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17の魔剣と銀の君  作者: 葛城 駿
紅い断罪編
36/38

第9話  魔窟と影人形と深部の二人

「さて、どこから手を付けようかな」


シルヴィアは朝霞と別れてからひとまず、学園を出て手近な建物の屋根上へと上がっていた。

理由は人目に付きにくいところと誰かに考えを遮られないところが欲しかったから。街を見渡しながら、ずっと感じていた魔力の揺らぎを目で追いかけた。

一つ目は火事か何かで焼け落ちた屋敷らしき建物跡。二つ目は小火で一部が壊れている倉庫。三つ目は()()()()人通りが少ない路地。

前二つは既に調査の人員が入ってるのが確認できたので、向かうなら路地だろう。しかし、シルヴィアはそれに作為的な雰囲気を感じていた。


「やっぱりあからさますぎるよね。敢えて、不自然さを装うことで逆に勘づいた人を釣ろうとしてる気がする」


考えられる理由はいくつかあるが、気づいていたのに被害が出てしまえば寝覚めが悪い。十中八九罠だとは思ったが、シルヴィアは路地に向かうことにした。

建物の屋根上を難なく渡り、目的地の怪しい路地へと降り立ったシルヴィアはその異様な空気に顔をしかめた。


「これは……、人避けと呪いかな?一定以上の魔法使いじゃないと見つけられない上に、万が一分かっても強烈な呪いで発狂するって感じか」


その場に着いて初めて分かる、そのタチの悪さにうんざりする。そして、ここまでの仕掛けをしてまで何を隠したかったのか。どう考えても悪い方向にしか転がらないだろう。


「まぁ、調べてみれば分かるかな」


渦巻く呪いがものすごく邪魔だが、魔力の起点はすぐにわかった。その奥にいる何者かの禍々しい魔力も。

起点に向かって進むシルヴィア。たどり着いた先には扉が半開きの建物があった。


「ご丁寧だね」


いかにも入れ、と言わんばかりの様子に呆れる。


「まぁ、入るんだけどさ」


丁寧に開ける意味も無いので、扉は乱暴に蹴り開けた。強すぎて扉は建物の中にぶっ飛んで行ったが、何故か衝突音は一切聞こえなかった。


「んん?半ば異界化してるね、これ」


呪いが充満していた路地よりも数倍空気が重い。常人なら発狂し、自死するであろうほどの呪い……というより、怨嗟や怨念が漂っている。

ただでさえ気が滅入る場所で更に気分が悪くなるような状況にもう呆れて仕方なかった。


「こっちかな」


何もない建物の奥へと足を進める。特に罠や妨害があるわけでもなく、すんなりと目的地に到着した。


「さて、何が出るかな」


他の扉が全て開いているのに、唯一閉まっている扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。


「やぁ、これはこれは。久しいな」


「……どうして君がここにいるのかな?」


薄暗い部屋の中で、唯一置かれたソファに腰掛けてゆったりとパイプを燻らせる紳士にシルヴィアははっきりと嫌悪したような様子で話しかけた。


「久方ぶりの再会というのにご挨拶ではないか。我が輩はこんなにも嬉しく思っているのにな」


「相変わらず吐く言葉が全部嘘だね。あれだけ長い時間があったのに全く変われなかったとは、どこまで性根が腐ってるの?」


「君の方はとても人間らしくなったではないか。我が輩も我が娘の如く嬉しいものだな」


「気色悪い……。怖気がはしるからやめて」


「はっはっは。いや、本当に人間らしくなった。初めの頃の道具然りといった雰囲気がまるで無いな」


「中身の無い社交辞令なんかいらないよ。学園都市でなにを企んでるのさ」


