男子スポ根青春モノと思いきやTS転移モノになる導入
久々に袖を通したジャージが、汗を吸ってずっしりと負荷をかける。ポケットの中のスマホは、親からの着信でずっと震えている。でも、俺には行かなければならない場所があった。
『先輩、俺、最期に伝えたくて』
未だにこんな俺を慕ってくれる唯一の後輩からの電話は、寝ぼけていた俺の頭を覚ますには十分な衝撃だった。
『今どこだ?いや言わなくていい、音でわかった』
『来ないでくださいよ。俺は……』
『何も言うな、すぐに走っていく』
『走るってせんぱ――』
返事も聞かずに電話を切った俺は、靴箱の奥底のシューズを引っ張りだして家を飛び出した。
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怪物、未だに無敗
大会レコードまたもや更新
2年連続優勝、もはや敵なし
オリンピックも視野か?日本を担う代表選手!
怪物膝をつく 大会中の悲劇 前代未聞の記録更新、ここで終わる
引退は必至 消えたモンスター 怪我、治る見込みはゼロ
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「はぁはぁ、やっぱりここだったか」
「先輩……ほんとにきたんすね」
「あたり……まえだろ……。いやまって、ちょっと息を整えるわ」
走るのはいつぶりだったかというレベルで、会話が困難な程度には息が上がってしまった。深呼吸をして無理やり息を整える。痛む肺と足を無視して、目の前の後輩に目をやる。
「よし、ふう。とりあえず大丈夫だ。なあ、話をしないか?そんなところじゃなくてこっちでさ」
俺はゆっくりと諭すように、落下防止柵の向こう側にいる後輩に話しかける。
「無理なんすよ、もう。俺はもう無理なんすよ」
「何がだよ、言ってみろよ」
「もう、こんなんじゃ生きていけないんすよ」
そういって後輩はズボンの裾をまくる。そこには、テーピングでガチガチに固められた左足首があった。奇しくも、俺が怪我した場所と左右反対だ。
「もう、今後走れないのか」
「数ヶ月は少なくとも」
「……!それなら」
「来月、俺が一番の目標にしてた大会があったんす。そのために俺はすべてを犠牲にしてきたんすよ。俺は先輩のように要領よくはなかったんで」
「……」
「でも無理でした。結局最後まで、先輩の記録を何も更新できないまま、高校生活を終えることになるんすよ。どこまで犠牲にしても、俺は届かなかった」
「なんで俺に電話をした」
「……ひどいことをしたとは思うっすよ。でも、先輩ならわかってくれると思ったんです」
「わかるさ。大会を走れなくなる恐怖はな」
経験したからこそわかる。今後の人生すべてが崩れ去る瞬間は、あっけなく、残酷に訪れる。
「でもな」
俺は後輩へと近づき、胸ぐらを掴む。
「なんでもう諦めるんだよ!」
苛立ちを抑えきれずに、手が出る。
後輩は信じられないものを見るように、頬を叩いた俺を見る。
「来月で越せないなら!なんで数ヶ月後に越そうとしない!」
「でも!治ったからといって今まで通りに走れるようになるにはさらに期間が」
「じゃあ走れよ!走り続けろよ!何ヶ月かかろうと、何年かかろうと!」
ああ、きっと今の俺はひどい顔をしているんだろう。苛立ちと悲しさと、そして嫉妬がぐちゃぐちゃに混ざりあったような。
「また……走れるようになんだろ……」
「先輩……」
「ほら、帰ろう。ったく深夜にこんなとこまで来やがって」
震える手を差し伸べる。かっこつけておいてなんだが、帰りは肩を貸してほしいと思う。なんたって、もう足の感覚がない。足の感覚はないくせに、まるで呪いかのように怪我の部分が痛む。ああ、まだ安静期間だったもんな。
そのとき、びゅうとひときわ強い風が吹く。
俺が気づいたのは、不安定な足場に立っていた後輩が崖の下へと落ちていく姿と、反射的に伸ばした手が、後輩をしっかりと捉えるも、すでに地面を捉える感覚がなくなり空を切る足の感覚であった。
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「ああ、神様仏様、誰でもいい」
こんなことがあってたまるものか。
「お願いだ、先輩を、先輩を生き返らせてくれ」
俺のせいだ。俺がこんなことをしなければ
「どんな方法でもいい、どんな形でもいい」
すでに冷たくなったボロボロの先輩を抱きかかえながら願う
「まだ、言えてないんだ」
最期だからと思い、どうしても伝えたかった言葉
「まだ、『ありがとう』って言えてないんだよ」
願う、強く、この世界で最も強く
「もう一度、先輩にあわせてくれ」
奇跡は、起こる
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次に俺が感じたのは、冷たい大理石の床の感触だった。ひんやりとして心地よいが、寝るにはいささか硬い。
確か後輩を救おうと手を伸ばして俺は……
「死んだ……のか……?」
「それだと困りますね」
その声に思わず飛び起きると、俺は人に囲まれていた。十字の槍を持ち、顔を白い布で覆い隠した集団と、その代表であるかのように白い修道服じみたなにかを着ている美女がそこにはいた。
「あ……えっ?」
「まあ死んでもらっていたほうが良かったんですが、神託に逆らうことはできませんもの」
状況がいまいち理解できずにあたりを見回せば、どうやら大聖堂の中らしい。おそらく神だろう大きな像が、俺を見下ろしていた。床だと思っていたものは大きな祭壇で、怪しい魔法陣の上に俺は寝転がっているようだった。
「いったい……これは……」
そしてなにより、自分の体は自分のものではなかった。何を言っているのかわからねえとおもうが、俺にもよくわからねえ。こう、なんだか女の子になっちまってるみたいだ。いやごめん、俺も思った以上に動揺しているようだ。
「奴隷であることも忘れてしまったのですか、この畜生は」
「おいおい、畜生呼ばわりはないだろ。それに奴隷って」
「おや、共用語を喋る脳はあるんですね」
おいおい、美女からとはいえ罵られる趣味はねえぞ。
どうしようかと思っていると、聖堂の扉が勢いよく音を立てて開く。
「先輩!先輩っすか!」
「……お前なぜここに」
「ああ……良かった。本当に先輩なんすね」
まっすぐに突っ込んできた後輩は、俺を強く抱きしめる。苦しい苦しいと、俺の尻尾が床を叩いて抗議する。
ん?
「いったいどういうことなんだ」
「えっと……その……とりあえず後で話すっす」
とりあえず後輩は事情通らしい。ここはおとなしく従っておくか。俺は手持ち無沙汰ぎみになって、尻尾の毛づくろいを始める。
ん?
「しかし……本当に先輩なんすね。まったく面影なくて少し不安になったっすよ」
「そう、俺、どんな見た目になってるんだ」
鏡なんてないので、聞いてみることにした。まあこいつなら率直に言ってくれるだろう。
「えっとそうっすね……。銀髪の狼系獣人っすかね」
「あー、やっぱそうなんだ」
そうかそうか。つまりこの尻尾は俺が抱いてる幻想でも何でもなく、実在するのか。
「いや、どうしてこうなった……?」
「話せば長くなるっす」
このあとむちゃくちゃOHANASHIした。
次回予告
『俺かわいくね』
『大変非常に残念ですが残念です』
『先輩に見惚れて話きいてなかったっす』
見てくれよな!(続きません)