第4話 戦闘とメイドさんと優しい味
翌朝、シルヴィアは階下から漂ってくる香ばしい匂いに目を覚ました。カーテンを少し開き窓の外を見るにまだ夜明けは遠いようだった。
昨晩、風呂屋から帰ったシルヴィアを迎えたこの宿の女将に朝霞から焼きたてのパンが美味しいと言われたのを話すと嬉しそうに笑い朝食に出してあげると言われた。きっとそれの仕込みだろう。
完全に夜が明けるまでしばらくありそうだが二度寝するほどの眠気はもうなく、手早く身支度を済ませるとタオル等を持って1階に降りた。
1階ではザルツを始め従業員の女の子数人が開店準備で忙しそうに動き回っていた。彼女達を邪魔しないように進みながらすれ違う度に「おはよう」と挨拶すると元気に「おはようございます!」と返してくれた。
カウンターで台帳の整理をしていたザルツも途中からシルヴィアに気付いていたようで近付くと「おはようさん」と手を上げる。シルヴィアも「おはよう」と返し宿の裏手の水場へと行く。井戸から水を汲み上げ痛いほど冷たい水で顔を洗うと残っていた眠気は完全に消え去った。
「ふう、やっぱり朝は冷たい水で顔を洗うのが一番だね。これが一番目が覚める」
タオルで顔を丁寧に拭いていると不意に視線を感じた。気配は感じないので遠くからこちらを見ているようだがまだ夜も明けきらない内からとはさすがに呆れた。
あまり気持ちのいいものではないが昨夜と同じく手を出してこない内はこちらも無視を決め込むつもりだったのでそのまま放置。汲んだ井戸水を適当に撒いて片付けるといつの間にか視線は感じなくなっていた。
「実害がないけどこれはそのままにしておけないよね…」
学園都市に来て早々の問題に頭痛がするがこれに関しては学長を頼ることにしてとりあえずは後回し。
部屋に戻って上着を羽織って宿の外へ出る。早朝の散歩は村にいた頃から好きでよく歩き回っていたものだった。稀にではあるが盗賊みたいな連中が近くを通ることもあるので締め上げつつ関所の役人に引き渡してささやかな小銭を稼いだりしたこともあった。
「どこに行こうかな、っと」
足下に落ちていた木の枝を拾って手の中でくるりと回してから地面に立てる。枝はそのままゆっくり倒れて北を指す。
再び枝を拾って目線を向けることもなく真横に投擲すると積み上げてあった薪の中に紛れていった。
「やっぱり朝は空気が澄んでるから散歩するにはちょうどいいんだよね」
等と呟くがふと、最近1人が長かったせいか独り言が増えたようなと思い至る。
「村にいたおばあちゃんみたいになってきたぞ…。いや、私もおばあちゃんみたいなものだけど一応見た目は若い女の子としてはそれも認めがたい…」
シルヴィアはぶつぶつ呟きながら歩くとどこかで揉めているような音がするのに気付く。向こうの通りからだろうか、複数人の言い争う声と何かが崩れる音。ここまで聞けば十中八九ケンカだろうが聞こえてしまった以上無視するのも気分が悪いのでとりあえず仲裁に向かう。
「またケンカ…。学園都市に来て2日目で2回目ってどういうわけ…?」
そのあんまりな事実に泣きそうになったが大人は無闇に泣かないと覚悟を決めて音のする通りへ向かった。
***
到着して早々に後悔した。そしてあんまりな事実にも程がある、とそう思った。
やや重い気持ちで現場に到着すると辺りは濃い血の臭いで充満していた。
倒れているのは全員男で年齢はバラバラ、しかし揃いの格好をしているので同じ組織か何かの連中だということは分かった。
そしてその血溜まりの中、背丈の低い人物?が頭からローブをすっぽりと被って立っていた。その手にはべっとりと血の着いた大きめのナイフを持ち纏っているローブは返り血で赤く染まっていた。
シルヴィアは正体不明の相手から目線は離さず問いかける。
「これは君がやったことで間違いないね?この男達も一応武器は持ってたみたいだけどそれを排除してから切りつけた。見た感じはこんなところなんだけど合ってる?」
「…………………」
「肯定も否定もナシか…」
シルヴィアはとりあえず捕縛して役人に引き渡すべきだと分かっているが捕らえたところでこの正体不明の相手が大人しくしているかは考えられなかった。
