第7話 精霊と拷問(訓練)と暗闇の狂気
迫りくる必殺の紫刀がマリアベルを切り裂くかと思われたが、結果としてそうはならなかった。
「…………、ほう」
初めて、痩躯の男が声らしきものを発した。らしき、というのも仮面で声がくぐもって妙な声音になっていたからだった。
痩躯の男が僅かながらも驚嘆の声をあげた理由は、間違いなく殺されようとしていたマリアベルが起こしていた。
「あんまり、使いたくはなかったんだけどね……!」
二つの紫刀を素手で受け止めていたのだった。本来ならば、受け止めた腕ごと両断され、無残な亡骸として転がるはず。それを為したマリアベルには異変が生じていた。
「なるほど、ただの身体強化かと思えばそうであったか……」
「普通、初見でバレるはずないんだけど?」
「以前にも見たことがあるからだが。その時は大して強くもなかったからすぐに殺したがな」
マリアベルが冷や汗を流す。今も受け止めている紫刀は全力で止めている。少しでも気が抜ければたちまち両断されるだろう。にもかかわらず、痩躯の男は涼しげな様子で、興味深そうにしている。
「久しく見なかったが、今も残っているのか。それに、なかなかの練度。お前ほどの精霊魔法使いは世界に百人とおるまい」
「そりゃどうも……!」
痩躯の男の言うとおり、マリアベルが使ったのは精霊魔法というものだった。
精霊魔法とは、通常の魔法が自身の魔力を使い、発動させるものに対して、周囲に存在する精霊から力を借り、魔法を行使するものだ。
精霊魔法と一口に言っても、術者により特徴が変わり、使える魔法も変わってくる。よって、精霊魔法使いは個人の差が非常に激しいのだ。
「それはなんだ?どういう精霊を使っている?」
「誰が教えるか……!」
「お前は面白い。我が主に献上すれば多少の手慰みにもなろう」
「ふざ、けんな!!」
マリアベルの激昂と共に、紫刀にヒビが入った。握る力は鋼鉄をも握り潰すレベルに達している。しかし、それでも砕けない紫刀の強度とはどれほどなのか。
不意に、蜃気楼のように揺らめいていた二人目が消えた。左手に握られていた紫刀も消失している。
「どういう……」
突然のことに一瞬だけ虚を突かれたマリアベルだが、すぐに持ち直す。が、痩躯の男は更に上を行っていた。
今度は三人に増えたのだ。
「クソ面倒!!」
「まだ、耐えるか」
右手に保持していた紫刀を離して、三刀を捌く。更に激しさを増した剣戟を腕だけでなく、身体全体を使って弾いていく。
しかし、時間が経つにつれ、速度も威力も上がっていく剣戟は捌ききれなくなるのも時間の問題だった。
いよいよ、マリアベルが奥の手を出そうかと悩み出した時、痩躯の男の周りを突然、紙片が舞い始めた。
「邪魔だ」
無造作に斬り捨てようとしたが、紙片はそのまま紫刀に貼り付いていく。さすがに鬱陶しくなったのか、一際大きく紫刀を振り払った。
その時、凛とした少女の声が響いた。
「紙片結界、紙隠れ改め。合わせて弾け!!」
舞っていた紙片がいきなり爆発した。突然のことに驚いたマリアベルだが、いきなり強い力で後方に引っ張られた。
そこに居たのはのっぺりとした、紙人形のようなものだった。
「……は?」
場違いな紙人形に、疑問符でいっぱいになったマリアベルが更に突き飛ばされる。その瞬間、身代わりになるように紙人形が斬り裂かれた。
なかなかの威力の爆発にもかかわらず、痩躯の男は無傷だった。紫刀もヒビ一つ入っていない。数は一人に戻っていたが、大したことではなさそうだった。
「撤退します、息を止めて。……紙片結界、移し絵改め!」
妙な魔力がマリアベルの全身を包んだと思ったら、あっという間にその場から転移した。
