第3話 クッキーとお風呂と小さな祈り
ところ変わってシルヴィアは大通りを宿屋目指して地図通りに歩いていた。
学長とメルアの静かな戦い(メルアの一方的な勝利)が先ほどまで居た学長室で行われていることなど思い至るはずもなく、昼とは違った喧騒の街を楽しんでいた。
もうすぐ夕食時ということもあってそこかしこに並ぶ屋台からはつい足を止めそうになるようないい匂いがして衝動買いしそうになる。
「宿に着いたらすぐ夕食だろうからなぁ。今買っても食べきれないだろうから我慢だね」
などと呟きながら歩いていると昼間に一騒ぎしてしまった食堂が見えた。
壊れたテーブルやらイスなんかが店の前に置かれ割れたガラスも一纏めにしてあるようだ。
騒ぎの中心にいたのでスルーもできずとりあえず食堂に入ってみる。
入ってすぐに店の中を動き回っていた給仕の女の子に、「いらっしゃい!」と元気な声で迎えられる。
「いらっしゃいませ!お一人ですか?」
「すまないけどお客さんじゃあないんだ。忙しいところ悪いんだけどお店の店主さんに会えるかな?」
「店長ですか?今お客さんいっぱいだから厨房から出られないと思いますけど…」
少し考えれば当然の結果だろう。今も大勢の客で店内は賑わっているし本格的に夕食時ともなれば更に客は増えるだろう。
「そっか、分かったよ。あとで出直すね」
シルヴィアは夕食時が過ぎてからか明日の午前中にでもまた来ればいいと思い直して給仕の女の子に礼を言って店を出ようとする。
しかし、その光景を近くで見ていた客の男が声をかけて来た。
「なぁ、お嬢ちゃんよ。お前さん昼間ここで酔っぱらいのバカ共相手に大立ち回りした子じゃないか?」
なんと昼間の騒ぎを見ていたようだ。シルヴィアはなんとなく恥ずかしさを覚えながら男と向き合う。
「そうだけど、見ていたの?」
「やっぱりそうだ!その綺麗な銀髪が印象的でな、よく覚えてるとも」
「えっ!?店長が話してた人ってこの人のことなの?」
男は何故か自慢げに話す。そのやり取りを聞いていた給仕の女の子も話を聞いていたらしく驚く。
男と女の子はシルヴィアを置いてどんどん盛り上がるがこのままだとどうにもならないので割り込むことにした。
「盛り上がってるところ悪いけどお店も忙しいみたいだから今日は帰るよ。また明日来るからその時に店長さんと話をさせてもらうよ」
シルヴィアはそう言うと店から出て行こうとするが女の子がそれを止める。
「待って下さい!店長さんあなたがまた来たらお話があるって言ってました。だからちょっと待ってて下さい。お願いします」
「そうは言っても忙しいんだろう?ならムリしなくても……」
そこで男が勢いよく立ち上がりいきなり大声で店中に叫ぶ。
「お前ら、よく聞け!!
昼間ここで酔っぱらいを成敗したお嬢ちゃんがオヤジに用があるんだとよ!
