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7話


 目を疑った。耳を疑った。肌の感触を。鼻に感じる臭いを。己の思考さえも。五感全てを疑った。


 それくらい、幸一の置かれた状況は常軌を逸脱していた。


「ここ、どこだ?」


 会社の小さな会議室どころか、建物のなかでさえない。

 半ば廃墟となった道に放り投げられていた。


 浅草橋なのか? と辺りを見回したが、崩落した建物の配置が記憶と重ならない。日本かどうかも怪しいほどだ。


 アスファルトでできていると思しき道路ではあるのだが、白線の模様が見慣れないものだった。斜めのシマ模様になっていたりしている。青い看板に書かれた文字が、明らかに日本語ではなかった。幸一が今まで生きてきて目にした文字ですらない。アルファベットやハングル文字、キリル文字やルーン文字でもなかった。


 だが、この雰囲気はどこかで見た記憶がある。


 それもつい最近。


 ふと手にしていた携帯へと視線を向けた。


(そうだ、クエストの背景だ……)


 ワールドエクリプスのチュートリアル。


 主人公たちが放り込まれた魔導書の世界だ。クエストで使われていた背景は、崩壊した現代の世界をベースに作られていた。


(どういうことだ?)


 これでは、まるでワールドエクリプスの主人公たちのように、魔導書の世界に放り込まれたということになる。


「意味がわからん」


 思わず思考を口に出してしまう。

 現状、目の前で起きていることを論理的に考えれば——


 ——ゲームの世界に放り込まれたということになる。


 スマートフォンが震えた。


 幸一は落としそうになったスマートフォンを慌ててつかみ、ディスプレイを見る。ワールドエクリプスは起動されたままで、おしらせに新たな情報が届いたことを伝えるバッジが表示されていた。幸一がタップすると、マスコットキャラのフクロウが画面に浮かびあがってくる。


『やあ、宇喜多くん、聞こえるかい?』


 霧谷の声だ。


「社長ですか!?」

『そうだよ。霧谷だよ。どうやら、うまく転送できたみたいだね。さすがは適格者』

「ちょっと待ってください! これ、どういうことですか!? なんなんですか!? これ、どういうことっすか!?」


 早口でまくし立てた。


『落ち着けといっても難しいね。本当はもう少し丁寧に伝える予定だったんだけど……』


 ため息まじりの声が聞こえる。


『君のいる場所は世界の狭間に作られた最終防衛ライン。パソコンで言うファイアーウォールのようなものだと思ってもらえればいい』

「いや、だから、これなんなんですか!? え? 現実なんですか!?」

『要するに、君は、今、不思議な異空間にいます』

「いや、いますって言われても意味わかんないっすよ!」

『ざっくり言うと、僕は魔法使いみたいなものなんだ。詳しいことは君が帰還したら説明しよう』

「いきなりこんなの、意味わかんないっすよ! なんなんすか、これ!」

『はい、宇喜多くん、深呼吸しよう、深呼吸。君はできる男だと思うが、そうやってテンパってたら君の能力を活かせないよ。ほら、吸ってー、吐いてー』


 いろいろ思うところはあるし「吸ってー、吐いてー」の言い方がムカついた。だが、言われたとおり深呼吸をし、アンガーマネジメントの技術を使って自分の状況と自分の感情を俯瞰する。


(信じられないことだが、目の前の出来事は事実だ。これが夢であれ催眠術であれ、事実として受け入れるしかない。あがいたところで無駄なものは無駄だし、あがくにしたってあがき方ってものがある)


 落ち着きを取り戻してから空を仰ぎ見た。今まで見たことのない紫色の空をしていた。どこまでもリアルで、どこまでもファンタジーだ。


「……社長、目的はなんですか?」

『お、さっそく状況把握かい? うん、冷静になったようだね。安心、安心』


 ぶん殴ってやりたい。


『君の目的は、君が生きる世界に悪さをしようとする異世界人を撃退することだ。さっきも言ったけど、ファイアーウォールの役割だね。君自身が生きるアンチウィルスソフトだと思ってくれていい』

「ということは、要するに敵がいるってことですね。で、それを倒さないと俺は帰れないってことですか?」


 喋っている自分も、どこか遠くに感じた。俯瞰はうまく行っている。思考が少し曖昧模糊としているが、それだけパニックなのだろう。まあ、そんな自分だって受け入れるしかない。どうしようもないのだ。


『すぐに帰ろうと思えば帰れるけど、それだと世界がやばいことになる』

「具体的にどうなるんですか?」

『最悪、世界そのものが消失します』


 危機の規模が大きすぎて、幸一の理解力を越えていた。


「それを信じるに足る根拠は?」

『僕に対する信用かな』

「あると思います?」

『いろいろ事後報告になってしまったことは謝るよ。こちらの読みでは、もう少し時間的余裕があるはずだったんだ。いや、予測というのは常に悪いほうに外れてしまうね』


 いろいろ軽い口調が癪に障ったが、そんな感情に縛られる時間ももったいない。


「まとめると、敵がいる場所に放り込まれた俺は、その敵と戦わないといけない。で、倒せないと最悪世界が滅ぶ。まったくアニメや漫画みたいな話っすね」


 敬語を使う余裕さえなかった。

 感情的にも理性的にも目の前の現実を否定したい。だが、否定したところで問題が解決しないことは合理的に判断できる。感情と判断を切り離す癖はサイコパスから学んでいるではないか。本当にどうしようもない時は、目の前の提案に乗っかるしかないのだ。


