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17の魔剣と銀の君  作者: 葛城 駿
紅い断罪編
30/38

第3話  抗議と脱走と紙片の少女

フリーマーケットの初日が終了したその日の夜。特別課の夕食が終わった頃に、突然マリアベルと見知らぬ人物がやって来た。

シルヴィア、ギルバート、アイシアの3人だけ残して退室するように言われたため、お茶を出したシェフィールドが下がった今、寮のリビングには5人だけが残された。

ギルバートはマリアベルが不機嫌な表情で現れた瞬間、その理由を悟っていた。十中八九、昼間の貴族とのいざこざだろう。そう思っていたら、案の定その通りだった。


「つー訳で、貴族のボンボンからうんざりするくらいの抗議が学園に届いたんだけど?」


「確かに、貴族のやつとちょっとしたいざこざはあったけどよ、向こうが悪い……と思うぜ?」


「どっちが悪いかはともかく、なんですぐに報告しない訳?アンタらは報告一つまともにできないの?」


「いや、店番とかあったし……」


「んなもん、どうとでもなるでしょうが」


「悪かったよ……」


マリアベルの鬼のような形相に、ギルバートはすっかり圧されていた。まぁ、誰が相手していてもそうなるだろうが。

そこで、マリアベルと共にやって来た人物が口を挟んだ。


「まぁまぁ、レストン先生。彼等も悪気があった訳ではないでしょう。叱る前に状況確認をしませんか?

……ご挨拶が遅れました、ノトス・ミルトランと申します。学園都市渉外担当の任に就いております。お見知りおきを」


「…………。はぁ、そうね。とりあえず、何がどうなって小競り合いになったのか、きちんと説明しなさい」


ギルバートが助けを求めるようにシルヴィアを見る。苦笑して頷いたシルヴィアは、あらましを説明した。

アイシアに葉巻が当たりそうだったこと、葉巻をシルヴィアが切り捨てたこと、相手が激怒して襲いかかって来たこと、レイラ・ヴァーミリオンと名乗る女性に助けられたこと。


「……って感じだったかな。その後はみんなにお土産買って、店番交代して今に至るね」


「なるほど。では、あくまでも非はあちらにあると主張する訳ですね?」


「んー、一応は。私も売り言葉に買い言葉みたいなところはあったかも知れないけど」


「いえ、シルヴィアさんの話を聞く限りでは相手方の配慮が足りなかったように感じますね。

人混みの中で葉巻を吸う、貴族の権威を声高に叫ぶ、学生相手に武力行使を躊躇わない。

以上のことを踏まえて、シルヴィアさん達の側に非はないと判断できるでしょう。決まりなので、こうして聴取を行いましたが、特にお咎めは無いと思いますよ。

ここだけの話ですが、相手方のダーコス男爵家はあまり政治的に強くないので、強引な方法も取らないでしょうし」


「ふーん、まぁ、ギルバート達に面倒がいかないならなんでもいいや」


「こちらからも、ダーコス男爵家に直接抗議文を送りますし、本人にも学園都市からの退去を宣告するつもりですから」


ノトスがにこやかに言う。担当が言うなら任せるか、というくらいでシルヴィアは頷いておいた。


「ですが、相手は貴族の権威を振りかざすことに躊躇わない貴族です。もしかすると、今後も善からぬ手合いを使って何かしらしてくる可能性もあります。少しでも不審なことがあったら、レストン先生に相談された方が良いでしょう」


そう締めくくって、ノトスは寮を後にした。得られた調書を元に、ダーコス男爵家への抗議文を作成したり、各所への根回しをしたりするそうだ。

ノトスが去ってから一息、シェフィールドが淹れ直したお茶を呷り、お茶菓子をあらかた食べたマリアベルが言った。


「とりあえず、特にお咎めはナシよ。ただし、特別課内はともかく、他所に言いふらすのはやめなさい。それと、もし街中でダーコスの連中に絡まれそうになったら、学園に逃げること。門さえ越えれば部外者は入れないから」