だったら飲んで騒いでバカ面晒してないでオヤジが話できるくらい手伝うんだよ!ほら、立て!!」
男が怒鳴って言い切った途端、さっきまで飲み食いしていた客達が立ち上がり、ある者は厨房に、またある者は給仕にと勝手知ったる素振りで作業を始める。それを見届けると怒鳴った張本人の男も空いた皿やグラスを片付けて厨房に入って行った。
その光景にシルヴィアが驚いていると店の奥から昼間会った店主が出てくる。
「いきなり何の騒ぎかと思ったらこういうことか」
いつの間にか給仕の女の子が呼びに行っていたらしく店主の後ろでニコニコしながら立っていた。
とりあえずシルヴィアは店主に挨拶をする。
「えーと、昼間ぶりだね。通りがかったから騒ぎを起こした手前立ち寄ってみたんだけど」
「おお!お嬢ちゃんか。よく来たな、もう一度会いたかったんだ。
…あの時は客の横暴を見逃して済まなかった。本当なら俺が仲裁しなきゃならないのに申し訳ない」
「そのことなら全然気にしてないよ。私も一杯だけでも付き合ってあげればあんな騒ぎにならなかったのにね。そのせいでお店をめちゃくちゃにしちゃって本当は心配していたんだ」
「店のことなら心配いらないよ。あのバカ共に片付けと弁償もさせたし酔いが醒めてからきっちり反省もさせた。
だからお嬢ちゃんが気に病むことはなんにもないよ」
店主はそう言うと笑いながら右手を出す。これでこの件はおしまい、そういうことだろうとシルヴィアは察して握手を交わす。
「ありがとう、私もこの街に住むことになったからこれからは通わせてもらうよ」
「そうか、そいつは有難いな!こんな綺麗なお得意様ができたなら昼間の馬鹿騒ぎも意味があるってもんだ!」
店主は豪快に笑い飛ばすと近くを通りがかった給仕の子に何か言付ける。
給仕の子は元気に「はーい!」と返事して厨房まで戻り何かの包みを持ってまた戻ってきた。
それを棚から取り出した何かと一緒にバスケットに入れてやってくる。
「はい、店長さんどうぞ」
給仕の子は店主にバスケットを渡すと再び店内の仕事に戻って行った。
店主はバスケットの中身を確認してそれをシルヴィアに渡す。
「これは昼間のお詫びと新規のお得意様に少しばかりの気持ちだよ。
中は作り立てのアップルパイと自家製クッキーが入ってるからあとで食べてくれや」
「わぁ、ありがとう。ゆっくり味わって頂くよ。
こんなにしてもらったら相当通わないとダメだねぇ」
「ハハハ、その通りさ!これからもよろしく頼むぜお得意様!」
「こちらこそよろしく頼むよ、店主さん」
最後にもう一度握手をして店を出る。去り際に振り返ると給仕の女の子と最初に話しかけて来た男が手を振っていた。それに振り返して宿へと歩き始める。
多少の寄り道はあったが大して問題ないだろうと思いつつバスケットの中のクッキーを1つ食べてみる。
「うん、美味しい。あのお店は昼間にも思ったけど当たりだね、やっぱり。
それはそうとしてそろそろ宿に行こうかな」
地図を見るとこの辺りから1本横道に入るようだが似たような道ばかりでよく分からない。さっきの店で道を聞けば良かったと少し後悔しつつ地図を見る。
そこで後ろから何かがぶつかってきた。
「おっとっと…」
不意とは言え軽くよろめいただけなのは相手があまり大きくないのが大部分なのだろう。
振り返ると少女が尻もちを突いていた。
ぶつかったのはこの少女か、と思いながら少女に手を差し出す。
「大丈夫?どこかケガはしてないかい?」
少女は手を取って立ち上がる。痛そうにお尻を擦りながらスカートの埃を払う。
「ケガはしてない…。お姉さんごめんなさい」
「うん、ケガが無いようで良かった。ちゃんと謝れたならそれで解決。
これからは前に注意してね」
「うん、分かった」
少女が素直に頷くとシルヴィアは服の埃を落としてあげる。よく見ると大分着崩しているが先ほどまで居た学園の制服だった。
そこで少女なら宿屋までの道を知ってるかも知れないと思ったので聞いてみた。
「ねぇ、この宿屋まで行きたいんだけど場所は分かるかな?正確にじゃなくても近くまで行けたらいいんだけど」
「宿屋さん?どれどれ…?」
