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肩で息をする私を見つめていた薫くんは、暫くすると神妙な顔つきとなって言った。
「香の言うとおりだね。ボクたちの悩みは皆、悩みの種類が違うんだから比べていいものではなかったんだ。もしかしたらボクはボクよりも香の方が不幸だと香を下に見ることで、ボクの望みを諦めて親の言うがままの生き方を選ぼうとしていたのかも知れない。だって、その方が楽に生きられそうだから……。ありがとう、香。君は最高の友だちだ。君が言ってくれなかったら、ボクは自分の心を殺して親の言いなりになる楽な生き方を選んで、ずっと自分よりも不幸な誰かを探し続けて、その人よりも自分はマシだと思うことでしか幸せを感じられない、ボクの一番嫌なタイプの人間になるところだったよ。ボクはそんな生き方はやっぱりしたくない。どんなに時間がかかっても、ボクはこれからも両親を説得し続けるよ。で、いつかは学校の皆んなにも自分の言葉でボクのことを話して、わかってもらう」
薫くんが決意のこもった眼差しで宣言すると、馨ちゃんもグッと右手の拳に力を入れて言った。
「私も薫くんと同じで楽な生き方を選びそうになってた。私がパパのしていることを黙っていたらママはパパの愛人のことを知らずにいられるし、お祖父ちゃんは婿が町議の仕事を悪用していることに気付かずにいられるし、何よりも私の家族全員とお金をパパに渡した人たちやその家族も含めた全員の人生は終わることなく、今まで通りの生活を送れるんだという甘い誘惑に負けてしまいたくなってた。だけど香たんの言葉で目が覚めたわ。香たんはイジメをする人間は悪いことをしているという自覚があるから気付かれないように陰に隠れて虐めをするって教えてくれたよね。それって、さ。私のパパことだよね。だってパパは悪いことをしている自覚があるから、こっそり愛人を作っているし、こっそり賄賂を受け取っているし、それを知った私に黙るように言ったんだもん。誘惑に少し負けそうになっちゃったけど、私はイジメをする人間が嫌いなの。だから、そのイジメに加担するような真似だけは絶対にしたくない!私、期末テストが終わったら家族にパパのことを話してみる。お祖父ちゃんはどう言うかわからないけど、私のママは真面目な人だから、きっとパパの間違いを正してくれるはずだもの」
「うん。二人の悩みは直ぐには無くならないだろうけど、二人が上手くいくように私、ずっと応援しているからね」
二人の悩みはそれぞれ今直ぐにどうこう出来るような悩みではない。だけど自分がこれからどうしていくのかという方向性を決められたことは、二人にとって大きなことだったのだろう。暗い顔つきをしていた二人がスッキリとした明るい顔つきに変わっていたから、私はそれがとても嬉しかった。
私が喜んでいるのを見て、二人は嬉しそうに笑ってくれたのだけど、直ぐに申し訳なさそうな顔になったので、どうしたのかと聞いたら、自分たちの悩みは解消出来たのに、私の悩みを解消させてあげられそうなアドバイスが思いつかないのだと返ってきたので、私は良い友だちに巡り会えて幸せ者だなと思いながら言った。
「アハハ、ありがとうね、二人共。私のお父さんはずっとあんな感じだったし、私は慣れてるから平気だよ。それにね、良いこともあったんだよ。実はね、ここに来るまでは派手な色柄のシャツを着て、言葉と態度が乱暴な男の人達が沢山家に押しかけてきて借金の取り立てに来てたのだけど。お父さんがアチコチで作った借金を全部まとめて一本化した取り立て屋さんが現れたの。それがすっごく若い見た目の男の人でね。凛々しい顔立ちをしていて、いつもきちんとしたスーツを格好良く着こなしている人なんだよ。その人が取り立てに来るようになってからは他の人は来なくなったし、その人は丁寧な口調で話す人で今までの人みたいに家の外で怒鳴ることもないから怖くないし、お父さんが借金を返せるようにと住む家と警備員の職も見つけてくれたんだよ」
「へぇ〜、そんなにも親切な取り立て屋さんがいるんだね。良かったね、香」
「本当に良かったね、香たん!家もお仕事も見つけてくれるなんて。お父さんが仕事してくれたら借金も返せるね!」