はーい、と三者三様に返事をして話は終わった。さっさと寝るように、と言い付けてマリアベルが帰って行った。

ギルバートが先にお風呂を勧めたので、シルヴィアとアイシアは入浴することになり、2人揃って退室していく。

入れ替わるように入って来たのは、カードを持ったザックスだった。


「一勝負やろうぜ」


「おう」


「なんか賭けるか?」


「ああ?……そうだな、オレの部屋のメリィが作ったぬいぐるみを賭けるか」


「いらねぇ……。オレの部屋にも大量にあるぜ」


「知ってる」


結局、何も賭けずにカードを始めた2人。しばらく無言でゲームを進めた。

ある程度、ゲームを繰り返したあと、ザックスがおもむろに話し始めた。


「なぁ、気になって調べたんだけどよ」


「何を?」


「シルヴィアだよ。魔剣についてって言った方がいいか」


「……そうかよ。で、何か分かったか?」


ザックスが手札を全て捨てた。どうやら負けたらしい。カードを集めて再び切り直す。


「それが全然分からん。学園の開架図書室じゃ、魔剣どころか大陸戦争のことすら詳しく調べられなかったわ」


「魔剣はともかく、大陸戦争もか?」


配り直した手札を見て、ザックスが顔をしかめる。三枚捨てて、新たに三枚を引き直した。

ギルバートは一枚だけ交換。お互いに手札を公開して勝敗を確認する。


「一般的なことがせいぜいだったな。授業範囲と多少突っ込んだ内容がちらほらってところか」


再び手札を配り、ゲームを続ける。話をしながらゲームは淀みなく続いている。


「まぁ、今更大陸戦争のことなんざ知りたがるのはいねぇだろうしな」


「だろ?そう思って閉架図書室にあるんじゃねぇかと思うんだけどよ。どう思うよ」


「閉架図書室って……、あれか?古いとか閲覧頻度が少ないとか、何かしら理由があって非公開になってる本だの資料だのを収めたところか?」


「それそれ、それだよ。多少は当たりもあるだろ」


「そりゃ、あるだろうよ。でもな、閉鎖されてて入れないから閉架図書室って言うんだぞ?」


「……なんとかして忍び込めねぇかな?」


「バカだな」


呆れたように手札を放り出したギルバート。それに続くようにザックスも手札を放り出した。


「やっぱダメだよなぁ」


「あの鬼教師にボコボコにされたきゃ勝手にしろ。オレは知らね」


「そもそも場所すらわかんねぇしなぁ……」


欠伸混じりに体を伸ばすザックス。再びカードを集めて切り直した。


「もう少しやるか?」


「そうだな……」


言いかけたところで、部屋の外から声がする。間もなく、風呂上がりのシルヴィアとアイシアが現れた。


「お風呂空いたよ。入って来れば?」


「おう、そうすっかな」


「ザックス、先に入って来いよ。オレは後でいいから」


「そうか?そんじゃお先に」


ギルバートに促され、ザックスが退室した。残ったカードを集めてテーブルの上に置いておく。

アイシアの髪をタオルで拭くシルヴィアに、ギルバートは問いかけた。


「なぁ、シルヴィア。お前は……」


「なにかな?」


「……、いや、なんでもない。わりぃな」


「そう?気がむいたらまたどうぞ」


喋りかけたギルバートは途中でやめて、そのまま退室して階段を上がって行った。


「いいの?」


「話したいことが形になったらまた聞いてくるよ。それまでは気長に待ってあげようかな」


「そう」


「若いうちは存分に悩んで、どんどん考えるといいのさ」


まるで、故郷の年配のような物言いにアイシアはくすり、と笑った。



***



フリーマーケット2日目。

初日に負けないくらいの賑わいで、中央広場は今日も埋め尽くされた。

そんな中、特別課が出している出店では朝から多くの客が店先に顔を覗かせていた。


「はい、お待ちどおさま。大切にしてね」


「ありがとう、お姉ちゃん!」


シルヴィアがぬいぐるみを小さな女の子に手渡すと、女の子は嬉しそうに笑った。母親と一緒に帰って行く後ろ姿は、あっという間に人波に消えていく。

メリィの作ったぬいぐるみは、小さな子どもにとても人気で競争率が高い。例年のフリーマーケットでは、大抵初日に売り切れるほどだとギルバートが言った。そのため、2日目にもぬいぐるみが出ているのを知って、昨日以上に客が来ているらしい。