少女は地図を指で辿りながらクルクルと回してじーっと見つめる。しばらくそうやって考えていたようだがいきなり顔を上げて「分かった!」と声を出す。
「えーっとねぇ…、今がここ。で、もう少し真っ直ぐ行っておばあちゃんの雑貨屋さんを左に曲がって向こうの通りに出たら右に曲がってちょっと進むと帽子を被った鳥の看板があるの。そこが宿屋さんだよ」
「なるほどね、よく分かったよ。ありがとう。
これは教えたくれたお礼にどうぞ」
シルヴィアはバスケットを探ると中からクッキーを2枚出して少女に渡す。少女は初めは断ったが結局受け取った。
「お姉さん、クッキーありがとう。それとぶつかってごめんなさい」
「どういたしまして。ぶつかったのはわざとじゃないんだからもう謝らなくていいよ。
それじゃ私は教えてくれた通りに行くから今度は気をつけて帰りなよ?」
「うん、またね」
少女はばいばい、とそんな風に手を振ってからすぐ近くの路地に入って行った。
***
シルヴィアは少女と別れてから教えてもらった通りに歩いていき、目印の帽子を被った鳥の看板を見つけた。よく見ると看板の上に学長が放った文鎮の鳥がまるで「遅いぞ」とでも言うように停まっていた。
そのまま文鎮の鳥は学園の方に飛んでいった。
「意外と心配性なんだね。それとも世話やきなのかな?」
シルヴィアは苦笑しながらも飛び去る鳥を見送って完全に見えなくなってから宿屋に入る。宿屋は3階建てで1階は受付と酒場になっていた。2階から上が宿泊部屋なのだろう。
受付にはやる気の無さそうな若い男がカウンターの中で本を読んでいた。
「こんばんは。学長の紹介で来たんだけど話は通っているかな?」
男はシルヴィアの呼びかけに億劫そうに手元の台帳を見た後、カウンターの奥に呼びかける。
「親父ー、手紙の客だぞー。
…ったく、たまに帰ってくれば店の手伝いとかマジ面倒くせぇ…」
男はブツブツと文句を言うとシルヴィアのことは無視して再び読書に戻る。
シルヴィアとしてもほったらかしにされてはどうしようもないのでとりあえず待つ。
見たところそれなりに繁盛しているらしいが酒場の客はみんな静かに飲んでいるので先ほどの食堂とは違いそこまで活気はない。
だが決して寂れている訳ではなくそういう雰囲気の店であるらしい。
手持ち無沙汰に待ってると奥から強面のえらく体格のいい男がやって来た。カウンターを出てシルヴィアに向き合うとイメージ通りの低く、迫力のある声で話しかけて来た。
「お嬢ちゃんがガルバーの言ってたしばらくうちに泊まりたいって子か?」
男はシルヴィアにそう話しかけて来たがガルバーとは一体誰のことなのか?話の流れから学長の名前だと思うが今さら学長の名前を聞くのを忘れていたことに気づいた。
「ガルバー?それって学長のこと?」
シルヴィアの返答にこれでもか、というほどに大きく盛大なため息をつく。
「あいつめ、多少有名だからって自己紹介を忘れるとは人として間違ってるだろうが。よし、料金は割増請求しよう。
…バカなヤツですまんね、改めて聞くがお嬢ちゃんがガルバーの…、学長の紹介のシルヴィアでいいのか?」
「うん、私がシルヴィア・ラストソードだよ。
学生寮に入れるようになるまでお世話になりたいんだけど大丈夫かな」
「もちろんだとも、歓迎するさ。ここは“小鳥の止まり木亭”、この俺ザルツ・モーグリの店だ。
…さぁ、荷物を持とう。部屋まで案内するよ」
ザルツは自然にシルヴィアの荷物を持つと階段に向かって歩き出す。シルヴィアはカウンターの中の読書中の若い彼に会釈してからザルツの後を追う。
そのまま3階まで上がると突き当たりの部屋に案内された。部屋に入るとそこまで広くはないが1人で使うには十分なほどだった。
ザルツはシルヴィアが不満そうではないのをこっそり確認してから部屋の説明を始めた。
「今日からこの部屋を使ってくれ。
備え付けの家具は自由に使ってくれて構わない。ベッドの布団は後で持って来させるから部屋の鍵は開けといてくれ。
で、こっちがトイレで反対側に小さいシャワールームがあるが…、大きい風呂に入りたければ大通りの風呂屋か特別に俺の自宅の風呂を貸そう。