恐らく無力化自体はできる。相手が何か奥の手を隠していなければ負けはしないだろう。だが人を呼んだり倒れている男達の手当てもしなくてはならないので単純に人手が足りなかった。
そこでシルヴィアが微かに視線をズラした瞬間、相手がいきなり動いた。一瞬でその場からシルヴィアの背後の木箱に着地すると猛烈な勢いで斬りかかってきた。手に持ったナイフがシルヴィアの首目掛けて振られるがその刃はシルヴィアに直撃しなかった。
「!?」
相手は驚愕した様子で後ろに下がる。何しろシルヴィアを確実に捉えたと思い放った一撃があっさり防がれたのもあったがその防ぎ方に一番驚いたようだった。
―――なんと振り返りもせずその細い右腕をナイフの軌跡に割り込ませただけだからだ。
確かに相手によっては斬られる直前に咄嗟のガードとして腕を用いるがこの銀髪の少女は違った。その腕ごと首を斬り飛ばすつもりで振るった渾身の一撃はまるで超硬金属のような手応えでナイフを持つ手は痺れていた。
そこでシルヴィアはやっと振り返りガードした右腕を見てため息をつく。
「あーあ…、こんなにざっくりと服を切っちゃってまぁ。これは誰に請求するべきかな?
さて、私はなるべく痛くない方法で君を捕まえようと思ってたんだけど君が私を殺すつもりなら私もそれなりの対応になるけどまさか文句は無いよね?」
シルヴィアから放たれる凄まじい“圧”にローブの相手は動けなかった。痺れていた右手に持つナイフがいつの間にか落ちていることにも気付いていなかった。荒れる息に頬から伝い落ちる汗が揺れる。
シルヴィアはゆっくりと相手に歩み寄るがそこに新たな人物が乱入してきた。それも上からだった。
「オラアアアアアア!!!!!!」
凄まじい大声と共に男が大剣をシルヴィア目掛けて振り下ろす。さすがに受けきれないので横に回避し距離を取る。
避けられた大剣の一撃は地面を抉り周囲は大量の土煙に覆われた。
涙目で咳き込むシルヴィアに土煙の中から大剣が突き込まれるが髪の毛一本すら斬らせずそれを避ける。
「ゴホゴホッ、今度は誰だよもう!」
シルヴィアが咳き込みながら右手を宙に一閃すると大量の土煙がそれだけで散らされた。その瞬間に後ろから再びローブの人物が背中の急所目掛けてナイフを突きいれる。それを素早く払い反撃しようとするが今度は大剣が振るわれる。
それからシルヴィアは二人の襲撃者相手に全て受けきっていたが着ている服だけは無傷という訳にはいかずあっという間にボロボロになっていた。
「ああ、もう!面倒だね!」
シルヴィアとしてはとある事情で本気が出せないので早々にケリを着けたかったが相手もなかなかやるようで互いをカバーしつつこちらを的確に攻めているのは分かった。しかしこれでは埒が開かないので今出せる力を出すことにした。
まず、死角から突き込まれるナイフを一撃で破壊しそのままローブの人物の腕を取って引き寄せるとその腹に膝を叩き込む。足下に崩れる相手を無視して迫る大剣を蹴り上げ手刀を大剣の腹に突き込みそのまま切り裂く。
相手はそれでも大剣を振るが半壊した剣はシルヴィアの蹴り一発であっさりと折れた。
男の無力化をしようとしたところで足下のローブの人物が隠し持っていたダガーをシルヴィアに刺そうとするがどこからか飛んできた礫に取り落とす。
(今のは…)
シルヴィアは先ほどの礫が飛んできた方向を気にしつつ相手の取り落としたダガーを蹴り飛ばしてからローブの人物の意識を刈り取る。大剣の男も今度こそ無力化しようとしたところで相手がこちらに両手を開いて見せる。
「待て!参ったから勘弁してくれ!」
「ここまでやっておいてそれはないんじゃないの?」
これにはシルヴィアも呆れた。確実にこちらを殺すつもりで来ていたし勘弁する理由がこちらには何も無かった。
なので無視して男に走り寄るが新たな乱入者が割り込んできた。乱入者は自分の周囲に火の玉を10個以上発生させるとそれをシルヴィアに向けて放ってきた。
「次から次へととんだやぶ蛇だよ、まったく!」