私の話を聞いた二人は申し訳なさそうな顔から嬉しげな顔に変わった。
「それがね、ここに来てお父さん最初の仕事を直ぐ辞めちゃったの。そしたら、その人、お父さんが逃亡しないよう見張るためにと、私の家の右隣に住むようになって、直ぐに別の仕事も見つけてきてくれたんだ。それが私は、とても嬉しかったんだけど、あんなに高そうなスーツを着ている人をお風呂なしの家に住まわせちゃうのが申し訳なくてね。借金はお父さんのお給料から天引きされているんだけど、早く借金を返そうと思って、お父さんに見つからないように生活費をやりくりして毎日少しづつお金を返しているの。まぁ、その人には焼け石に水だから生活費は削らないようにと諭されちゃうのだけど」
私がそう言うと薫くんは腕組みして顔をしかめた。
「ふ〜ん、随分と親身になってくれる人なんだね、その人。でも、そんなに香のお父さん一人にかかりきりになっていて、その人は他の仕事をどうしているんだろう?……あんまり、その人を信用しないほうがいいかもしれないよ、香」
薫くんの言葉を聞いた馨ちゃんは口元を押さえて面白そうに笑って言った。
「ウフフ、薫くん警戒心強すぎ。顔も恐くなってるよ。娘に近づく男は気に入らないと不機嫌になる父親みたい。私もその人とは同意見だな。だって香、痩せ過ぎだもの。天引きされているなら生活費は削っちゃダメ。香が病気になったら元も子もないでしょう?話を聞いていたら、凄く良い人そうだし信用しても良いんじゃない?」
「う〜ん……。親切な人だとは思うんだけどね。でも私、この前、その人に言われたの。お父さんが君を捨てたら覚悟するように……、って。私、何を覚悟しなきゃいけないんだろうと不安で仕方ないの」
私の発言を聞いた二人は眉間にシワを寄せ、唸った。暫く私たちは各自で覚悟の予想を立てたが、どれもピンと来ず、ため息をついた。その後、馨ちゃんが私の手にしていた手提げ袋を見て言った。
「ラジオ、折角作ったのに壊れちゃって残念だったね」
私の手提げ袋には誰かの足形が着いていて、揺らすと中に入れていたラジオからガチャガチャと音が鳴った。
「うん、仕方ないよ。思いっきり踏まれちゃったもの」
教室で揉めている時に二人が乱入してきたことで、彼女たちは二人に責められると思ったのだろう。バツが悪そうな表情となった彼女たちは言葉にならない言い訳めいた何かを口にしながら、慌ただしく教室を去っていったのだけど、そのときに彼女たちの先頭を行く一人が私にぶつかり、その衝撃で私が落とした手提げ袋を、その後に続いて走り去っていく彼女たちが踏んでいってしまったのだ。
私はラジオを取り出してスイッチを入れてみたが、ラジオからは何の音も出なかった。薫くんは私の手にあるラジオを覗き込んで、ラジオの外見は割れていないから中の部品が壊れているのかもしれないと言い、こう提案してくれた。
「今、学校に戻っても、どうせ先生は大会の準備で捕まんないだろうし、月曜日に皆で先生のところに持って行って相談してみよう」
「それは良いアイデアだね、薫くん。三人で一緒に行こうね、香たん!」
私の親のことを知っても前と変わらない態度で接してくれる二人が有り難くて、私も二人につられるように涙を流しながら、お礼を言った。
「ありがとう、二人共。明日の大会、頑張ってきてね」
「うん、ありがとう、香。ボクいっぱい頑張ってくるよ!」
「私も頑張ってくるわね、香たん!私もありがとーだよ!」
もう辺りはすっかりと薄暗くなっていて、境内には私たちしか残っていなかった。私たち三人は折角神社に来たのだからと、それぞれお参りをしてから帰宅することにした。私は財布の中を探り、直ぐに見つけた5円玉を取り出すと心の中で二人が怪我などせずにバレー大会で頑張れますようにとお祈りをした。
二人と別れて帰宅した私はいつもどおりに洗濯物を取り込んだり、夕飯作りに取り掛かった。とは言っても、洗濯物は私と父の分だけだし、夕飯のおかずは卵焼きとモヤシ炒めだから、そんなには時間はかからなかった。父は何時に帰ってくるか、いつもわからないから、私は一人でササッと食べ、家にあるお金を確かめ、今日は銭湯に行くのを諦めて、洗面器にお湯を溜めてタオルで体を拭いてから洗面台で髪を洗った。