴山先輩という情報がニュースが流れてから一時間もしない間に流れてくる。一体どこからそんな情報を仕入れたのかは分からない。しかし私は気がつけば、家を駆け出していた。
そんなはずはない。そんなことがあってはならない。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
また、私を裏切るのか。私を見放すのか。
誰も私を置いていかないで――。
ある総合病院へ鶴山先輩が運ばれたとチャットグループを介して知ったとき、私は一目散にその病院へ駆け込んだ。電車賃が思いのほか嵩むが、そんな問題は私にとっては些細なことだった。
すぐに集中治療室へ駆け込むと、そこには意識を失い、様々な機械に繋がれた鶴山先輩がそこにはいた。
カテーテルとかドレーンとか難しい単語を沢山連ねられたが、正直パニック状態であり、理解を出来るような状況では無かった。
しかも、未だに一ノ瀬先輩は見つかっていないのだという。
もし、生き埋めになっているのだとしたら。もし、見つからなかったら。
最悪の事態が私の脳裏を過る。
お願いします、神様。どうか、彼ともう一度会わせてください。
一生付き合えなくてもいい。彼が生きていて居てくれるなら。
どうか、お願いします――。
☆☆☆☆☆
だが、現実は残酷だ。
一ノ瀬先輩が見つからず、早三日が過ぎた。恐らく、生存は絶望的だろう。
私はまたしても、私が信じた人を喪うのか。そう思うと、何も考えられなくなっていた。
唯一の頼みの綱である鶴山先輩も、変わらず目を覚まさない。ずっとこのままなのか、と最悪のケースが脳裏を過る。
重い考えが、蟲が這うように脳裏を伝う。じめじめとした不安が、付いて離れない。
ねえ、私。今、困ってるよ。
だから助けに来てよ、ヒーロー……。
そう空虚な願いに思いを馳せながら、ふと屋上庭園に立ち寄った。大空は青々と晴れ渡り、私の心持ちとはかけ離れた、雲一つ無い快晴だ。
まるでお前はこの場には相応しくない、と否定するように日差しが私を突き刺す。
「……帰ろうかな」
そう思って踵を返したとき。
「てめェ何様だよ、黙って俺に付いてこれば良いんだよ!」
と怒号が屋上庭園内に響き渡る。私は驚いて振り返ると、金髪の男に絡まれた一人の病衣を着た栗色のセミロングが揺れる女性が目に入った。
彼女は、目に涙を潤ませながら周りに目線を送っていた。だが、その男にみんな萎縮してしまって誰も助けようとはしない。
私も内心は怖かった。けれど、身体が気がつけば動いていた。
――きっと、一ノ瀬先輩ならそうするよね?
「何してるんですか!!」
自分でも驚くほど、張り詰めた声が喉から湧き出た。そうか、彼女は過去の私なんだ。どうすることも出来なくて、不安と恐怖に心を押しつぶされそうになっている、あの日の私。
「あ?今俺とこいつは良いとこなんだよ。部外者が邪魔すんな?それともお前が遊んでくれるっての?」
性欲だか、支配欲だか、それに近しい気持ち悪い目で私を見てくる。だけど、あの日の時に比べたら、怖くなんてない。
――見ていてね、一ノ瀬先輩。貴方が助けた船出 道音という名前の後輩は、困っている一人の女の子の前に立ちはだかるヒーローになったよ。
「泣いてるでしょ、この子?貴方のことが気持ち悪くて気持ち悪くって堪らないって感じだけど。これのどこが良いところなの?」
[番外編 おわり]