幕間・追憶 バラガン・ドマ
人々の活気で賑わう市場で、縦にも横にも大きな体躯がずんずんと道を進む。人々は邪魔そうに見るも、大きな身体に背負った武骨な大剣を見れば、あっという間に口を閉ざし、道を譲った。
大きな体躯をした男は、時折片手を挙げて方々に謝辞を言いながら突き進む。そんな彼の影に半ば、埋もれるように手を引かれ歩く銀髪の少女に気付く者は少なかった。
やがて、市場の取り纏めをしているギルドに到着した彼等は勝手知ったる風に扉を開けて中に入って行った。真っ直ぐに向かうのは受付カウンターだ。
「よう、お姉ちゃん。依頼達成の報告はここか?」
「こんにちは、バラガンさん。もう依頼を達成したんですか?昨日受けたばかりなのに……」
「ちょうどコイツが空いてたモンでな。たまには楽させてもらったんだ」
「コイツ?」
受付に座る女性は、初めてバラガンの影に隠れるような立ち位置にいる少女に気が付いた。そして、その美しさに言葉を失った。
汚れ一つない煌めく銀髪、物憂げな表情、近寄りがたい雰囲気、あまりにも場違いな少女に何も言えなくなったのだ。
そんな空気をバラガンと呼ばれた大男が盛大にブチ壊した。
「おう!挨拶くらいしろや!」
バシーン!!と大きく響くほど、力強く背中を叩かれた少女は呆気なく飛んでいき、机と椅子をなぎ倒して止まった。
「あぁん?そんなに強くなかったと思ったんだがなぁ」
不思議そうに自分の手を見て首を傾げるバラガンは放って、女性は慌てて少女を助け起こした。
「大丈夫!?怪我は?痛いところはある?」
「そんなに心配しなくてもいいぞ?」
「貴方は黙ってなさい!!」
全く気にしていないバラガンに怒鳴った女性は少女の体に怪我がないかを確認した。ところが、着ている服こそ破れていたり、埃がついているが少女自身にはかすり傷一つなかった。
「なんで、どうして……?」
驚く女性を無視して少女が何事もなかったかのように立ち上がった。そして、袖がほつれていることに気づくと音を立てずに歩き寄った。
「悪い、悪い。お前が軽すぎて飛んじまった……」
悪びれた様子のないバラガンが言い切る前に少女は動いた。無造作に腕を振り上げ、バラガンの腹目がけて拳を放った。次の瞬間、バラガンは勢い良く吹っ飛び、ギルドの壁をぶち破っていった。更に隣の建物まで貫通していた。あっという間に辺りが悲鳴と怒号に包まれた。
「な、な……」
呆気にとられる女性や、ギルドにいた人々が驚きに言葉を失う中で少女がポツリと呟いた。
「フリージアがくれた服なのに」
街の衛兵が飛び込んできたのはそれから間もなくだった。衛兵の詰め所に連れられた少女とバラガン(ボロボロのまま)はしばらくしてやって来た身元引受人を名乗る女性に引き取られることになった。……女性はなぜかヘロヘロだったが。
「この度は申し訳なかった。諸々の修理費とかはそこの大男が全部払うから」
「そうですか、今後は無いようにお願いしますよ。それより、貴女こそ大丈夫ですか?」
「大丈夫、暑さに弱いだけだから……」
「この辺はそんなに暑くないと思うのですが……」
女性は曖昧にぼかして詰め所から2人を連れて出た。
「どうしてこんな騒ぎを起こした?言ってみろ、バラガン」
「どうしてったって、ただコイツを叩いたらぶっ飛んだってだけだぞ?オレに非がねぇとは言わねぇけどよ、コイツも軽すぎる。もっと食わせろよ」
「馬鹿か貴様は……。この娘は普通の娘とは違う。いくら軽かろうが、食べても体重は変わらん。ミストレスが言ったことを忘れたのか?」
「そうだったか?造り上げるのにオレも加わったけどよ、完成した後のことまでは気にしないからな。聞いてなかったんだろうな」
「ハァ……、貴様も魔剣を預かる身ならばもう少し興味を向けろ。この娘の一撃を受けてかすり傷で済んでるのはその魔剣のおかげなんだぞ」
「そう言えば、そんなことも言ってたな」