「予想以上だな、こりゃ」


「まぁ、誰も買わないよりはいいよね」


「そうだけどよ……」


ちなみに、価格は全てミランダが設定している。他に値段設定ができる者がいなかった、という理由なのだが、これが意外に適切だったりする。

貴族のご令嬢が何故、値段設定などできるのかは置いといて(聞いたがはぐらかされた)、売れ行きは好調だった。


「ギルバート、もうすぐぬいぐるみ終わり」


「了解、全部出しちまおう。アイシア、箱出しといてくれ」


「わかった」


空いたスペースにぬいぐるみを出していく。最後はほとんど、争奪戦のような有り様だった。そして、一つを残してぬいぐるみは売れていった。


「……案の定、こいつが残ったか」


「うーん、普通の家じゃ()()はねぇ……」


売り場に残った最後のぬいぐるみ。それは、シルヴィアとほとんど同じサイズの特大ぬいぐるみだった。シルヴィアもあまり大きい訳ではないが、人間サイズのぬいぐるみは、やはり特大と言って良いだろう。普通の家庭では持て余すサイズだ。


「いい看板代わりだったけどね」


「そりゃ、メリィがテンションブッ壊して作った超大作だからな。人目を引いてくれなきゃ困る」


「他のが売り切れたから、頑張ってくれたこの子もお役御免してもらいたいんだけどなぁ」


「意外に高いんだよな、こいつ」


サイズを考慮してか、ミランダが設定した価格はそれなりに高かった。完成度を見れば、それでも安売りに変わらないが、高いものは高かった。


「持って帰っても邪魔だし、適当に値下げして売るか?」


「メリィに悪い気もするよね。本人は興味ないかも知れないけど」


「作るだけ作って満足してるからな」


「まぁ、夕方まで定価で置いといて、それでも残ってたら値下げしようか」


「だな」


ぬいぐるみが売り切れてしまえば、あとは楽だった。

ハンナの手作り魔道具、シェフィールドの焼いたクッキー、シルヴィアとアイシアで作った小物などだからだ。

たまに、魔道具に釣られて学者肌のおじさんが寄っていく程度でのんびりと時間が流れていった。

そうこうしているうちに、お昼になって交代が来た。ザックス、ガイ、ナーシャの3人だった。


「おう、交代だぞ……って、デカイの以外もう掃けたのかよ」


「ああ、朝から大変だったぞ。今は落ち着いたけどよ」


「暇そうだな」


実際、大きいぬいぐるみ以外が売れてからは暇だった。

ともあれ、ギルバート達は交代のために出店を出た。


「じゃ、3人ともよろしくね。夕方にまた来るよ」


「おう、寮でシェフィが昼飯用意してるとさ」


「わかった、ありがとう」


店番を交代し、ギルバート達は寮へと向かった。



***



「お帰りなさい」


「ただいま」


寮に戻ると朝霞が出迎えてくれた。ずっと課題をやっていたらしく、テーブルに参考書や筆記具が乗っている。


「出店は順調ですか?」


「順調すぎたね。午前中でぬいぐるみがほぼ売り切れたよ。大きいのは残ったけど」


「あれは……まぁ、仕方ないですよね」


苦笑する朝霞も実物は完成の時点で見ている。やりきった顔で自慢気なメリィが思い出された。


「ところでメリィは?」


「まだ寝てます。ザックス達が出る頃に、シェフィが呼びに行ったんですけど、ベッドで寝ていたと」


「じゃあ、朝ごはんも食べずに寝続けているの?」


「一応、声はかけてるんですけどね」


そこで、ギルバートとアイシアがリビングに入ってきた。ついでにギルバートが小脇にメリィを抱えている。


「どうしたのよ、それ」


「あ?さっきシェフィについでに連れてこいって言われてな。アイシアにメリィを頼んだんだけど抵抗したみたいでよ。仕方ねぇからオレが強引に持ってきた」


「すごいよ、まだ寝てる」


若干、呆れ気味のアイシアが抱えられたメリィのほっぺたを突っつく。それでも気持ちよさそうに寝息を立てていた。


「皆様、昼食の用意ができます。席に着いてください」


シェフィールドの声に全員で動き出す。朝霞もゆっくりとだが、自力でテーブルに着いた。


「お嬢様とハンナ様は?」


「一応、声はかけたぞ。ミランダはすぐ来るって言ったけど、ハンナは返事がなかった。そのうち来るだろ」


「私が見て来るよ」


そう言ってシルヴィアが席を立った。シェフィールドが頭を下げたのに、手を振って応える。

静かに階段を上がってすぐ、手前の部屋の扉が開いてミランダが出てきた。


「あら、おかえり」


「ただいま。ハンナ呼んでくるから先に降りてて」


「ついでだから私も行くわ」


「そう?」


何故かやたらと上機嫌なミランダと共にハンナの部屋へ。ノックしても返事はなかった。


「寝てるのかな」


「どうかしら?」


シルヴィアが何とはなしに、ノブを回す。抵抗もなくあっさり回って扉が開いた。2人は顔を見合わせて、シルヴィアが室内に半歩だけ入った。

カーテンが閉じられ、昼間なのに真っ暗な室内に呼びかけた。


「ハンナ?寝てるの?」


返事はなし。部屋の遮光カーテンを開けると、室内にハンナの姿はなかった。


「あーあ、脱走したね」


「あら、逃げたの?やるじゃない」


「先生がまた怒るなぁ、これは」


「教師も大変ね。……まぁ、今回はちゃんと行き先を残してるみたいだけど」


ミランダは散らかりまくった机に乗ったメモを拾いあげた。メモをシルヴィアに渡すと、散らかった室内を楽しそうに見回し始めた。


「危ないから薬品とかは触らないようにね。……えーと、『ちょいと普通科の友人のとこに出かけます。昼過ぎに戻るので適当にごまかしといて! ハンナ』か。どうしよう、私たちも怒られるかな」