ぼやきながら避けられるものは避け、それ以外は切り払う。
そうしている間に大剣の男は気絶しているローブの人物を確保し新たな乱入者と合流する。
「助かったぜ旦那。予想以上に強くて二人じゃ勝てねぇな、ありゃあ」
「定時連絡が無いから来てみれば…。勝手なことをするなと言っているだろう」
「オレじゃなくてコイツが先におっ始めてたんだよ」
大剣の男は脇に抱えたローブの人物を揺する。ローブの人物もその衝撃で意識を回復したらしく手で頭を押さえていた。
ローブの人物は別としてもシルヴィアにとっては状況が悪い方へと変わっていた。大剣の男はまだ余力を残しているようでその顔に言うほどの焦りは無い。加えて後から合流した魔法使いの男は相当の手練れと見えた。
(倒せなくはないだろうけどこのままだと街への被害が大きくなりそうだよね…。偶然の接敵みたいだから隙を見て逃げようかな)
シルヴィアはそっと周囲を伺うがそこで魔法使いの男が判断を決めた。
「このまま逃がす訳にはいくまい。3人であの女を仕留めて撤退する」
魔法使いの男は呪文を唱えるとローブの人物に手をかざした。どうやら回復魔法の類いだったらしくローブの人物はあっという間に回復し自分の足で立った。
立ち上がり体の調子を確認するローブの人物に魔法使いの男が戦えるか聞く。
その言葉に小さく頷いたのを見た魔法使いの男は新たな呪文を唱えた。すると虚空から短剣や大剣などの武器が出てきてそれぞれが装備する。
「ありがてぇ、こりゃどうも」
「貴様が自分の得物を持ってきていればこんなムダは出なかったんだが?」
「そいつは悪かったっての。ちょうど昨日手入れに出しちまってさ、雇われの身として一応スペアを持って出たんだがそいつを破壊されるとは思わなかったんでな」
なんだか相手がごちゃごちゃと話しているがシルヴィアは内心焦っていた。
最悪、疲弊した無手の大剣の男と魔法使いの男の二人なら凌げた。しかし、武器を取り戻し回復して相手が三人になると不味い。
(被害拡大を覚悟で逃げるか…?いや、早朝とはいえ出歩いている人もいるはず…)
と、そこまで考えて気付く。こんなに騒ぎを起こして人が集まってこないことに今更ながらに思い至る。
(人払いの結界か。戦闘に夢中だったのと久しぶりだから気付かなかったな)
自らの呑気さに苦笑しつつ、これで何かの偶然で助けが来る可能性が減ったことを悟った。学長くらいなら異変に気付くかも知れないがここは学園から離れているし相手もすぐに気付かれるようなボロは出さない程度には手練れのようだ。
シルヴィアが次の手を考え始めたその時、新たな人物が通りに入ってきた。
「何かと思えば朝から騒々しいですね」
少女の声がしたので振り返るとそこにいたのは何故かメイドさんだった。
派手ではないが地味でもないブラウスとロングスカートに控えめにフリルの付いたエプロンドレス。手には買い物籠を下げて正に朝の買い物風景そのままだった。
シルヴィアはさりげなく動いて相手から謎のメイドさんを隠すように庇う。
しかし、そんなシルヴィアの気遣いを無視するようにメイドさんは近づいてきた。
「朝から血気盛んなのは結構ですが都市の外でやって頂けませんか?ここは市場まで近いので埃が飛んできます」
場違いなことを言うメイドさんを魔法使いの男が睨む。
「貴様、どうやってこの中に入った?」
「どうやって、とは?」
「とぼけるな。ここは人払いされていて中に入るどころか近付くことさえ出来ないはずだ」
「そう言われましても現にこうして入れてますが?そのくらい結界のレベルが低いということではないですか」
メイドさんは言外に「そんなことも分からないのか」と含めて堂々と言う。
「なんだと…?貴様、侮辱するからには生きて帰れると思うなよ…」
メイドさんは懐から懐中時計を出して時刻を確認して再び懐に仕舞う。
「勝手に決めないで下さい。余裕を持って出てきたのでまだしばらくは大丈夫ですがあと半時ほどで主人の元へ帰らなくてはなりませんのでこのまま行かせて頂きます」
「黙れ!お前たち、この女もまとめて始末する。分かったな!?」
「へいへい。雇われに断る権利はありませんね」