「企むなどと、人聞きの悪い。なに、ちょっとした観察実験をしていただけのこと。既に大半の計画は終わったのでな、そろそろ出ていこうと思っていた頃だ」


「白々しい。それで何をしてたの?全部吐いてさっさと捕まって」


紳士は足を組み直し、パイプを燻らせて大きく紫煙を吐いた。


「孤児を引き取っていてな」


「はぁ?」


「まぁ、柄にもないとは分かっているがちょっとした慈善事業の一環さ。引き取った孤児がうまく日常生活に馴染めるかを観察していたのだよ」


「どうせ嘘を言うならもっと信憑性のある嘘にしなよ。しばらく会わないうちに嘘まで下手になったの?」


「これは手厳しい。まぁ、そういうことでな、我が輩はもう引き上げる。ちょうど学園都市に君がいると知ったのでな、会おうと思った訳なのだよ。どうせ、招待状を送っても読まずに捨てるであろう?」


確かに、こんなやつから突然招待状など送られてきても罠だとしか思えないし、読まずに処分するのは目に見えている。


「だからといって、こんなあからさまな罠を仕掛けて誘きだそうとは、相変わらず回りくどいね」


「策謀を巡らすことは我が輩の取り柄であるからな。そこは諦めてもらうしかあるまいよ」


クックック、と笑う紳士に鼻を鳴らすシルヴィア。とにかく、紳士の言うことが本当か嘘かは判別しようが無いので、とりあえずさっさと学園都市からいなくなってもらうのが一番妥当なところか。


「帰るんだったら早く帰って。あと、ちゃんとこの魔窟みたいなことになってるここも直して行ってよ」


「案ずるな。我が輩が去れば自然に解除されるようになっておるからな」


「それも嘘だったら……」


シルヴィアが一歩、紳士に向かって踏み出した瞬間、紳士とシルヴィアの間に奇妙な仮面を着けた痩躯の不気味な者が立ち塞がっていた。


「誰かな?」


「…………」


無言で立ち塞がり、凄まじいプレッシャーを出す仮面の人物に正面から相対するシルヴィア。

まさに一触即発の空気で、何かしらの切っ掛け一つで本気の殺し合いに発展しかねない雰囲気だった。


「誰って聞いてるんだけど?」


「…………」


「はぁ、こいつは君の仲間?」


シルヴィアがいくら尋ねても返事を返さない仮面の人物は放っておいて、紳士に聞く。


「そうだとも、我が輩の護衛であるな」


「ふーん、じゃあいいや」


シルヴィアとしても紳士にどうしても近付きたい訳ではない。なんなら顔も見たくないくらいだ。

紳士はパイプの火を落としてから懐にしまった。それから意外と無駄の無い動きで立ち上がると、窓際に立て掛けてあったステッキを手に取った。


「では、我が輩はここから去るとしよう。また会おうではないか、シルヴィア……いや、銀剣よ」


「早く帰って」


心底嫌そうに追い払うシルヴィアに肩を竦めた紳士は仮面の人物共々、蜃気楼のように消えていった。それと同時に、建物に充満していた呪いや怨念があっという間に薄れていく。一分も経たないくらいで元の空気に戻ってしまった。


「……何を企んでいたんだろう。あいつの言っていたことは全部嘘だから何かしらはやってたんだろうけど」


とりあえず、紳士の気配は感じない。魔力も感じないので完全に撤退したようだった。


「じゃあ何をしてたのかを調査しなくちゃだ」


思いがけず、面倒な相手に会ってしまったので若干気が重い。ため息が出そうになるのを堪えて建物を出ようとしたその時、出入口を見張るように紙が飛んでいるのを見つけた。

見慣れないものに首を傾げていると、見知った気配が近づいてくるのを感じた。明らかに怒っているだろうなぁ、と思いながら待つ。


(まったく、会いたくないやつに会ったもんだよ。絶対録なことしてないもんなぁ……)



