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17の魔剣と銀の君  作者: 葛城 駿
紅い断罪編
29/38

第2話  青春とフリーマーケットと黒衣の微笑み

早朝、まだ夜明けから間もない時間帯、学園の学長室に向かう廊下をキビキビと歩く人影があった。ムダのない歩き方とピシッとした姿で規則正しい靴音を鳴らして行く。

やがて、学長室の扉の前にたどり着くと3回ノックする。返事はない。再びノックをするも、やはり返事はなかった。

来訪者はため息を一つ吐くと、扉に溶けるようにして消えた。しばらくして室内から何かが落ちる音と、言い争う声が僅かに漏れた。

それすらも聞こえなくなると、扉が内側から開いた。出てきたのは学長で、妙にやつれた風貌で逃げるように部屋から離れていく。

その後、先ほどの人影が部屋から出てきた。人影は扉を丁寧にきっちり閉めると、来た道を戻って行く。その時、朝日が廊下を染め上げた瞬間、人影が一瞬で霧散した。が、靴音だけが変わらず鳴っている。


今日も変わらない1日が学園都市に訪れた。



***



「さて、今日もリハビリ頑張ろう」


胸の前で手を合わせたシルヴィアは笑顔で言った。

場所は寮の中庭。車椅子に座る朝霞は、コクリと頷いた。


「……行きます!」


力強く宣言した朝霞はゆっくりと車椅子から立ち上がる。だが、今回はシルヴィアの介助はなく、自力での試みだった。


「そうそう、薄くね。全身に漲らせるんじゃなくて、薄く全身に行き渡らせるように」


「はい!」


魔力を抑えてのリハビリはもう十分という医者からのお墨付きを得たことで、今回から魔力を流すリハビリに移ったのだった。

足の筋力はほぼ、問題なく回復している。座った状態での魔力を流した状態も良好だった。

という訳で、魔力を身体強化の要領で流してみようとなったのだった。


「ふぅ、ふぅ……」


「焦らない。ゆっくりでいいから。まずは、立ち上がって座ることだけ」


「はい!」


少し車椅子から腰を上げただけで、滝のような汗を流しているのは、緊張と薄く流した魔力を維持することが原因だ。普段は特に意識することなく使っていた身体強化の魔法をこれ程までに意識して使ったのは、幼少期の訓練以来だと朝霞は思った。

やがて、たっぷり時間を使って立ち上がった朝霞は目の前で見ているシルヴィアに笑いかけた。

全身から汗が吹き出し、足はまだフラついていて今にもバランスを崩しそうだったが、それでも朝霞は凄まじい達成感に包まれた。

シルヴィアが微笑みながら、車椅子を指差す。それに頷いた朝霞はゆっくり、慎重に車椅子に腰かけた。座った瞬間に身体強化の魔法が切れ、一気に疲労感が押し寄せる。だが、それすらも今は心地よかった。


「お疲れ様でした。今日はどうする?もうやめとく?」


いたずらっ子のように笑うシルヴィアに朝霞も笑う。そして、こう返した。


「まさか。限界まで付き合ってもらいますよ」



***



「青春ねぇ……」


テラスの椅子で、中庭の2人を見守っていたマリアベルがお菓子のクッキーをつまみながら呟いた。

お茶を飲んでクッキーを流し込むと、その傍らに置かれた小箱から声が響いた。


「マリア、ちゃんと監督役は果たしていますか?」


「ハイハイ、ちゃんとやってますよー」


「返事は1回で結構です。

恐らく、大丈夫だと思ってますが、万が一の事態にならないようにしっかり見ててくださいね?学園の保険医として何かあったらと思うと気が気でなくて……」


「メリッサ、心配は分かるけどもう少し私を信用してよ。アタシだって担任なんだからここで適当なことはしないわよ」


「二日酔いの貴女なんて信用できる訳ない……!」


「それはゴメン」


痛いところを突かれたマリアベルは素直に謝る。頭痛で体調不良なのだが、やるべきことくらいはちゃんとやるつもりでいるのだ。


「まぁ、朝霞さんの回復に喜んでつい深酒してしまったのは許しましょう。そういう訳なら仕方ありませんから。

でも、どうして前日に……!せめて、あと数日待って欲しかったのに……」


「だからゴメンって。今朝、ティファからも延々とお説教されたから分かったってば」


二日酔いの激しい頭痛でベッドから起きられず、ベッドで唸っていたマリアベルを引きずり出し、無理やり朝食を突っ込みながらお説教をしたティファニアは、自身の授業の直前まで小言を言い続けた。去り際に、メリッサと通信状態の小箱まで押し付けて行ったのだ。


