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強さと弱さ(前編)

今回は少し生々しい描写が出ますので、気をつけてください。

入院してから、確か3日目の朝だ。俺――一ノ瀬 有紀(いちのせ ゆき)はそろそろ鏡に映る自身の姿に違和感を感じることが減ってきた自分に嫌気が差しながら、長く伸びた髪型を整える。

前髪が視界に入る度に少しイラッとする。女性が髪留めを使う理由がなんとなく分かった気がした。

日が経つにつれて、徐々に全身の痛みも消えてきていた。全身のあちこちには擦過傷があり、処置としてガーゼが貼られていたが、ほとんど滲出液……とでも言うのだろうか。傷から染み出すものは殆ど無くなってきており、必要がなくなるのも時間の問題であった。

そう言えば、鶴山 真水(つるやま まみず)も救助はされているはずだが、彼は大丈夫なのだろうか。俺も現状はトイレ以外はベッドから動けず、病室から出ることは出来ない状態なので他人の心配をしている余裕は無かったのだが。

そんなことに思いを馳せていると、カーテンの向こうに人影が見え、「一ノ瀬さん、失礼します」と中年男性の声が掛かった。俺は誰が来たのかおおよそ見当は付いており、「どうぞ」とカーテン越しに声を掛ける。

ゆっくりと開かれたカーテンの先にはやはりというか、柴崎(しばざき)医師がそこには立っていた。首に掛けられた聴診器と、黒縁の眼鏡がギラリと蛍光灯に反射する。

彼はボリボリと頭を掻きながら、不躾な目線を俺の全身へと向ける。観察をしているのだろうか、どうにもこそばゆい感覚を覚えた。

「一ノ瀬さん、調子に変わりはありませんか?」

「あっ、はい。大丈夫です。お陰様で」

「それは良かったです。特に検査項目やレントゲン、CT等の画像所見にも異常が見られませんでしたので、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。また私から看護師に伝えておきます」

「……有り難うございます」

柴崎医師より行動制限が可能となったことに一瞬喜びの感情がこみ上げた。しかし、ふと陰りの感情が俺の足元を引っ張る。

「それと、一つお聞きしたいのですが」と気がつけば俺の口は動いていた。

「どうしましたか?」

「俺の他に、『鶴山 真水』という人がこちらに搬送されていませんか?俺の親友なのですが」

そう俺が問いかけると、彼は俺から目を逸らし、どこか躊躇うような仕草を見せた。その動作の一つ一つに、あらゆる最悪の返答が一瞬にして何通りも過り、自分で聞いておいてなんだがその先の答えを聞きたくない、とさえ思った。

「鶴山さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……!」

「当時、薄手の服を着ていたことも関係しているのでしょう。全身に打撲や擦過傷などを負っており、現在ICU……集中治療室に入っている状態です」

彼の返答に、『生きていて良かった』と『こんなことが合って良いはずがない』という相反した感情が過った。

「……あの、面会は可能でしょうか?」

そう俺が問いかけると、柴崎医師はまるで自分のことのように苦痛に顔を歪ませながら首を振った。

「申し訳ありません。ガラス越しに様子を見に行くことであれば可能ですが、対面での面会は現在出来ません」

「それでも大丈夫です。会わせて頂きたいです」

もはや懇願するように依頼すると、医師は「うーん」と頭を更に掻きむしりながら唸った。

「……わかりました。それでは、また面会が出来るよう、看護師に話を通しておきます」

「……助かります。本当に有り難うございます」

と深々と礼をすると、柴崎医師は軽く頷き「失礼します」と病室を後にした。その姿を見届けてから、俺は糸が切れたように後方に倒れ込む。マットレスが大きく沈み、ボフッ、と情けない音を立てた。

現状、俺自身が抱えた問題はかなり多岐にわたっており、ほとんど限界を迎えようとしていた。

あの自身の外見が女性になったと気がついた日。当然というか、両親は俺を一ノ瀬 有紀だと認知することは出来なかった。両親からしてみても、今までの男性としての外見をした一ノ瀬 有紀が現状行方不明者として捜索を続行しており、心のどこかに俺の言うことを信じたい気持ちはあるだろう。

だが、そもそも性別が変わっているという問題が大きく、両親の理解を拒んでいるのは想像に難くない。人を印象づけるには、見た目が55%も占めているのだ。無理もないな、と他人事のように自己完結する。

両親は「悪いけれど今は信じられない」と言葉を残し、病室を後にしてしまった。のちに看護師から聞いた話では、やはり俺が息子であるという認知をしていない、との話を聞いた。

そういえば、と、身体を起こし足元に引っかけられたボロボロになったジャージに視線を送る。すると、脳裏にあの日の出来事が過った。

……丁度あの日、長そでの上下のジャージを着ていて正解だった。俺自身の怪我がそれほど重傷では無かった理由の一つに、衣類による防護があったのだろう。

しかし、あの日スマホもどこか土砂の中に紛失しており、俺自身の言葉と、ボロボロになったジャージ以外に俺が一ノ瀬 有紀本人であるという証拠を失っていた。そのため、現状は俺自身は今も行方不明者として扱われ、今も土砂の中を懸命に捜索しているらしい。

