第2話 殺意と紅茶とサイン地獄
アストライア魔法教導学園の中心、教員棟の1番頂上に学長室はあった。
普段は一般生徒の立ち入りはほとんど無く、教員であってもなかなか立ち入ることができないその場所に2人の人影があった。
片方はシルヴィア。荷物を傍らに置きソファーに座ってもう1人の人物と向かい合う。
そして残る片方がこの部屋の主にしてアストライア魔法教導学園の学長を務める男だった。
男は50歳ほどの年齢だろうか。白髪混じりの上品に撫で付けた髪に洒落た服装、胸にはたくさんの勲章が着いていた。
傍には一見普通の杖だがよく見ると複雑な魔法刻印がされている強力な魔法具がいつでも手に取れるように立て掛けてあった。
2人は少しの間、互いを見極めるかのように無言で相手を見たあと同時に目線を外し苦笑する。
「いきなり失礼だったかな。これからお世話になるから警戒も兼ねて少し観察させてもらったんだけど」
シルヴィアは当然のように警戒していたことをバラす。
だが相手の学長は気にした素振りを一切見せず平然と返す。
「…まあ、当然と言えば当然だね。
初対面の魔法使いを相手に警戒しないなどあり得ない。それは我が校でも1番最初に教えていることでもあるしね」
学長もまた平然と返す。
と、そこに新たな人物が隣の部屋からやってきた。
まだ若いが仕草に妙な鋭さを見せながら手にティーカップを乗せた盆を持っている女性だった。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「ありがとう、メルア君。ついでにとっておきのお菓子も出してくれないかな?」
「とっておきと言いますと学長が戸棚の奥の二重壁の中に隠している高級クッキーのことですか?」
メルアが何気なく発した一言学長は顔を引きつらせる。
「…メルア君。何故そのことを知っているんだい?君には教えていない筈なんだけど」
「学長、私は自らの警戒能力についてそれなりの自負を持っています。故に周囲の探索能力も同じく高い水準にあると思っています。
学長の部屋に危険物が仕掛けられていないかを定期的に探っているので戸棚の二重壁などを見つけるのは造作もありません」
メルアはそこまで説明すると黙って成り行きを見ていたシルヴィアに向き直り、素人にも分かるほどの強烈な殺気を出した。
「学長、“この”危険物は一体なんですか?
学長が自分から招き入れたのでお客様だとは思いましたがこうして対峙して確信を持ちました。
ーーー“これ”は人ではない。
魔法兵器の類かとも思いましたがまるで人のように振る舞っている。こんなもの私は知りません」
「メルア君、僕のお客だよ。そんな言い方は君の雇い主としても1人の大人としても許されない。今すぐ謝罪をするんだ」
「拒否します。確かに私は学長に雇われた身ですがその業務内容は学長の秘書兼ボディーガードです。この正体不明のモノに対して警戒を解く訳にはいきません。
…情けない話ですが自分が1秒後に生きていられる保証も出来ないのです。
“これ”の正体と害意が無いことが判明しない限り私は警戒を解きません」
「メルア君…!いい加減に…!」
学長がメルアの態度に怒り、ソファーを立とうとする。
が、その動きを制してシルヴィアが立ち上がる。
メルアはシルヴィアの動きに更に警戒を強めた。いつでも動き出せるように腰を落とし素早く周囲を確認する。
シルヴィアはメルアのその動きも全て無視して彼女の前に立った。
「無理な話だろうけどそんなに警戒しないで欲しいんだけどな。私は誰かに危害を加えるつもりは無いし騒動を起こす気も無いよ」
「そんなことを信じろと?根拠も無しに適当なことを言うのはやめろ」
「さすがにここまで嫌われるとは思ってなかったなぁ…。
それじゃあ、一体どうしたら信じてくれるのかな?」
「今すぐ拘束魔法を3重…、いえ5重でかけた上で全ての感覚を遮断。それから封印処理を施した箱に詰め、外部との接触を完全に断ったあとで海底に沈める。
これくらいをしないと安心できないな」