大して気にした素振りも見せず、豪快に笑い飛ばすバラガンに女性はお手上げ、と言わんばかりに首を振った。それから、ずっと無言で着いてきている銀髪の少女に話しかけた。
「どこか痛むところはあるか?」
「無い」
淡々と言う少女に頷き、乱れた髪の毛を直してやる。ついでに襟を直していると、少女が腕を挙げた。
「どうした?」
「これ、破れてる。フリージアがくれた服なのに」
確かに、少女の言うとおり袖が少しほつれている。何かに引っ掛けたようだ。
「あぁ、本当だな。大丈夫、これくらいなら私にも直せるよ」
「本当に?」
真っ直ぐな瞳で見つめる少女の頭を撫でてやりながら女性……、フリージアは優しく微笑む。
そこに、空気を読まない男のバラガンが遠慮なく突撃する。
「意外だな。お前はそういうのとは無縁だと思ってたぞ」
「大きなお世話だ。私とて、貴族の末席に名を連ねている。一通りの花嫁修業くらいは済ませているさ」
「なんだ、嫁に行く気なんてあったのか?」
「……今の発言は絶対に他の女性達に言うなよ。私にならば許される訳ではないが、私は結婚など諦めているからな。私と貴様の間柄だから許されるだけだ」
「そうか、良く分からんが悪かったな」
「もういい……」
のんきに笑うバラガンにため息を吐いたフリージアに、今度は少女が話しかけた。
「花嫁修業ってなに?」
「女性が結婚して嫁に行く際に、結婚後必要となる技能の修業だな。貴族と平民では大きく違うが、貴族ならば社交や流行の勉強、嫁ぎ先の貴族の格に見合うような立ち居振る舞いの習得に、裁縫や子供の育て方を習ったりだな」
「ふぅん……」
「まぁ、君はそんな面倒なことなど気にしなくていい。貴族と結婚できるのは基本的に貴族同士だし、できたとしても妾になるくらいだ。その気がなければ忘れなさい」
フリージアの言葉に適当な相槌を打つ。そんな少女の背中を押してフリージアは宿へと向かう。
「なぁ、おい。なんか食い物買ってこうぜ!オレは腹へったよ」
「黙れ。貴様の分は自分でどうにかしろ。食い物を買う前に補償金を払うのを忘れるなよ」
「フリージア、金貸してくれよ」
「失せろ、クズ」
真冬の吹雪のような冷たい言葉でバラガンに見切りをつけるフリージア。そんな2人のやり取りを銀髪の少女はぼんやりと聞いていた。
***
「あれほど長く続いた大陸戦争も終わりは呆気ないなぁ……」
ボロボロの様相に、疲れ果てて人相の悪い顔になったバラガンが呟いた。
実際は、バラガンの言うほど呆気ない訳ではないが、物心ついた時には既に始まっていた戦争が自分の間近で終わるとなるとどうにも気が抜けてしまっていた。
思えば遠くまで来たものだ、とバラガンは1人で思った。故郷を出て、弟弟子の刀治と旅を始め、絶対的な強者と出会い、魔剣を造り上げ、気付けば大陸戦争に参戦していた自分の波乱万丈ぶりに苦笑する。
「ま、これでオレの旅も終わりってこったな」
数多くいた魔剣使いの仲間も半数が逝ってしまった。これからは逝った仲間達の故郷を訪ねて行く旅でもしようかと思った時、名前を呼ばれた。
「バラガン、オレは国を再興して王になる。お前も来るか?」
「止めとけよ、ジルドリエ。オレみたいなお荷物抱えると国が破産するぞ?」
振り返れば、仲間のジルドリエが真面目な目で訴えているのが分かった。いつも酒に酔い、陽気な彼からは信じられないほどの真剣さにバラガンは驚いた。
「冗談でもお情けでもない。オレはお前に来て欲しいんだ、バラガン。お前の鍛冶の腕と、生涯の友としてどうか頼みたい。しばらくは苦労するが、将来は必ず良い夢を見せてやる。だから、頼む」
「ジルドリエ、酒呑み仲間としてなら頼みを聞いてやりたいけどよ、オレに国を支える能力なんかありゃしねぇ。鍛冶の腕を褒めてくれるのは嬉しいが、オレよりも上はいくらでもいる。悪いな」
「……そうか、残念だな。後になってから後悔しても遅いぞ?」
「じゃあ、今金貸してくれよ。明日の酒代がねぇんだ」
