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あなたの専門家でいたい

☆★☆☆☆


「……」

俺――一ノ瀬 有紀(いちのせ ゆき)は、どこか胸の奥につっかえるものがあるのを自覚する。元来の俺の肉体だったら何も問題は無かったはずだ。

尚、あれ以降から両親は面会に来ていない。未だ俺が一ノ瀬 有紀当人だと思えていないのだろう。改めて、あの日俺が取った態度を思い返せば、自分が女性の肉体になっていたことを自覚していなかったとは言え異常者に映っていたんだろうな、と思う。

恐らく、今も俺や真水の巻き込まれた山岳地帯周辺で、俺自身が行方不明者として捜索されているのだろう。

気になって、おおよそどれくらいの期間で山岳地帯における遭難者の捜索が打ち切られるのか病院内に備え付けられた自由に使用できるパソコンを使って調べてみたところ、おおよそ長くても二週間辺りで打ち切りになることが多いのだそうだ。

また、その他の事件性がある行方不明のケースであれば三ヶ月は公的に操作を続けるそうだが、その辺りは今は関係ない。

ひとまずは二週間ほどは俺が見つかる可能性を信じて、俺の元を尋ねる可能性は無いと考えても良いだろう。やむを得ず捜索が打ち切られた際に、本当に俺が一ノ瀬 有紀だと認めてくれるのではないかと淡い期待を抱くしかないのだ。

「……可能性、ばかりだな。今の俺は……」

……()()()()()()()()

不確定事項が多く、どうにも考えていて嫌になる。

どうしてこんなことで悩まなければならないのかと、徐々に苛立ちが募る。本来であればこんなことは考えなくても良いはずなのに、とやり場のない怒りがふつふつと沸き起こる。


「一ノ瀬先輩ー!おはよう!」

そんな中、快活な少女の声がカーテンの奥から響いた。頭の奥に響くような大声だ。

俺は慌てて周りを見渡しながら、カーテンの奥に居るであろう彼女に目線を向ける。

「馬鹿、聞こえてるよ!他の患者さんもいるんだから静かにしろ!」

慌てて俺は、息を吐くような声量で注意する。

すると、反省したのか、突如としてしおらしくなった様子で船出 道音(ふなで みちね)はゆっくりとカーテンを開いた。

「う……ごめんなさい」

「TPOはしっかり弁えようね……マジで」

「はぁい」

そう言って、彼女は持ってきた鞄をロッカーの上に置いた。そして、テーブル前に置かれたパイプ椅子を開き、ゆっくりと座る。

そして、彼女は俺の方をまじまじと見た。

「先輩?」

「あ?」

「なんだか……先輩、今日は機嫌が悪いね。眉間にシワが集まってる」

「……退院許可が下りたよ」

そう俺が今日柴崎医師に言われた内容を伝えると、彼女の表情が花開いたように明るくなる。

「へぇ!良い事じゃん、おめでとう!」

……おめでとう?

何がめでたいものか。俺が直面している現実を知らないから、こいつは。

そう思うと、俺は身体の奥底に眠る奔流を抑えることが出来なかった。


()()()()()()()()()()()()()()()()()

自分でも思いもしなかった言葉が口から発せられた。


「え、あ、ちょ、先輩!?」

道音はビクッと身体を震わせた後、慌てて周りを見渡す。俺がさっき言った「TPOはしっかり」の発言を律儀に守ろうとしてくれているのだろう。オロオロと俺を制止しようと呼びかける。

だが、俺はそんな自分の言葉がブーメランになっているのも厭わず、あふれ出る内から吹き出るマグマにも似た怒りを抑えることが出来なかった。

「俺が男性のままだったらこんなことは思わなかったよ!!ただ普通に家に帰って!!普通の生活に戻って!!あいつの帰りを待つことが出来たはずなんだよ!!」

「……先輩」

「何で、俺が……何で。何で、こんな姿にならなきゃ行けないんだよ!!……なんで……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

抑えたいはずなのに、出すべきじゃないのに、蓋をして抑えていた不安が一度に溢れ出す。

止まって、止まってよ。こんな無様な姿を見せたくなかったのに。

「……」

道音は、俺の溢れ出る怒りの吐露を黙って受け入れる。

その言葉の一つ一つを、聞き逃さないと言わぬばかりに。


だが、しばらくしてから俺はいたく後悔をした。徐々に自身が発した発言が脳裏に反響(リフレイン)する。

まさか自分自身、これほどまでに抱え込むものがあったなんて、自分自身でさえも自覚していなかった、というのは言い訳だ。

それをぶつけてしまった。折角昨日、俺を信じてくれた後輩に向けて。

言葉は、一度発してしまったら不可逆的な効果を持つことは分かっていたはずなのに。もう、引き返すことのない木霊が病室内に反響した。

「あっ、あ、……悪い、取り乱した」

「いいよ、続けて」

「え?」

俺は素っ頓狂な声を返す。だが、彼女の声は至って冷静なものだった。俺の手を、まるでコップが入った水を持ち上げるかのように優しく、そっと自らの胸元へと近づける。

「私は、自分のアイデンティティのためだけに先輩を好きで居るわけじゃない。先輩の全てを知っていたい、何もかも見逃したくない。だから、怒りも、悲しみも、全部全部、受け入れるよ」