痩躯の男は周囲に気配が無いことを確認すると、嘆息と共に紫刀を消した。
「逃がしたか。丁寧に隠蔽やら改竄を織り混ぜるとは。まぁいい、目的はコレの回収に過ぎん」
ずっとダウンしたままのサローナを、荷物のような雑さで担ぎ上げた痩躯の男は、そのままサローナもろとも揺らめいて消えた。それこそ蜃気楼のように。
***
「それで?アンタらは誰なの?」
助けたお礼もそこそこに、不機嫌極まるマリアベルが訊ねた先には、迫力に圧されて冷や汗が大変なことになっている少女がいた。
「えーっと……、その……」
答えに窮する少女の他に、もう一人いた。壁際に寄りかかり、ニヤニヤと少女の様子を面白そうに眺めている。助け船を出す気はなさそうだ。
「というか、ここはどこ?」
「えっと、一応私達の隠れ家……?みたいな……」
「で、アンタらは?」
「えーっと……、エヘヘ……?」
耐えきれなくなって、愛想笑いでごまかそうとした瞬間、マリアベルからものすごい殺気が飛んだ。
少女はかわいそうなくらい涙目で、慌てて壁際のもう一人に助けを求めた。
「黙ってないで助けてくださいってば!」
「まぁ、そう怒んなよ。先輩として、後輩への試験みたいなもんだからよ」
「今にも殺されそうなんですけど!?」
「頑張れ」
「というか、本人が目の前にいるんだけど?本当に殺してやろうか?」
マリアベルの(割りと本気な)殺気に、少女は部屋から逃げたした。
軽いジョークのようなつもりだったのだが、苛立ちから強目に出てしまったようだった。
「そんじゃ、お遊びはここまでってことで。……アンタの知ってること教えてもらおうかしら」
「……面と向かってみると、マジで恐いな」
「いいから話をするのよ。私だってヒマじゃないんだから」
「そいつはお互い様だ、こっちだってヒマじゃない。情報交換といこうか」
ニヤリと笑った顔に、イラっとしたので一発殴ろうか本気で迷った。
「悪ぃな、クセだもんで。最初にこっちの素性だが、訳ありで話せん。さっきの娘も同じだ」
「どこまでも胡散臭いわね」
「自覚はある。どうしようもねぇんだ」
「あっそ。……じゃあ、アンタらは私の敵?」
「今は違うな。立ち位置の関係で純粋な味方ってのも違うんだが、共通の敵を相手にしてるってところは同じだぜ?」
「さっきのアイツ、まさか『蜃気楼』?」
「知ってんのか。こいつは驚いた」
本気で驚いていそうな反応に、マリアベルは嘆息した。
「話を小耳に挟んだことがあるだけよ。聞いてた特徴から推理しただけ」
「いや、ヤツは通り名すら伏せられてるはずなんだ。普通は知らねぇよ。アンタこそ何者だよ」
「ただの教師よ。少しだけ荒事に向いてるけど」
「少しか……?」
マリアベルの語ったことに疑問を覚えつつも、男は話を続けた。
「ともかく、オレ達もあの『蜃気楼』を追ってた訳なんだが、これが手詰まりでな。正直、少しばかり手荒なことしてあぶり出そうとしてたところだったんが……」
「私が別件から横入りしてきたって訳?」
「この場合、横入りしたのはオレ達っぽいけどな。アンタが首突っ込んでる理由を聞いても?」
「素直に教えると思う?」
「オレ達がこっちから来てる、そう言ってもか?」
男が床を指差す。言葉通りに受け取っても意味不明だが、マリアベルは別の意味と受け取った。
「下……、深部か」
「さぁな、好きに受け取って構わねぇ。そんじゃ、もう一度聞くぜ?理由は?」
軽く舌打ちしたマリアベルだが、目の前の男を殴り倒しても、状況が好転するとは限らない。それに、この場所から無事に脱出できるかもわからないのだ。
結局、あれこれと思考を巡らせても大した結果にならないとわかったマリアベルは、諦めて話すことにした。