後は、ルームサービスを頼むときはここに伝声管があるからこれで呼んでくれ。
洗濯物を出すときは朝、玄関の辺りに置いといてくれればシーツなんかと一緒に持ってくから忘れないでくれな。
ざっとこんなもんだが部屋のことで質問はあるか?」
シルヴィアは部屋の中を見渡しながら説明の内容を頭の中で思い返す。いくつか確認がてら聞いてみた。
「そうだね、じゃあ部屋の掃除はどっちがやるの?」
「掃除はシルヴィアが嫌じゃなければウチの方でやるが…、もちろん女の子にやらせるから心配はいらない。もし嫌ならそこの引き出しに掃除不要の下げ札があるから外のドアノブにでも下げておいてくれや。ただし、その場合は自分できっちりやってもらうがな」
「分かった、あとで考えとくよ。
食事はどうする?自分で確保?」
「心配すんな、ちゃんと3食出してやるよ。前の日までに要るか、要らないかを言っといてくれれば用意する。なんなら弁当だって作ってやるぞ」
「ありがとう、下の酒場で食べるの?」
「下でもいいし、部屋がいいなら持ってくるが?下に来てくれる方のが楽だがな」
「大丈夫、下まで降りるよ。
とりあえずはこれくらいかなぁ」
ザルツは質問が終わったので今度は宿の説明に入った。と言っても大体の経路と非常口の説明と外の洗い場の場所などですぐに覚えなくてもよさそうなので軽く説明して終わりにした。
「さて、説明はこんなもんにして夕食にしようか。用意が出来たら降りて来な、ウチのヤツが腕によりをかけて作ってるから期待してていいぞ」
ザルツはそれだけ言うと下に降りて行った。
シルヴィアは部屋に戻ってとりあえず上着を脱いで椅子に座った。
「ふう、なんだか疲れたな。でも夕食を用意してくれるって言うし食べてシャワーを浴びて今日は寝ようかな」
シルヴィアは部屋を出て階下へ向かう。1階に着くとザルツがテーブルに料理を配膳していたので少し手伝ってから頂く。何故か妙に量が多かったがどれも美味しく、完食はできなかったがとても満足した。
ザルツの奥さんに挨拶をして料理のお礼を言うと、「明日の朝も楽しみにしてな!」と言われたのでほどほどにするように言ったが果たして通じたかどうか…。
ともあれ夕食を終えて部屋に戻るとベッドメイキングも済んでおり、あとはシャワーを浴びて寝るだけになった。
シルヴィアはベッドの上に着替えを並べると独りごちる。
「さて、お風呂はどうしようか。今まで長旅だったから今日くらいは大きなお風呂でゆっくり温まりたいし、でもそれと同じくらい疲れて眠い…。今なら湯船で寝るのも想像できるなぁ」
しばらく部屋の中をうろうろしてから「よし!」と掛け声を1つ、立ち止まる。
「頑張って眠気を堪えてお風呂に行こう。確か大通りにお風呂屋さんがあるって言ってたからそこまで行ってみるかな。
そうと決まれば準備して、と」
シルヴィアはベッドの上に広げた着替えを手早く畳んでカバンに入れるとトランクの中からタオルや洗面道具を出してこれらも入れる。ちなみにトランクは学園に先に送っておいたのを学長に届けてもらった。
「石鹸なんかはお風呂屋さんで買って使うか…。こんなものかな」
入浴道具を詰めたカバンを持って下に降りる。するとザルツがちょうどテーブルの片付けをしていたので風呂屋の場所を聞いてみた。
「風呂屋なら大通りに出て学園とは反対方向の中央広場に行けば分かるよ。広場の周りに店が並んでてその中の1つが風呂屋だからな。…不安なら誰か付けるか?」
「ううん、大丈夫。大して遠くなさそうだし、道を覚えるついでに1人で行ってみるね」
そう言うとシルヴィアはザルツに別れと謝辞を告げ店の外に出る。
食後の散歩にちょうどよいか、と思っていると不意に妙な気配を感じた。
(こっちを見てる……?敵意はそんなに感じないけどあまり良さそうでもないな。昔にこんな視線を感じたことがあった気がするけどなんだったかな……)
とりあえず様子見として気配は掴んだまま歩き出す。やはりこちらに合わせて移動しているようで一定の距離を保ったまま着いて来ているようだ。
