性別違和(前編)
「……道音?」
「はい」
「今、なんて言ったの……?」
「私の家なら、退院先として使えるでしょ?だから、どうかなー、なんて」
俺――一ノ瀬 有紀が改めて問いかけると、船出 道音は言い訳をするように、激しくまくし立てる。
「……」
「……」
俺は思わず顔を覆うように手を当てた。こめかみの辺りが、ピリピリと痛む。
聞き間違いじゃ無かった。確かに、現状の問題を一時的に解決するだけなら、最適な手段であるようにも思う。
彼女は中学時代、ストーカーにつきまとわれた経験があり、その経験から高校で一人暮らしを始める際、セキュリティ面を重視した学生マンションを選ぶことに重点を置いていた。
その甲斐あってか、今の今まで特に面倒なことには巻き込まれては居ないようだ。
確かに、彼女の住む環境であれば、安全性の確保、生活拠点の獲得、理解者との交流など様々な利点が享受できるが……最も大きな問題がある。
「俺、見た目がこれなだけで、実際は男なんだぞ?」
「し、知ってるよ」
「正直かなり助かる提案だが、他に現状を打開できる策はもっとあるはずだし……」
「……例えば?」
「……親父とお袋を説得する」
「時間を掛けて説得するしか無いんでしょう?」
「……ちょっとコンビニに行ってくる」
俺は反論材料を失い、そそくさと病室を後にした。後ろから道音の「あ、ちょっと!」と焦った様子の声が聞こえたが、今は気にしないことにする。
ちなみに、コンビニに向かう最中に出会った看護師に「他の患者さんの迷惑になるので、話をする時は違う場所を使ってください」とバッサリと怒られたのはまた別の話だ。
☆☆★☆☆
コンビニでカップコーヒーだけ購入し、再び俺は屋上庭園に訪れていた。正直、昨日の出来事があるだけにあまり良い思い出のあるところでは無いのだが、思考を整理するのには室内ではあまりにも難しい。
カフェのような雰囲気を楽しみながらのコーヒーも良いのだが、コンビニで手軽に購入できるコーヒーの割にはかなり質が良く、なかなかコンビニコーヒーも捨てたものでは無いな、と思う。
空は晴れ渡り、涼やかな風が俺の身体を通り抜ける。黄昏れるには、風の一つ一つでさえも愛おしかった。
足を組みながら、俺はコーヒーカップに口を運ぶ。苦みの強い風味が口の中へ染み渡る。
「道音の家、か……」
現状、彼女の案が最も最適解なのは否定のしようが無かった。だが、俺はともかくとして彼女にとってそれが最善なのだろうか、という不安がつきまとう。
ただ俺のために気を遣っているだけでは無いのかと。
俺のためにそんなに気を遣わなくても良いはずなのに。
「あ、やっぱりここにいたぁ」
その声に振り返る。そこには楽しそうな声音をした船出 道音の姿が見えた。既にお菓子か何かを食べたのか、口の端にはチョコが付いていた。
その表情は、まるで苦悩する俺のことなど気にも留めていないようなものだった。
「隣、失礼するね」
「……どうぞ。と言うか口端にチョコ付いてるぞ」
「あ、ホントだ……これで取れた?」
道音は舌で口端を舐めた後に俺へと確認をした。「ああ」と俺は頷くと彼女は俺の隣へストンと座る。ふわりと、甘い香水の匂いが漂う。
俺と道音は、二人して大空を眺めていた。大空には、二匹並んだ鳥たちが大空を我が物のように飛び回っていた。
周りを見渡せば、様々な人達が家族との面会時間を満喫している。
「……答えは出た?」
彼女は俺の顔をのぞき込む。その動きに呼応するように、長い黒髪がゆらりと揺れた。
「……俺としては、かなり有り難い提案だ。現状抱えている問題を一時的とはいえ解決できるんだからな。だが、お前はそれでいいのか?」
一人暮らしの女性の家に、今の肉体が女性のそれとは言え心が男性である俺と同棲をする。そのリスクを鑑みないほど彼女は愚かでは無いはずだ。
俺が念のため確認すると、道音は「んー」と人差し指の先を唇で加えて明後日の方向を見る。
先ほどのような、動揺を感じさせる表情はもうそこには見えなかった。
「私は大丈夫だよ。むしろ、先輩がこのままどこにも行けず一人孤独になる方が私は嫌だな」
「……そうか……。分かった」
本当に、彼女は自分よりも他人を優先する傾向が強いように思う。彼女は俺が一人孤独になる方が嫌だと言うが、俺は、道音が俺の心配の為に自身の身を削っているのではないか、と、捻くれているのかは分からないがどうしても考えてしまうところが合った。
だが、このまま俺が断ったとしても、きっと彼女は折れない。だとしたら、俺が折れるしか無いのだ。
「それじゃあ、悪いけど……よろしくお願いします」
俺は彼女に深々と頭を下げた。
☆☆★☆☆
案外、その後の流れはスムーズだった。退院先が決まったと看護師へ話した後、想像よりも早い段階で退院調整が掛かった。
そして、有事の際の連絡先設定を道音の携帯電話に設定する。両親は非常時の連絡先としては有効活用しづらい状態だからだ。