「同僚が帰って来ないのよ。そんで、現場から痕跡辿って獲物を引っ掛けた。それだけよ」
「獲物……、サローナとか言う変態か。よく見つけたな」
「人探しにもコツがあるのよ。……で、こっちは手札を明かした訳だけど、そっちは?」
「オレ達にそうする義務は無いんだけどな」
マリアベルの拳が音を立てた。
「……と、思ったけどせっかくの機会だ。情報共有といこうぜ?」
慌てて意見を翻す男に、マリアベルはため息を吐いた。別に殴っても良かったが、さっきの少女を探す手間が省けたので良しとする。
「オレ達の獲物は『蜃気楼』だ。正直、サローナとか別の小物はどうでもいい……、というか、その辺は学園の責任範囲だ。おたくらで頑張ってくれ」
「元からしばき倒すつもりだけどね」
「よろしく頼むよ。
それで、よくわかったと思うがヤツは強い。オレ達は敵わないが、こっちの味方にもアホほど強いのがいるからな。存在と居場所が確定できれば、あとは丸投げして終わりの仕事だ」
「そう、頑張りなさいな」
あくまで、『蜃気楼』はそちらの責任と、放り出しかけているマリアベルに、男は提案した。
「そこで相談なんだが、この件だけは協力しないか?正直、あそこで『蜃気楼』が出てくるとは思わなかったんだよ」
「つまり、アンタらの味方に丸投げできるまではこっちに相手をさせようって魂胆か」
「その分、情報収集とかは任せろ。オレもさっきの娘も得意分野だからな。アンタ達が悩んでる間に軽く集めてやるよ」
「こっちの負担が大きすぎると思うけど?」
マリアベルが睨み付けると、慌てて手を振った。
「そっちは魔導元帥って切り札があるだろうが。今はヴァーミリオンだって来てるし、あの銀髪っ娘だっているだろ?こっちはオレとあの娘しか動けないんだよ」
「学長はともかく、勝手に私の生徒を戦力に数えないで。それに、ヴァーミリオンはアンタ達が呼んだんでしょ?そっちの領分じゃない」
シルヴィアを勝手に戦力扱いされて不機嫌になるマリアベル。学長の扱いがいい加減なのが泣かせる。
「ヴァーミリオンは表向き、学園が呼んだことになってるんだよ。確かに、こっちの用件で呼んではいるが、面子と体裁ってのがあるんだと」
「知るか。表向きがどうだろうが、そっちの客ならそっちでなんとかしなさいよ。まぁ、最終的に決めるのは学長だけど」
投げやりな言葉に男は苦笑いする。そこで、逃げて行った娘が戻ってきた。何故か、妙にへこんでいた。
「すみません、戻りました……」
「お帰りさん。どうしたよ?」
「いや、ユーフェミア様に怒られて……」
「だろうなぁ」
娘が怒られるのも仕方ないと男は思った。目の前の教師は確かにおっかないが、任務中に恐れをなして逃げるとは許されない。命の危機なら同情の余地もあろうが、半ばジョークのようなつもりだったらしいので。
「そんじゃ、お仕事しなきゃな」
「はい……」
男は改めて、マリアベルに向き合った。先ほどまでの軽薄な雰囲気ではなく、真面目な顔つきだった。
「この件に関して、オレがある程度の決定権を持ってる。その範疇なら現場の独断が許されている」
「あっそう。それで?」
「改めて協力を提案したい。こっちは偵察要員が二人と後方支援が一人しかいない。学園側に万が一の戦闘面を頼みたい」
「……私に最終的な決定権は無いんだけど」
「上に上奏するだけでもしてくれ。とにかく、人手が足りないんだ。その上、あんな規格外が歩き回られるのは勘弁して欲しいんだよ」
「なに、アンタら人手不足なの?」
「絶賛大忙しでな、今も他の仲間はあっちこっち動き回ってるぜ」
マリアベルは考え込んだ。男の提案はそんなに悪くない。フィニアスも未だに行方不明の現状、深部の偵察要員を使えるのはむしろ幸運だ。