「オレも金なんかねぇよ。将来なら一杯くらい奢ってやるけどな」
「一杯だけかよ。ケチくせぇな、一晩呑ませろ」
軽口を言い合い、気持ち良く笑った2人は力強く握手をした。
「じゃあな、未来の皇帝様」
「おう、じゃあな貧乏酒呑み」
魔剣を肩に担ぎ、去っていくジルドリエを見送るバラガン。少し寂しく思う自分に苦笑していると、後ろから肩に手を置かれた。
「バラガン様、わたくしも次の場所へと参ります。長き間お世話になりました」
「こっちも世話になったな。テレジアがいなかったらオレは100回は死んでたろうな」
「いいえ、バラガン様は非常に生命力のお強い方ですもの。わたくしの力など微々たるものでしょう。それでも、僅かながらにせよお力添えできたならば嬉しい限りでございます」
「またどっかで怪我人の世話焼きか?」
「この生命が果てるまでは」
「ま、元気でな。運が良ければどっかで会うかもな」
「そう願いたいものですね。それでは」
こうして、去っていく仲間を見送ったバラガンは自分も、と歩き出した。だが、その前に残る仲間三人組に声をかけた。
「そんじゃあな、お前ら」
「じゃあな、じゃない!!お金返してよ!」
「ねぇよ、そんなもん。あったら酒に使ってるに決まってるだろうが」
「ふざけんな!有り金置いてけ、この筋肉ダルマァァァッ!!」
「落ち着け、菖蒲!このバカがそんなに律儀な訳がないだろう!?」
羽交い締めにされてなお、暴れる極東の特徴を持つ女性……、風斬菖蒲を見てバラガンは声をかけて後悔した。まさか、だいぶ前のことを未だに覚えていたとは。これ以上騒がれる前に逃げようと決めたが、その前に銀髪の少女が立ちふさがった。
「バラガン」
「おう。お前も達者でな」
バラガンと少女が握手をして、和やかな雰囲気になったのは一瞬だけだった。少女の瞳にいたずらっ子のような光が煌めいた瞬間、バラガンは豪快に投げ飛ばされていた。
「うおおおっ!?」
「いつかの仕返し。どう?」
力加減の一切ない投げで地面に激しく叩きつけられたバラガンは、さすがに気を失った。
「ナイス、シルヴィア!」
菖蒲の嬉しそうな声が辺りに広がった。
***
猛烈に吹きすさぶ雪の中を重装備の大男が歩いている。一応、ランタンは提げているがそれもほとんど意味をなしていなかった。辺り一面が吹雪で判別できないほどだというのに、大男は一瞬も迷った様子もなく、深い雪を掻き分けて進んで行った。
やがて、吹雪の合間に小さな灯りが見え隠れするようになった。大男は更にスピードを上げて道無き道を突き進んで行った。
それからたっぷり時間をかけて、ようやく街の外壁へとたどり着いた。門の衛兵の詰め所の扉を叩くと、少しして中から衛兵が出てきた。
「こんな吹雪の強い日に誰だ?」
「悪いな、予想外に吹雪が強くなっちまってオレも参ったわ」
大男……、バラガンは雪が厚く積もった頭の防寒具を脱いで顔を見せた。それから、荷物の中から酒のビンを一本取り出した。
「寒い中、お疲れさん。こいつは手土産だ。ひとまず中に入れてくれや」
「助かる。こっちもちょうど心許なかったんだ」
詰め所に入ったバラガンは大量の荷物と防寒具、そして武骨な大剣を下ろした。
会釈をしながら暖炉の前に陣取ったバラガンはホッと息を吐いた。人心地つくバラガンに酒を温める衛兵が尋ねる。
「しっかし、こんな吹雪の酷い時期になんだってわざわざ?」
「オレの仲間が今くらいの時期に死んでな。その墓参りというか、なんというかな」
「もしかして、戦争中のか?まさか魔獣王が暴れるとは思わなかった」
「そうそう。大事な仲間だったんだ……」
「そうか、辛いな。今日はここに泊まっていけよ。明日の朝はいくらか吹雪も弱まってるだろう」
「恩に着るぜ。大したもんはねぇが、肉とかがある。贅沢に食っちまおう」
それから、ほぼ一晩中衛兵と飲み明かしたバラガンは朝一番で詰め所を出た。二日酔いで顔色の悪い衛兵に別れと感謝を告げて街に入った。