「とにかく、何か異常があったらすぐに中止して私のところに連れて来てください」


「はーい」


「返事は伸ばさない」


それきり黙った小箱。メリッサは保険医の仕事に戻ったようだ。

朝からずっと小言を言われ続けたマリアベルは、もう一つクッキーをかじった。控えめな甘さがちょうどいい。

再び、立ち上がる訓練を再開した2人を見ながらマリアベルはもう一度呟いた。


「青春ねぇ……」



***



数日後、学園都市の中央広場はいつになく賑わっていた。それもそのはず、魔獣が大暴れして損傷した街の復興に目処が立ち、しばらく延期していたフリーマーケットが開催されていたのだから。

職人達の威勢のいい賑わいと違って、老若男女問わず華やいだ声が響く広場は、普段よりも盛況だった。

そんなフリーマーケットの一角、なかなか良いスペースに広がっているのは大量のぬいぐるみや、小物類だった。そこで設営をしている男子学生が言い合いながら作業をしている。


「ほら、もっとそっち詰めろ。まだ大量にあるんだからよ」


「もう置けねぇよ!明日の分にしとけ」


「今日だけで全部さばけるか……?」


「売るんだよ!メリィのアホが大量に作ったぬいぐるみをここで消費しないと寮が溢れるぞ!?」


「分かってるっての」


そこそこ大きいリアカーにこれでもか、と積み込まれた物の大半がぬいぐるみだった。

設営を任されているのはギルバート、ザックス、ガイの3人。ギルバートとザックスは品物の陳列。ガイはテントの組み立てをしていた。


「ったく、メリィも大した腕だけどよ、もう少し加減ってもんを覚えろよ」


「諦めろ、ザックス。メリィが聞くと思うか?」


「ぼやくくらいはさせろよ……」


「ほら、詰めろ詰めろ。そこはハンナの出したもん置くから。……なんだこりゃ?」


「あぁ?……なんだこりゃ?」


2人揃って首を傾げた木箱の中身は、よくわからない物がギッチリと押し込まれていた。恐らく、互いが緩衝材の役割を兼ねた詰め込み方のはずだが、パズルのように詰め込まれた物は軽く揺すったくらいではビクともしない。

中に一緒に入れられた説明書を読むと、抜き方と品物の説明が書かれていた。


「つまり、この順番通りに出せばいいんだな?」


「じゃねぇのかな……?まぁいいや、出しちまえ。時間がもったいねぇ」


とりあえず、説明書にしたがってよく分からない品物を取り出し、並べていく。どうやら、片手間で修理したり、使わなくなった魔道具のようだった。

ちなみに、ハンナの元々の専門である魔法薬は置いてない。理由は最近まで作るのを禁じられていたのと、販売には許可が必要なためだ。もちろん、マリアベルからは不許可を言い渡されている。