「……いいわ、協力しましょう。ただし、私個人の現地協力者として」
「ほう、どうしてだ?」
「アンタらが完全に信用できない。最悪、私が被害を被るだけならなんとでもなるもの」
「ま、協力できるならなんでもいいか。こっちとしては、最低でも撃退できればいいんだ。可能なら殺すなり、捕縛するなりしてくれて構わねぇがな」
男の半ば冗談のような軽口には付き合わず、マリアベルはフンと鼻を鳴らすだけだった。
「これからはこいつを通してやり取りしよう。オレは別で動くからよろしく」
少女の両肩にポンと手を置いて前に押しやる。正に寝耳に水とでも言わんばかりの勢いで少女が振り向いた。
「えっ、私ですか!?」
「ここらで点数稼ぎしとかないと、ユーフェミアから本気で怒られんぞ?」
それから少しの間、抗議していたが、男に全てかわされた少女は諦めたように項垂れた。
マリアベルは、そのユーフェミアという人物に興味を持ったが、男に聞いても無駄だった。曰く、裏方に徹する人物なので、おおっぴらに動かないのだそうだ。
悲観したような少女の頭に手を置いてから、男は軽く言った。
「そんじゃ、本人も了解ってところでオレは行くぜ」
言うだけ言って本当に去って行った男にため息を吐きつつ、マリアベルは少女に振り向いた。
「当分よろしく。知ってるでしょうけど、マリアベル・レストンよ」
「えっと……、折紙、と呼んでください。こちらこそよろしくお願いします」
「ま、偽名でもなんでもいいけど。これからの打ち合わせでもしましょうか」
あっさり偽名だとバレた折紙と名乗った少女は、諦めたように苦笑いした。
そんな少女を横目に、マリアベルは周囲を見渡して呟いた。
「で、結局ここはどこなの?」
***
マリアベルがきな臭いことに巻き込まれていた頃、自分達の担任のことなど、まるで気にしない特別科は一部を除いて寮の庭で汗まみれになっていた。
文句と悲鳴が溢れる庭の惨状を監督していたのは、マリアベルから頼まれたティファニアだった。
そもそもの発端は勉強に飽きたメリィのぼやきからだった。
「毎日プリントばっかりでつまんなーい。たまには違うことしようよぉ」
ペンを投げ出し、机に体を乗せてだらしなく伸ばすメリィは、完全に集中力が切れている。先ほどから一行も進まない問題は埋めることすら諦めたようだ。
元々、飽きっぽい性格のメリィは普段から集中力が続く方ではなかったが、そこはマリアベルの手腕が光っていた。絶妙なタイミングで運動や休憩を挟むため、メリィも文句は言いつつも最後までやっているのだった。
しかし、怖いお目付け役のマリアベルが不在で、代わりに来たのが授業中もほとんど無言のティファニアなら、メリィの集中力など知れた強度しかないのだった。
「……では、少し趣向を変えてみますか?」
飽きた、と散々文句をたれるメリィにティファニアが言った。趣向と言っても、どの方向に向くかは分からなかったが、退屈なお勉強から逃れられると思ったメリィはすぐさま飛び付いた。せっかくだからと、特別科全員参加になるのは、自然な流れだった。
しかし、メリィを筆頭に後悔するのはあっという間だった。
ティファニアは本来、野外活動の訓練や実習を担当している。そのティファニアが趣向を変えると言えば、もちろん自身の担当教科にだろう。
だが、特別科の野外活動訓練はマリアベルが行う予定だ。マリアベルに確認をせず、勝手に授業を先取りするのは良くないと考えたティファニア。その思考の果てに考えついたのが、
「負荷をかけての体力作りね」
拷問のような悲鳴が溢れる庭を見下ろして、シルヴィアが苦笑する。その先には、いくつもの重りを体に括り付けられたクラスメートがもがいていた。
