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記者たちが戻ってきたマイクロバスの運転手や乗客である生徒たちやバレー部の顧問にインタビューした話によると、その日、マイクロバスは予定していた時間通りに出発したのだが、小雨から急変して豪雨になったせいで道路は混みに混んで渋滞していて、回り道を選んだら更に渋滞している状態となっていて、マイクロバスは予定の時間を大幅に遅れてしまっていた。
他県で行われる大会に行くためには山道を必ず通らねばならない。しかし天気が急変し、万が一にでも崖崩れに巻き込まれてはならない。何故なら命が一番大事だからだ。安全第一。そう考える運転手はバレー部の顧問に声をかけ、山道に入る手前にある、道の駅に寄って一時駐車することにした。そして生徒たちがトイレ休憩に出ている間にラジオの交通情報を聞こうと運転手は車のラジオのスイッチを入れて交通情報のチャンネルに合わせた。ところがだ。
『う……さーん!……!……ダメですー!』
交通情報が流れるはずのラジオから女の子の声が聞こえてきたのだ。
『いやー!……、……、誰か助けてー!』
混線でもしたのだろうかと運転手がラジオのダイヤルを回し、他のチャンネルに合わせてみたが、聞こえてくるのは砂嵐のような耳障りな音だけ。いつの間にか女の子の声も聞こえなくなっていた。次に運転手は自分の携帯電話を取り出してみたが、あいにく携帯電話の画面に表示されるアンテナが一本も立っておらず電話をかけることも出来なくなっていた。
何事が起きているのかと不安になった運転手はマイクロバスに備え付けている無線のスイッチを入れて、会社に今の状況を伝えようとしたが機械音がするだけで無線でも連絡が取れない状態となっていたし、トイレ休憩に出ていたバレー部の面々が戻ってきたので、運転手はバレー部の顧問に携帯電話を借りたが、こちらも運転手の携帯電話と同じ状態だったため、どことも連絡を取ることが出来なくなっていた。
運転手はバレー部の顧問に今の状況を伝え、道の駅にいる他の運転手達にも話を聞きに行き、何とかして会社に連絡を入れたい旨を訴えた。運転手から話を聞いたバレー部の顧問も、自分達の今の状況を大会が行われる会館や勤め先の中学校に知らせる必要があると考え、生徒たちに事情を話し、バスで待つように指示した後、運転手と一緒にバスを出て、情報を求めるために道の駅にいる人々に片っ端から話しかけていった。
マイクロバスの運転手とバレー部の顧問が道の駅にいた人々から聞いた話によると、マイクロバスと同じように彼らもまた、自分たちの車のラジオや携帯電話が使えない状態になっていて困っているということだった。そして今の所、この道の駅で外部と連絡が取れる唯一のものが固定電話である公衆電話だけだったから、彼らは道の駅に一つしか設置されていない公衆電話を求める列に並びに行くのだと教えてくれた。
話を聞いたマイクロバスの運転手とバレー部の顧問は、それならばと彼らに倣い、同じように列に加わったが、そこには既に他の人々が先に長蛇の列を作って並んでいたため、やっと順番が巡ってきてバレー部の顧問が中学校に電話を掛けられたのは、昼をとうに過ぎた時間となってしまったとのことだった。
「転校することになりました。短い間でしたが今までありがとうございました」
一学期の終業式の日。帰りのホームルームの時間に担任の先生に呼ばれた私が、その場で立ち上がって別れの挨拶を口にすると、クラスの子たちが一斉に驚きの表情を浮かべ、どよめいた後、私を虐めていた彼女たちを咎めるような冷たい視線を向けた。
クラス中から冷たい視線を向けられた彼女達が気まずげな表情で俯くとクラスメイトたちは、私に代わりに仇は取ってやったとでも言いたげなドヤ顔を向けてきたが、私はそれらに気づかぬふりをして、そのまま着席した。クラスメイトたちの中では悪者はイジメの主犯である彼女たちだけなのだろうが、イジメとわかっていて見て見ぬふりをした人間も私にとっては彼女たちと同じ部類の人間に過ぎなかった。