「結構、場所取るな」


「もう面倒だからその辺に積み上げといて、客に聞かれたら説明するんでいいんじゃね?」


「そうするか」


とりあえず、魔道具は木箱に入ったまま積み上げる。小さくて、軽い物だけいくつか並べて終わりにした。


「よし、こんなもんか?」


「あとは、店番組に任せるか」


ガイもちょうどテントの組み立てが終わったようで、タオルで顔を拭きながら加わった。


「みんなが来るまで休憩にしよう。シェフィールドからお茶とか預かって来たから」


「お、気が利くな」


男3人が休憩していると、一際喧しい声が響いた。聞き覚えのある声に3人が苦笑して顔を見合わせたのと、声の主が現れたのはほぼ、同時だった。


「おっ、ギル君達発見!サボってる!」


「サボってねぇよ!」


メリィが一目散に駆け寄って来るのを迎えつつ、ギルバートは一緒に来た級友に声をかけた。


「おう、やっと交代か」


「お疲れ様、3人ともありがとね」


労いの言葉をかけてくれたのはシルヴィアだけだった。一緒に来たアイシア、メリィ、ミランダ、シェフィールドは3人のことを無視して各々が好きにしている。


「朝霞は無理そうか?」


「さすがにね?本人は店番くらい、って言ってたけど本調子じゃないから留守番にさせたよ。先生もその方がいいって言ってたし」


「珍しいな。あの放任教師が」


「先生は放任なんかじゃないよ。本人がそう見せてるのかも知れないけど、ちゃんと分かってあげてね?」


「あれでか……?」


「あれでもね」


それでも納得いかないような顔でギルバートが唸るのを横目に、シルヴィアの元へアイシアがやって来た。


「お姉さん、見て回ろう」


「そうだねぇ、店番どうしようか?」


ちらり、と顔を向けた先のシェフィールドがミランダと共に頷いた。


「ひとまず、私とお嬢様とメリィ様の3人で引き受けましょう。お昼頃に集合し、昼食を挟んだ後、交代といたしませんか?」


「私はいいけど、他のみんなは?」


シルヴィアが問いかけるとアイシアは無言で頷く。ミランダも同様だったが、メリィは嫌がった。


「え~、メリィも見て回りたいよ。店番つまんないもん」


「そう言わずに、我慢なさいな?頑張ってくれたら後でご褒美をあげるわ」


「ホント!?じゃあやる!!」


ごねるメリィをあっさり手懐けたミランダは、シルヴィアに小さくウィンクした。それにありがとう、と意味を込めて手を立てた。

メリィがすっかり上機嫌になっている横で、ギルバート達が帰る用意をしていた。


「そんじゃ、オレらは帰るぞ。夕方頃また来るから」


そう言って帰ろうとするギルバートの足にアイシアがしがみつく。困ったようなギルバートにザックスが茶化すように声をかける。


「お勤めご苦労さん、パパ?」


「うるせぇ、アホ。……アイシア、オレはいなくてもいいだろ?」


「ダメ。一緒に行こう?」


「くたくたなんだけど……」


疲れたようにやんわりと拒絶しようとするが、そこにシルヴィアも乗ってきた。


「まぁまぁ、ギルバート。一緒に行こうよ。私もまだこの辺の土地勘が不安だし、なんなら何か買ってあげるからさ」


「……。はぁ、いらねぇよ。分かった、行くよ。行けばいいんだろ?」


「そう。始めからそうしてればいい」


心なしか嬉しそうなアイシアが、強引に手を繋ごうとするのにされるがままのギルバート。それを見たザックスが一言こぼした。


「やっぱ、パパじゃねぇか」


その場の全員の気持ちを代弁した一言に、みんな揃って頷いた。



***



ところで、フリーマーケットと言えども、普通の規模ではなかった。中央広場とそこから四方に延びる大通りまで、ところ狭しと思い思いの出店が建ち並んでいた。

いつもは、屋台が所々に並んでいる程度だが、フリーマーケットが行われている期間中は、許可さえ貰えれば誰でも店が出せるとして、こぞって人々が店を構えていた。


「……そんで、あそこにあるのが小等部の屋台だな。大体、小物とか自分たちで作った野菜なんかを出してるな」


「へぇ、かわいいねぇ」


「ちなみに売り上げは孤児院に全額寄付だ。高等部から売り上げは各自の懐に入れてもいいようになってるな」


「何か買って行ってあげようかな?」


「放っとけよ。小物は大したもんじゃねぇし、野菜なんかはシェフィが買ってきた物の方が品質はいいぞ」


シルヴィアが色々尋ねるので、それに答えるギルバートは少し疲れていた。それでも、楽しそうにアイシアと見て回る様子を見ると、何も言う気にはなれなかった。

そんな折、人混みを行くギルバート達の正面から妙に不機嫌な様子の男が歩いていた。身なりのいい格好に、人混みの中にもかかわらず、葉巻を吸う様は遠目に見ただけでも浮いていた。

