折られたツノ(前編)
生理が始まった翌日。俺――一ノ瀬 有紀は結局ベッドから動くことが出来ず、未だ横たわっていた。道音から聞いた話では個人差があるがおおよそ三日はこの痛みが消えること無く続くのだという。
現在学校が休みであること、俺は未だ土砂崩れに巻き込まれた行方不明者として扱われていることより、所在不明でも何ら問題の無い状況である。
そのため、今は大人しく船出 道音の家で療養する現状に甘えさせて貰っていた。
鎮痛剤を飲んでから徐々に痛みが軽減してきており、ある程度の行動は可能となった。しかし、やはりじわじわと響くような痛みは完全に抜けきらず、自由に行動が出来るとは言い難い。
結局の所大人しく休める時は湯たんぽを使用して休養をしていたのだが、静寂立ちこめる空間に突如として道音のスマホに着信が鳴り響く。
「道音、電話」
俺が呼び掛けると、道音はうとうとしていたらしく「んー、取ってぇ」と無気力気味にだらしない返事をした。彼女は徐々に俺と四六時中共にいる生活に慣れてきたらしく、自然体で接する様子が多く見られてきたがする。
これもまた、俺が知らなかった彼女の一面と言うことには間違いない。
スマホを手渡すと、突然彼女にやる気スイッチが入ったかのように表情が研ぎ澄まされたかのように変化し「はい、もしもし。お電話承りました、船出ですが」と事務的な応対を行った。その様子の変化振りには驚きを隠せない。
だが、俺の様子など気にも留めない様子で彼女は電話相手に「はい……はい。ああ、分かりました」等と淡々と相槌を打っている。電話相手の声も微かに漏れているが、具体的に何を話しているのかは分からない。
しばらく待っていると、道音は「失礼します」と電話を切り、俺の方を見た。目映いばかりの喜びに満ちた表情を俺へと向ける。
「鶴山先輩が目を覚ましたって!」
「真水が!!本当か!?」
俺は急いで起き上がろうとしたが、痛みで十分に動けることが出来ない。スローモーションのように徐々に起き上がるが、吐き気がこみ上げてきて結局、横に倒れ込んでしまった。
その後も粘って身体を動かそうとしてみるが、痛みと気怠さと吐き気で思うように身体が動かせない。
「あー……ちくしょう、なんでこのタイミングで生理なんだ……」
「仕方ないよ、私だけで先に行ってくるから、留守番お願いしても良い?」
「嫌だ、俺も行く……」
そう言って無理に身体を起こそうとする俺の両肩に、道音は手を乗せる。まるで聞き逃しを許さないとばかりに、俺の目をしっかりと見つめる。
「あのね、先輩。行きたいのは分かるよ、大事な幼馴染みだもんね。でも、そんな弱った身体で無理して、鶴山先輩が喜ぶと思う?ましてや、先輩の姿が女性になっていることを鶴山先輩は知らないんだよ?」
「……う」
「外見の問題は今は如何することも出来ないけど、体調は万全の状態になってから行った方がいいよ」
その言葉にぐうの音も出ず、俺は「そうだけどー……」と言葉を繋ごうとするが、体の良い言い訳を思い浮かばなかった。
反論できないのを、俺が理解したと判断したのだろう。彼女は頷き、「じゃあ、留守番お願いね?」と急いでスタンドミラーを配置し、化粧を始めてしまった。
その彼女の後ろ姿を眺めながら、「あいつに他人だと思われるのは正直困るな……」とぼんやりと思いを馳せる。
なら、俺がもし男性に戻れるなら……?