メルアが提示した内容はめちゃくちゃだった。当然シルヴィアも受け入れる訳にはいかず苦笑しながら返す。
「それは困るな…。まぁ、確かにそこまでされれば私もどうしようもないね」
「それができないならば今すぐ学園都市から出て行け。ここは子供達が学ぶ為の場所だ。
ーーー得体の知れない化け物が来るような場所ではない」
メルアが強い口調で言い切った途端、今まで成り行きを見ていた学長が向かい合う2人の間に立った。……シルヴィアをかばう形で。
それからとてつもない怒気を漲らせながらメルアに向かって言い放つ。
「メルア君、今すぐ彼女に謝罪しなさい。これは君の雇い主として、この学園都市の学長としての命令だ。
異論も反論も許さない。君の意見などは全く考慮しない。
さあ、謝るんだ」
「…失礼ですが学長。その危険物を放置しておく訳には……」
メルアが学長の怒気にたじろぐがそれでも自分の意見は曲げず、再度学長にシルヴィアの危険性を説明しようとした瞬間だった。
「“黙りなさい”」
たった一言。
それだけでメルアは喋ることができなくなった。
とてつもないプレッシャーに一言さえも言えないほどに圧倒されてしまったのだ。
脂汗をにじませ小さく震えるメルアを怒りの籠もった瞳で睨むと学長は再び命令を下す。
「もう一度しか言わない。
ーーーシルヴィア君に謝罪をしろ、メルア・ドーリッシュ。君にはそれ以外の選択肢は無い」
学長の冷たい声音にメルアは逆らうことなどできずシルヴィアに向かって頭を下げる。
「……先ほどまでの数多くの無礼と失言を心よりお詫び申し上げます。
……本当に申し訳ありませんでした」
「うん、許すよ。だから頭を上げてくれないかな?」
シルヴィアはメルアの謝罪をあっさり受け入れ手を差し出す。
「仲直りとこれからの友好を込めて握手をしようよ。これで全部丸く収めようか」
「…ありがとうございます」
メルアは恐る恐る手を差し出しシルヴィアと握手を交わす。
学長はその光景を見ると激しく漲らせていた怒気を消し去り一息つく。
「…メルア君。君は非常に優秀だけど同時に融通が全く利かないところは少しずつ直して行こうか。
まぁ、前職を思えばそれも仕方ないのかも知れないけど学園都市では困るなぁ」
学長は先程までとは別人のように柔らかな笑みを浮かべメルアの頭を軽く撫でる。
メルアは不承不承という感じだったがされるがままになっていた。
シルヴィアはそんな2人を面白そうに眺めていたが学長室に来た目的を思い出した。
「さて、と。学長先生、私のこれからについてそろそろ相談したいんだけどどうかな?」
「おっと、これは失礼したね。
メルア君、悪いんだけどお茶を淹れ直して来てくれるかい?お茶菓子はなんでもいいからね?」
「…分かりました、すぐにお持ちします」
メルアは冷めてしまったお茶を持って奥の簡易キッチンへと下がった。
学長はそれを見送ってからシルヴィアに頭を下げる。
「…僕からも改めて謝罪を。
本当に申し訳ない。部下の教育不足をこんな形で晒すとは情けないにも程がある。
お詫びに学園都市での今後の便宜はなんでも図ろう」
「学長先生がそんな簡単に頭を下げるのは良くないんじゃないかな。
私は全然怒ってないし、気にしていないよ?そんなことをされても私は困るだけだよ。さっきの握手で全部丸く収まったんだからもう終わりにしようよ。
それよりももっと有意義な話をしようか」
シルヴィアはようやっとという感じで話を切り出す。そもそもシルヴィアが学園都市に来たのはそのためだったからだ。
「オルロックの紹介でここまで来たのはいいんだけどその先はまだ未定でね。どこかで働き口を見つけて静かに暮らせれば、とは思っているんだけど…」
「この学園都市でどこかに住む場所と働き口を用意しようか?」
「それが1番理想的なんだけどね。ただ、そこまで世話になるのもどうなのかなって」
「僕としては父さんからの頼みだし、オルロックさんとも知り合いだから出来ることならなんでもしてあげたいんだけどなぁ」
学長はそこでふと、何やら考え始めた。シルヴィアは疑問に感じたがとりあえず待つ。