「野外活動を行う場合、基本的には野営となります。無論、野営を行うならばその道具が必要になりますが、それらは自力で運ぶ場合があります。
もちろん、荷馬車を用意したり、荷物持ちとして人を雇うのも有りでしょう。しかし、全て上手くいくとは限らないのです」
「確かにね。お金や地理的な問題があるかも知れないからね」
「その通りです。荷物を運ぶ手段が他に用意できない状況で、自分達で運べないのでは話になりません。故に、早い段階からそうした状況に対応できるようにしておかなければならないのです」
「まぁ、体力とか筋力はあって困るものじゃないしなぁ」
一応の賛同を見せるも、シルヴィアは目の前の光景に苦笑するしかない。
シルヴィアと朝霞以外の特別科全員が、重りをぶら下げて庭を動き回っている。
普段はしれっと運動から逃げているミランダでさえも同じように。しばらく同じところで止まっているが、限界なのだろう。潰れるのは時間の問題だ。
「あ、潰れた」
膝から崩れ落ちたミランダをシェフィールドが助け起こしている。そのシェフィールドも滝のような汗をかいていた。
一応、個人に合わせた重りを装着してはいるのだが、それがサバイバル装備一式をフル装備の状態で、延々と寮の庭を走り回されるのは辛いだろう。
ちなみに、発端のメリィはとっくにダウンしていた。
「なかなかハードじゃない?」
「そうですか?高低差が無いので、まだ楽な方でしょう」
「いやぁ、いきなりあんな量の荷物を担いで走り込みなんて普通は辛いよ?」
最早、まともに動けているのはギルバートとガイだけだった。ザックスもギリギリまで食らいついていたが、少し前に撃沈した。
と言っても、走るよりも歩いていると言った方が合っているような有り様だが。
ハンナは五歩ほど歩いて潰れ、ナーシャはミランダと共に崩れ落ちた。アイシアも一周は頑張ったものの、バランスを崩してひっくり返って諦めた模様。
「あーあ、二人も倒れたね」
最後まで気合いで頑張ったギルバートとガイも撃沈した。庭に死屍累々で転がるクラスメートを見て、シルヴィアと朝霞は深く同情した。
ちなみに、シルヴィアが参加していない理由は、やる必要がなかったため。どれだけ重りを増やしても苦もなく動き、最終的にテラスの床板を踏み抜いたからだった。
全員がダウンしたところで、ティファニアが言った。
「では、装備を外して休憩後に筋力トレーニングを行いましょう。いつまでも寝ていると風邪をひきますので、速やかに起きて着替えるように」
「…………」
「……?どうしました?」
動かないギルバート達見て、ティファニアが首を傾げる。そんな彼女に、シルヴィアが言った。
「いや、無理だから」
結局、その日は誰もまともに動けないようになってしまったので、授業はお開きとなった。最後の根性で自室まで戻った男三人とシェフィールド以外を、シルヴィアが担いで回収した。
***
学長は頭を抱えていた。
頭痛は止まないし、目下の問題は解決の目処すら立たない。上からも下からも小言や報告、陳情が届くので、この数日で確実に老けたなと思った。
そんな憔悴した学長に、気の毒そうな顔をしつつも、報告をするのはハウマンだった。
「……やはり、結果的にフィニアスはあそこへ行ったようだよ。その後の足取りは分からないがね」
「そうか……、引き続き捜索を続けてくれ」
「了解。それと、マリアは戻っているかい?」
「マリア?いや、僕の方には特になにも……」
学長はメルアの方に目を向けたが、メルアは首を横に振るだけ。知らないようだった。
「マリアに用事が?」