次に退院後の定期検診のスケジュール決定も行われた。次にここの病院に来るのはおおよそ二週間後だ。
それまでここに来る用事と言えば……。
俺は、退院前に向かわなければならないところへ足を運ぶ。
「真水。また来たよ」
俺は、鶴山 真水が療養している集中治療室に道音と共に顔を出していた。ウィンドウガラス越しに相変わらず、看護師が点滴を入れ替えたり、モニターの記録をしたりと慌ただしそうにあくせくと動き回っている。
未だ目を覚ます様子はないが、彼が生きている。それを知るだけでどこか安心できる気がした。
「先輩、ちょっと聞きたいんですけど、先輩と鶴山先輩っていつからの知り合いなんですか?」
俺の隣に立つ道音がふと気になったように問いかけてきた。確かに、今まで彼女に語ったことは無かった気がする。
「そう言えば、今まで話したことは無かったな」
「うん。今更聞きづらくて……」
彼女は怖ず怖ずといった様子で真水の方を見ながら話す。別に隠す話でもないしな、と思い口を開く。
「あいつさ、……俺が小学生の頃からの付き合いなんだよ。昔は別のグループに居たから、全く接点なんか無かったんだけどな」
「確かに、一ノ瀬先輩と鶴山先輩って醸し出してる雰囲気が全然違うもんね。それがどうして?」
「小学四年生だか五年生だったか……あいつと同じクラスだった時な。その時は努力してる姿が見えないのに、結果を出してるキャラクターっつうのに憧れててよ、陰で勉強したり色々してたんだよな」
「先輩にそんな姿があったなんて予想もつか……無いこともないか」
道音はどこか納得したように、頷いていた。そんなそぶりを見せた記憶は無いはずなのにな、と思いながらも言葉を続けることにする。
「……ああ。だけど、ある日あいつに俺が勉強しているノートを見られた時があったんだよな。その時はなんとなく恥ずかしくて、ノートを奪い取って逃げようと思ってたんだけどさ」
「うん」
「あいつは『こっそりと頑張ることに意味あるの?』とか言うんだよ。本当に、単純な疑問をぶつけてくる感じで」
眠るように目を閉じている真水の姿を見ながら、俺はかつての彼の姿に思いを馳せる。
本当に、あいつは打算というものを持っていなかった。昔からただ、自分が楽しいから。自分がそう思うから。と思いのままに行動をする姿。陰でコソコソと動くんじゃ無くて、堂々と自分の思うことを行動に移すような奴だった。
「俺さ、その言葉を言われた時最初はムカついたよ。勝手なこと言って、俺の努力を馬鹿にされたような気がしてさ」
「でも、鶴山先輩はそんな人じゃなかった」
道音は俺が言おうとしたことを代弁した。流石というか、やはり彼女も鶴山の事を理解していることが、心のどこかで嬉しく思う自分がいる。
「そう。あいつは単純に疑問だったんだろうな。何でそんなことにこだわるのか、ありのままで良いんじゃないかって。ムカついた反面、心のどこかで羨ましかったんだろう。ただ真っ直ぐに突き進む真水の姿がさ」
その姿は周りの奴らはかっこ悪いとか、いつまで子供なんだとか言っていたけれど、俺からすれば真水の行動がとても羨ましかった。
周りの目も、自分への評価も、何もかも気にせず真っ直ぐに進み続ける彼の姿が。俺のように、何かを演じて行こうとするのではなくて、自分がやりたい、と思うことにひたむきだった彼の姿にずっと憧れを抱いていた。
きっとあいつは俺の真意など理解できないのだろう。けれど、それでも良いと思う。
「うん。一ノ瀬先輩の気持ちも分かるなあ。自分を演じないと、自分をよく見せないと、って思うことの方が多いもん。でも、鶴山先輩は本当に自分のやりたいことに一直線だったよね」
「今回、俺と真水が崩落事故に巻き込まれたきっかけも、あいつが『金色のカブトムシを見つけに行きたい』って言い出したのがきっかけだよ。崩落事故自体は運が悪かっただけで、きっとあいつは探しに行ったこと自体は後悔していないんじゃ無いかな。現に、金色のカブトムシを見つけることも出来たわけだし」
そう言って、俺はポケットに入れていた折れたツノを道音へと見せる。彼女はそれを手に取り、あらゆる角度からそれをまじまじと見回す。
「へぇ、グループチャットで噂自体は流れてきたけど、本当に実在したんだね……」
「ああ。俺一人なら『馬鹿げてる』って行こうともしなかっただろうな。だけど、あいつがいたから俺達は金色のカブトムシを見つけることが出来た。その事には感謝してるんだ」
道音からツノを返して貰い、再びポケットへと戻す。そして、俺はポツリと呟いた。
「だから、戻ってこいよ……真水。俺も、元の姿に戻れるように頑張るからさ」
もう一度、真水と道音と、三人でまた一緒に元通りの生活に戻りたい。それが、俺の切なる願いだった。
続く
船出 道音が敬語だったり、タメ口だったりするのは中学から先輩として慕ってきたので、例え一ノ瀬 有紀からの提案であろうともそう完全に染みついた口調から抜け出せないだけです。