そこに先程お茶を淹れ直しに退出したメルアが新しいお茶とお茶菓子を持って現れた。
「……どうぞ、お口に合うかは分かりませんが紅茶です。砂糖とミルクはこちらに置いておきますので。
では、失礼します」
お茶を置いてさっさと出て行こうとするメルアをシルヴィアは一緒にどうかと誘うがメルアは無言で首を横に振りそのまま出て行ってしまった。
少し残念に思うがしょうがないと諦めてお茶を取る。紅茶など久しぶりに飲むのでとりあえずストレートで飲んでみる。
「美味しい…。優しい味だね」
ポツリと感想を零すといつの間にか学長も紅茶を手に取って飲んでいた。
「だろう?メルア君の淹れる紅茶はそこら辺の喫茶店で飲むよりも格段に美味しい。
どうやらお母様に淹れ方を教わったようなんだけど滅多に淹れてくれないんだ。
…もしかしたらメルア君なりの謝罪なのかも知れないな」
学長の言葉にシルヴィアはふぅむと唸った。
「あの娘はとっても優しいんだろうね。強いけど優しさも同時に持ち合わせるから誰を前にしても守ろうとできるし、自分の信念を曲げないんだ。
そして、いけないことだと分かったらちゃんと謝るしこうして紅茶を淹れてくれる。
うん。私はメルアが好きになったな」
「そう言ってくれると僕も嬉しいよ。メルア君はとても不器用だからよく誤解されてしまうから」
そう言う学長はとても優しい目をしていた。
***
「それじゃあ改めて。
私の今後について少し掘り下げてみたいんだけどどうかな?」
シルヴィアはやっと本題に入れると内心ホッとしていた。メルアとの諍いでそれどころではなくなったのでどうしようかと少し困っていたからだ。
学長は1度頷くと立ち上がり、机の引き出しから書類を数枚出すとそれを手に戻った。
「僕も何かできないか考えていたんだけどね、どうせだったらやったことのないことを始めてみるのはどうだろうか?」
「……?
やったことがないことって商売とか?さすがに私も商売の経験はないけどいきなりは無理だと思うけど」
「悪いんだけど商売じゃあなくてね。
せっかく学園都市に来たんだからってことでこういう経験も悪くないと思うんだけど」
「私に教師をやれ、と?それこそ無理な話だし大体免許?とかそういうのが必要なんだろう?」
「惜しいけど違うよ。教師じゃあなくて生徒として学園に通ってみないかい?
君には勉強する意味なんて大して無さそうだけど学生気分を味わうのもいいんじゃないかな」
シルヴィアは学長が何を言っているのか最初は分からずポカンとしていたが徐々に理解し始めると苦笑する。
「君は面白いことを考えるなぁ。確かに学生には興味があるけど私のような普通じゃないヤツが学園で生徒なんてできないよ」
シルヴィアは肩を竦めるが学長は思いの外、真剣に説明しだした。
「いやいや、これは冗談でもなくてね?理由はいくつかあるんだよ」
学長は右手を挙げて指を3本立てる。それから立てた指を1本倒すと、
「1つ、単純に僕が君のことを見るのが楽だからだね。どこか遠くに行かれるよりも学園内にいてくれた方が余計な手間はかからないし何かあった時もすぐに対応できる。
何より僕も忙しい身だからね、これでも」
学長は更に1本を倒す。
「2つ、実はオルロックさんから君がやったことのないようなことを経験させて欲しいと頼まれていたから」
「オルロックが…?全く、どこまでも心配性だなぁ。私は子供じゃないんだよ?」
シルヴィアは苦笑しつつどこか嬉しそうにしていた。
学長はそんなシルヴィアを楽しそうに見ていたが「さて」と仕切り直す。
「そして3つ目が、君のようにワケありの生徒のための教室があるからさ。
小等部と中等部と高等部から合わせて全員で10人。年齢も学年もバラバラなのがワケありで集まってるクラスがあるんだよ」
「確かにワケありって分類なら私ほど適任はいないだろうけどそれでもどうかと思うんだけど?」
シルヴィアは学長にジト目を向けるが学長は気にせず続ける。
「勝手にワケあり枠に入れたのは悪かったよ。だからそんな目で見ないでくれないか?
