[おまけ]ありきたりな日常
思い立ったので、久々におまけ回として執筆いたしました。
お久しぶりです。
学校のチャイムが刻む残響。遠くから鳴り響く、吹奏楽部のチューニングの音。
そんな音をBGMとして、私達は学校を後にする。
茜色の夕日が、私達を照らす。空を見上げれば、まるで炎のような雲がそれに浮かんでいた。
「今日も何事もなく終わって良かったね」
私——一ノ瀬 有紀は大きく背伸びしながら、二人にそう話しかける。
硬いアスファルトを叩くように杖を突き、私達と並んで歩く鶴山 真水は「そうだね」とその愛くるしい笑顔を向ける。
思わず胸の鼓動が高鳴るのを自覚しながらも、私は彼から顔を背けた。顔とか、耳とか赤くなってるのバレてないかな?
女性の身体になって、一か月以上も過ぎたというのに一向にこの感情に慣れそうにはなかった。
ええい落ち着け一ノ瀬 有紀。元は男性でしょう!
思い出して、男性の頃に一緒に真水と銭湯に行った日のことを!
そう自分に言い聞かせて、脳裏に懸命に男性の頃の思い出を手繰り寄せる。
すると、すぐに去年の夏ごろの映像が脳裏に描かれた。
ちょうど部活終わりに汗だくになった私と真水と思い立って銭湯に行った日の記憶だ。
『お疲れ。真水』
『ありがとう、最近暑くない?地球温暖化って散々前は言ってたくせに、最近何も言わないよね』
『言っても無駄だからだろ』
ああ、思い出してきた。男性の頃の私ってこんなに淡白な人間だったんだなー、って今ならすごく実感する。
女性になって良かった、なんて言えないけれど。こうして、皆と本心で向き合うことって大切なんだね。
そんな感想を抱いている最中にも、脳内の映像は続く。
場面は変わって、銭湯へと辿り着いた私達。
私も、真水もそりゃ銭湯なんだから服は脱ぐ。すると、脳裏に描かれるのは真水の……。
「わあああああああ!?」
鮮明に記憶に刻まれた映像をかき消そうと、私は手をバタバタと大きく動かす。傍から見れば突然叫び出す奇行に、真水はぎょっとした様子で後ろずさった。
「な、何。有紀」
今度こそ隠すことも出来なくなり、頬も耳も赤くなった私は真水へと視線を向ける。
よせばいいのに、私は目の前の真水と、先ほどの記憶の中の彼を照らし合わせてしまった。
「変態っ!!!!」
「何で!?」
どっちが変態なのか分からないが、私は誤魔化すように真水の脳天にチョップを食らわせた。
女性の身体になって、筋力も低下して、威力は低減しているはず。しかし、それでもクリーンヒットしたのか、真水には頭を押さえながらも涙目で睨まれてしまった。
「酷くない、有紀。僕何かした?」
「ご、ごめんっ。何もしてない、何もしてないけど……ううう……」
悪いのは女性の身体になった私自身の心変わりによるものなのだが。
正直、これを真水に言っても理解してもらえるとは思わない。なので私は頭を抱えて、警戒するワンちゃんのような唸り声を上げるより他なかった。
しかし、こうして真水と談笑を交わしていても、船出 道音——みーちゃんは一向に話に割って入ろうとしてこない。
「……っあ~~~~……はあああああ……」
じっと、テストの紙を強く握りしめては何度もため息を吐いていた。というか、ため息と言うには大きすぎてもはや”吹いている”という表現さえしっくり来る。
おおよそ、みーちゃんの悩みの種は想像がつく。
「……勉強、一緒にやろっか」
「お願いしますぅぅぅぅぅせんぱああああああいっ」
「おわっ」
まさか飛びついてくるとは思わず、私は大きくバランスを崩した。慌てて体勢を立て直したが、みーちゃんは縋るようにしがみついたまま離れそうもない。
周りに見られていると思うと途端に恥ずかしくなり、慌ててみーちゃんを引きはがそうと肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっとみーちゃん、離れて―……んぐぐぐ……」
だが、女性の身体となり非力になった私。対して、運動神経抜群のみーちゃんとでは体力に雲泥の差があった。
「先輩、助けてくれますよね?ね、先輩」
あ、ちょっと久々に先輩呼びしてくれて嬉しいかも。
一瞬だけそんな思考が過ったが、慌てて首を横に振って思考を切り替える。今はこの恥ずかしい状況を何とかするのが先!
