どうしようもない問題
真水との面会を終え、俺――一ノ瀬 有紀は船出 道音と共に彼女の住まうマンションへと戻った。
丁度晩ご飯の時間が近づいたため、二人で食事の準備をした後、リビングで向かい合って夕食を食べる。ただし、その箸運びは明らかに不安定で、鶴山 真水の態度に対し心置いているのは明らかだった。
「……なあ道音、前に会った時って真水は何か言ってたか?」
「……え!?どうしたの先輩?」
道音は突然声を掛けられたことに驚き箸を落とした。それをあたふたとした様子で拾い上げ、俺の方を見る。
「いや、明らかに今日の様子は俺達を追い返そうとした様子だっただろ。何か、今回の事故で俺以外のことで何かあったんじゃないか、って」
「……ごめん、それは分からない」
ふるふると首を振る道音の姿に俺は落胆を隠せなかった。彼が何を隠して、俺を遠ざけようとしているのか親友として知らなければならないと思っていた。
『……そっか、君が後悔しない選択をするなら、僕は何も言わないよ。どんな、姿……であったとしても僕達の信頼関係は壊れないはず、だからね』
どんな姿であったとしても。その言葉がどうにも引っかかる。それは俺に対して向けられた言葉と言うよりは、むしろ自分自身を納得させるための言葉のようにも思えた。
「なあ……、俺また明日真水の所へ行ってくるよ」
「え、それじゃあ私も行く」
「いや」と彼女を制止するように言葉を切る。目を見開く道音へと俺は、言葉を続けた。
「明日は、俺一人であいつの所へと行きたい。あいつと二人で話をしたいんだ」
そう言うと、彼女はどこか躊躇う様子を見せたが、最終的には俺の意見を尊重することにしたのか、こくりと頷いた。
ここ最近は隣に道音が居たからか、一人で歩くのはかなり久々な気がする。
ただし、そうなるとやはり思考が自分自身へと返ることばかりだ。俺は、真水に一体何を求めるのだろう。自分を信頼して欲しいのか、それとも、また別の何かを求めるというのか。
何年も、親友としてずっとかけがえのない存在として生きてきたからこそ、彼が何を理由として俺を遠ざけようとするのか。
もし、それがどうしようも無い問題だと知った時、俺はどのような行動を取るべきなのだろうか、と模索していた。
やがて、その自問自答は一つの答えを導き出していた。
☆☆☆★☆
やがて、もはや見慣れてしまった総合病院の外観が見え、もはや案内板を見ずとも経路を把握できるようになった病棟内を進み、今まで真水が療養していた集中治療室へとたどり着く。
そこで勤務している看護師に、「鶴山 真水さんの面会に来ました」というと、看護師は「鶴山さんは先日、状態が安定したため一般病棟に転棟しました」という話を聞いた。
確かに、状態の安定している人を集中治療室にそう何日も置いておくわけにはいかないよな、と心の端で納得しながら、俺はエレベーターで真水が転棟したという一般病棟へと移動する。
そこには、集中治療室よりかは幾分か落ち着いた、それでもどこか厳格な雰囲気を漂わせた空間が広がっていた。
ナースステーションを訪れ、そこでパソコンに向かってカタカタと……恐らく記録を打って居るであろう女性看護師に「鶴山さんの面会に来たのですが」と声を掛ける。彼女はパソコンを打っていた手を止め、一度俺の方を見る。
「少しお待ちください」
「あ、はい」
看護師は、「鶴山さんの面会者の案内をしてきます」と詰所に報告した後、俺にこちらへどうぞ、と伝え先導するように俺の前を歩いて行く。俺はそれに従うように後に続いた。無機質ささえ感じる、純白のタイルに乾いた音を響かせながら歩みを進め、やがて一つの病室へと到着した。