生き埋め時の生存時間は七十二時間とされており、一ノ瀬 有紀が見つからなければ生存は絶望的として、やがて捜査が打ち切られるのだろう。だって俺はここに居るのだから。

次に考えるべきは、もはやボロボロになってしまったジャージの中に入っていた一本の金色のツノの事だ。網越しに折った気がするのだが、どのような経緯でポケットに入ったのかは分からない。しかし現に目の前にそれは存在した。

俺がこの肉体の姿へと変容した経緯に、これが関わっている可能性はどうにも否定できなかった。

今は置き場所も無いため、机の上にそのまま置いている。何となくそれを手に取り、様々な角度からそれを観察してみる。

光に反射し、黄金に輝くツノは神々しいまでの輝きを放つ。

だがそれ以上のことは何も分からず、それを再び机の上へと戻した。

「……じゃあ、行くか」

真水の様子を見に行くべく、ゆっくりと俺はベッドから身体を降ろす。女性の肉体へと変化したことで骨盤が広くなったのだろう。やや今までと足の置き方が異なり、どうにも動き方に違和感を感じる。

未だにこれは長い夢の続きなのだと思う。いつかは、この長い夢も覚めるのだと。

だが、何日経とうとも俺の身体の変化は戻ることは無く、ただ女性のそれとしてこの場に存在し続けている。恐らく若い女性の見た目をしているからだろう。対応するのは女性の看護師だけで、男性看護師と関わったことは無かった。

そうした些細な一つ一つの気配りが、自身が女性の見た目をしているのだと自覚させる。

胸元を整え、俺は病室を出ることにした。本日まで病床に伏していたからか、やや体力が落ちている気がする。身体に付いていたはずの筋肉は無くなり、以前よりも動きづらい印象を覚えた。

俺は転ぶことが無いように手すりを把持し、慎重に歩みを進めた。


★☆☆☆☆


看護師に案内され、俺は集中治療室へと案内された。

徐々に様子の変わり果てた彼が居るベッドに近づくと思うと、嫌な想像ばかりが脳裏を過る。

動悸が止まらず呼吸が自然と荒くなる。看護師もその様子を察したのだろう。俺の目を真っ直ぐに見て、声を掛けた。

「大丈夫ですか?急がないので、ゆっくりと深呼吸をしてください」

「あ、はい。有り難うございます……ふぅ」

大きく深呼吸をすると、徐々に全身の血がゆっくりと下に降りるような感覚と共にどこか頭が冴えるような気がした。

「……ありがとうございます。大丈夫です」

「分かりました。それではこちらへ」

と案内されたそこにはウィンドウガラス越しに映る、一台のベッドがあった。そのベッドに貼られたネームプレートには鶴山 真水と記されていた。俺は固唾を呑んで、彼の様子を見る。

単調なモニターの音や、複雑な構造をした人工呼吸器の作動音が、静かな空間に響き渡る。その機械的な空間の中、彼が人形とかしたかのように身体を動かすことも無く眠っていた。

彼の胸元から、また腰から、様々な管が繋がっているのが見える。真水の回りを、一人の看護師が忙しなく動いているのが見えた。

「真水……」

思わず拳を強く握る。そして気がつけば、口の中に血の味が滲むのを感じた。自分でも気がつかないうちに唇を噛んでいたのだろう。

「……大丈夫ですか?ティッシュを使ってください」と看護師から水道水で濡らしたティッシュを手渡され、俺はそれで唇を拭う。紅色の血がティッシュ内に滲み、薄く広がっていく。

「あの、……彼は今どういう状態ですか?」

「滑落した時、肺や肝臓などに木の枝が突き刺さったのでしょう。急を要し、手術が必要な状態でした。幸いにも脳や心臓に異常を来している様子は見られませんでしたが、未だ余談を許さない状態が続いています」

「……」

多少覚悟はしていたが、実際に具体的に何が起きたか、と言うことを説明されると胸が詰まりそうな気がした。

もう一度、ウィンドウガラス越しに真水の姿を見る。彼は眠っているというよりは、やはり人形とかしたように静かにそこに横たわっていた。

これ以上見ていても辛いだけだ.そう思い、俺は看護師に「ありがとうございます」と礼をして踵を返し、その場を後にしようとした。しかし、その時看護師から呼び止められる。

「そう言えば、あなたは鶴山さんの彼女さんですか?」

「彼女……?ああ、いえ、違います。彼は俺にとっての親友です」

『俺?』と看護師は疑問に首をかしげているようだったがそれほど重要な情報では無いと思い直したのだろう。「そうなのですね」と言葉を続ける。

「いえ、先ほども女性の方が面会に来られていましたので。()()()()()()()。と行っていましたが……」

「……後輩……か」

それが誰なのか、おおよそ見当は付いていた。


後編へ続く

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