…君の懸念は僕も分かってるつもりだよ。だけど君に負けず劣らずの生徒達なんだな、これが」
「面白そうなのが少しイラッとするけどそれはさておいて、だ。
どんなにワケありだろうと私と普通の生徒達を一緒にするのは危険だと思う。私のことは私が1番理解しているつもりだからね。
もちろん、生徒達に危害を加えるつもりは無いし正体を明かす気もないから私にまつわるトラブルは無いと思うけど…、それでもね?」
「君が決して生徒達に危害を加えよう等と思っていないのは分かってるさ。
だけどそこをなんとか考え直してくれないかな?君にはこの学園都市の中にいて欲しいし、目の届く範囲に置いておきたいのが偽らざる本心だ。
これは君の言う危険性の面やオルロックさんの頼みという面からしても言えるんだ。
……それと本当は本人と引き合わせた上で伝えたかった情報だけどその教室にいる生徒の中に“魔剣”と見られる剣を所持している生徒がいる。この生徒の指導にも力を貸してほしいんだよ」
学長はそこまで言うとシルヴィアに頭を下げる。
「頼む。この学園都市で生徒として生活していかないか?それほど不自由はさせないし衣食住の保障も約束しよう。先程のようなトラブルも今後は無いように徹底する。
……よく考えてもらえないかな?僕も頼まれた身としては知らん顔できないんだよ」
シルヴィアは学長の言葉を聞き、時間をかけ考えた上で話出す。
「……そこまで言われたら無碍にもできないよ。私も他に行くアテは無いし衣食住を保障してくれるって言うなら無理に断ることもないかな。
その魔剣とやらにも興味がない訳でもないからね」
学長は思わず、という風にソファから立ち上がりかけた。
が、膝をテーブルに強打し涙目で座り直す。
「あ痛たた…。それじゃあ学園都市に住むってことでいいんだね?」
「ああ、そうするよ。
身分は……、この際だから学生をやってみるのも悪くないかな。さっきのワケありクラスの話も面白そうではあるしね」
「ありがとう、助かるよ。オルロックさんに頼まれた手前、自由意志に任せて放り出す訳にもいかないから内心焦ってたんだよ。
よし、そうと決まれば色々と必要な書類があるんだが……。そこは僕の権限で後で用意することにしよう」
「いいのかな?そんなことしても。私は急いでる訳じゃないから何枚でも書くけど?」
シルヴィアは苦笑しつつ嬉しそうに机の引き出しやら壁の戸棚をひっくり返す学長を見る。散らかした場所はメルアが片付けるんだろうなと思いながらふと、思いついたので聞いてみる。
「そういえば、さっき話に出た魔剣って朝霞の持ってたヤツのことかい?」
学長は驚いた顔で振り返るとその拍子に机の角に足をぶつけた。
「痛たた…、さっきからぶつけてばかりだなぁ。
そうなんだけど…、なんで知ってるんだい?もしかしてもう会ったのかな」
「ここに来るまでを道案内してもらったんだよ。ギルバートとアイシアも一緒にね」
「ああ、その2人とは仲が良かったからね。