***



宿泊する宿の一室、レイラ・ヴァーミリオンは弟子から報告書を受け取っていた。

弟子が退出してから報告書に目を通すと、欲しかった情報と更に詳しく調べた結果が記載されており、レイラは満足げに頷いた。


「短期間でよくここまで調べあげたものですわね」


意外と分厚い紙束を素早く捲りながら目を通していく。


「この間の学園都市での騒ぎはひとまず置いておくとして、またしても何かしらが起きているとは、落ち着きがありませんわね」


自分が在籍していた当時も、平和かと言われれば首を傾げるような日々だったことに、一人苦笑する。

思えば、ただでさえ、色濃い学園都市での生活が更に濃いものになっていたのは今ではいい思い出であり、大切な自分の歴史であった。

それ故に、自身の大切な古巣を荒らす不埒者達には一切の容赦をするつもりが無かった。


「さて、必要な情報も揃ったことですし、(わたくし)も動くとしますかしら」


資料を机に戻し、手早く外出着に着替えたレイラは弟子を呼び出した。


「外へ出ます。支度して着いてくるように」


「分かりました。僕たちの準備はできてます」


「よろしい。では行きますわよ」


弟子二人を引き連れ、レイラが宿を出発する。強大な力を持った魔法使いであるレイラ・ヴァーミリオンが学園都市に潜む害悪の排除に出た瞬間だった。



***



シルヴィアと別れた朝霞はすぐさま特別課の皆にあらましを伝えた。皆の反応は様々だった。


「あいつも大概、自分勝手だよな」


「まぁ、心配いらないだろ。そこら辺のやつ相手なら危ないこともねぇしな」


ギルバートとザックスは特に心配する気はないようで、さっさと手元のカードに集中してしまった。

他のメンツも似たような反応だったが、ハンナが意外にも食いついてきた。


「戦力については心配ないと思うね。勝手な行動は私から言えたことじゃないけど、報告はしといた方がいいにゃー」


「そうよね、やっぱり報告しなきゃよね」


「で、どうすんの?」


「どう、って……?」


「応援、行くの?」


朝霞は心臓が跳ねるような感覚に陥った。

もちろん、その事は考えなかった訳じゃない。シルヴィアが出ていった後、すぐにでも後を追うことが頭を過った。

しかし、今の自分は満足に歩くことすらおぼつかない、愛刀の『連斬』だって満足に振れない。そんな自分では足手まとい以下なのは十分分かっていたからだ。


「それは……」


二の句が継げない。真っ直ぐ見つめるハンナの視線に耐えられず、目を逸らす。膝の上で握られた拳が震えるだけだった。


「ま、私からはなんにも言えないけどにゃー。私もこれ以上の勝手はさすがにヤバいし、この前のこともまだほとぼりが冷めてないからね」


先ほどまでの真剣な空気が嘘のように、いつもの調子に戻るハンナ。


「今回は学園に任せて待ってようぜ?大丈夫、シルヴィアならまたフラッと帰ってくるでしょうよ」


おどけたような振る舞いのハンナを、朝霞は直視できない。握りしめた拳を見るだけの自分がなんとも惨めで、目頭が熱くなってきた。

そんな瞬間、目の前に紅茶が置かれた。


「どうぞ、一息入れませんか?」


シェフィールドがそう言って置いた紅茶はとてもいい香りがして、強ばっていた身体が少しだけ楽になったような気がした。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


普段と変わらぬその態度に、ありがたく思うほどには思い詰めていたようだ。紅茶を一口飲めば、自然と肩から力が抜けた。


「それじゃあ、朝霞も気が抜けたみたいだし、どうするかを話し合いましょうか」


話の行方をニコニコしながら黙って見ていたミランダが手を叩いて言った。

その笑顔に、ギルバートは若干警戒しながら訊ねた。


「話し合いって、何を話すんだよ」


「それはもちろん、シルヴィアを追うかどうかね」


「追ってどうするってんだよ。この間はハンナがアホをやらかしたから出たけどよ、今回は必要ないんじゃねぇか?」


「どうも、アホでーす」


「黙ってろ。……確かに、またおかしなことが起こってるとは思うがよ、オレ達の周りで起きたことと言えば先生がいないくらいだろ?先生もシルヴィアも戦力としては文句ないし、この前のことだって結果的に怪我だけで済んだが危なかった訳だ。積極的な理由が無いなら行く必要は無いだろ」