「いいんじゃないかしら。そのうち戻るなら放っておきましょう。ずっと眠っていたことにしておけば?」


「一応、ハンナはまだ外出禁止なんだけどなぁ」


「どうやって逃げたのかしら。シェフィが気配を見逃すはずはないのだけど」


「いくつか方法はあるけど、ハンナにできるとは思えないなぁ」


「へぇ、あるの?」


「あるよ。一番簡単なのは音を消す魔法かな。直接姿を見られなければそれで普通はごまかせる」


「その程度でシェフィを欺けるかしら?」


「無理だろうね。まぁ、そのうち本人が帰ってくるんだから直接聞けば?」


「そうね。じゃあ、降りましょうか」


それ以上、特に深掘りせずにミランダはさっさと部屋から出ていく。シルヴィアも後を追った。


「……なるほど。それは絶対に秘密にしなければなりませんね」


一階に降りてシェフィールドに訳を説明したところ、ものすごく面倒そうな顔でそう言った。


「バカか、あいつは?」


「頭はいいはずなのにね……」


「ハンナはやりたいことが優先だから」


ギルバート、朝霞、アイシアがしみじみと言った。メリィとミランダを除く、全員が一気に疲れた心境となっていた。

ちなみに、メリィは未だに熟睡して、ミランダは楽しそうに微笑むだけ。


「……考えても仕方ありません。昼食にしましょう」


「そうだね。そのうちふらっと帰って来るよ」


「もう見なかったことにしようぜ。あいつが関わると面倒くせぇ」


「それが一番楽かも知れないわね……」


「メリィ、起きて。お昼ご飯」


「むにゃむにゃ……」


結局、ハンナが戻って来たのは昼食が終わって一時間ほど後のことだった。

待ち構えていたシェフィールドに、床へ座らされたハンナがひたすら叱られ続け、風呂掃除を厳命されて、トボトボと歩いて行った。

中庭で魔力の訓練をしていたシルヴィアと朝霞は苦笑いで見送るしかなかった。


「反省するかな?」


「どうでしょうね。お説教くらいで大人しくなるなら、この間のようなことはそもそもしないと思いますけど」



***



「フンフンフフ~ン」


夜道を鼻歌混じりに歩く少女がいた。夜だというのに、灯りの一つ持たずに歩く姿は、真っ黒の服装も相まって夜闇に溶け込んでいた。

手にはどこかの店で手に入れたのか、食べ物らしきものが入った袋を大事そうに提げている。

やがて、やたら上機嫌な少女は大きな屋敷に入って行った。門をするりと抜け、程よく手入れされた庭を突っ切り、ノックも無しに扉を開けて入った。

中に入ってすぐ、右側の部屋には屋敷の主とその家族が、身動ぎ一つせず呆けた表情で立っているだけ。

それを無視して、更に進むと食堂のような広い部屋に出た。しかし、そこにはアンシェルと部下の黒服達が同じように立っているだけだった。

それすらも無視して奥に進むと、今度は書斎にたどり着いた。少女はそのまま扉を開けると、中にいた老紳士に嬉しそうに飛びついた。


「パパ、ただいま!」


「おかえり、我が自慢の娘よ。どうだったかな?」


「うん!なんにも気付かれてないみたい」


「そうか、それはなによりだ」


少女の頭を撫でる老紳士。少女は幸せそうに、頬を緩めた。


「ねぇ、パパ。お菓子買って来たよ。一緒にたべよ?」