ちょうど、ギルバート達が男とすれ違う瞬間、男が葉巻を下げた。その高さは、シルヴィアと手を繋ぐアイシアの目線の高さだった。


「危ないね」


ギルバートには何が起きたか、一瞬分からなかった。危ない、とアイシアを引こうとした瞬間にはシルヴィアが呟いたからだ。

結果としては、葉巻が消えた。それだけだった。


「なぁ、シルヴィア。今の……」


「なんだこれは!!」


ギルバートの疑問は男の怒声にかき消された。男は自分の葉巻が消えたことに対して、途轍もない怒りを露にしていた。


「私の葉巻をどうした!?どこのどいつだ、無礼者めが!!」


男の怒声に周囲が慌ただしくなり、徐々に周囲が開けていった。まるで関り合いになりたくない、とでも言わんばかりに。

そして、見事にギルバート達は取り残された。


「よもや、貴様らか?」


「いや、オレ達じゃ……」


「そうだけど。この人混みで葉巻は危ないよ?」


「シルヴィア!?」


やり過ごそうとしたギルバートとは対照的に、毅然と言い返したシルヴィア。さりげなく、アイシアをギルバートに預けた。


「貴様……。私が誰だか分かっているのか?」


「知らないよ。もしかして有名人だったかな」


男の顔がひきつった。顔は真っ赤になり、青筋が浮かぶ。わなわなと、震える手は固く握られている。


「君がどこの誰だかどうでもいいけどね、この混みようで葉巻はダメだよ。吸うな、とは言わないからちゃんと相応の場所で楽しみな?」


まるで子供に言い聞かせるような口調で言われた男は、鬼もかくや、と言わんばかりの形相だった。シルヴィアの実年齢を考えれば不自然ではないのだが。


「貴様、名を名乗れ」


「人に尋ねる時は自分から、だよ」


「この平民風情がァッ!!貴族であるこの私に名乗れと言うのかッ!!」


とうとう爆発した男(自称貴族)は勢い良く腕を挙げた。そのとたんに、黒服の男達がどこからともなく現れた。


「お前達、そこの無礼者どもを殺せ。貴族であるこの私に不遜な態度をとったのだ。正当なる誅伐である」


男の言葉に黒服達が戦闘体制に入った。武器などを取り出し始めたのを見ても、シルヴィアは全く動じない。


「貴族だろうがなんだろうが、止めといた方がいいと思うけど」


「おい、シルヴィア。どうすんだよ、これ」


「適当に撫でて転がしておくかな……」


「余裕だな……」


「凍らせる?」


「なんでお前らはそんな好戦的なんだ……?」


「さっさと殺せ!!」


怒鳴る相手の男と、やたらのんびりなシルヴィアとアイシア。その温度差にギルバートはげんなりしたが、黒服達が武器を手に動き出した瞬間、遠巻きにしていた群衆の中から鋭い声が上がった。