途中、ハンナが茶々を入れたが、ギルバートの意見は間違っていない。前回と違い、シルヴィアには戦う術があるし、助けに行くという大義名分すら使えないのだ。

ギルバートの意見にザックス、ガイ、ハンナ、メリィが賛成した。ザックスとハンナは元々否定的だったのでともかく、ガイとメリィが賛成したのは理由があった。


「オレも反対だ。まだ危ないって決まった訳じゃないし、何かあるならまた怪我だってするかもしれない」


「メリィも今は止めといた方がいいと思うなぁ。この前のことでお父さんから心配の手紙来ちゃったし……」


珍しくメリィが大人しいと思えば、実家からかなり心配されているようだった。

残るは今までずっと無言のアイシアとミランダ達のみ。ミランダはアイシアにどうするのかを訊ねた。


「アイシアはどうするのかしら?」


「私は行く」


短く、されど力強く答えたアイシアは真っ直ぐに全員を見ている。


「おい、アイシア。この前とは状況が違うだろ?お前が行ってもしょうがないだろうが」


「ギルバート、友達は助ける。それは間違い?」


「いや、それは合ってるが、シルヴィアに手助けはいらねぇだろ?」


「いる、いらないは関係ない。私が助けてあげたい」


「あのな……」


頑として譲らないアイシアにギルバートはお手上げのようで、困ったように周囲を見回すが誰も助け船を出すつもりは無さそうだった。


「私が手を貸しましょうかしら?」


「いいの?」


「お嬢様」


お手上げのギルバートにではなく、アイシアにミランダが助け船を出した。すかさず、シェフィールドが諌めようとするが、ミランダはそれを遮って続けた。


「どちらの言い分も分かるのよ。

ギルバート達はこの間のほとぼりが冷めないうちに問題を起こせないこと、それに安全面についてもね。アイシアはシルヴィアを放っておけない気持ち」


ミランダは紅茶で唇を湿らせてから再度続けた。


「私はどちらか一方だけを応援しないわ。前回はギルバート達にシェフィを貸したんだもの、今回はアイシアの味方に付くわ」


「お嬢様、また私が出るのですか」


「嫌ならいいのよ?今回はナーシャに出てもらうのもいいし、二人とも嫌なら私が行くもの」


「そのような訳にはいきません。ナーシャも前線で動くには不足しています。私が行きましょう」


嘆息と共にシェフィールドが行くと宣言した。それを聞くと、アイシアが静かに席を立った。


「じゃあ行ってくる」


「待て待て。そんな軽いノリで行こうとすんな」


「どうして?」


キョトンとした顔で真っ直ぐ見つめるアイシアに、ギルバートは吊っていない方の手で頭を掻いた。


「アイシアもシェフィールドも強いのは分かってるけどよ、二人だけで行かせられねぇだろうが」


「ギルバート?」


「オレも行く。シルヴィアを探すだけなら片腕でも大丈夫だろ」


ため息を吐きつつ、立ち上がるギルバート。それを見てザックスが慌てて立ち上がった。


「おいおい、本気か?お前らこれ以上問題起こすんじゃねぇって。心配なのは分かるが、今は落ち着けって」


「ザックス、アイシアは一人でも行く気だぞ?どうしても止めるんなら、無理やりにでも縛り付けるか何かしないともう止まらねぇよ。だったら着いて行った方がまだ安心できる」