彼女が声を掛ける寸前、病室内から声が聞こえてきた。看護師はそれを気遣ってか、声を掛けるタイミングを遅らせているように様子を見ている。
「真水、足は大丈夫?ろくに動かせないんでしょ?」
「……うん、リハビリの先生も長く向き合っていかなきゃ駄目だ、って言ってた……。正直、辛いね……」
「そうね、私もなるべく手助けするから、一緒に頑張ろうね」
「……ありがとう、お母さん」
……部屋の中から声が洩れていた。どうやら、真水は母親と話しているようだ。
足が動かない……?どういうことだ。
カーテンの向こうから洩れた話と、真水の昨日の態度から、一体彼の身に何が起こったのかつい凝念が過る。
だが、考え事をしている間に「じゃあ、またね」とカーテンが揺れる。俺はそれに気がつき、邪魔にならないように身体を半身に捩る。それと同じようなタイミングでカーテンが開き、真水の母親――ほとんど会ったことが無く、顔を殆ど覚えていないが――が、首をすくめるようにして会釈しながら部屋を後にした。それを見届けてから、看護師が「鶴山さん、失礼します」と声を掛け、真水の声が「はい、どうぞ」と返事をする。
そして開かれたカーテンの先に居た俺の姿を見るや否や、息を呑んで表情が凝り固まってしまった。
看護師はそれでは、失礼します。といそいそと部屋を後にする。
「……聞こえたぞ。足が動かない、のか?」
俺のその言葉を機縁として、真水は狼狽した様子で手を目の前でバタバタと泳がせる。
「いや、あー、えーと……そ、その、しばらく寝たきりだったから、一時的なもの……で」
「……」
俺は懐疑の目を崩す事無く、真水を見つめ続ける。すると、彼は観念したかのように、ぼそぼそと白状し始めた。
「……どうやら……脊髄っていう背中の神経に傷が付いてしまったみたいでね、足に力が入らなくなってしまったんだよ……。ほら、僕の足の指先を見て?今もこうやって力を入れてるんだけど、本当に微かしか動かせなくって……」
布団をめくり、真水は自身の足先を見せながら自分が置かれた状況を説明する。確かに、足趾の動きはピクリ、と震える程度にしか動かせないようだった。
真水の足が動かせなくなったことによるショックに先行するようにして、俺はふつふつと湧き起こる怒りを感じていた。
「どうして、昨日それを言わなかった?」
俺は真水に隠し事をされたことに対し、苛立ちを覚え酷く心を動かされていた。
その指摘は真水にとっても、ばつの悪いものだったようで目が泳ぐ。
「……ごめん」
「いや、謝って欲しいんじゃない、俺はそれまでに信用に足りないか?それほどまでに俺を頼りたくなかったのか?」
「……違う。君は僕と違って強い人だ。どんな困難もきっと君は乗り越えて、そして立ち上がるんだ。だから……僕は、君の生きる道の障害になりたくない」
真水の胸中の吐露に俺はこみ上げる怒りを飲み込もうとした。静かに、諭すように、と意識はしたものの付随するように、巻き付くような怒りを完全に打ち消すことは出来ない。
「確かに、女性の身体になってから困難ばかりだよ。だけど、それとお前のその身体の事情を隠すのと何が関係あるんだよ」
「関係あるよ。これは僕自身の問題であって、有紀の問題じゃないからだよ」
「一緒に困難を乗り切るのが親友の意義みたいなもんだろ」
「違うよ、有紀」
真水は首を横に振る。彼の拒絶が、徐々に俺を苛立たせる。
俺には関係ないから、と執拗に俺が関わるのを断る。その時、俺はここに来る際に考えていた、「どうしようもない問題」なのではないか、と思考が過っていた。
だとしたら、俺が取るべき行動は?