☆☆★☆☆
道音が家を出てから、俺は如何することも出来ずゴロゴロとベッド上で寝転がっていた。正直今すぐにでも家を駆け出して病院へと向かいたかったが、この身体《女性》では、両親と同様に拒絶されるかも知れない。その可能性が脳裏を過ると身が竦んでしまうのだった。
体調の面は生理が終われば、何とかなるはずだ。ただ、この見た目の方は……。
誰も居ない静寂に満ちた部屋。本棚に本こそあるが、道音の許可無く本棚を漁るわけにもいかない。
よって、俺は俺自身の思考と向き合う時間に使うほか無かった。
まず、時系列順に纏め直そう。
俺がこの肉体に変化したきっかけから考えてみる。最後に男性の姿で居られたのは、鶴山 真水と共に山へ金色のカブトムシを探しに行った時だ。そう、その時までは俺の身体は男性のままだった。
そして、真水が金色のカブトムシを幸運にも見つけて、俺も見たいと言った途端。土砂崩れに巻き込まれて、俺達は大怪我を負った。その時に金色のカブトムシのツノを折った。
そして、崩落から救助された時にはすでに俺達のことを「十代の男女」と連絡している声が聞こえたのをぼんやりと覚えている。
金色のカブトムシのツノを折ったら、身体が女性になっていた。今置かれている状況下を振り返るとかなり理解不能な文面だとは思うが、実際事実だ。
そこまで思考した時、俺は一つの可能性を考えていた。
もし、カブトムシのツノを元に戻せば、俺は男性の肉体に戻れるのでは無いだろうか?と。
可能性としては零に等しい……というかカブトムシの生態的にも不可能だろうとはもう一人の自分が断言している。だが、今可能性を求める自分が、駄目でもやらないよりはマシだと言う。
ふと、机の上に置いていた折れたツノを拾って特に意味なく見回してみる。蛍光灯の反射に照らされ、艶やかにそれは輝いていた。
これを元に戻して、寝て起きた時俺が元の男性の姿に戻っていたら。想像するだけで、期待に胸が膨らむ気がした。……いや、女性の姿である俺自身の胸はそれほど膨らんでいないのだが。言葉のアヤだ。
今やりたいことの答えが出た時点であたまがすっきりしたのだろう。再び出現した眠気に、俺は抗うことも出来なかった。
「一ノ瀬先輩、ただいま」
「んぁ……」俺の口から情けない呻き声のような何かが発せられる。道音はまるで子供をあやすのように俺の頭をポンポンと軽く叩いた。
何となく、おちょくられている気がして俺は不貞腐れたように頬を膨らませた。
「なんか、どんどん子供みたいな扱いになってない?」
「え、ええ……そんなことないよ」
「まあ、別に良いけど……真水はどうだった?」
「私もそんな喋れたわけじゃないけどね、『有紀はどうしたの?』って寂しそうな、辛そうな顔をしていたよ」
「そっか……早く会いに行きたいな」
「うん、早く生理終わると良いね」
生理が終わらないと、自分のやりたいことが出来ない。行動計画通りに行動することすらままならない。それが慣れればまた違うのだろうが、そうならない自分の現状に徐々にやるせなさと、怒りを覚えていた。
そして、その反面生理があっても気丈に振る舞うことの出来る彼女の強さというものがどれほど凄いことなのか身に染みる。それどころか、苦悩する俺に同情して手を差し伸べてくれる。
それはとても温かく、彼女の心に全てを預けたくなるほどだ。
でも、ずっとそのまま彼女に甘やかされている自分のままでいるわけにも行かなかった。
真水が俺のことを心配してくれている。その言葉を聞いただけでも俺の頬は徐々に緩んでいく。けれど、心のどこかで「求められているのは男性のお前で女性のお前では無い」と否定する声が反芻する。
ああ、そうだ。その通りだ。俺はその呪いにも似た言葉に従うように、道音の目を見た。
「道音、明日生理の痛みがマシになって動けるなら、手伝って欲しいことがあるんだ」
「うん?どうしたの?」
俺は、もう真水が安心する姿しか見えていなかった。
この姿のままでは、きっとあいつは安心できないから。
「金色のカブトムシを探しに行こう」
続く