「……停学じゃあ済まねぇかも知れないぞ」


「何かしら理由つけて逃げるさ。アイシアとシェフィールドはともかく、オレは困る人も少ないからな」


「そういう問題じゃ……」


「ほら、そうと決まればさっさと行こうぜ」


ギルバートがリビングの扉に手を掛けようとした瞬間、開くより先に誰かの手によって扉が開かれた。

扉の先にいたのは、真っ黒な影の塊が人の形をした何かだった。


「……は?」


突然現れた謎のものに誰もが思考停止した。

一瞬、遅れてシェフィールドがミランダの前に出て臨戦態勢を取った。それにハッとした各々も身構えた。


「なんだ、こいつ……?」


アイシアを庇うように体勢を変えたギルバートが呟く。もちろん、それに答えられる者は誰もいない。

影の塊は揺らめくように立ち、全く動かない。生物なのかも怪しいそれは敵意どころか意思すら感じさせず、ただ不気味に佇むだけだった。


「なんだ、お前は?どこから来た?」


ギルバートの問いには一切反応を見せない。誰もがどう対処していいのか分からない中、影の塊が不意に大きく揺らいだ。そのまま形が崩れて、一気に霧散してしまった。

突然の事態に反応に困っていると、玄関の方から誰かが歩いてくる音がした。間もなく現れたのは、養護教諭のメリッサだった。


「お、ちゃんと全員揃ってるね。良かった良かった」


「メリッサ先生!?」


朝霞が驚いたように声をかける。それに対してメリッサの反応は気楽なものだった。


「はいはい、私ですよ。聞きたいことがたくさんあると思うけど、まずは私の話から聞いてもらえる?」


ニッコリと笑うメリッサに、誰も拒否することはできなかった。



***



シルヴィアは困った。

あの怪しい紳士と別れた後、今は憤怒の表情をしたマリアベルに連れられ、近くの喫茶店に来ていた。

マリアベルからあそこで何をしていたのかを聞かれているのだが、どこから答えたものか。全てを話すには時間がかかるし、()()()のだが、それをマリアベルが納得するとは思えない。そういう意味で困っていた。


「そんなに疚しいことをしていた訳?」


「疚しいことはしてないんだけどね。先生をちゃんと納得させられる説明が難しくって」


「アタシが納得するかしないかはアタシが決める。さっさと全部話して寮に帰りなさい」


「うーん、話せるならそれでもいいんだけどなぁ」


マリアベルの実力なら、あの仮面のやつとも渡り合えるかも知れない。あれがどれくらい強いかは正確には分からないが、()()より強いという可能性は高くなさそうである。自分なら勝てるとも思うが、どうだろうか。


「先生はさ、剣聖ってどれくらい強いか知ってる?」


「……はぁ?」


いきなりの質問に眉をひそめたが、マリアベルは剣聖について考える。

『剣聖』とは、あらゆる剣技を修め、実力や評判などの全てが世界に認められた、剣士の最高峰であるはずだ。それがここで出てくるということは。


「あの仮面のやつはそれだけ強いってこと?」


「やっぱり知ってたんだ。あれが誰かは知らないけど、それだけの実力を持ってると思った方がいいよ」


「ちなみに、今の剣聖と比較してって話じゃないわよね?」


「?……今の剣聖が誰かは知らないけど、一般的な剣聖と比較して考えてみてよ」


「一般的って……、まぁ、いいわ。とにかく、あんたはあれが剣聖並みだと考えている訳ね」


マリアベルが厄介そうにため息を吐くのを横目に、シルヴィアは笑った。


「仮面もちょっと大変だけど、本当に厄介なのは仮面の雇い主だよ?」


「はぁ?雇い主?」


マリアベルが尋ねたところで、今までずっと気配を殺して置物に徹していた折紙が反応した。それは僅かな、本来なら誰にも悟られない程度のものだったが、居合わせた者達が悪かった。

先ほどまでシルヴィアを問い詰めていたマリアベルが、ぐるんと折紙に顔を向けた。


「アンタも、何を隠してる?いい加減話なさい」


「ヒッ!?な、何も隠してなんか……」


「そろそろ我慢するのも面倒なのよね。アタシは知ってるやつに直接聞いてもいいんだけど」


折紙との顔の距離はもうほぼゼロだった。両者の鼻はくっついている。折紙は間近で光る眼光から逃れようとするが、いつの間にか頭がガッチリと固定されていて動かない。


(殺される……)