夜明けからいくらも経っていないのにも関わらず、屋根や通りの雪かきがそこかしこで行われている。話に聞いた通りの光景に頬が緩んだ。
半ば雪に埋もれる街を横目にバラガンは街の教会へと向かった。目的地は最初からそこだった。
「邪魔するぞ。誰かいるか?」
返事はない。早朝で、雪かきなどに追われる状況を考えれば当然か。一度出直そうと、バラガンが後にしようとしたところ、控えめに声をかけられた。
「あの……、どちら様ですか……?」
振り向くが誰もいない。はて?と首を傾げたバラガンに声の主はもう一度声をかけた。
「あの、下です……」
「下?おお、気づかなかった、わりぃな」
目線を下に向ければ、そこにいたのはまだ10歳にもなっていないだろう小柄な少女だった。寒さ対策だろうか、妙にもこもこしている。
「教会の孤児か?神父か責任者はいるか?」
「シスターなら調理場にいます……」
「取り次いでくれや。バラガンって名前でフリージアに会いに来たって伝えてくれ」
コクコクと頷いた少女が駆けていくのを見送って、バラガンは礼拝堂の椅子に座った。しばらくして、年配の修道女がやって来た。
「あなたが手紙をくださったバラガン様ですね?」
「そうだ、朝早くに悪いな。忙しいようならオレは後回しにしてくれ」
「とんでもございません。よろしければ、一緒に朝食をいかがでしょうか?足りないかとも思いますが……」
「そうだな……、食材の提供と雪かきの手伝いに道具の手入れをするから朝食だけじゃなくて2、3日世話になれないか?」
「そんな、お客様に雑事など……」
「まだ来たばっかで宿も取ってないんだ。オレも金に余裕はそんなにねぇからな。お互いギブアンドテイクでいこうぜ」
結局、シスターが折れてバラガンが教会の世話になることが決まった。
バラガンの荷物は大半が酒と食料で、残った荷物も砥石や大工道具などだった。食料はほとんど教会に預け、酒も料理に使えるものや、気付け薬にもなる強い酒をまとめて渡していた。
そして、猛然と雪かきを終わらせて道具の手入れまでやった後に、シスターと2人で話し始めた。
「手紙にも書いたが、オレがここまで来たのはフリージアに会うためだ。会うのは可能か?」
「その前に、バラガン様はフリージア様のご友人でいらっしゃると、そういうことでしたがどこまで把握されていますか?」
「詳しくは知らん。フリージアの家から手紙で魔獣王と相討ちになった、としか聞いてないな」
「おおよそ、正しい内容です。フリージア様はほとんどお一人で氷河の魔獣王と戦い、その身を捧げられました。現在はご実家ではなく、こちらに安置されております」
「……?未だに火葬なり、埋葬なりをしていないのか?てっきりオレはここの墓地にいるもんだとばかり」
「えぇ、教会の地下におられます。ご実家でも、領主様でも処遇を決められず、とりあえず教会に」
「話が見えねぇな。葬式はしないのか?」
「ここから先は実際に見て頂いた方がよろしいでしょう。フリージア様のご実家からご家族が来られますのでその時に」
詳しく説明をされないまま、フリージアの実家から来る人を待つ間、教会の修繕や孤児達の相手をした。子供が何人ぶら下がってもびくともしないバラガンはたちまち人気者になった。
そんなこんなで時間を潰すこと1日、シスターからフリージアの家族が来たと知らされ、バラガンは向かった。
教会の応接室でお茶を飲んでいたのは壮年の紳士だった。紳士が立ち上がり、握手をするとその手が長年鍛え上げられた戦士の手だというのに気付いた。
「初めまして、フリージアの父です。あなたのお話は手紙でよく拝見していましたよ」
「そいつぁ……、どうせ録なことが書いてなさそうで」
「いえいえ、とても個性的で一緒に旅していて飽きないと言っていましたよ」
「個性的、ねぇ……」
間違いなく余計なことばかりが伝わっているのが分かった。フリージアめ……、と内心で毒づいた。