「………」
魔法使いの男が怒りを含んだ声で指示するのに少し呆れながら従う二人。
謎のメイドさんは浴びせられる怒気を完全に無視してシルヴィアの隣に立つ。シルヴィアはもう訳が分からなかったがなってしまったものはしょうがないと半ばヤケクソ気味に考えを改めた。
「えーと、メイドさんは離れててくれると巻き込まずに済むんだけど…」
「ご心配には及びません。自衛の術は心得ておりますし主人からも『売られたケンカは利子と気持ちを付けて丁寧に、徹底的にお返しせよ』と言われていますので」
「随分とやる気満々のご主人だね…?」
軽く引くシルヴィアだが正直、この謎のメイドさんが戦えるならかなり楽になる。当初は相手を引き付けて彼女だけでも逃がすつもりだったからだ。
「じゃあ、メイドさんはあのローブのヤツを適当に…」
「いえ、私は魔法使いとローブの二人を相手します。大剣の男は今の手持ちでは私だと分が悪いのでお願いします」
「二人相手で大丈夫?ローブはともかく魔法使いの方は結構やると思うけど」
「問題ありません。相手の中で最も強いのは大剣の男でしょうからあなたには彼を封じ込めて頂きたいのですが」
「あいつ一人なら私も負けないけど…」
そこで相手が動いた。まず、魔法使いが先ほどの火の玉を再び出して放ってきた。それに合わせてローブが姿勢を低くして突っ込んでくる。
シルヴィアは素早く前に出ると可能な限り火の玉を切り払う。いくつか斬り漏らしたのを確認するがそこで大剣の男が斬りかかって来た。
「オレも本当の得物じゃないから本調子って訳じゃないんだが…。まぁ、雇い主がやれって言ってるからやらせてもらうわ!」
「本調子じゃないならそのまま帰ってくれないかな!」
相手の男はやたらと力が強く下手に受けるとそのまま吹き飛ばされそうなので基本的には全て受け流す方法で戦う。また武器破壊で退かせようかと思ったが今度はご丁寧に武器強化が施してあった。
大剣を己の手足のように振り回し攻撃する一方で意外と体捌きは丁寧なので隙があまり無い。その体捌きになんとなく見覚えを感じつつ戦闘が長引く予感をシルヴィアは感じていた。
(さっきも感じたけどこの男相当強い。型は我流?っぽいけど体捌きはどこかで修行したみたいだ。技は豪快だけど力任せとは違ってちゃんと制御してる。
…正道ではないけど邪道でもない、数多くの実戦を経てから会得した剣だね)
感心するが余裕が無いのも事実なので先ほどよりも本気で受け流す。この男に相手をさせられている為ローブはこちらを素通りしてメイドさんに向かって行ったので気になって横目で見てみると予想外の光景に唖然とした。
謎のメイドさんは向かって来たローブを最小限の動きで軽くかわす。明らかに急所を狙った攻撃だったにも関わらずほとんどその場から動いた様子がなかった。ローブはかわされた勢いを利用して更に鋭い刺突を繰り出すが当たらない。更に魔法使いの方に不意のタイミングで小石を投げるなど二人を相手しながら未だに余裕がありそうだった。
「あのメイドさん一体、何者なの?」
思わず呟いた言葉に同じくメイドさんを伺っていた大剣の男も頷く。
「ありゃあ、玄人の動きだぞ…。それもどっちかっていうと暗殺者寄りっぽいぜ」
「やっぱり?どこかで見たような動き方だからなんだろうと思ってたけど」
「それが分かるお前さんもカタギじゃねぇよな?」
「さて、なんのことか分からないね」
相手の言葉を適当にはぐらかす。こんなやり取りの間もずっと激しい応酬の真っ最中であり気が抜けないはずだが二人は涼しい顔して互いの攻撃を捌く。
そこで不意に感覚が開ける感じがした。どうやら結界が破壊されたようだった。
「あらま、時間切れだな」
大剣の男はあっさり剣を引くとシルヴィアに何かを投げる。素早く切り払うと煙幕の一種だったようで辺りに煙が充満し始める。
煙幕の向こうから男の声が届く。
「今回はこっちの負けってことで退かせてもらうぜ。次…があるかどうかは分からんがその時は決着つけようぜ。あばよ!」
足音から察するにそのまま撤退したようだった。シルヴィアは右腕を大きく、鋭く振るうと充満していた煙幕は一瞬で散らされた。