彼女が例のクラスに所属している理由の1つがあの長刀だからね。もし、君が良ければ朝霞君にコーチしてあげて欲しいなぁ」
学長はその手に大量の書類を抱えながら部屋の中を行ったり来たりしている。部屋の中は泥棒にでも入られたかのような有様だった。
「私はアレがどんな魔剣か、というのくらいしか知らないんだけど。まぁ、鍛錬に付き合いながら使い方を見るくらいしかできないけどそれでも良ければ」
「もちろん、それで構わない。彼女が君のコーチを受け入れるかは分からないが君の本物の技を見れば分かるはずさ」
「私には技と言えるほどのものは無いけどね。アレはその性質上速さが必要だからその辺から当たってみるかな」
「助かるよ。
ところで朝霞君の魔剣はどんな魔剣なんだい?本人に聞いても教えてくれないんだよ」
更に大量の書類を抱えてやって来た学長がシルヴィアの目の前へと置く。そして1度自分の机に戻ると筆記用具とハンコをいくつか持って戻って来た。
目の前に置かれた大量の書類にドン引きしながらシルヴィアは苦笑する。
「やけに大量にあるね……。ちょっと後悔してきたんだけど」
「これでも減らしたんだよ?大半は名前を書くだけだから多少はガマンしてくれよ」
「うーん、これは大変だなぁ。まぁ、しょうがない。頑張るとするかな。
それはそうと、朝霞の魔剣は“連斬”の魔剣だよ。17本ある魔剣の確か、9本目の魔剣だったと思う。久しぶりに魔剣なんて見たから忘れてたよ」
大量の書類に名前を書き、終わった書類を学長に渡す。
その合間にシルヴィアは指折り数えながら連斬の魔剣について思い出す。
「連斬の魔剣は鞘から抜いて連続で斬れば斬るほど斬れ味が上がっていく能力を持っていて使いこなすのは余程の腕がないと難しいらしいね。
まぁ、元々の斬れ味からして数ある魔剣の中でも上位に位置するからそこら辺の素人でも鞘から抜ければ戦えるよ」
「なるほど。確かにその能力は強力だがあの形状を見るに相当難しそうだ。
……ここにも名前を書いてね」
書類のチェックをしながら相槌を打つ。未記入の書類を渡しながら朝霞の持つ魔剣を思い出す。
朝霞の持つ魔剣は彼女の故郷の刀剣と似た形状だった。刀身は長く、反りの浅い片刃でアレを振り回すのは大の男でも難しいだろう。
「おっと、見落としていたみたいだね。
…そう。作り手の故郷の剣を魔剣にしたらしくてね。だからあんな形の剣…いや、刀だったかな?そうなったらしいよ」
「作り手?今まで作り手の情報は全く無いから何処の誰が魔剣を作ったのか色んな人が調べているほどの情報なんだけど」
学長は思いがけずシルヴィアの口から出た情報に驚く。
「そうなのかい?彼の名前くらいはどっかにあるだろう?」
学長の大げさな反応に首をかしげつつ過去を振り返り思い出す。
「彼の名前は刀冶。姓は無かったのかな、分からないや。出身は恐らく朝霞と同じ国だろうね。詳しい経歴は知らないけどこっちで師匠を見つけて鍛冶を学んだらしいよ?
えーと、あとはなんだっけな……」
「ちょっとストップ!待ってくれないか?