「お待ちなさい!!」


人波をかき分けて現れたのは、深紅の長髪を流した美しい女性だった。その後ろには従者らしき少年2人がいた。

突然の乱入に男が一層、大きく騒ぎ立てた。


「なんだ、貴様は!?私が誰だか知っているか!?」


「面識はありませんが知っていますわ。ダーコス男爵家の次男、でしたかしら」


「む、貴様も貴族か?ならば、手を貸せ!この平民どもは貴族である私に対して危害を加えようとしたのだ!なんたる、無礼。万死に値する!!」


「……状況が見えませんわね。誰か、どなたでも構いませんから、経緯を教えてくださるかしら」


そう言って周囲の野次馬を見渡すが、誰もが視線を逸らした。貴族の関わる厄介事はごめんだと言わんばかりに。

仕方ないので、当事者らしき学生に尋ねた。


「そこの学生さん。経緯を説明できるかしら?」


「別に複雑な訳じゃないけどね。彼が吸ってた葉巻が、この娘の目に当たりそうだったから払い除けただけだよ。そうしたら、無礼だって言ってこの状況になった訳さ」


シルヴィアがアイシアを指して言うことに頷いた深紅の髪の女性は、次いで自称貴族の男に向いた。


「だ、そうですが、本当ですの?」


「そんなことは知らん。そこの学生風情が私に無礼を働いた。それだけで十分ではないか」


「何が十分だと?」


「分からぬか?貴族に平民が武力を示したのだぞ。言うなれば、私を害そうとしたといっても過言ではないか」


「なるほど、貴方の言い分は分かりました」


女性は興味を失ったように男から目を離した。そして、ギルバート達に向き合い、アイシアと目線を合わせるために腰を屈めた。


「どうやら、彼に非があるようですわね。同じ貴族として恥ずかしく思いますわ。彼に代わり謝罪します。申し訳ありませんでした」


「何もなかったから、いい」


アイシアの短い返答に微笑み、目礼すると立ち上がる。


「お名前を伺っておいてよろしいかしら?」


「アイシア・スノウヘル」


「スノウヘル……、なるほど……。そちらのお二人は?」


「オレはギルバート・フロイス。こっちはシルヴィア・ラストソードだ」


「どうも」


「ありがとう。(わたくし)はレイラ・ヴァーミリオンですわ。もしも、また会うことがありましたら、どうかよろしく」


レイラと名乗った女性がニコリ、と微笑むのと、男が突然尻もちを着いたのはほぼ同時だった。


「ば、馬鹿な……。ヴァーミリオン、だと……?」


男の戦慄したような声にレイラがゆっくりと振り返った。


「ええ、ヴァーミリオンですわ。この意味分かるでしょう?アンシェル・ダーコス」


「く、クソ!どけ、お前ら!道を開けろ!!」


アンシェルは慌てて群衆をかき分けて行く。黒服達も後を追うように去って行った。

そんな彼らをレイラがため息混じりに見送った。


「それでは、私は行きますわ」


それだけ言うとレイラは従者を伴って歩き出した。去り際にシルヴィアと目が合ったが、ものの数秒で逸らしてしまった。

レイラ達が去ると、遠巻きにしていた群衆が少しずつ元に戻り始めた。それに合わせてシルヴィア達も移動することにした。


「ごめんね、私が深く考えなかったから……」


「あ?シルヴィアのせいじゃねぇだろ。あの貴族の野郎、オレだって頭にきたぞ」


「私がとやかく言える立場じゃないけどさ、貴族に手を出したりしちゃダメだからね?」


「分かってるっつの」


疲れたように息を吐いたギルバートが歩き出す。それに続くようにアイシアも歩き出し、シルヴィアに手を出す。


「帰ろう?」


「……、そうだね」


アイシアと手を繋ぎ、歩き出すシルヴィア。ふと、先ほどの騒動があった場所を振り返る。当然、そこにはフリーマーケットの賑わいがあるだけで、騒動など無かったかのように楽しげな空気になっている。