少し離れたところにメイドさんも立っていたので他の二人も同じく撤退したのだろう。
シルヴィアはメイドさんに声をかける。
「お疲れ様。見たところケガとかは無さそうだね」
「ご心配には及びません。あの程度でしたら回避に専念すれば一発の被弾も許しません。それではこれにて失礼します」
「待って、待って!助太刀してもらってこのままお礼もしないでお別れなんて出来ないってば!」
そのまま歩き去ろうとするメイドさんを慌てて引き留める。しかしメイドさんはシルヴィアが咄嗟に掴んだ腕をやんわりと解くと首を横に振る。
「これ以上は主人を待たせることになりますし、学園側から事情聴取などされれば無実とはいえ主人に迷惑を掛けます。これから朝食の準備もしなければなりませんし、あなたも早目に戻られた方が良いでしょう」
「いや、ケガ人もいるし放っとけないから残るけど…。じゃあせめて名前だけでも教えてくれないかな?後でお礼に行くからさ」
「その必要はないかと思います。近いうちにまた会えますので」
「どういうこと?」
メイドさんはシルヴィアの疑問に答えずに一礼するとそのまま歩き去って行ってしまった。
「えぇ…、本当に帰っちゃうんだ。参ったなぁ」
辺り一面の惨状と大量のケガ人、服だけボロボロの自分。これから訪れるだろう面倒ごとに少し頭を抱えたシルヴィアだった。
***
とある建物の一室、3人の人物が立っていた。その中で一人苛立ちを隠さず目の前の男に文句をぶつけているのは先ほど街で戦闘をした魔法使いの男だった。
対しているのは大剣の男。大量の罵詈雑言をぶつけられているにも関わらず大して臆した様子もなく言われるがままだった。
「貴様!何のための傭兵だと思っている!戦闘のプロだと言うから雇ったのにこれでは意味が無いではないか!」
「そうは言うけどよ旦那。あの銀髪の嬢ちゃんはかなりの手練れだったしよくわかんねぇメイドさんも出てきた。こっちは装備もろくにねぇままやらされたんだ。ある程度凌いでほぼ被害ゼロで撤退できただけでも上出来だと思うけどなぁ」
「貴様の意見は聞いてない!私は雇い主だぞ!私が奴らを殺せと言ったらその通りにするのが貴様の仕事だろうが!」
「いやまぁ、そう言われりゃそうなんだがなぁ…」
「貴様はしばらく待機していろ。何かあれば呼ぶ。次は無いからな」
そう言うと魔法使いの男は部屋の隅に立っているローブの人物に近づく。ローブの人物は身体を震わせたが黙って立っていた。その様子を冷たい目で見下ろしため息を吐くとおもむろに手に持っていた杖で殴った。
「この役立たずが。簡単な仕事もまともに出来んのか」
「おいおい、旦那そりゃ良くねぇって」
大剣の男が止めようとするが無視して部屋から出ていくように指示する。
「黙れ、貴様はさっさと出ていけ。貴様も早く自分の得物を回収してこい」
大剣の男は何か言いたげだったが結局何も言わずに部屋を出る。その間際にローブの人物にちらりと目を向けるがそのまま出て行った。
「………っ」
ローブの人物は殴られたところを押さえて痛みを堪えて蹲っていた。
その様を見ながら魔法使いの男は何度も殴った。しばらく続けてから息が切れた頃、無言で部屋を出て行った。
「うぅ………」
魔法使いの男が出ていってから少ししてゆっくりと身じろぎする。
小さな呻く声に混じって静かにすすり上げる音が響いた。
「お母さん……」
呟く声は誰にも届かない。
***
ところ変わってシルヴィアは学長室にいた。
あの後やって来た衛兵に事情を説明するが容疑者として連行され詰所で聴取を受けていたところに学園からの遣いを名乗る見知らぬ女性に連れられてやって来たのだった。女性は学長を呼んでくると言い残すとシルヴィアの着替えを置いて部屋を出て行った。
学長はしばらくしてからやって来た。相当慌ただしいようでネクタイも締めずに手に持って現れた。
「おはよう、シルヴィア君。それと救助が遅れて申し訳ない。痕跡から察するにそれなりにレベルの高い結界だったみたいでね、破壊されなければもっと遅くなったかも知れない」