そんな俺の覚悟を余所に、真水は言い訳がましく言葉を続ける。
「確かに一緒に困難を乗り越える必要がある、それも分かる。けど、お互い置かれたこの状況は、自分自身で乗り切るべきものだ。有紀は特に強いから、僕みたいな人を置き去りにしてでも進まなければ行けないんだよ」
「俺がお前を置き去りにすることが出来る訳ねーだろ?なんでそんなことでお前との信頼関係を絶たなきゃならねーんだ」
「たまには足切りも重要だよ?あ、既に足は切れたようなもんか。あははっ」
真水は自嘲の笑みを浮かべる。
――もはや、俺の中に選択肢はないように思う。
真水が、俺を繋ぎ止める為の方法は、これしか無いと思った。俺は初めて、女性の身体に成り代わったことに感謝さえ感じている。
こんな方法を取ろうと思えるのは、俺が女性になったからだ。
「……有紀?どうしたの?」
真水は目をぱちくりとさせる。だが、俺は何も答えない。その代わりに、ゆっくりと彼の背中に手を回す。
今、俺が何をしようとしているのか、彼は理解したのだろう。表情が作った笑顔で固まり、目を見開く。
唇が震えているのが分かる。これから先に起こる現象を瞬時に想像してしまっているのだろう。その双眸には涙が潤み始めた。
それは俺も同じだ。徐々に彼の顔が近づく。だが、決して俺は瞳を閉じようとはせず、彼の顔を見続ける。
長いまつげに、未だあどけなさを感じさせる優しげに垂れた瞼。その一つ一つが、改めて情報として処理されていく。お互いの吐息が混じり合い、暖かい風が触れる。その吐息を零距離で交換できるところまで近づいたとき。
「……駄目だよ……」
真水は俺の両肩を押さえるようにして、突き放す。強く押し出した腕は、小刻みに震えていた。
「……どうして、だ?」
「駄目だよ。こんな方法で僕を繋ぎ止めようだなんて、狡い。有紀は、本当に狡い」
「……」
彼の唇は未だ小刻みに震えていた。その双眸から溢れ出る涙を、彼は隠そうともしなかった。
「嫌だ、こんな形で有紀を喪いたくない。二度も、親友を喪いたくない」
その言葉は俺の心に深く突き刺さった。
それと同時に、俺は自身のしようとした行動にひどく後悔をした。それは一度親友を喪ったとさえ感じていた彼への冒涜であったのだと、徐々にこみ上げる罪悪感が俺の胸中を埋め尽くす。
「真水……俺は」
俺の言い訳を遮るようにして、真水は深く布団を被ってしまった。もう、それ以上何も聞きたくないとばかりに。
「もう、帰って。僕はもう二度と、君の顔を見たくも無い」
「……分かった」
俺はすすり泣く彼の声を聞きながら、病室を後にした。
☆☆☆★☆
「一ノ瀬先輩はよく効率重視だなあ、と思っていたけどここまで馬鹿だとはね……」
「……ごめん」
「私に謝っても仕方ないでしょ……」
一連の状況を聞いた道音は、こめかみを押さえるようにして頭を抱えた。正直全てを話す理由も無いのだろうが、俺の贖罪意識がどうしても抜けきれず洗いざらい全てを話したのだ。
懺悔を聞くシスターと化した道音は、しきりに零れるため息を隠そうともしなかった。
そのため息が零れる度、俺は思わず身体が萎縮し、脳裏を後悔の念が過る。
「道音、俺はあの時どう言葉を掛ければ良かったんだろう……」
その問いかけに、道音は唇に指を当て、んー、とわざとらしいまでに考えている仕草をした。その表情は何か思索しているというよりは、既に答えを見出しているような迷いの無いそれをしている。
「いや、私が答えを出しても良いんだよ?ただ、私がそれを言ったとしてもどーせ今度も同じような末路を辿るのは目に見えてるし」
「そ、そんなこと……」
「絶対無いって言えるの?私は、ただ目的に向かって突き進む先輩のことは好きだよ?でも、その目的のために手段を選ばない所は直した方が良いと思う。だから鶴山先輩にも嫌な思いをさせて、こうして私からも説教されているんでしょ?」
「う……」
ぐうの音も出ない道音の言葉に、俺は思わず項垂れた。全て、道音の言うとおりだったからだ。
その様子を見て再び大きくため息を付いた彼女は、机の上に置いていた一通の手紙を俺へと見せた。
「私からは答えを示せないけれど。ちょうどいいきっかけになりそうな人が居るし、その人に相談してみたら?」
その手紙には、『一ノ瀬 有紀様 宛』、裏面には『一ノ瀬登美子 一ノ瀬和義』と書かれていた。
続く
一ノ瀬 有紀さん効率特化過ぎてさすがに駄目ですねー。
女性の姿まで手段に使うだなんて、そりゃ鶴山 真水さんも傷付くわけですよ。だって、散々有紀が自由になる道を探してたんだよ?その彼が男女関係という形にしてまで自分の心を縛ろうとするんだもん。ある意味呪いを掛けようとされたようなもんじゃん……。