だからクラスメイトたちの取った行動を見ても私の心が晴れることはなかった。私が弱者としてイジメを受けていた時に傍観者になることを選んで身を守っていた彼らを恨むつもりはないけれど、だからといって私の立場が180度変わった途端、私の味方をアピールする彼らを手放しで歓迎するほど、私は人間が出来ていなかったし、それに傍観者が加害者に変わってしまった姿を見るのは、ただ虚しくて悲しくて、色んな意味で痛々し過ぎた。
明日からの夏休みの連絡事項を担任の先生が説明しだして直ぐに、他の教室の方から大小様々のどよめきの声がいくつか上がるのが聞こえてきた。クラスの子達の関心が教室の外へと向かっていき、それを先生が注意し始めた。私は今日で学校を去るのだから忘れ物をしないようにしなければと思いながら机の中を確認し、ホームルームが終わるのを待った。
教室を出ると廊下の至るところで転校する友との別れを惜しむ姿が見られた。転校することに慣れている身でも、こんなにも転校する者が多い学校にいたことはなく、私は物珍しく思いながら廊下を歩いていった。
その中で一番別れを惜しまれているだろうと私が思っていた二人の友人は、意外なことに誰に囲まれることもなく廊下を歩いていたから、私は驚きで目を丸くした。二人は私が歩いてくるのに気づくと笑みを浮かべ、歩み寄ってきた。
「あはは。香、驚きすぎ。何?前みたいに囲まれて別れを惜しまれているとでも思ってたの?あんな風に囲まれることは、もう二度と無いよ。あの事があって以来、皆、ボクとどう付き合えばいいのかがわからないようで、ボクのことを腫れ物扱いして遠巻きにするようになっていたからね。ボクが転校すると知って皆、どこかホッとした顔になっていたよ。ホントに人って変わり身が早くて、怖い生き物だよね。見た目や家だけを見て、ボクのことをアイドルみたいにチヤホヤしていたのに、本当のボクのことがわかると得体のしれない生き物を見ているような目で見てくるんだからさ」
薫くんは短く切った黒髪をかきあげながら、ニカッと笑って白い歯を見せた。あの日、薫くんの乗ったマイクロバスが一時、所在不明になっていたことで、薫くんの両親は自分たちの一番大事なものは病院ではなく、薫くんなのだと思い知ったのだという。そして薫くんが生きて自分たちの元に帰ってきてくれるならば、薫くんが自分らしく生きていけるように尽力すると神様に誓ったという薫くんの両親は、薫くんの無事を知ってからは、その誓い通りに、ありのままの薫くんを受け入れることにしたらしい。
ただ薫くんの両親がそれを誓っていた場には、多くの教師や保護者や生徒たちは勿論のこと、ケーブルテレビや新聞社の記者たちまで居合わせていたので、薫くんのことはそこにいる全員が知ってしまった。記者たちは薫くんについて知ったことは黙秘し、記事にすることは一切なかったが、保護者や生徒たちはそうではなかった。彼らの口伝てで一気に噂が広まり、薫くんのことが学校中の皆に知れ渡るのに時間はかからなかった。
それ以来、学校は薫くんを男子生徒として扱うようになり、それは薫くんにとっては喜ばしいことだったのだが、しかし、それまで女性として薫くんを認知してきた周囲の生徒たちの多くは、それに対し強く戸惑い、反発したり、一方的な敵愾心を抱く者や、薫くんに騙され傷つけられたと怒りを向ける者が出始めて、その後、薫くんは孤立してしまった。
おかしな話だと思う。小学校から薫くんと友だちだった馨ちゃんの話によると、薫くんは女子生徒として学校に通っている頃から、着替えは保健室を使用し、トイレも女性用ではなく、多目的トイレを使い、不必要に女性を触ることはけしてなかったし、学校行事で宿泊する場合でも大勢のいる部屋では眠れないからと個室を使えないか学校と交渉し、出来ない時は欠席をしていた程、徹底して自分も周囲の人たちも不快にならないようにと気遣い続けてきたというのに、あんなにも薫くんを慕い、つきまとっていた人たちの誰も彼もが、そんな薫くんの気遣いの行動に全く気付いていなかったというのだから。
薫くんは本来の自分で生きられるなら、それでもいいと気丈に振る舞っていたけれど、事態を憂慮した薫くんの両親は、親戚の医師に一時的に薫くんを預けることにしたのだという。私は事前にそれを聞いていたので薫くんが転校すること自体には驚かなかったのだが、あれほど薫くんに纏わりついていた人たちが一人も別れの挨拶に来ないなんてと彼女たちの掌返しには少々呆れてしまった。