シルヴィアとしては疲れと面倒ごとは勘弁ということで手を出してこない内は放置することにした。…あっさり気配が掴めたことも放置する要因の1つだった。
とりあえず謎の追跡者は放置して中央広場を目指して進むと大通りとは違った賑わいを見せていた。
「ここは露店とかじゃなくて宿屋とか劇場なんかがメインなんだね。ここも明日また来てみようかな」
様々な建物や広場の中央にある大きな噴水に気を取られそうになるが大きく風呂屋の看板を掲げた建物を見つける。
「ここでいいのかな?それにしても随分と大きいなぁ…、想像以上だよ。
…さて、そろそろ出てきてくれるかな?誰だか知らないけどこれからお風呂を堪能する予定だから尾行はここで終わりにしてくれないかな?」
シルヴィアが建物の隙間、更にその陰になるところに向かって声をかける。
初めは何もなく、ただ影が落ちているだけだったがシルヴィアが見つめているとその影が小さく蠢いた。すると影から小柄な人影が立ち上がった。
「………………」
「そっちから手を出すつもりは無さそうだから放置したけどさすがにお風呂にまで着いて来られるのは困るからね。今日のところはこの辺でお引き取り願おうか。
…それとも一緒に入るかい?」
人影はシルヴィアの呼びかけに一切反応を見せずに再び影に沈むとそこで完全に気配が消えた。
(誰かが監視目的で遣わした?でも誰が?考えられるのはメルアだけど…、彼女なら直接私を監視しそうな気がするんだよね。
他に私のことを知ってて監視をしそうな人物といえば…。そんな人まだいないと思うんだけどどうしようかなぁ。
とりあえず明日学長に話しておいて何か実害が出るようなら対処することにしよう)
そこで考える打ち切って目の前のお風呂に意識を向ける。
正直、疲れたのでこれ以上の厄介事はもう勘弁して欲しかったのが本音だった。
ところで風呂屋と言ってもその辺の民家クラスの大きさではなく想像以上の大きさをしていた。…その大きさに少し後退ったのは内緒である。
「しかし、大きいなぁ…。こんなの見たことないんだけど。
まぁここで尻込みしててもしょうがないし、とりあえず入ってみれば分かるよね」
シルヴィアが一つ気合いを入れて風呂屋に入ろうとしたとき、荷物を持ってない方の手が小さく引かれた。なんだろう、と振り返るとそこには昼間に学園の学長室前で別れたアイシアがシルヴィアの手を握っていた。
「おや、こんばんはアイシア。昼間ぶりだね。こんなところでどうしたの?」
「こんばんは、お姉さん。私達もお風呂入りに来た」
「そっか、私と一緒だね。でも1人?」
アイシアはシルヴィアの問いに首を横に振ると背後を指差す。指された方を見ると遠くにギルバートと朝霞と見覚えのない学生が数人こちらに歩いて来ているのが見えた。
朝霞もシルヴィアを確認したらしく小走りでこちらに向かって来る。朝霞は少し乱れた息を整えるとアイシアに注意してから尋ねる。
「アイシアったら急に走り出すからビックリしたじゃない。転んだら危ないからもうやめなさい。
こんばんは、シルヴィアさん。シルヴィアさんもお風呂入りに来たんですか?」
「そうだよ。疲れたから寝ちゃおうかとも思ったけど今まで長旅でお風呂なんかまともに入るのも久しぶりだから」
「そうなんですか、だったら私達と一緒に入りませんか?中とか案内もしてあげられますし」
「いいの?だったらお願いしようかな。…でもみんなで入りに来たのに私が入っても大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。他のクラスメイトもシルヴィアさんに紹介したいですから」
そう言うと朝霞は追い着いて来たクラスメイトを順に紹介していく。
ギルバートは既に面識があったので紹介せずに何故かボロボロの白衣?を着ている女子から紹介する。
「この子はハンナ・ユリフィス。ボロボロなのは今は置いておいて下さい…。
で、こっちの小さいのが……」
朝霞がハンナの次に紹介しようとした背丈の小さい女子がそこで抗議の声を上げた。
「またあーちゃんはメリィをちびっ子扱いするー!メリィはそんなにちっちゃくないし、アイちゃんよりでっかいし!」
