12
祖父は今日からでも私と一緒に暮らしたいと考えているとの言伝を弁護士から受け取ったけれども、一学期の終業式まで後一ヶ月もなかったし、一週間後には期末テストが始まるのもあって、私は一学期が終わるまでは、ここにいたいとお願いした。
すると祖父は今いる家は引き払い、ここにいる間は祖父が懇意にしているホテルから車で学校に通うことと、ここにいる間の私の後見人としてスーツの男を傍に置くことを条件に、私の意向を聞き入れてくれた。そして次の日の月曜日からピカピカの高級車で送迎されるようになった私は、当然ながら皆の注目を浴びに浴びまくった。私が誰かに話したわけではないのに、どこから情報を得たのかは謎だが、私の身に起きたことが、まるでシンデレラストーリーのように噂され、その日の放課後になる頃には学校中に私のことが広まってしまった。
悪質モンスターペアレントな父親を持った貧乏な子が、実は富豪の孫娘だったとわかったのだからシンデレラに例えられるのも無理はないのだろうけれど、先週まで私を疎ましく見ていた彼女たちが急に親しげに、今まで誤解していてごめんなさいとか本当は友だちになりたいと思っていたとか語りかけてきた時はギョッとしてしまった。逆のパターンなら数多く経験してきたが、こういう展開は初めてだった。
私は人にチヤホヤされる立場になったことがなかったから、そういう立番にいる人はどういった気持ちでいるのだろうと考えたことがあったが実際なってみれば、居心地の悪さと人の変わり身の早さにゾッとする気持ちは前と同じか、それよりずっと上だった。でも私がそんなふうに感じるのは、彼女たちが私自身を見て知って、私への態度を変えたからではなく、私に付随するものだけを見て、私自身を見ようと思っていないということが改めてよくわかったからかもしれない。
私に親切にすれば私に付随するものから、おこぼれが預かれるかもしれないという、彼女たちの取らぬ狸の皮算用的な思考は人が生き抜くのに必要な能力の一つなのかもしれないけれど、そんな思考でしか友だち付き合いが出来ない人たちと付き合うのは私は御免だった。あれこれ言ってくる彼女たちに答えないまま、彼女たちの顔を黙って見続けたら、彼女たちは途端に気まずげな表情となって、スゴスゴと引き下がっていった。
私は友人の二人には自分の口から私の身に起きたことを話そうと決めていたから、お昼休憩のときに二人のクラスに訪ねていったのだけど、その日は二人ともが学校を休んでいたので話をすることが出来なかった。そして次の日のお昼休憩には二人に会えたのだけど、何故か二人への周囲の反応もいつもとは違っていることに気が付いた。
まるで私と二人の立ち位置が逆転してしまったみたいな周囲の反応の変化に薄気味悪さを感じた私たちは、そこで話をしたいとは思えなかったから、テスト勉強期間中で部活動が中止となっているのもあって、放課後に神社で会う約束を交わし、……私は数日遅れで土曜日に学校であった騒動のことや、それによって二人への周囲の態度が変わったことを知ったのだった。
先に二人の話を聞いた私は、私の身に起きた話をするのに躊躇した。何故なら薫くんは両親に認めてもらって専門の医師に診断を受けてから、自分の言葉で学校やクラスメイトたちに説明したかっただろうことが、自分の知らないところで皆に知られ、それが学校中に広まってしまっていたし、馨ちゃんは自分は何も悪いことはしていないのに自分の親が悪いことをしていたせいで、かつての私のように悪いことをした親の子としてしか、周囲に見られなくなってしまっていたからだ。
だけど私の中身が変わっていないように、二人の中身も変わっていなかった。
自分たちだけではなく、私への周囲の反応も変わったことを知っている二人は当然のように私に話を聞きたがり、私の身に起きた話に一喜一憂し……私が無事で本当に良かった。お祖父さんと暮らせるようになって良かった。でも、お父さんだった人がいなくなったのは心配だよね。どこかで元気にしてくれてたらいいのにねと、私が一番言ってほしかった言葉を二人は言ってくれたのだった。
私たち自身は前と何も変わっていない。私たちに付随するものがあの日を境に変わっただけだ。それだけなのにパラレルワールドに来てしまったみたいな違和感が半端ないねと最後に私たちは疲れた顔で笑いあった。
「そう言えば、香さん。あの日に壊れたというラジオは修理出来たのですか?もし修理されていないようでしたら、一度メーカーに修理を頼むことも出来ますが……」
スーツの男に尋ねられた私は引っ越しのダンボールに入れておいたラジオのことを思い出した。