「バラガンさん、早速ですが本題に入りましょう。フリージアを助けて欲しいのです」
「助ける……?どういうことだ?」
「詳しくは見て頂いた方が早いでしょう。地下に行きましょうか」
シスターに目配せしてフリージアの父は歩き出した。地下への入り口は中庭の小屋にあった。バラガンが軽々と開けて、シスターと紳士が入った後にバラガンも入る。
地下室までは大して深くなかった。至って普通の地下室で本来は夏の間に食料などを保存しておくためだったのだろう。外よりも気温がだいぶ低いようだ。
だが、そこにあったのは食料などではなく、バラガンの予想をあっさりと越えていた。
「おいおい、嘘だろこりゃあ……」
地下室の中に安置されていたのは、バラガンよりもやや大きいくらいの氷柱だった。倒れないようにしっかりと固定された氷柱は、驚くほど透き通っていた。ランプの僅かな灯りでよく見えるほどに。
紳士が目を細めて氷柱に触れる。そして、バラガンに告げた。
「バラガンさん、フリージアです。娘はずっとここにいました」
氷柱の中に閉じ込められていたのはフリージアだった。ボロボロの身体で魔剣を握りしめ、けれど、表情はとても穏やかだった。
バラガンが見ただけでも致命傷がいくつもある。恐らく、フリージアは命を落とす前に全力で魔法を使ったのだろう。その結果がこれなのかも知れない。
「バラガンさん、フリージアがなぜこうなっているのかは私にも分かりません。ですが、魔獣王との戦いの音が無くなった後に駆けつけると、フリージアもろとも魔獣王は氷漬けになっていました」
「つまり、見たまんまってことだろうよ。致命傷を負って勝って生還するのが無理だと分かったから、自分ごと氷に埋めちまったんだろ。で、魔獣王はどうなった?死んだか?」
「えぇ。フリージアを切り出す時に魔獣王の部分を切り離したとたんに氷が溶けて、そのまま絶命しました。死体は既に処分しました」
「……多分だが、この氷はフリージアの剣がずっと維持させてるんだな。合ってるかどうかは分からんが、そこら辺の魔力を氷を媒介にかき集めて今までずっと発動し続けてきたんじゃないか?」
「そんなことが、可能なのですか……?」
「フリージアやオレの持ってる剣は特別製だからな。魔力さえあれば勝手に動くくらいするだろ」
バラガンは投げやりに答えたが、実はほとんど正解だった。
ともあれ、氷の正体が何であれ大事なのは中に閉じ込められているフリージアだ。しかし、ここからが難題だった。
「オレの予想通りだったとして、フリージアを掘り出すのは骨が折れるぞ」
「……そうでしょうね。実は、氷が少しずつ大きくなっているんです。試しに少し削りましたが、次の日には元通りになっていました」
紳士の言葉にげんなりしたバラガンは頭を抱えた。内心の読みが当たったのだ。
「クソ、こんなことならエルマを連れてくりゃ良かった……。でもアイツ今どこにいるのか知らねぇしなぁ」
悪態をついたバラガンはそこで切り換える。無い物ねだりをいくらしたところで意味がないからだ。
とは言うものの、実は手がない訳ではない。氷が魔剣によるものだと分かれば話は簡単なのだ。……とても気が進まないが。
「親父さんよ、フリージアを掘り出す手はあるにはある」
「本当ですか!?」
「あるんだが……、出来れば最後の手段としておきたい。代案があればその方がいい。オレには他に浮かばないけどな」
「もう我々に採りうる手段は試し尽くしました。その、ことごとくが無駄でした。何か案があるなら是非、教えてください。お願いします」
弱りきった顔で渋るバラガンに、紳士が膝をついたことでバラガンが折れた。
「いくら手早く氷を砕いたところで、魔力がある限り氷は復活する。再生する速度は分からんが、最終的には現状で止まる訳だ。だったら氷を砕く意味はほとんど無い」
「そうですな。一回試みたのですが、街の細工師の手には余るようで、途中までやって工房に安置していたら翌朝には元通りだったと」