 それがどれだけクソな発案だろうと、サイコパスクソ上司は問答無用だった。そうだ、この世界はクソだ。サイコパスと同じだ。乗っかるしかない。そのうえで嵐のなか、どうやって生き延びるか思考するのだ。


 そう考えると、目の前の異常事態も仕事と変わらないように思えてきた。無理難題をさばいてこそ、いっぱしのソーシャルゲームディレクターだ。

 とはいえ、言いたいことはある。山ほどある。


「俺、三十越えたおっさんですよ? 格闘技とかの経験もないですし、喧嘩だって生まれてこのかたしたことがない」

『ああ、大丈夫。そのためのワールドエクリプスだから。まず、僕の言うとおりアプリを――』


 霧谷の言葉を最後まで意識することはできなかった。


 崩落したビルの脇から、なにか見慣れない生き物が現れたからだ。


 それは人間の手のひらのような形状だった。大きなヒトデにも見えた。しかも立っている。だが定形を持っているわけではなさそうだ。汚泥のような色をしたそれは、表面を光らせ流体させながら、転ぶように、だが、素早く動いている。幸一との距離は五十メートルほどあった。


(なんだ、あれ……)


 答えを得る前に彼我の距離は半分になった。


 小学校低学年くらいの速さだろう。明らかに幸一を目指して走っている。

 瞬間、怪物の動きが遅くなり、周囲の景色がスローモーションのように流れていった。

 視界が怪物へとフォーカスされ、転がるように地面を蹴る腕のような触手の先に、鋭い刃のような形状を発見した。


 まずい、と思った。死ぬ、と思った。殺される、とも思った。


(え? こんなところで死ぬのか?)


 不意にサイコパスクソ上司の記憶が脳裏をよぎる。


 理不尽な命令や意味不明な言動と、嘘でまみれた言葉の数々。手柄は横取りされ、失敗は全て幸一のせいだと吹聴された。それでも周りの仲間や部下のために必死に耐えていたが、プランナーのなかにもサイコパスの嘘を信じる者が出てきた。いったい俺はなんのために働いているのだろうか? 駅のプラットフォームから電車に飛び込んでやろうかと思った。


 死のうと思った。生きている理由を失ったし、人生に楽しみなんて感じなかった。

 それでも、今、この瞬間、思うことは――


(死にたくない!)


 気づけば手にしていたスマートフォンを勢いよく怪物に投げつけていた。


 布団を叩いたような鈍い音と同時にスマートフォンが怪物の体にめり込み、怪物の腕がイソギンチャクのように収縮する。

 瞬間、幸一は足元の瓦礫を手につかみ、怪物めがけて思い切りぶん投げた。


「童貞のまま死ねるかぁぁぁっ!」


 一投、二投を外し、三投目が直撃。再び怪物の体に変化が生じる。


「元リトルリーグ舐めんな、おらぁぁぁっ!」


 更に叫びながら投球を続ける。いくつか直撃し、怪物はおびえるように体を変形させると、回転しながら逃げていった。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 離れていく怪物をずっと見ながら呼吸を整えた。たった十数回の全力投球で息があがっていたし、肩の辺りの調子が悪い。歳だなと思いながらも、最初に投げつけたスマートフォンを拾いにいく。


 壊れていたらどうしよう? と思ったが、問題なく電源が入った。


 まだ先ほどの出来事に実感はないが、興奮は冷めておらず、最後に拾った拳大の瓦礫を握りしめたままだった。


 ふいに足音が聞こえ、瓦礫をすぐさま投げられるように振り返る。


 幸一は目を見開いた。

 あまりに場違いなものがそこにいたからだ。


 最近見た『遊星からの物体X』という映画が脳裏をよぎる。怪物が人の姿になり、仲間を襲っていく映画だ。最後まで生き残った仲間が敵か味方かわからなかった。


「……おじさんも適格者?」


 声を発したのは少女だった。部屋着なのだろう。ショートパンツにTシャツ姿。寝起きなのか、髪の毛はややボサボサで化粧っ気もない。完全なるすっぴんだが、顔の造形は整っている。切れ長な二重瞼の瞳で、スッと高い鼻筋。顔もかなり小さい。歳の頃は高校生くらいに見える。三十のおっさんにはない肌の張りとツヤがあった。


「……君は?」


 投球フォームのまま尋ねる。客観的に見て滑稽な姿なのは理解しているが、怖いものは怖い。


「私は……」


 なにか考えるように視線をそらしてから、再び幸一へと視線を戻してくる。

 どや顔で。


「世界を守る適格者よ!」


 三十二のおっさんには「はあ」と曖昧な返答しかできなかった。


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