レイラと名乗った女性と一瞬合った目が、妙に気になった。まるで、全てを焼き付くそうと燃えるような紅い瞳が。


「お姉さん?」


「なんでもないよ。そうだ、みんなに何か差し入れでも買って行こうか」


渋るギルバートの背を押すシルヴィアを、アイシアがじっと見つめていた。



***



街の喧騒から外れた裏通り、そこを歩くレイラに従者の少年がおずおずと話しかけた。


師匠(せんせい)、ダーコス男爵家に探りを入れますか?」


「ええ、そうしてちょうだい。以前から細かい不正の報告はあったから、本格的に調査しましょうか。本邸の叔父様なら適任でしょう」


「分かりました、先に戻って報告書を作っています」


少年のうち、片方が足早に去っていく。残った方が手持ち無沙汰のように着いてくるのにも、レイラはほとんど気を向けなかった。

ずっと腕を組んで考え事に没頭する師匠に、少年がどうしようかと悩むのも無視してレイラは先ほどの銀髪の少女について考えた。


「つまり、()()が報告や情報にあった『正体不明の人物』ということでしょうね。この間の魔獣襲撃に際して、早期解決の立役者。しかしながら、その正体は不明、と……」


ぶつぶつと呟くレイラの目的地が不明なので、着いていくしかない少年は困ったように周囲を見渡しながら着いていく。

しかし、気付けばそこは学園のすぐ近くに出ていた。先ほどまで中央広場の近くにいたはずなのに、短時間で学園に到着したことに驚いた。

レイラは尚も考え事に没頭したまま、勝手知ったように歩き続ける。

やがて、ぐにゃぐにゃと道を進んだ先でやっとレイラが立ち止まった。そこは、古ぼけた小さな木戸だった。


「良かった。まだ壊れていませんのね」


「師匠、ここは……」


「ちょっとした近道ですわ。馬鹿正直に学園の正門に向かってたら日が暮れますもの」


「ここは学園なんですか?」


「知る人ぞ知る、というものですわね。普通に生活していたらまず、知らないまま卒業するでしょう」


「師匠は知ってたんですね……」


呆れ混じりの従者の言葉は聞き流し、レイラは木戸を開こうと手をかけた。すると、1人でに木戸が開き、中には学園の制服を着た女生徒が驚いたように立っていた。


「あっ、ごめんなさい。人がいるとは思わなくて……。すみません、失礼します」


「いえ、こちらこそ不注意でしたわ」


「それじゃ、これで……」


女生徒が木戸から出て、レイラ達に道を譲った。そのまま通り過ぎ、角に消える直前でレイラが振り返った。


「……お待ちなさい!」


レイラの声に従者の少年が反射的に動いた。女生徒の元へ一足飛びに迫ると、既に角を曲がった直後の女生徒を捕まえようとした。


「お待ちを!師匠が何か……って、あれ!?」


そこには誰もいなかった。古い建物があるだけで、あとは見晴らしの良い一本道だったのだ。そもそも、レイラ達はここを通って来ている。どこにもおかしなところは無かったはずなのに。