「なら、氷の発生原因を取り除くのが手っ取り早い。この場合は剣だな」
「ですが、どうやって?」
「………………、心苦しいが手首を落とす。幸い……と言っちゃなんだが、剣を持った手は少し離れてるしな。剣と魔力的なつながりさえ無ければ氷がフリージアごと包むことはないはずだ」
「そん、な……。これ以上フリージアを傷付けると言うのか……」
嘆く紳士にバラガンは何も言えない。もし、この場にいるのが自分ではなく、もっと魔剣について詳しい者だったら。そう思わずにはいられなかった。
「オレの言う方法以外にも取れる手段があるかも知れねぇ。急がないなら、他の知り合いを探して見てもらえるようオレから頼むが……」
「……実は、時間に余裕はあまり無いのです。家内が病でそれほど長くはない、と」
バラガンは人生で一番、運命というものを呪った。母親の病と厳寒期のタイミング、今いるのが自分一人ということ。何もかもが最悪だった。
「今ここで決めることはねぇ。家族と相談した方がいい。オレは決断できないからな」
バラガンの言葉に頷いた紳士は、シスターに支えられて地下室を後にした。
地下室から退室する前に、バラガンは恨みがましくフリージアを見やった。
「……フリージア、お前に会いに来たらとんでもないことになっちまったよ……」
それから3日してから、ようやくバラガンの元にどうするかの決定が知らされた。教会にやって来た使者の手紙には、決行は3日後と記されていた。方法はバラガンの提案した方法だった。
「そうなるかぁ……。気が進まねぇなぁ……」
シスターが心配そうに見ているのに気付いて手紙を渡す。読んだシスターも険しい表情をしていた。
「って訳でまたしばらく置いてくれねぇか?その分の金は払うし、雑用は引き受けるからよ」
「お金は結構ですよ。雑事は助かりますが、あまり甘えられませんから。気にせず好きなだけ居てくださって構いません」
「いいんだ、好意は一方的に受け取っちゃなんねぇ。互いに納得した分の好意を相手に渡すもんさ」
驚いたように目を見開いたシスターは嬉しそうに微笑んだ。それから、おずおずと頼み事を打ち明けた。
「実は、教会のあちらこちらが既に相当傷んでおりまして、私どもではとても手が出せないところもあるのです。バラガン様がよろしければそちらも修繕していただけないかと」
「おう、任せとけ。この際だ、遠慮すんな。なんかあるなら全部言え。オレにできることならなんでもやってやるからよ」
決行までの3日間、バラガンは精力的に働いた。朝は雪かきから始まり、日中は教会の修繕、夜は子供たちの相手や魔獣の討伐など教会だけでなく、街のためにも働いた。その姿は迷いを断ち切るかのようにさえ見えた。
そうして、3日後の朝。早朝からフリージアの実家の中庭に運ばれた氷柱の周りを関係者で取り囲んで、最後の段取りがなされていた。
このために遠方から急いでやって来た親族もいるようで、バラガンは次々と挨拶を受けた。その中にはフリージアの姉や弟もいた。
「バラガンさん、準備はどうですか?」
「親父さんか。オレは調子いいぜ?今日も朝飯はたらふく食ったし、腹の調子もバッチリだ」
「そうですか、それはなによりです」
「そっちこそ大丈夫かよ?顔色悪いぜ?」
「……なかなか寝つけなくてね。どうにも悪い想像ばかりで……。申し訳ない」
困ったように言うフリージアの父はこの数日で老けたように疲れきっていた。実際、顔色は悪く目のクマも誤魔化しきれていない。
そんな風に言う彼にバラガンは小声で打ち明けた。
「……実を言うとな、オレも緊張で今にも吐きそうだ。手なんか震えっぱなしだし、昨日の夜は酒も飲めずにベッドで頭抱えたもんだ。こんなこと今まで経験したことねぇよ。
だからと言って、逃げ出せねぇからな。オレは精一杯見栄はって立ってんだ。クソ、小便漏れそうだ」
バラガンがこっそり打ち明けた秘密と、差し出された手が震えていることで彼も弱々しく笑った。お互いが震える手で握手をしたことで、妙な友情を感じたくらいだった。