「勉強!一緒に勉強しよう、ね、ねっ!!みーちゃん、ほら、ね!」
「言葉だけじゃ何だって言えるんですよ――――!」
「じゃあ!今から、一緒に勉強しよ?私の家で良い?」
咄嗟の提案だったが、その言葉にみーちゃんの表情がまるで太陽のように明るくなった。
「ほんとっ!?ゆきっちの家に招いてくれるのっ!?」
「まあ、うん……いい、よ?」
正直、『今からお父さんとお母さんに連絡しないとな―』と思うと少しだけ憂鬱になる。それでも、友達と一緒に勉強をすることの方が大切な気がして、思考を切り替えることにした。
それから、私達のじゃれ合いを楽しそうに遠巻きに眺めていた真水へと声を掛ける。
「じゃあ、真水もおいで」
「え」
まさかお呼ばれすると思っていなかったのか、真水はぴたりと固まった表情で私を見る。
真水は思わず動転したように首を大きく横に振った。まるで赤べこみたいだ。
「いやいやいやいや、良いよ良いよ僕は!女の子二人で楽しんでおいで!?」
形勢逆転。真水の様子に勝機を見出した私はすかさず彼の手を引っ張った。
「いいからいいから。行こ、ねっ。みーちゃん」
「やった!ほら、真水先輩も早く」
「ちょっと待って、行く。ほら行くから!僕杖ついてるの忘れてない!?ねー!?」
何気ない帰り道。
この結末を描くために、私達はどれだけの葛藤を繰り返したのか分からない。
自分と言うものを見失い、自分という存在に否応なしに向き合わざるを得なくなった。
そんな中で得た、大切な皆との時間という気付き。
きっと、かつての私なら気付くことの出来なかった大切な時間だ。
「……良かったな」
ふと、そんな声が私の背後から聞こえた気がした。
私の反応など気にすることもなく、その男性の声は言葉を続ける。
「当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなかった。今ある当たり前は、いつ崩れるのか分からない。あの日の崩落事故で、痛いほど分かっただろ」
慌てて真水とみーちゃんの方へと視線を向けるが、二人にはその声は聞こえていないようだった。
どうやら、幻聴かな。私、そこまで精神的に病んでたっけ……否定はできないけど。
だが、そんな私の感想など気にすることもなく、一方的な言葉が続く。
「幸せほど、近くにあって遠くにあるものもない。大切にしろよ、今の時間を——」
その言葉を最後に、男性の声は聞こえなくなった。
しばらくして、その声がかつての私自身の言葉だったことに気づく。
「……うん。もう二度と、忘れないよ」
「どうしたの、ゆきっち?何か忘れ物?」
「なんでもないよっ、ちょっと授業の内容忘れないように復習しないとなって思っただけ!」
「うん?ならいいけど……」
こんな、くだらなくて、ありきたりな毎日が一体いつまで続くのか分からない。
永遠なんてどこにもなくて、いつこんな普通が崩れるのか分からない。
でも、今は。
金色のカブトムシが教えてくれた、皆との時間を大切にしよう。
私は、そう心に誓った。
おしまい。
現在執筆中の長編小説“天明のシンパシー”ep164にて、金色のカブトムシにおける真相が明らかとなりました。
ですが60万文字超えの文章を読んでいただくのは労力がすごいと思うのでここで概要だけ。
金色のカブトムシは、とある企業の実験装置として生み出された存在。“前提を書き換える能力”を有した金色のカブトムシのツノを一ノ瀬が折った事によって、一ノ瀬は女性の姿へと書き換わってしまった。
また、男性の頃の一ノ瀬の記憶は、金色のカブトムシにバックアップされている。