「私はてっきり学長が結界を破壊したと思ったんだけど、違うの?」
「僕じゃないよ。残念ながら結界は水を使ったものじゃないと張るのも壊すのも苦手でね。力任せに壊せなくはないんだけど中の保障ができないんだ」
「じゃあ誰かが壊したってことだね?」
「恐らくそうだろう。聴取の中にあった戦闘中の小石の投擲者かも知れないな」
学長は調書を捲りながらシルヴィアと話を進める。ある程度話が進んだところでシルヴィアはあのメイドさんについて聞いてみた。
「出来ればちゃんとお礼を言いたいんだよ。彼女の方から介入してきたとはいえそれでも助かったことに変わりはないんだから」
「そのメイドさんなら見当はついてるから後日改めてね。
それよりも調書の内容は間違いないね?もちろん君を疑っている訳じゃないんだけど事が事だから」
「間違いないよ。私は朝の散歩に行こうとして歩き出したら揉めてるような声が聞こえてね。仲裁でもしようかと思ったらこんなことに巻き込まれたって話だよ」
「ありがとう。まぁ転がってた男達の内、何人かは目を覚ましたから君が犯人じゃないっていうのは分かってたんだけどね。それでも一応僕が直接話を聞いて事実の突き合わせをしましたってことにしないと後が面倒でね」
「それじゃ私は無罪放免でいいんだよね?」
「ああ、そういうこと。悪いね長々と拘束しちゃって。朝食はまだだろう?学食はもう開いてるから好きに使ってもいいよ」
「お気遣いは有難いけど宿に一旦帰るよ。私の分の朝ごはんも用意するって言ってたし。ところでこの借りてる制服はどうしようか」
「それはそのままあげるよ。後でちゃんとサイズを測ってピッタリの制服を用意するから」
「じゃあしばらくはこれで学生気分を満喫してみるよ」
「午後は約束通り空けておくからまたね。適当な時間にのんびり来てくれれば大丈夫だから」
学長の言葉に頷いてからソファーから立ち上がるとボロボロになった自分の私服を持って出て行った。
***
それから少し道に迷いつつも宿に戻ると女将がかなり心配した様子で待っていた。
「ああ、帰って来た!
いきなり通りの向こうで大騒ぎになって衛兵捕まえて事情を聞いたらアンタにそっくりな子を連れてったなんて言うじゃないの。全くこんなことになるなんて…、一緒にパンでも焼いてりゃ良かったよ…」
「心配かけてごめんね。私は大丈夫だから」
女将に抱き締められながらシルヴィアがそう返すと今度はケガが無いかを確認し始めた。
女将にされるがままになっていると奥からザルツもやって来た。
「朝からとんだ災難だったな。ケガ…とかは無さそうだが今度からは余計なことには首を突っ込むなよ?ウチのヤツが心配し過ぎて何もしなくなるからな!」
ザルツは豪快に笑い飛ばすと再び奥に戻っていった。女将はそれを見ながら小さくこぼす。
「あの人も心配してたんだよ?学長先生が手紙をくれるまでずっと店の前にいたんだから」
「そっか、心配してくれてありがとう。でももう大丈夫だから」
「本当かい?無理とかしてないだろうね?」
「本当だって。それより、お腹空いちゃってしょうがないんだけど朝ごはんまだ残ってるかな」
「あるよ!ちゃんと残してあるからその辺のテーブルで待ってて。温め直して来るから」
女将はバタバタと奥に引っ込んで行った。手近なテーブルに着くと給仕の女の子が水とおしぼりを持って来た。
シルヴィアは「ありがとう」と言って受け取るともらったおしぼりで手を拭く。
(結局あのメイドさんは誰だったんだろう…)
事件のこともそうだが一番印象に残った謎のメイドさんが気になったが丁度いいタイミングで女将が朝ごはんを持って来た。
湯気を上げるスープや新鮮で瑞々しいサラダ、冷めてしまっているが香ばしいパンと手作りのジャム。シルヴィアは諸々のことを棚上げにして少し遅い朝ごはんにすることにした。…実は先程から限界だったのはヒミツである。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。
ブックマーク、高評価お待ちしておりますので忘れずにお願いいたします。