「嬉しいが、吾が輩はその気持ちだけで十分だとも。1人でお食べ」


「そっか、残念。また今度ね!」


少女が袋を漁る音が室内に響く。出てきたお菓子を頬張る姿は無邪気だった。


「さぁ、吾が輩の愛する娘、ミュリエラよ。もうお休み。明日も頑張ってもらうからな」


「わかった、お休みパパ。明日も頑張ってパパの役に立つよ!」


少女……、ミュリエラが部屋を出て階段を上がって行く。その音を聞きながら、老紳士はソファに深く腰掛けた。


「やれやれ、少し甘やかし過ぎたかも知れんな……」


手慣れた動きでパイプを取り出し、火を点ける。深く吸って煙を吐き出すと、不思議な匂いの紫煙が書斎を満たした。


「報告を」


老紳士が短く言うと、いつの間にか傍らに跪く痩躯の男がいた。音もなく立ち上がった男は、ひょろりとした体格に2メートルは超えようかというほどの長身だった。

更に目を引くのは、顔を覆う仮面だった。何故か、白塗りの仮面を着けた男は抑揚のほとんど無い、記憶に残りにくい声で話し始めた。


「監視対象に動き無し。こちらに気付いた様子もなく、深部も同様。外部からの手出しも、今のところ特に無し」


「結構、引き続き見張りをしなさい。今回、深部は片手間で良いだろうが、()()の魔導元帥と銀にだけ注意せよ。気取られればお前ではちと、荷が重いのでな」


「心得た」


男は軽く頭を下げると、少しずつ薄れていき、やがて完全に消えた。漂う紫煙は全く揺れなかった。


「さて、順調だがどうするかね」


パイプを片手に一人呟く。


「調整試験にちょうどいいかと思って誂えたが、気になる不確定要素があるな。些か、趣味に没頭しすぎたようだ。まさか銀がいるとはな」


廊下から微かに、水音が聞こえる。ミュリエラが風呂でも入ろうとしているのだろう。


「まぁ、銀に直接手を出す訳でもなし。奴の方から首を突っ込まんでもしない限りは邪魔されまい。仮に出会したとしても、性能確認にしてしまえばいい」


パイプの火種がジジッ、と燃える。再び紫煙が部屋に広がる中で、老紳士は薄く嗤う。


「吾が輩の自慢の娘よ。どうか……」


声もなく嗤う老紳士の影が月明かりに浮かぶ。その場に人がいれば、まるで悪魔のような影に怯えたかも知れない。

火種の灯りが消えた時、部屋には誰もいなかった。



***



「アンシェル・ダーコスが行方不明?」


山のように積まれた書類と格闘していた学長、ガルバー・ラインスロートは報告に来たフィニアスに思わず聞き返していた。


「そうだ、部下もろともな。従業員によると、昨日から宿泊先に戻っていないらしい。最後に見たのは、早朝に部下を連れて出て行った時のようだ」


「手がかりは?」


「まだ何も。発覚したのが先ほどだからな、これから調査を始める。だが、学園都市からは出ていないようだ。街のどこかに潜伏していると思われるが、目的がわからん」


「とりあえず、目的は後でいい。確保を最優先にしてくれ」


「了解した」


短く返事したフィニアスはそのまま退室していった。それを見送って、学長は深く、長いため息を吐いた。

天井を見上げて疲れた顔でボーっとする学長にメルアがお茶を出す。


「どうぞ。……また厄介事ですか」