「ああ、これからの打ち合わせをしようと思ってたんだけど、どこにも姿が見えなくてね。少し気になったんだけど……」
「特別科の寮か自室は?」
「どちらもいなかった。ティファニアにも訊ねてみたけど、朝から見てないってさ」
ハウマンの答えに、学長の頭の中を嫌な考えが過る。
調べ物と称し行方不明になったフィニアス、同じように周辺を調べていたマリアベル。どちらも事件の調査中に行方をくらませている。
二人とも、その辺の魔法使いに遅れを取るような者ではない。逆に返り討ちにして締め上げているだろう。
「ハウマン、周辺で新たに起こったことはあるかい?」
「え?……まぁ、強いて言えば、先ほど周辺住民の管理する物置小屋が倒壊した、という報告は受けたよ。ちょっとした小火があったけど、普段から少量の燃料やら可燃物があったらしいから特におかしくはないと思ったよ」
「それ、詳しく調べてみてくれないか?」
「もちろん、構わないけど……」
学長の目が真剣なのを見て取ったハウマンは顔色を変えた。
「まさか、マリアが……」
「分からない。……が、偶然なら良いけど違ったら大変だ。何か手がかりに繋がるかも知れない。慎重に頼むよ」
学長の真剣さに気圧されながらも、ハウマンは頷いた。
「とにかく、情報が不足しすぎているのが問題だ。敵が誰であれ、今の僕達は完全に後手に回らされている状況だ。それは早く打開したい」
「同感だね」
「……もしもの場合は、レイラ君に助力を頼めないか、掛け合ってみるつもりだ」
「確かに、彼女の協力が得られれば百人力だよね」
「ただし、それも状況を明確にしてからだ。今のところは失踪と殺人だけ。これでは頼みようがない」
そこまで言えば、ハウマンも学長の言いたいことを察した。
「なるべく早く、新しい情報を見つけてこよう。保安部以外から人員を使ってもいいかな?」
「任せる。各部長には僕から通達を出しておくから、よろしく頼むよ」
ハウマンは返事もそこそこに、軽い一礼の後、足早に去って行った。
学長は扉が閉まりきる前に、出かけるための準備を始めていた。
「メルア君、済まないがこれから少し出かける。時間になったら帰っていいからね」
「お待ちください。私は学長の護衛も兼ねているんですよ?私もご一緒します」
「いや、悪いけど一人でないと駄目なんだ」
困ったように言う学長は、その手に真っ黒なベルを持っていた。その意味を知っているメルアはギクリとした。
「それじゃ、行くよ。明日の朝には戻れると思う」
学長がベルをチリン、と鳴らすと瞬時にドアがノックされた。メルアが慌ててドアを開けると、学園内で見たこともないメイドが立っていた。
「お呼びに従い、参上しました」
「おや、いつもとは違うね」
「ユーフェミアは所用で外しております。今回は私がご案内の任に就かせて頂きます」
「よろしくお願いするよ。じゃあね、メルア君」
メイドと共に部屋を出た学長は、その場から一瞬で姿を消した。
部屋に残されたメルアは、やりかけの仕事に戻った。片付けても減ることのない書類を纏めつつ、部屋でなんとなく呟いた。
「どこで道草食ってるんだか、あの女は」
結局、夜が更けても学長室の明かりは消えなかった。
***
「パパ、こいつ使えないんだけど!」
「わお、アタシチャンてばショックで泣いちゃう♪」
「うっさい!!」
「ヒエーン♪」
「死ね!!」
室内に響く声は明確に苛立ちを表している。糾弾されている方はと言えば、全身に包帯を巻いて、顔面も治療の跡が凄まじいが、ヘラヘラと茶化している。
そんな意味不明の組み合わせは、ソファにゆったりと座る紳士と相対していた。
「そう怒るな、我が娘ミュリエラよ。人の上に立ち、指示するとは斯様に難しいことなのだ。身を以て知れた、良い機会であろう」