あまりにも新しい情報がほいほい出てきて頭の整理が追い着かないんだけど」
「メモでもとって後で整理しなよ、知ってることならいつでも教えるからさ、っと。こんなものかな」
名前を書いた大量の書類をまとめて学長に渡す。ずっとペンを持っていた右手をブラブラさせて冷めてしまった紅茶を飲んで一息つく。
「お疲れ様。今日のところはこのくらいにして残りの諸々は明日にしようか。
今日はこの後予定はあったりするのかな?」
「特に無いよ。まだ今夜泊まるところも決めてないからそこからだけど。
どこかいい宿屋があれば教えてほしいんだけど、知ってる?」
「泊まるところなら僕の方で手配しよう。近くてご飯の美味しいところを探しておくよ」
「やってくれるならお願いするよ。いつぐらいから学園に通うことになるの?」
学長は受け取った書類を確認しながら自分の机に戻ると手帳を引っ張り出す。
ペラペラと捲りながら日程を確認する。
「えーと、ねぇ…。特別課はなかなか全員が集まらないんだけどどうせなら全員集合してる日がいいよねぇ…」
「ん?学生って毎日通うものじゃないの?」
学長は遠い目をしながら乾いた笑いを漏らす。
「本来はそうなんだけど、良くも悪くも自由な生徒達でね。担任も生徒達の自主性を優先するから毎日誰かしらがいないんだよ。
それでも呼びかければ一応は集まるから悪い子達って訳じゃないのが救いだね」
「それはまた……。なかなか個性的なんだねぇ。
まぁいいや、日程はそっちに任せるよ。決まったら教えてくれるかい?」
「もちろん、なるべく早く予定を決めるよ。
それで、当面の宿だけどここに行ってくれるかな。知り合いがやってるところで昔から何かと融通が利くから僕もよく使うんだよ」
学長は紙に地図を書きながら言う。何度か書き直してからシルヴィアに渡す。
「宿代は全部こっち持ちだからその辺は気にしなくていいからね。好きなだけルームサービスも使っていいからしばらくはそこで待っててね」
学長の気前の良さに苦笑しつつシルヴィアは手書きの地図を受け取る。地図を一瞥してから丁寧に折り畳んで懐にしまう。
「気持ちは有難いけど宿代だけで大丈夫だよ。そんなに贅沢はしないし、そのうちどうせ学生寮に移るんだからさ」
「そうか…、寮の部屋の準備も必要だった。ごめん、書類をもう2枚ほど書いてもらわないとダメだ」
「今更2枚増えたくらいどうってことないから大丈夫だよ。
ところで急に寮に入るのは大丈夫なの?」
慣れた手つきで追加の書類にサインをするシルヴィアがふと思った質問を口にする。
学長は苦笑いをしてため息を一つ吐くと妙に疲れた顔で寮の説明をする。
「その辺は心配ないよ。今は使われていない古い教員寮を寮として使っているからね。空いてる部屋はまだ残ってるし大人用だから多少は広い。古臭いのさえ見逃してもらえれば入れるよ」
「部屋が空いてるならすぐには入れないのかい?掃除とかなら私が自分でやるんだけど」
「使える状態ならそれでもいいんだけど大抵の部屋は床が腐ってたり天井が落ちてたりするから好きな部屋を選んでくれれば全面改装するよ。
何しろ使わなくなってから15年ほど経っていてね、再び使い始めたのも今年からなんだ」
説明を聞いてさすがにシルヴィアは呆れた。手に持ったペンをクルクルと回しながら苦笑する。
「随分と年季が入ってるね。もしかして学園都市が出来た当時の建物なんじゃないの?」
「ご名答、その通りさ。
そういう訳でそれなりの古さになってしまってね。15年前に教員寮を建て替えたときに古い教員寮は使わなくなったんだよ。
そして今では特別課の寮として再利用しているという訳だよ」
「ふうん、まあ部屋を用意してくれるなら古い教員寮でもなんでもいいや。
書類はこれで全部かな?」