「ありがとう。まったく、参るね」


「しかし、どういうことでしょうか?学園からの警告が嫌で逃亡を?」


「それは分からないな。ともかく、本人に聞けば分かることさ」


「また妙な騒ぎにならなければ良いのですが……」


「メルア君、そういうのは言っちゃいけない」


「?」


不思議そうなメルアは置いといて、学長はフィニアスの話を聞いた時に脳裏に浮かんだ顔を思い出す。

レイラ、シルヴィア、他数人。

誰にしても録な人物じゃない。キリキリと痛みだした胃をそっと押さえて思った。


(どうか、平穏に済みますように……)


何故か、胃痛が増した気がした。



***



暗く、そして長い殺風景な階段をどこまでも降りていく。手には頼りない魔石灯が一つきり。足元など大して照らせていなかった。

ほとんど暗闇の中を、一見普通に見える少女は臆せず進んで行く。もっと言えば、鼻歌すら歌う余裕があった。


「フンフン……っと、こっちだ」


余りにも上機嫌だったために、目的の扉を通り過ぎようとしたらしい。慌てて扉を開ける。その先も同じく暗闇なのだが、やはり気にせず歩いて行く。

どれだけ歩いたか。変わらぬ風景と暗闇のおかげで、ともすれば、同じところをグルグルと歩き回っているかのような錯覚に陥りかねない道に、ようやくゴールらしき扉が現れた。

扉を丁寧に、数回ノックする。少し遅れて、中から男の声で「入れ」と言われた。


「お疲れ様です。ただいま帰りました」


扉の先は今までと打って変わって、とても豪奢な内装だった。まるで、貴族の館の玄関のような豪華さだが、臆せず進む。


「早かったな」


呼び掛けられたが、声の主の姿がどこにも見えない。辺りを見回し、調度品の影に向かって答えた。


「ちょうどよかったので穴を通って来たんです。前に、ムドーさんが教えてくれたので」


「そうか、良く憶えていた……と誉めてやりたいが、最後に失敗であるな。某はこちらである」


少女とは真逆の、人など隠れられないような柱の影から黒衣に覆面の人物が現れる。少女はガッカリしたようにため息を吐いた。


「そんな……。やっと居場所の特定が成功したと思ったのに」


「まだまだ、某も追いつかれる訳にはいかないからな。当分は見習いであるな」


「クッソ……、いつかそのムカつく覆面剥ぎ取ってやるかんな……!」


「言葉遣いが戻っているぞ。それでは姫様に会わせられん」


「はっ!?……ンンッ。失礼しました。報告はどちらに?」


「某はこれから調査に出るのでな、報告は筆頭が受けるとのことだ。くれぐれも、言動には気を付けるように」


「承知しました」


少女が返事をすると共に、ムドーの気配が消えた。少女は、先ほどよりも幾分、気落ちした様子で歩き出した。


「筆頭かぁ……。怖いんだよなぁ……」


所々、燭台の灯りがあるだけの廊下を進むと、突き当たりに扉が現れた。その扉に手を当て、小さく何事かを呟く。すると、扉が勝手に開いた。

少女が素早く中に入ると、扉はまたしても勝手に閉まっていく。完全に閉まったのを見届けてから、少女は早足で奥へと進んだ。

奥はホールとなっていた。ホールには1人のメイドが待っていた。


「お帰りなさい、紙調(しつき)