本気でそう思った。足は震え、息が吸えず苦しい。自分の意思ではもう指一本すら動かせない。無意識に涙が零れ落ちた瞬間、手拍子が一つ鳴った。


「はいはい、先生も八つ当たりは止めなよ」


シルヴィアの声に、マリアベルが舌打ちと共に折紙を解放した。


「あーあ、かわいそうに。こんなに怯えちゃって」


「なによ、軽く威圧しただけじゃない」


「殺気全開で?これが軽くなら、世間一般の殺気はおままごとだよ」


シルヴィアが呆れながら折紙の背に手を置いた。


「もう大丈夫だよ。怖かったねぇ」


あやすように背をポンポンと叩く。そして、優しく抱き締められた。その瞬間、折紙は我慢できずに決壊した。


「よしよし、大丈夫。大丈夫だからね」


声を押し殺してシルヴィアにすがり付く折紙を宥めつつ、マリアベルに言う。


「色々とあるんだろうけど、八つ当たりはよくないね」


「……アンタもその一因だけどね」


「それは悪かったけどさ、怒るなら私にしておきなよ。この子が誰かは知らないけど、当たる先はこの子じゃないでしょ?」


荒々しく、飲みかけのコーヒーを流し込むマリアベルに苦笑しつつ、喫茶店の店員に笑って手を振る。尋常じゃない殺気に当てられて、店員達も隠れて震えていたからだ。


「私が今喋れることは教えてあげるからさ、とりあえず今の状況教えてほしいな」


「アンタを巻き込むのはイヤなんだけど?」


「先生が私を守ろうとしてくれるのは嬉しいよ?私だってあのクズがいないならこれ以上は首を突っ込んだりしないからさ」


「だったら、アンタが言うクズのことを教えてもらおうかしらね」


「まぁ、しょうがないか。さすがに、ここでは言えないから何処かに場所を移そう。あ、学長も一緒の方がいいかな?」


マリアベルがバツが悪そうに顔を逸らしたのと、シルヴィアに抱かれた折紙が声をかけたのは同時だった。


「……あの、すみません。もう大丈夫です……」


若干、鼻声だったがシルヴィアはそこには触れない。最後に頭を撫でて離す。


「すみません、ご迷惑おかけしました。服もちゃんと洗って返しますから」


「気にしないでいいよ。子どもを泣き止ませるのは慣れてるし、こんなの日常茶飯事だからね」


「子ども……」


顔を赤くして落ち込む折紙に微笑みながら、ポケットからコインを取り出したシルヴィアはここからちょうど死角になる柱の影に向かって、コインを弾いた。一度壁に当たって跳ねたコインが柱の影を穿つ。