「それが、あの後テスト勉強期間で職員室には入れなくて期末テストもあったので、結局ラジオは修理することが出来ませんでした。引っ越しが落ち着いたらメーカーに連絡を入れて頼んでみます」
あの日に壊れたラジオから声が聞こえたのも不思議なことだったけれど、実はあの日にもう一つだけ不思議なことが私の身に起こっていたことが後日、わかった。実は期末テスト後に二人と職員室には行ったのだけれど、ラジオを譲ってもらった技術の先生だと二人に紹介されたのはお爺さんの先生ではなくて、体育教師かと見まごうくらいに体格の良い若い女性の先生だった。
バレー部の顧問をしているという技術の先生に他の技術の先生がいないかを尋ねてみたところ、私が知っている先生ではなかったし、そもそもそんな外見の先生は学校にはいなかった。狐につままれたような気持ちになった私はラジオの修理を先生に言い出せず、そのまま引き返してしまったのだった。
「ええ、勿論ですとも。ご友人方との大切な思い出が詰まったラジオなのですから、きちんと元通りに修理してもらいましょう」
スーツの男が言っている大切な思い出とは、友人の二人が私のために技術の先生からラジオを譲ってくれた思い出で、ラジオから友人の声が聞こえた思い出ではない。
お爺さんの先生のこともそうだけど、あの日の夜のラジオのことも私は誰にも話していない。何故なら壊れたラジオから友人の声が聞こえたと言って、それを大人が信じてくれるかどうかはわからなかったし、正直なところ、ラジオのことなんて記憶から霞んでしまうほどに衝撃的なことが立て続けに起こったからだった。
もしかしたら友人の二人なら、私の話を信じてくれたかもしれない。でも、あの日以降、周囲の反応が良くない方向に変わった二人は顔や言葉には出さなかったけれど、初めて人に負の感情をぶつけられることに驚きや戸惑い、やり場のない怒りや深い悲しみを感じ、疲弊しきっていたことが私には手に取るようにわかったから、あの日の話を二人にすることを私は意識的に避けたし、二人もまた話題にすることはなかった。
途中、食事や休憩を何度も挟み、他県に車が入ったと聞いた私は、これからのことについて考えていた。二人を心配させてはいけないと思った私は馨ちゃんに問われたときは大丈夫だと言ったけれど、本当は初めて会う祖父のことや、新しい家や転入先の学校のことなど心配なことばかりで不安がいっぱいだった。
「大丈夫なのかな、私……」
車窓から見える緑を眺めながら、私はボソリと呟いた。それは誰かに問うつもりで言った言葉ではなく、何となく口にしてみただけの言葉だったのだけど、中学校に私を迎えに来た後は私と車の後部座席に一緒に同乗して、私の話し相手となってくれていたスーツの男は自分に尋ねていると思ったようだ。
「大丈夫ですよ、香さん。あなたの祖父は娘に無体を強いようとして娘を永遠に失ったことを後悔しておりますから、孫の香さんのことはとても大事にしてくれるはずです。それに、もし……もしも彼が過去の失敗を忘れ、娘に強いようとしたことを孫のあなたにも強いようとするならば、そのときは私が……」
向かいの席に座るスーツの男はそう言ってから私を真っ直ぐに見つめた。
「私は……あなたが私を希ってくれるのなら、これからもあなたの傍にずっといて誠心誠意あなたに尽くし、なにものからもあなたを守ってみせましょう。香さん、私をあなたにと希ってくれますか?」
私はスーツの男に、これからも自分に私のボディーガードとして傍にいてほしいと望んでくれるかと大袈裟な言葉で問いかけられているのだと思っていた。私はたった一人で知らない人ばかりのところに行くのが、とても心細かったから、そうしてもらえたら凄く心強いだろうなと素直に思ってしまったものだから、その気持ちをそのまま言葉にして、お礼を言った。
「そう言ってもらえて、とても嬉しいです。ありがとうございます、御使さん。御使さんはお仕事で私のところに来てくれただけなのでしょうが、私は私のところに来てくれたのが御使さんで本当に良かったと思っていますし、これからも私の傍にいてほしいと心から思っています。遅くなってしまいましたが、あのときは助けてくれて本当にありがとうございました。そしてこれからもどうぞ末永くよろしくお願いします」
そう言って私が深々と頭を下げるとスーツの男……御使さんは顔を赤らめ、それを気恥ずかしく思ったのか、顔を片手で覆い隠しながら私と同じように深々と頭を下げて言った。
「こ……こちらこそ、どうぞ末永くよろしくお願いします」
このときの私は気づいていなかったのだ。自分が何を……誰を強く乞い願ってしまったのかということに。