ペンを机に置いて固まった身体を思い切り伸ばす。肩を回してこちらもほぐすと学長が興味深そうに見ているのに気が付いた。
「どうかした?」
学長はシルヴィアが気付いて声をかけたのに少し決まりが悪そうに目を逸らす。
「いや、女性を許可も得ずまじまじと見るなんて失礼だった。申し訳ない。
ところで失礼ついでに質問してもいいかな」
「構わないよ、私に答えられることなら」
シルヴィアは気にした様子も無く質問を促す。
「こうして見ると君は普通の年相応の少女にしか見えないけど、本当に“そう”なのかい?父やオルロックさんから聞いていたけど実際に目の前にしても信じられないよ……」
「オルロックからどう聞いていたのか少し気になるけど……、本当だよ?なんなら証拠でも見せようか?」
「いや、大丈夫。信じがたい話だけど色々聞いていたし、僕もこう見えて嘘みたいな経験も話も知ってるから。
それで、一つ気になるのがその身体は一体どうやって維持しているのかってところなんだけど」
シルヴィアは質問を頭の中で転がして少し考える。ある程度まとまったところで学長に答える。
「維持…って言ってもなぁ。
基本的には魔法でどうにかやってるんだろうけど詳しくは分からないや。
私も私自身がどんなものであるのかは刀冶から聞いただけだから厳密にどうなってるかは刀冶本人に聞かないとダメだね。
まぁ、その刀冶もとっくの昔に死んでるだろうから真相は闇の中だね。過去に行って話を聞けるなら別だけど」
「なるほど、詳しくは分からないか…。
飲食したものは体内で魔力変換していると考えていいのかな?」
「うん、恐らくそうだと思う。出自や能力が特殊過ぎてアレだけど基本的には普通の人と変わらないと思うんだよね」
シルヴィアはそこで締めくくると一息ついてすっかり冷めた紅茶で喉を潤す。
学長は話を聞きながらメモを取っていたようで何やら書きながら時折頷いていた。
そんな様子を眺めているとメルアが隣の部屋からやって来た。
「失礼します、紅茶のお代わりをお持ちしました」
だが学長はよほど集中しているのか聞こえていないようだったのでシルヴィアが応答する。
「ありがとう、ちょうどお代わりが欲しかったところなんだ」
シルヴィアがメルアにそう言うがメルアは一瞥しただけで返事はせず一言も喋らないまま隣室に戻ってしまった。
「……嫌われているのは分かってるけどさすがに寂しいね。まぁ、しょうがないか……」
温かい紅茶を飲みながらちょっぴり落ち込む。村では村人全員から家族のように受け入れてもらっていたので久しぶりの感覚に苦笑いがこぼれる。
と、シルヴィアが遠い目をして苦笑いしていると学長がやっと我に帰ったようでいつの間にか置かれている温かい紅茶に驚く。
「あれ!?いつの間に?……メルア君が持って来たのか、ビックリした…。
ん?どうしたんだい、なんか遠い目をしているけど」
「ああ、なんでもないよ。
さて、質問はもういいかな?もう夕方だし今日は終わりにしないかい?」
学長は窓の外が暗くなり始めているのを見ると終わりにすることに同意した。
***
「それじゃ私は紹介してくれた宿屋に行ってみるよ。まだ夕ご飯に間に合うかな」
「大丈夫だよ、僕からも一言伝えておくから学長の紹介だと言えば通るよ。
強面のデカい男が店主だからソイツに言えば分かるはずだから」
シルヴィア達は荷物をまとめてソファーから立ち上がる。
学長は書類を処理待ちの箱に入れると机の上の小鳥の形をした文鎮を手に取る。
そして何か小声で囁いたあと、文鎮がまるで生きているかのように動き出した。それから文鎮の小鳥に殴り書きのメモを持たせ窓から放す。
「これで良し、と。
本当は送って行きたいんだけど今日中に書類を仕上げないといけないから1人で行ってくれるかい?