「ただいま戻りました。ユーフェミア様」


「二階で筆頭執事がお待ちです。報告を」


「了解しました。……あの、姫様は?」


「今はお休みになられてます。紙調のことも気にかけておりました」


「ありがとうございます。今度、お見舞いに失礼しても?」


「ええ。お加減のよろしい時に声をかけましょう。さぁ、二階へ」


「失礼します」


ユーフェミアに促され、紙調は階段を上がった。二階の筆頭執事の部屋は、扉の前の時点で途轍もない緊張を強いられたが。

居ずまいを正し、服装の乱れや汚れを最終確認してからノックをした。


「紙調です。報告に上がりました」


「入りなさい」


「失礼します」


緊張と共に扉を開けると、執務机で書類仕事をしている筆頭執事がいた。紙調が扉を閉めたのと同時に、作業を中断し向き合った。

しかし、紙調を上から下まで見ると顔をしかめた。


「紙調、服装が乱れているな。遠出から戻ったばかりとは言え、自分が誰に仕えているのかを自覚するように」


「申し訳ありません。以後、気をつけます」


「うむ。では報告をしなさい」


「お預かりした『瓦礫の魔王』様宛ての親書は無事、届けることに成功しました。お返事もその場で頂きました」


紙調が懐から封書を取り出し、筆頭執事に差し出した。上質な封筒に、複雑な紋章が封蝋として捺されている。


「『瓦礫の魔王』様の支配地である、旧アルチェリーダ親神国跡地でありますが、強力な魔獣が大量に生息しているため、人が安全に活動できるのは難しいと思われます。

また、魔力濃度が極端に濃い場所も各地にあるということでした」


「なるほど。それらの対応と返答もこの封書に?」


「そのように仰せつかっております」


「よろしい。では、紙調には一日の休暇を与える。休暇後は待機とし、姫様への目通りは都合がつき次第とする。質問は?」


「ありません」


「ならば、下がってよし」


紙調は丁寧に頭を下げ、静かに退室した。きびきびと歩き、自室まで戻ると、そこでやっと一息吐いた。


「あー、緊張した。筆頭恐すぎ……」


上着を脱ぎ、ベッドに放り出すと、次々と脱いでいき、あっという間に下着姿になってしまった。

半裸のまま隣室に入ると、そこは浴室になっており、紙調は勢い良く蛇口を回した。


紙片結界(しへんけっかい)、猛火改め」


下着の胸元から、何かが書き込まれた紙片を数枚取り出すと、言葉と共に放り出す。

紙片は四枚に別れ、バスタブの四方に浮かぶと、中心に小さな火の玉が現れた。火の玉はバスタブに溜まった水に沈むと、水が徐々に沸騰していった。


「こんなもんかな」


ものの数分でバスタブ一杯のお湯を作った紙調は、その場で下着も脱ぎ捨てた。

掛け湯を適当に済ませた紙調はバスタブに入るなり、その年に似つかわしくない声を上げた。


「あーーー……、気持ちいいわぁ……」


紙調が肩どころか、鼻の辺りまで浸かっても湯は溢れなかった。ちょうど湯船の縁、ギリギリで止まっていたからだ。


「髪洗うのダルい……。寝ちゃいそう」


とは言え、防護していても完全に埃を防ぐことは敵わず、洗わなければ筆頭どころか、ユーフェミアからも怒られるだろう。紙調は重たい瞼をこじ開けて、心地よいお湯から立ち上がった。

何度も欠伸をしながら入浴を終え、寝間着に着替えた紙調は髪に紙片を何枚か挟んでいく。


「紙片結界、暴風改めの改め」


言葉の後に髪が風で巻き上がると共に、髪は完全に乾いていた。ボサボサになった髪を手櫛で雑に整えると、部屋の棚から保存食をいくつか取り出して口に放り込んでいく。美味しくはないが、今からきちんとした食事をするほどの気力が無かったのだ。


「洗濯物……明日で……、いや、遅れると怒られるかな……」


脱ぎ散らかした服を籠に突っ込んで、紙片を取り出す。


「紙片結界、人形(ひとがた)……、ふわーあ」


大きな欠伸と共に現れた紙の人形に籠を持たせて、魔力を送る。人形が不恰好な動きで部屋を出ていくと、限界と言わんばかりにベッドに倒れ込んだ。


「もう、ムリ……」


もぞもぞと布団に潜り込んですぐに、小さな寝息が聞こえてきた。しばらくして、人形が戻って来て開けっ放しのドアを閉めたとたんに、人形は紙片に戻った。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。

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