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その日、未明から降り出した雨は昨日の天気予報で言われていた通りの小雨だったから、バレー部の面々を乗せたマイクロバスは、その後の天気を憂えること無く当初予定していた出発時間の通りに出発していった。だが、その二時間後には事態は誰もが予想していなかった展開となった。何故ならば、その日は一日、小雨が続くと予想されていた天気が180度ひっくり返り、予報は最悪の形で大きく外れてしまったからだ。
小雨は大雨を通り越したゲリラ豪雨へと変化を遂げ、雨雲に覆われた空には銅鑼を連想させるような激しい雷鳴が立て続けに鳴り響くようになったころ、ある山道で土砂崩れがあったとの速報が発表されると、中学校の職員室には教師たちやバレー部に所属している子の保護者たちや他の生徒たちがバレー部の皆の安否を知りたいと集まってきた。
けれども連絡を取って安否を確認しようにも、立て続けに落ちた雷のせいなのか、それとも激しい豪雨のせいなのかはわからないが電波状況が悪く、携帯電話は通信障害で使えなくなっていて、マイクロバスに乗っているバレー部の顧問とも連絡が取れなくなっていた。
予めバレー部の顧問が立てていた予定では午前11時頃に大会が行われる会場に到着しているはずだった。だから教師たちは、まずは大会が行われる会場に職員室の固定電話から連絡を入れて、安否を尋ねたがマイクロバスは来ていないし、バレー部の顧問からも連絡が入っていないということだった。そこで教師たちは次に今日、バレー部が宿泊するはずだった施設にも連絡を入れたが、こちらにも連絡は入ってはいなかった。
ならばと消防や警察といった、思い当たるもの手当たりしだいに電話を掛けていくが、どこもマイクロバスの安否を知っているところはなく、教師たちは打つ手がなくなり、皆、項垂れていった。雨音が強くなるに従って人々の不安は色濃くなっていき、その不安から保護者達は教師たちを責める物言いをし始めた。
雨は一向に降り止まず、雨音は大きくなる一方だった。子どもに何かがあったかもしれないとの不安から保護者の責める言葉も声量も、雨音と同じ様に段々と大きくなっていった。どこから情報を掴んだのかは不明だが、この町にある大病院の院長の娘や、町議の娘がバレー部に所属していると知った地元の新聞やケーブルテレビの記者たちが無遠慮にも泣いている保護者に声を掛けはじめ、教師たちの何人かが非常識だとそれを押し止め、押し合いへし合いが始まりだした。
依然としてマイクロバスの安否がわからないまま、時間だけが虚しく過ぎていった。ザーザーと雨が更に強く降って視界を遮り、ろくに前が見えない状態となっていた。保護者たちの心情は時間の経過と共に、我が子を失うかもしれないという恐怖から、我が子を失ったかもしれないという恐怖へと変わっていった。
やり場のない悲しみで打ちひしがれ床に崩折れて黙り込む保護者もいたし、強すぎる動揺から過呼吸を起こした保護者が出たので、教師たちは記者たちと揉めるのを一時中断し、倒れた保護者たちへの対応に向かったため、その隙にカメラを抱えた記者たちは滂沱の涙を流して悲しみにくれる保護者や怒りを爆発させている保護者たちにカメラを向け始めた。
記者たちが最初にカメラを向けたのは滂沱の涙を流していた大病院を経営している夫婦だった。
「こんなことになるのなら!こんなに簡単に死んでしまうのなら!薫の好きなように生きさせてやればよかった!あの子の心は男だったのに!男として生きたいと願っていたのに!私たちは病院のために生きろと薫に言ってしまった!薫の人生は薫のものだったのに……。たった14年しか生きていない薫を悲しい気持ちのまま死なせることになってしまうなんて!すまない、薫!病院のためになんて生きなくてもいい。ただ生きていてくれたら、それだけで良かったのに私たちは自分の都合をぶつけるだけで、あの子の身になって考えたことがなかった……」
