どんな姿であったとしても(後編)
「一ノ瀬先輩、鶴山先輩に信じてもらえて良かったね?」
船出 道音が俺――一ノ瀬 有紀と鶴山 真水との会話している間に割って入る。その表情は、まるで家に帰ってきたかのように安心感に満ちていた。
そんな彼女を余所に、真水は「ん?あれ、敬語は?」とキョトンとした顔で道音を見ている様子が視界に入る。
「ああ、本当に。道音の言ったとおりだったよ。俺の姿は関係なかったんだな……」
「ん?あれ?有紀って船出さんのこと今まで苗字で呼んでなかったっけ、いつの間にそんな仲良くなったの」
そう彼が問いかけると、道音は「えっへん」とわざとらしいくらいに胸を張った。その様子を見ながら、俺はポリポリと入院生活中にお世話になった柴崎医師の真似をするように頭を掻く。
「……いやさ、まあ、今はこいつの家に泊まらせて貰ってるからな……」
「女性歴に関しては私が先輩だから、色々と教えてるんです!!」
「そ、そっかあー……」
どこか納得したようで、納得をしていない表情をしていたが、真水は一先ず追求するのを止めた。
その様子を見て、俺はまず確認しておきたかった話を問うことにした。
「……真水のお母さんが来たんだってな」
「うん、僕も久々に会ったんだけどね。長く会えなくてごめん、これからはずっと一緒に居るようにする……って謝ってた」
「ずっと一緒に居る、か」
俺が真水の言った言葉を反復すると、彼はどこかビクッと身体を震わせて目を見開いた気がしたが、俺はそれには気にも留めなかった。
どこか自分の置かれた境遇を思い返していた。あの土砂崩れの一件以来、俺の見た目が女性に変化することによって周りの目線は大幅に変わってしまったことを。
真水も長く目を覚まさなかった。彼の重傷により、母親としても色々考えることが会ったのかも知れないな……と考えていた。
ふと彼の方を見ると、何かを言いたげに口を紡ぐ様子が見えた。
「……どうした?」
俺がそう言うと、真水は覚悟を決めたように、でも躊躇をするように、口を開く。
「一つ聞きたいんだけどさ、有紀は……女性になって、自由になった?それとも、不自由になった?」
「それは、どういうことが知りたいんだ?」
俺の問い返しに真水は逡巡とした様子で、目線を左右へと動かす。だが、その後は俺へと真っ直ぐな目線を向けた。
「……僕はね、知りたいんだよ。有紀が女性になって大変なことは沢山あったと思う。それでも女性として生きていくことを選ぶのか、男性に戻りたいのか……」
それは、何度も俺が自問自答してきた問いかけだった。道音の方に目線を移すと、彼女も俺の答えを待つようにじっと見つめてきた。
ああ、こいつらは俺の外連もない言葉を求めているんだ、と覚悟を決めるように軽く生暖かい息を吐いた。
「……正直、今は女性になって良いことは殆ど無いと言っても良い。親父、お袋は俺を一ノ瀬 有紀当人だって未だ認められていない。体力もがた落ちして、俺を性欲の対象にしようとした男には力で勝つことも出来なかったし、月一にあるらしい生理はここまでか、というレベルで苦しんだ」
「……先輩」
道音は諫めるような目線を俺へと向ける。俺の発した言葉は、元来からの女性である彼女にとってはあまり気分の良いものでは無いのだと分かっている。
「だが、男性に戻りたいと思うかというと、まだわからない。女性になって、初めて道音の強さを知った。俺は今まで力とか学力とか、そういうものを強さなんだって思ってた。だから、力のある男性だった俺の姿を何度も追憶に求めたし、何度も戻りたいと思った。でも、男性も女性も関係ないのか、って最近は思い始めた。性別の違いよりも、もっと大切なことがある気がする。だから、まだ明確な答えは出せそうに無い……悪い」
俺が、真水、そして道音に深々と頭を下げる。道音は少しほっとしたような表情を見せた。
顔を上げて真水の顔色を伺う。彼はどこかまだ言葉を躊躇うような、曇った表情を刹那に見せた。しかし、気がつけばその表情も消え、微笑みに変わる。まるでそんな表情なんてしていなかったかと言うように、笑顔の仮面を被った。
「……そっか、君が後悔しない選択をするなら、僕は何も言わないよ。どんな、姿……であったとしても僕達の信頼関係は壊れないはず、だからね」
「どんな姿であったとしても」と言う真水の言葉は震えていた。
「なあ、真水。お前、一体……」
不穏な何かを感じ、俺はそう尋ねようとする。しかし、真水はそれを遮るように両手を叩く。
「さて、まだ体力が万全じゃ無いんだ。ちょっと僕は一休みするから、また違う日に来もてらっても良いかな?もうすぐリハビリの時間もあるから……」
「あ、ああ……」
突然、俺達を追い返すような彼の様子をもう少し問い詰めたかったが、体調を引き合いに出されてはそれ以上食い下がることも出来なかった。
道音も同じ事を思ったのだろう。怪訝な表情をしていたが、何も言わなかった。言葉を押し殺し、彼女も笑顔を作った。
「分かった、鶴山先輩。また今度ね」
「うん、いつでも来てね」
俺達は、彼の伏している病床を後にした。後ろでどこか鼻を啜るような音がした気がしたが、俺は振り向くことはしなかった。
何となく、振り向くことがあいつの意に反すると思ったからだ。
★★★★★
僕――鶴山 真水は彼……あ、いや今は彼女か……一ノ瀬 有紀が帰る姿を最後まで眺めていた。
有紀は本当に強い人間だと思う。目の前に立ち塞がる困難があったとしても、決して諦めることは無く毅然と立ち向かう。
何度、僕はその姿に助けられたことだろう。何度、彼に救われたことだろう。
今も、自分の見た目が女性になるという不可解な現象に屈すること無く、自分が自分であろうと苦しみながらも立ち向かっている。その姿は、男であった一ノ瀬 有紀の姿と何にも変わらない。
だから、今、僕が有紀の障害になるわけには行かなかった。
気がつけば、僕は涙を流していることに気が付き、慌ててそれを拭いとる。
そうしていると、リハビリの先生(理学療法士と言うらしい)が僕の元へとやってきた。
「鶴山さんこんにちは。それでは今からリハビリに行きましょうか」
「あ……はい。お願いします」
「それでは布団を退けますね。それと点滴台を動かします。もし刺入部が痛んだら教えてください」
「いえ、大丈夫です」
僕の周りで先生がせっせと環境調整を行う。そして、僕をベッドの端へと座らせる為、両足を支え持ち上げた。
「やっぱり、両足の感覚は無いでしょうか?」
「……ぼんやりとはあるのですが、雲を掴むような感覚ですね……」
どうやら、あの事故により脊髄のどこかに障害が起きたのだろう、と言っていた。僕の両足は、まるで切り取られたかのように……いや、いっそ切り取られていた方がマシだったくらいだ。ほとんど、足が動かなくなっているのだから。
力が完全に入らないわけではなく、足に力を入れれば少しはピクリと動く。だが、今までのように自由自在に動かすことは出来なかった。
「そうですか……リハビリにより、ある程度の動作が可能となる場合もありますので、ゆっくりと頑張りましょう」
「ありがとうございます。……それではお願い致します」
今はまだ、だんまりで居させてください。有紀が、前へと進もうとするのを邪魔したくないんだ。
続く
明日は鶴山 真水の番外編を投稿します。