…なんならメルア君を案内に付けようか?」
「子供じゃないから大丈夫だよ。地図通りに行けばいいんだからそんなに心配しなくてもいいさ」
学長の心配を笑って流す。貰った地図通りなら大通りを行って1つ路地に入ればたどり着くようだ。
「じゃあまた明日だね。どれくらいに来ればいいの?」
「えーと、明日はなにか予定が入ってたような気がするな……。
メルア君、明日ってなにかあったっけ?」
学長が隣室に声をかけるとメルアがスケジュール帳を手にやって来た。
「明日は午前中にお客様が2名と魔道具の搬入チェック、午後は夕方にお客様が1名です。それから空いてる時間に残務処理をして頂く予定です。
……昼休み後から夕方までなら空けられるのでは?」
「そうか、ありがとう。
…じゃあシルヴィア君、明日は午後1番で来てもらえるかい?」
「うん、分かったよ。
今日はありがとう、明日もよろしくね。メルアも紅茶美味しかったよ」
メルアにそう謝辞を送るが案の定反応1つ無かった。
シルヴィアは苦笑しつつカバンを持って部屋の入口に向かう。
部屋から出る際に「じゃあね」と一言言ってからそのまま出て行った。
学長はシルヴィアが出て行くのを見送るとメルアに向き合った。
「メルア君、もう一度言うけど彼女は僕のお客さんだよ。更に言うなら父とオルロックさんのお客さんでもあるんだから失礼な態度は許さないよ。
君が僕の安全を思っての態度だと言うのは解るがそれは相手が敵か正体不明の場合だ。彼女は敵ではないし危険でもないんだ。これからは態度を改めるように」
「お言葉ですが学長、アレは正体不明の何かです。学長はアレの正体が何か知ってるようですのでピンときてないみたいですがあんなに歪んだ気配は滅多にいません。そしてそんな気配の奴らは例外なく危険な連中でした。
私が今までの戦闘で接敵した中でもトップクラスの違和感です」
メルアは自分の手が小さく震えるのを自覚する。過去、危険で強大な敵を幾度も相手にしてきた経験からの確信に近い感覚だった。
…もし、シルヴィアと戦闘するとなれば負けるかも知れないと思うほどにはシルヴィアについて考えていた。
学長はメルアの言葉をよく理解した上でメルアに言う。
「メルア君、君の感覚は恐らく合っている。この学園都市で彼女と真正面からぶつかって死なずにいられるのは僕達を含めて一握りだろう……」
「でしたら…!」
メルアが学長に詰め寄るがそれを制して続ける。
「だが彼女が僕達と戦うというのは無いだろうね。彼女は争い事は嫌いそうだし何より理由が無いだろう?
それにあまり言いたくはないけどメルア君の態度に怒って手を出すようなら僕達は今頃無事では済まなかったはずだよ。
それくらいの力があるのに怒りもしないし、手も出さない。これこそ立派な理由にならないかい?」
「……それは推測の域を出ません。こちらを油断させるために敢えて手を出さなかっただけというのもあります。
とにかく、アレを生徒達と同じように学園に入れるなど私は反対です。何かがあってからでは遅いのですよ!?」
メルアは意見を絶対に変えないだろう。学長はそう思い、1度話を打ち切ることにした。
「まぁ、メルア君の懸念はもっともだと思うよ。同じ立場なら僕もそう言うかも知れない。
だけど今のところは様子見にしよう。彼女が学園や生徒に対して手を出すことはないと僕は思っているけど監視も付けるし釘も刺す。ひとまずはこの辺りでどうかな?」
「…私は今すぐ拘束して無力化すべきだと思っていますが学長がそこまで言うならこれ以上は言いません。
しかし、何かあった場合は問答無用で処します。いいですね?」
「その辺も含めて様子見、ということなんだけど…、まぁしょうがない。危険性はないと判断するまでそういうことにしておこうか」
学長としてはシルヴィアを自由にさせてあげたかったがメルアの顔を立てる意味も含めて了承した。
明日はこっそりシルヴィアに教えてあげようと決めた。
「じゃあ、今日はこれくらいにして夕飯でも食べて終わりにしよう。今日は久しぶりに外に食べに行こうかな?メルア君もどうだい?」
学長は早口で捲し立ててメルアを部屋の外へ促す。
しかし、メルアは冷たい視線で学長を見ると無言で机の上の山積みの書類を指差す。
「………………………」
「メルア君、怖いよ……。分かったよ、書類は今日中に片付けよう。でもその前に夕飯くらいはいいだろう?もちろん学食で済ませるからさ…」
メルアの迫力にビビりつつ上着を羽織る。メルアも上着とポーチを手に持って来たので連れ立って学長室を出る。
学長は今日の定食はせめて好きなものが入ってればいいな、と思いながらふと思う。
(そろそろ宿屋に着く頃かなぁ…)
そんなことを頭の片隅で考えながら学食へと向かう学長と仏頂面でその後に続くメルアだった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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