「はいはい、分かったわよ。でっかいでっかい。
…ごめんなさい、この子はメリィ・ロンダート。元気が良すぎてうるさいけど悪い子じゃないんです。
次に、やたらとデカいのがガイ・リーバンス。その隣がザックス・シュナイダーです。
本当はあと3人いるんですけど今回は別なのでまた機会があったら紹介しますね」
朝霞はそこで説明を終えると今度はクラスメイト達にシルヴィアを紹介する。それぞれ反応はバラバラだったがその中でメリィはシルヴィアに対し興味津々の様子で初対面などお構いなしに話しかけて来た。
シルヴィアもちゃんと返答しようとするが答えを聞かないまま次から次へと質問攻めにされメリィの勢いに圧倒されかけたがそこでギルバートがメリィの後襟を掴んで下がらせる。
「ほら、いつまで喋ってんだ。そろそろ中に入ろうぜ」
メリィの後襟を掴んだまま皆に言う。何故かメリィは後襟を掴まれたまま大人しくしていた。
ギルバートはメリィをハンナにパスするとガイとザックスを連れてさっさと中に入って行ってしまった。朝霞はギルバートの勝手に文句を言うが既にギルバートは中に入ったので届かずに夜の空気に溶けていった。
「もう!いっつも勝手なことばっかり。私がどれだけ陰でフォローしているか分からないの!?」
「まぁまぁ、朝霞の言い分は尤もだけどギルバートの言うとおりいつまでも店先で話しててもしょうがないしとりあえず中に入ろうか。…みんなもお風呂に早く入りたいだろう?」
怒る朝霞をシルヴィアが宥め、風呂屋に皆を促す。あんまりここで集まっているとそろそろ店から注意されかねないと判断したからだった。
シルヴィアは朝霞と手を繋いで歩き出す。すかさず反対側にアイシアが飛び付き3人で並んで進み、ボロボロのハンナが欠伸をしながらメリィの後襟を掴んで引きずりながらついて行った。
***
風呂屋に入り受付を済ませたところで朝霞はやっと機嫌が落ち着いてきたようで先程までとは変わり楽しそうに風呂屋のアレやコレを説明していた。
どうやら朝霞は大変な風呂好きらしく寮の風呂では満足しきれず結構な頻度で訪れているようだった。
そんなテンションが上がりきった朝霞をどうにか風呂場まで誘導してやっと風呂に入る段階になった。
まず、朝霞はハンナがずっと引きずったままのメリィを手際良く脱がしあっという間にタオルを巻いた姿にするとメリィの耳元で手を1回鳴らす。その音に一瞬ビクッと身体を振るわせるとメリィは周囲をキョロキョロと見渡し次いで自分の格好を見下ろすと小声で「あれー……?」などと言って混乱していた。
その間にハンナのボサボサの髪を纏めたり、アイシアを手伝ったりと忙しそうに動き回り最後に自分の脱衣を終えて洗面道具を抱えて準備完了となった。
もちろんシルヴィアはとっくに準備が終わっており朝霞達の準備が整ったのを確認してからようやくの入浴となった。
シルヴィア達はそれぞれ身体を丁寧に洗うと洗い終わった者から順に大きな湯船に浸かる。
シルヴィアは湯に浸かりながら身体を伸ばす。
「いやぁ、本当に久しぶりのお風呂だから疲れも相まってこのまま寝ちゃいそうだよ…」
シルヴィアの本当に気持ち良さそうな声に朝霞は苦笑しつつ湯船で泳ごうとするメリィを捕まえる。既に半分寝ているハンナを起こしてメリィを見ているように言い付けてシルヴィアの方を向く。
「シルヴィアさんはどこから来たんですか?話しぶりからすると大分、遠くから来たみたいですけど」
「んー……?ああ、間に何回か休憩を挟みながら馬車に揺られて2週間くらいかな?これでも馬が頑張ってくれたから早い方だと御者が言ってたね」
「馬車で2週間!?……私にはムリね…。私も船でこの大陸に渡って来たんですけど船室は一等船室だったから居心地は良かったから」
「そう言えば朝霞の故郷は極東の島国だっけ?小さいけど素晴らしい国だとか」
「確かにそうですけどどうして知ってるんですか?」
「古い知り合いに朝霞と同郷のヤツを知ってるのと学長から少し聞いたからね」
「学長が…?どうして私が話題に?」