「ごめんなさい、薫!私たちが悪かったわ!あなたが生まれた時、無事に生まれたことがすごく嬉しかった。私たちの元に生まれてきてくれてありがとうと感謝したわ!あなたの首が据わったとき、寝返りが打てるようになったとき……あなたの成長が私たちの喜びだった。そうよ、私たちはあなたが何よりも幸せでいることが一番大事だった!それだけで良かったのに、いつの間にか私たちは、その気持ちを忘れて大きな間違いを犯してしまった。神様、どうか薫を助けてください!私たちが悪かったのです。助けてくれたら、もう二度と薫の気持ちを踏みにじりません。どうかお願いします。薫を助けて……」
大病院を経営している夫婦は多くの人の目があることやカメラを向けられていることにも気づかずに、感情の赴くままに後悔を口にし、この場にいない我が子に懺悔をし、悲しみにくれていた。その様子に人々は余計な口を挟まず、黙って様子を見守っていた。
暫くしてから突然、バチャバチャと派手な足音が聞こえてきたので、人々がそちらに視線を向けると、さっきまで寝ていて、そのまま駆けつけてきたのではないかと思わせるような身なりが整っていない出で立ちの中年男が走ってやってきた。
記者たちが持っているカメラは中年男の後ろを少し遅れて走ってくる若い女の姿も捉え、女が中年男と似たような出で立ちであることもバッチリと映っていた。
「おい、お前!馨は!?馨は無事なんだろうな!?……あっ、お義父さん!これはこれは……。お義父さんもいらしておられたのですね」
中年男は床に崩折れていた中年の女性の姿を見つけると、そちらに駆けつけ、肩を掴んで尋ねたが、女性の背中を擦って慰めている老齢の男性がいることに気が付くと、たじろいだ様子を見せた。
「馨の一大事だというのに父親の君は一体、今までどこに行っていたのかね?」
老齢の男性は婿である中年男が昨夜、外泊していたことも暗に責めるような厳しい目つきでギョロリと中年のことを睨めつけた。
「すっ、すみません、お義父さん!じ、実は私は昨日は仕事で出張に行っていて、うっかり携帯の電源を落としたままにしていて……連絡が入っているのに気づきませんでした。遅れてしまってすみません。あの馨は……。もしかして死んでしまったのでしょうか?」
「縁起でもないことを口にするな!今はまだ何もわかっていないんだ。それにしても……。そんな派手なピンクの口紅を頬にベッタリとつける仕事が町議の仕事にあるなんて知らなかった。私が町議をしていた頃はそんな仕事は、なかったけれどね。これは一度、秘書に頼んで今まで君が出張に使った領収書の内容を確認してもらわないといけないね」
舅に指摘され、慌てて頬を腕で乱暴に擦って口紅を拭っていた中年男は、舅の言葉の最後を聞いた途端、顔色が悪くなった。
「ひっ!?い、いえ、お義父さん!そんなことはしなくとも大丈夫です!私は至って潔白です!」
中年男が婿入り先の舅との会話で冷や汗を流しながら、必死に弁解しようとしていると、そこへ中年男の後を追って走ってきた若い女性が、いきなり二人の会話に割り込んできた。
「ねぇねぇ、娘さんが死んだのなら、もう奥さんと離婚できるんじゃない?だって言っていたでしょう?町議になるために結婚しただけで奥さんや子どもには、これっぽっちも愛情なんてないって。あなたはもう町議になったんだし、口煩い爺さんや真面目しか取り柄のない奥さんなんて必要ないじゃない?娘が成人するまで育てる義務があるから、それまで離婚は出来ないから私とは一緒になれないと言っていたけど、娘さんはいなくなったんだもん。離婚して私と一緒になってよ」
ここにいるはずがないと思いこんでいた若い女がいるのを知って、中年男は目を見開き、慌てふためきはじめた。