途方に暮れていると、レイラが後ろでため息を吐いた。それに少年が慌てて頭を下げた。


「す、すみません。見失いました……」


「いえ、構いませんわ」


「探しますか?」


「……ムダでしょう。手がかりも何も無いのに見つけられる訳がありませんわ」


「師匠、さっきの生徒は……」


見上げるとレイラは、難しそうな顔で唸っている。厄介なものを見つけた時の癖だと気付いて、少年は警戒を強めた。


「さっきの女生徒、気配も魔力も全く感知できませんでしたわ。この私が警戒もなく扉を開けるなど、普通はしませんのに」


「確かに、あの生徒が出てくるまで全然分かりませんでした……」


ところで、レイラは敵が多い。仕事柄、しょうがないので本人も当然のこととして、諦めている。

しかし、だからと言って警戒をしない訳にはいかない。なので、レイラは常に気配と魔力を感知している。角や扉の向こうなど、不意打ちにちょうどいい場所は尚更なのだ。


「私はいつも通り、感知をしていました。それなのに見落とした。しかも、その自然さに違和感をまるで覚えなかった」


「師匠……」


「恐らく、並みの魔法使いではないでしょうね。見た目も当てにはできません。思えば個性の無い見た目でしたし。

私の感覚を欺くほどの穏形魔法、思い当たる人物はいませんわ。要注意ですわね」


少年は厳しい目をするレイラを見て、次いで入ろうとした木戸を見る。

先ほどの人物はここから出てきた。ということは……。

良くない考えが首をもたげる。それを振り払うように首をブンブンと振った。



***



「ふう、危ない。まさかあんなところで出会すとは」


学園の制服を着た女生徒が通りを歩いていた。器用に人の波をかき分け、ぶつからないように行く。不思議なことに、人々は少女に全く意識を向けていないようだった。


「ムドーさんのように使いこなすにはまだ遠いかぁ」


呟く少女は軽快に進んで行く。踊るように人々を避けていく動きはまるで、舞台で舞い踊るかのような華やかさがあった。


「さてと、早くお使い済ませて姫様に褒めてもらおうっと」


くるり、とその場で回った少女がパチンと指を鳴らした。その瞬間、少女の姿はどこにも見えなかった。



***



学園都市の中でも最高級、と言っても過言ではない宿の、更に高級な一室。やはり、部屋の格に見合ったワインを水のように呷るのは、アンシェル・ダーコス本人だった。

アンシェルの荒れようは酷い有り様だった。部下に嵐のような暴言を吐きかけ、流れで2人ほどクビにした。

それを年長の者が宥めようと四苦八苦していた。


「役立たずどもが!!お前らのせいでとんだ恥をかいたではないか!?」


「アンシェル様、あれは相手が悪かったのです……」


「うるさい!!そもそも、何故ヴァーミリオンがここにいるんだ?私は何も聞いていないぞ!?」


「それは……」


困り果てた部下が額の汗をハンカチで拭いた時、唐突に少女の声が室内に響いた。


「こんにちは、少しお邪魔しますね」


一斉に黒服達が声の発生源に向いた。ある者は武器に手をかけてもいた。が、そこには姿が無かった。


「どこに……?」


「な、なんだ!?何が起こってる?早くなんとかしろ!!」


「探しても無駄ですよ。どんなに頑張っても見つけられませんから」


「誰だ!?」


「私のことはどうとでも呼んでください。名前なんてどうでもいいので。

私のことはともかく、今日はちょっとしたお願いに来たんですよ」


「お願い、だと……?」


アンシェルが不気味そうに辺りを見渡す。相変わらず声の主は見つけられない。


「そう、お願いです。そして、貴方にも利があるお話ですよ?」


「利だと?なんだ、言ってみろ」


「うふふ、その無駄に自信過剰な態度、嫌いじゃないです。仲良くなれそう」


「余計なおしゃべりはいらん。とっとと話せ!それと、姿を見せろ。話しづらい」


アンシェルの苛立ったような声にさえ、楽しそうに笑う声。まるで、アンシェルがお気に入りの玩具のような雰囲気だった。


「では失礼して……」


声と同時に、いつの間にか窓辺に黒いコートを着込んだ少女が立っていた。

黒服達が一斉に武器を向けるが、少女は驚きもしないどころか、浮かべていた笑みを一層深くした。


「きゃー、こわーい」


「お前ら、下ろせ。脅しにもなってない。

で、さっさと話してもらおうか。利のある話ってやつをな」


アンシェルが黒服達に武器を下げさせる。少女はつまらない、とでも言いたげに口を尖らせた。


「もうちょっと付き合ってくれてもいいじゃないですか。遊びの無い男はモテませんよ?」


「くだらん世間話はいらん。早く話せ」


「ちぇー、つまんない人。まぁ、そんなに真面目な話が好きなら話してあげますよ。

実は、今の学園都市にすっごく邪魔な人がいるんですよね。その人を消してくれるととっても楽なんですけど、引き受けてくれますか?」


「誰のことだ?」


「貴方も知ってる嫌いな人ですよ。名前はレイラ・ヴァーミリオン。私のお仕事のために早く消して欲しいんです」


「ヴァーミリオンだと?」


「そうです、あの断罪者を気取るイカれた一族の、更にイカれた女。あの女のせいで手駒がずいぶんと減らされたんですよね。だから、ここら辺で消しちゃおうかなって」


「……それに対するこちらのメリットは?」


「お願いを聞いてくれると確約する前には話せません。ただ、決して貴方に悪いことではない、とだけ言っておきましょうか」


「話にならん。とっとと失せろ」


めちゃくちゃな言い分にアンシェルは手を振った。だが、黒コートの少女は面白がるように笑った。


「あれぇ?そんなこと言っちゃっていいんですか?」


「何が言いたい?」


「貴方のお家……、ダーコスでしたっけ?あの女の断罪対象に入ってますけど」


「馬鹿な!?」


思わず立ち上がったアンシェルの動揺ぶりを見て、黒コートの少女はますます笑みを深めた。


「貴方は知らないのかな?当主と長男、あとは親戚がずいぶん後ろ暗いことをしてるってこと。結構、情報も集まってるみたいだし、時間の問題じゃないかな」


先ほどまでとはうって変わって、蒼白になったアンシェル。部下の黒服達も顔色が悪くなっている。

そんなアンシェル達に黒コートの少女は、殊更優しい口調で話しかけた。まるで、天使の囁きのように。


「だから、邪魔なあの女を消しちゃいましょう?今のヴァーミリオンはあの女が旗頭ですから、アレがいなければ途端に崩れるはず」


一息ついて再び続ける。


「今、学園都市周辺のヴァーミリオンの戦力はほぼ、あの女1人です。弟子が2人いますけどザコですから関係ありませんね。ちなみに、直近のヴァーミリオンの味方も別件で動けません。

……これは今までに無いチャンスですよ」


黒コートの少女の囁きは不思議なほど、アンシェルの中に吸い込まれていった。黒服達も、アンシェル本人でさえも全く疑問を抱かないほどに。

彼等は気付かなかった。部屋の中が妙に甘ったるい匂いで満たされていること、思考にもやがかかったようにぼんやりとしていること。そして、いつの間にか部屋の中に現れた老紳士のこと。

アンシェル達がぼんやりとして、虚ろな目をしているのを無視して黒コートの少女が老紳士に抱き着いた。


「パパ、ちゃんとできたよ!」


「おお、偉いねぇ。さすがは吾が輩の娘だ」


「でしょ?もっと褒めて、褒めて!」


「ああ、良いとも。素晴らしい、自慢の娘だ。吾が輩はこんな娘を持てて鼻が高いとも」


マネキンのように立ち尽くすアンシェル達を後目に、無邪気に笑う少女の声だけが室内に満ちていた。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。

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