そこでシルヴィアは自分が同じクラスに編入することを話しても良いのか疑問に思う。遅かれ早かれ伝わるのだから大丈夫だとは思うが正式に決定していないことを思うととりあえず誤魔化すことにした。
「朝霞達が私を学長室に案内してくれたってことを言ったらそういう話題に繋がっただけだよ」
「そういうことだったんですか。てっきりあの事かと…」
「あの事?」
「いえ、何でもないです。
それより、どこに泊まってるんですか?もしかしてこの近くとか?」
「学長の紹介で“小鳥の止まり木亭”ってところにお世話になってるよ」
「ああ、あそこの宿屋ね。女将さんがたまにフリーマーケットで出す焼きたてのパンはとっても美味しいんで有名ですよ」
「へぇ、それじゃ朝食にリクエストしてみようかな」
シルヴィアと朝霞が話に花を咲かせているとアイシアが朝霞の腕を引く。
「朝霞、ハンナが寝てる。メリィもどっかに行っちゃった」
アイシアの言葉に朝霞とシルヴィアはハンナを見るが今にも湯船に沈みそうなハンナしかいなかった。朝霞はとりあえずハンナを起こしてもう上がるように言って自分も着いていく。
「アイシア、私はハンナの世話をするからメリィを探して見つけて来てね。もう十分暖まったから上がって寮に帰りましょう。
シルヴィアさん急ですけど今日はこれで失礼します」
「私も今日はこれで上がるからアイシアと一緒にメリィを探してくるよ。多分、あっちの方にいると思うから連れてくるよ」
「ありがとうございます、じゃあお願いしますね。アイシア、シルヴィアさんとはぐれないようにね」
朝霞はそう言い残すと眠そうにフラフラしているハンナを連れて脱衣場まで戻って行った。
シルヴィアとアイシアは湯船から上がってタオルを身体に巻くと広い浴場をメリィを探して歩く。
「さて、メリィはどこかな?」
「多分、あっちの方。いろんな種類のお風呂があるから行くならそこ」
「そんなのがあるなら私も行けば良かったな…」
「次は一緒に行こう?」
「そうだね、一緒に行こうか」
アイシアが指差した場所に来ると確かに様々な種類のお風呂があるようだった。薬湯に打たせ湯と多種多様なお風呂がそこかしこにあり朝霞がハマるのも無理はないとシルヴィアは思った。
「これは凄いな…。見たことないようなお風呂もあるね。誰が作ったんだろう」
「朝霞と同じ国の人が作ったみたい。朝霞がそう言ってた」
「ふうん、なるほどね」
喋りながらメリィを探すと一人用の小さなお風呂にメリィが浸かっているのを見つけた。余程気持ちいいのか目を瞑って全身の力を抜いていた。
あまりに気持ち良さそうにしているため声をかけるのを躊躇うが朝霞達を放っておく訳にもいかずシルヴィアはメリィに声をかける。
「やっと見つけたよ、メリィ。朝霞とハンナはもう上がったから私達も上がろう。ギルバート達も待たせちゃうだろうし」
シルヴィアの声に脱力しきっていたメリィはそこでやっとシルヴィア達に気付いた。
「あれぇ?アイちゃんとシルちゃんだ。何時来たの?」
「今しがたね。さあ、そろそろ上がってみんなと合流しよう。ハンナはもう限界みたいだったから」
「ハーちゃんはしばらく徹夜だったからねー。ホントはもっと入っていたかったけどみんな出るならメリィも上がろうっと」
メリィは一人用の浴槽から上がると浴槽の脇に引っかけていたタオルを身体に巻かず手に提げたまま歩き出す。
「メリィ、女の子なんだからちゃんとタオルを巻こうよ」
シルヴィアが嗜めるがメリィは巻かずそのまま歩く。
「メリィは隠すほどナイスバディじゃあないから問題ナシ!それに女湯だし」
「そういう問題じゃなくて礼儀や嗜みのことだよ。朝霞はこの辺りよく言うんじゃないかな?そんなような気がするんだけど」
シルヴィアが朝霞の性格を思って言うとメリィは嫌そうに顔をしかめる。
「確かにあーちゃんは毎日そんなことばっかり言ってる…。昨日も今日の朝も制服のリボンとかシワとかごちゃごちゃ言ってた」
「私はあんまりうるさく言うつもりはないけどメリィが将来大人になって人前で恥ずかしくないようにはしてほしいかな」
そこでしぶしぶと言った感じにメリィは手に持ったタオルをいそいそと身体に巻くとシルヴィアに向き直る。