「……」

そこで彼女は言葉を切り、柔らかな笑みを向けた。

「だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()

その言葉は、俺の心を縛っていた鎖を解く鍵だった。固結びになった感情がゆっくりと紐解かれていく。

今まで自覚さえしていなかった感情が溢れ出す。

「辛かった」

「うん」

「俺は、一ノ瀬 有紀だって信じたい。なのに周りの誰も、男ではない俺を俺だって認めない。じゃあ今まで生きてきた俺は何だったの?俺はもうこの世に居ない扱いなの?一ノ瀬 有紀の人格を持つ女性は、一ノ瀬 有紀にはなれないの?ってずっと自分を否定されているみたいで、もう俺を理解できる人なんて居ないと思ってた」

「……見た目が変わっちゃったから、皆あなたをあなたって認めてくれなかったんだよね」

「ああ、そうだ。俺はここに居るんだ、って認めて欲しかっただけなんだよ」

「……そっか」

自分が他人から認められたい。これはガキの頃から変わらない。俺は他人から自分を認められて初めて、ここに居て良いのだと思えてきたのだから。

昔から部活の先輩・後輩の関係であった道音はなんとなく、その事を分かっていただろう。

他人に認められる為、自身が先導すべく毅然と達振る舞ってきた俺の姿をずっと見てきたのだから。

もちろんその過程で俺のことを嫌った人が居ることも知っていた。でも、認めてくれる人も居たから前に進むことが出来たのに。

けれど、明かりを喪った道しるべに誰が付いていくのだろう。誰かを導きたくて、進んできた道なのに、振り返れば誰も居なかった。

ここに居るんだ、俺はここに居るんだって気付いて欲しかったんだ。灯火を喪った道標と化した俺の存在に、誰か気がついて欲しかっただけだった。

ふと、何気なく彼女の表情を見ると、どこかニヤリと不敵な、それでいてどこか楽しそうな笑みを浮かべていた。

「だとすると、私は今の先輩を初めて認めた人になった訳だね」

「……否定はしないけどさ」

俺は、図星を突かれたことがどうにも気に食わなくて、少し不貞腐れた顔を作って答える。

「……落ち着いた?」

「ああ、本当にありがとうな。まさか自分でもこんなに取り乱すとは思っていなかった」

「正直いきなり怒ったことには驚いたよ。何があったの?」

本当なら、このまま隠し通したかった。けれど、この心苦しさを抱えたままでいるのは、真剣に向き合ってくれている彼女に対して不誠実である気がした。

「……退院自体は可能だけど、両親が俺を息子だと認知できていないから、退院先が無いんだって言われた」

「あー……なるほど。それは……まあ、そうなるよね……」

道音は俺の顔をまじまじと見て、納得したように呟いた。

俺の今居る病院は、県内有数の総合病院だ。本来であれば、生命に危険が及ぶ人達を主に入院させるための病院であり、俺のような状態の安定した者を長期間置いておくわけにも行かない。という事情も何となく分かる。

医療は、技術と科学と根拠の結晶体のような世界だろう。だからこそ、俺のような非科学的な現象のことなど想定はしていない。

「それで、俺は如何するべきか分からなくて頭の中がごちゃごちゃになってたんだ。正直、親父とお袋への説得を優先すべきだとは思うけどどうすればいいのか……」

「うーん、難しい問題だよね……」

「だろ?時間を掛けて納得して貰うしか無いんだが、あんまり時間を掛けるのも病院に迷惑掛けるし……」

「……あ、そうだ」

そこで彼女は、何か閃いたように目を見開いた。ただ、その後目が左右に行き来し、口が鯉のようにパクパクと動き、頭を後方へと倒し、「んー、んー……」と呻いたりと慌ただしく動き出した。

「え、どうした」

あまりにも彼女の異様なまでの葛藤ぶりに俺は困惑して、疑問の声を上げる。

道音は、俺の言葉にハッとしたのか、覚悟を決めたかのように俺の目を見た。

「えーと、ですね……。()()()()使()()、というのはどうでしょう……?」


続く

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