「イッテェ!?」


コインが床に落ちると同時に、柱の影から男が現れた。


「そろそろ覗き見はおしまいにしてもらおうかな」


「あ?こいつ……」


マリアベルが睨むと、男はヘラヘラと笑いながら両手を挙げた。


「待て待て、降参だ!」


「最初から覗き見してて、さっきの先生の殺気でちょっとだけ気配が揺らいだからもういいよね」


「最初からバレてたのかよ、おっかねぇな……」


「見事な穏形だったよ?私がそれ以上の穏形の使い手を知ってるから見抜けたけど」


「ダメだ、こりゃ。敵わねぇや」


とぼけてもムダだと観念したのか、意外とあっさり降参してきた。男はそのまま店員にコーヒーを注文すると、折紙の隣に椅子を持って移動してきた。


「あー、オレはこいつの先輩?いや、なんでもいいか、とにかく仲間だ。物見屋、とでも呼んでくれ」


物見屋と名乗った男は運ばれてきたコーヒーに砂糖とミルクを入れて飲んだ。少し熱かったのか、顔をしかめていた。


「お嬢さんの言う雇い主ってやつの話、オレも詳しく聞きたいんだよ。そんでだな、学長へはちょいと後回しにしてくんねぇかな」


「どうして?学長にも話を通しておくのが良いと思ったんだけど」


「学長よりもこっちが優先なんでな。悪いが、全部終わった後にでもしてくれ」


「覗き見するような人の言うことを聞く義理は無いかな」


物見屋の頼みをバッサリと断るシルヴィア。尚も食い下がろうとする物見屋だったが、シルヴィアにはとりつく島もない。

物見屋は助けを求めるように折紙へアイコンタクトをしていた。


「……私からもお願いできませんか?図々しいのは承知なんですけど」


「先生はどうする?」


「こいつらの事情なんぞ知ったこっちゃない、……って言いたいところだけど、今は学長に会うのをアタシも後回しにしたいわ」


「まぁ、先生が反対しないならいいか」


シルヴィアが一応の納得をしたところで、物見屋が指を鳴らす。


「そんじゃ、場所はこっちで提供させてもらおうかね」


残っていたコーヒーを一気に飲み干した物見屋が立ち上がる。折紙もそれに続いた。


「ユ……、給仕さんに了解は取ってるんですか?」


「いんや?まぁ、大丈夫だろ」


「大丈夫なのかなぁ」


何か問答をする物見屋と折紙を横目に見つつ、シルヴィアはマリアベルに尋ねた。


「先生、学長に黙って動いてるの?」


「あー、まぁね。フィニアスが行方不明になったから1人で調べてたんだけど、成り行きでこいつらと動くことになったのよ」


「フィニアスって言うと、保安部の人だったっけ。行方不明なんて穏やかじゃないね」


「しょうがないから言うけど、今の学園都市にはアンタの言う仮面のやつと雇い主の他に、サローナって危険人物がうろついてるのよ。いや、もしかしたらもう少しいるかも」


「ふーん。サローナとか言うのはともかく、フィニアスは心配だねぇ」


「……アンタの身の危険はあんまりしてないけど、アンタに触発されて他の連中が真似したらまずいでしょ。もう少し年長らしくしなさい」


「ごめんなさい。でも、みんなそこまで子どもじゃないよ」


「長年、教員やってる人間ナメんな。あの年頃はまだまだ子ども。どうしても年相応の部分があるのよ」


はぁ、とため息混じりに語るマリアベルの顔はなんだかんだ言いつつも楽しそうに笑っていた。


「お二人さん、そろそろいいですかい」


シルヴィア達の会話が途切れるのを見計らっていたのだろう、物見屋がタイミングよく話しかけてきた。


「これからオレ達の寝ぐらに案内するからよ、ちょいと目を瞑っててくれないか?」


「あん?見られちゃ困るような場所だっての?」


「それもあるが、言うとおりにしといた方がそっちのためだぜ?アンタはそれを身をもって知ってるはずだ」


「……もしかして、あれのこと?」


マリアベルが指し示したのは折紙だった。マリアベルが仮面の男との戦闘中に離脱したのは、彼女の魔法によるものだったのを覚えていた。


「そういうことさ。酔いたくなかったら頼むよ」


「フン」


一度だけ経験のあるマリアベルが仕方なく目を瞑った。シルヴィアもそれに倣ったが、実はシルヴィアに酔うという現象は発生しないので意味は無いのだが。

ともあれ、シルヴィア達が目を瞑ったのを確認した折紙は物見屋に目で合図を送った。物見屋が頷いたのを見た折紙が懐から数枚の紙片を取り出した。


「紙片結界、移し絵改め」


周囲にバラ撒かれた紙片に魔力が通った瞬間、それぞれが基点となって複雑な魔方陣が浮かび上がる。

魔法が発動する直前、物見屋が興味津々に覗き見ている店員達に指を向けた。


「お前達はしばらく客のいない時間に休憩していた。今まで見聞きしていたものは全て無かったことになる。片付けて適当に辻褄を合わせな」


物見屋が指を鳴らしたのと、折紙の魔法が発動したのはほとんど同時だった。

四人が転移し、魔法が発動した後に残った紙片は勝手に燃え尽きた。物見屋が指を鳴らしてからぼーっとしていた店員達はぼんやりしたまま、残されたコーヒーカップや紙片の燃えカスを片付けた。

その後、店員達がハッとしたが、シルヴィア達がいた間のことは何一つ覚えておらず、なんとなく休憩していたんだな、と考えて納得していた。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。

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