「でも……!」
「なに、中身の無い拠点が一つと、保安部の部長が盤上から消えたのみ。こちらは痛手など無いも同然であろう?」
尚も食い下がろうと、娘が抗議の声をあげる寸前に、サローナが横から口を挟んだ。
「さすがは雇い主様だね、見てる盤面が違うよ♪」
「黙ってなさいよ!?」
「やーん、怖ーい♪」
振り上げられた拳にひょいと逃げるサローナ。怒ったミュリエラが花瓶を持ち上げようとしたが、痩躯の男がそれを止めた。ミュリエラは抵抗したが、まるでびくともしないので、大人しく諦めた。
紳士はミュリエラの癇癪をそのままに、サローナへと語りかけた。
「サローナよ。お前を連れている理由は忘れていまいな?」
「分かってるって!アタシチャンも拾われた恩くらいは返すってば♪」
ビシッと親指を立てて答えるサローナだが、はっきり言ってとても胡散臭い。が、紳士は大して気にしない。
「うむ、引き続きミュリエラの補佐として励みたまえ。我が輩の大事な娘であるのでな」
「お任せあれ♪」
ウインクと共に返したサローナの返事に、責任感など微塵も感じられなかったが、紳士はそれで満足とでも言いそうな頷きでもって返した。
紳士はそのまま立ち上がると、痩躯の男が差し出したステッキを手にした。
「パパ、もう行っちゃうの?」
「ミュリエラよ、これはお前への最終試験だと言ったであろう?我が輩の手助けは今後は無いと思いなさい」
「そんな……」
「なに、我が輩の書いた台本通りに進めれば良い。そのための駒と補佐は用意した。あとは、ミュリエラが我が輩の期待通りの働きを見せればそれで良いのだ」
「……、わかった。パパのために、頑張る。だから、ちゃんと上手くできたらいっぱい褒めて?」
「良かろうとも。我が輩の期待通りに動くならば、しっかりと褒めてやろう」
紳士が頭を撫でてやると、ミュリエラは心地よさそうに頬を緩めた。
そんなミュリエラを、サローナがヘラヘラと、しかし冷めた目で見ていた。
***
紳士がミュリエラ達と別れて、暗い通りを歩いている。その近くで時折、不自然に空間が歪んでいた。
「蜃気楼」
「ここに」
音も無く現れた痩躯の男は紳士の後方にいた。紳士の言う言葉に淀みなく答えていく。
「さて、下への妨害はどんな塩梅か?」
「想定の半分ほどでしょう。各地に放った刺客、魔獣のいずれも効果的ではない様子。『瓦礫の魔王』に至っては、トマソンを荒城の魔獣王と共に差し向けましたが、間もなく殲滅されたようです」
「やはり、年若い魔獣王では話にならんか」
「アルチェリーダから引きずり出さねば、厳しいものかと」
「構わん。あの地から魔王が出なければ、それはそれで良い。しばらくは魔獣の飽和攻撃で縫い付けておくとしよう」
「御意」
短い返事と共に、痩躯の男が薄れていく。しかし、不自然にぼやけた空間は依然として、そこにあった。
紳士は懐からパイプを取り出した。一人でに点いた火種が、暗い通りにぼんやりと光る。
「ふむ、次はどの手札を切るか……」
まるで、ゲームでもしているかのような物言いは、紳士にとって当然とでも言わんばかりの言い種だった。
「そろそろ、仕掛けてみるのも一興か」
思いつきのように呟いた紳士の影が、雲間から出た月明かりに照らされる。
歪んで見える影の不吉さに怯えるようにして、ネズミが走り去って行く。
再び、月明かりが雲間に隠れ、次に現れた頃には既に、紳士の姿はどこにも見えなかった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。
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