「これでいい?」
「うん、バッチリだね。さあ、今度こそ朝霞達と合流しようか」
シルヴィア達は3人で連れ立って浴場を後にした。
***
シルヴィア達が脱衣場に戻ると既に朝霞とハンナは着替えを済ませて髪を乾かしているところだった。
朝霞が櫛に弱い熱系魔法をかけてハンナの髪を梳かすとそれだけで濡れた髪が乾いていった。ハンナは完全に寝ていた。
何度も首をガックンとさせながらその度に朝霞が頭を掴んで不規則に揺れるのを抑えながらやっと乾かし終わったようだ。
寝ているハンナを椅子に座らせ倒れないように壁にもたれさせるとそこでシルヴィア達に気付き櫛で自分の長い黒髪を梳かしながらやって来た。
「おかえりなさいアイシア、メリィ。ありがとうございました、シルヴィアさん。
メリィ、急にいなくならないでって何度言ったら分かるの?」
「急にじゃないもん。ハーちゃんに言ったもん」
「ほとんど寝てるハンナに言ったってしょうがないでしょう?」
シルヴィアは2人がヒートアップする前に横槍を入れた。
「まあまあ、朝霞の言いたいことは分かるけどとりあえず着替えてどこかで落ち着いてからにしようよ。このままだと風邪をひいちゃうかも知れない」
シルヴィアはタオルを朝霞に手渡しながら1つウィンクをする。シルヴィアの言葉と合図に朝霞も落ち着いたらしく深呼吸を1回してメリィの頭をタオルで荒々しく拭く。
「とりあえず後でお説教ね。今は早く着替えて男子達と合流しなきゃ。あいつらいつも水浴びみたいな速さだからきっともう外で待ってるでしょうし。
……メリィ、暴れないで。ちゃんと拭けないわ」
「もっと優しく!頭がグワングワンするぅ~」
じゃれ合う2人を横目で見ながらアイシアの髪を丁寧に拭いてあげるシルヴィアだった。
***
結局、シルヴィア達が出てきた頃には外で待ってた男子3人はすっかり湯冷めしてしまい多少の文句を言うが寝ているハンナを押し付けられ有耶無耶にされてしまった。
大柄なガイがハンナを背負い、先ほどまでとは違って静かにウトウトし始めているメリィをザックスが背負う。
朝霞とギルバートはまだ言い合っているがハンナとメリィを気遣ってか声のトーンを落とした。
シルヴィアは一行の最後尾でアイシアと手を繋いで歩いていた。アイシアも眠いのか口数は少なくしきりに目を擦る。
そんなこんなで通りを進みシルヴィアの宿へ行く別れ道に来た。
シルヴィアはアイシアと繋いでいた手をほどき朝霞に預ける。
「じゃあ私はこっちだから今日はこれで失礼するね。案内とかありがとう」
「いいえ、私達の方こそ色々お世話になりました」
朝霞は皆を代表してお礼を言う。ギルバート達も手を挙げたりしてお礼としていた。
「それじゃまたね」
シルヴィアは軽く手をひらひらと振ってギルバート達と別れた。久しぶりに“遊んだ”という感じがして無意識に口元が綻ぶ。
「楽しかったなぁ。これからあの子達が私と同級生になるのか……。なんとも不思議な巡り合わせだね。これもオルロックが思い描いた未来図の1つかな。
…ねぇ、オルロック。私は上手く笑えているかな?あの子達と上手に付き合えるかな?」
口元は微笑みのまま、確かな不安がシルヴィアを包み込む。かつてオルロックと共に行こうと決めた時のような不安が押し寄せるが敢えて無視せず正面から向き合うと決めた。
「…私に勇気と強さを貸してくれよ、オルロック」
誰にも聞かれぬ本音を胸に秘めてかつてのパートナーから力を借りる。それは敬虔な祈りのようにも見え、この一時だけは誰にも邪魔はできない空間を作る。
胸に手を当てほんの数秒祈りを込めて顔を上げると先ほどまでの弱気な顔はもう無くその顔は微笑みと少しの目端に残った涙だけだった。
「明日はよく晴れそうだね」
星が輝く夜空を見上げて宿屋へと歩き出す。その足取りは軽くもなく、さりとて重くもなくただ普通の少女のようだった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。
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