「では、よろしくお願いいたします」
「おう、任された」
結果として、氷柱に長らく閉じ込められていたフリージアは見事に解放された。魔剣を握る左手首から先を切り落とした後は、フリージアを包む氷が自然と溶けていったのだった。ちなみに、魔剣と左手首は魔力を遮断する特別な袋に入れて、氷を解除した後に別々に回収した。
魔剣はフリージアの実家預りとなり、今後の裁量もフリージアの家族と地元の領主に委ねられた。
葬儀は翌日に予定された。氷柱から解放され、ようやく自由になったフリージアの体を丁寧に清め、親族たちが別れを済ませる必要があったからだ。実は、バラガンはフリージアが解放された時、もしかしたら少しの間でも意識があるかも知れないと期待したが、さすがにダメだった。
重要な役目を全うし、一息つくバラガンにフリージアの父が隣に座った。
「バラガンさん、本当にありがとうございました。娘がちゃんと家に戻って来れたのは貴方のおかげです。家内も喜んでおりました」
「やめてくれ。結局、フリージアを傷付けるしかできなかったんだ。自分の役不足さに反吐が出る」
「あまり、ご自分を責めないでください。貴方がいなければフリージアはもっと長く氷に閉ざされたままだったでしょうし、家内も最後に触れあえなかったでしょう」
「……本当はもっと適役がいたんだ。望んだ物だけ斬れるヤツとか、すげぇ技を持ったヤツとか。オレみたいに傷付けるしか解決法が見つからねぇ大間抜けとは違う連中がよ」
「だが、ここにいるのは貴方だ。貴方がフリージアを解放してくれたんだ。どれだけの達人がいようとも、この場にいない者よりも貴方に感謝したいんです」
彼の言葉にバラガンは空を見上げた。大きな手で顔を覆ったその隙間から、止めどなく涙が溢れる。
「………………」
ただ、無言で涙を流すバラガンにフリージアの父は黙って寄り添っていた。
***
「じゃあ世話になったな。またそのうち来るからよ、その時は頼むわ」
「えぇ、お待ちしていますとも。こちらこそ大変お世話になりました」
大荷物を背負うバラガンがシスターと握手をする。なんだかんだと一週間滞在していた教会は、自分でも思った以上に離れがたく思うことにバラガンは苦笑する。そんなバラガンの足元には子供が大量に纏わり付いていた。
「おじさ~ん、もっといてよぉ」「帰っちゃヤダー!」「まだまだ遊ぼうよ……」
三々五々に口走る子供たちにバラガンも困った。
「ほら、離れろっての。一斉に喋んな、何言ってるかわかんねぇよ」
「ほらほら、みんな。バラガンさんが帰れませんよ」
一人ずつ剥がしてなんとか脱出するバラガン。シスターが宥めているうちにさっさと行こうと決めた。
「そんじゃあな。また来るわ」
笑顔で見送るシスターと、騒ぎ続ける子供たちに見送られ、バラガンは教会を後にした。街の住人たちにも挨拶しながら門へと向かう。行きとは違い、今日はこれでもか、と言わんばかりに晴れ渡っていた。
***
「じゃあ、バラガンは今でも来てるんだ?」
「えぇ、そうなんです。来る度に教会の雑事と寄付もしてくれて……。フリージア様のご実家にも挨拶と寄付をしているんだそうですよ」
「あのデリカシーという概念をどこかに忘れて生きてきたような男がねぇ……」
銀髪の少女の言葉に、教会の中年のシスターが微笑む。年老いてなお、頑強さが衰えないバラガンは未だに厳寒期に訪れる。今では毎年の恒例行事になっているくらいだ。
この銀髪の少女が訪れたのは、ほんの少し前。庭の手入れをしているところに声をかけてきたのだ。フリージアの古い友人と名乗っていたが、どう見てもあり得ない。言い間違いだろうか?
ともあれ、フリージアの墓参りに来たというのであれば無碍にはできない。この街は他ならないフリージアのおかげで今もあるのだから。
「フリージア様に献花するなら、ここの教会でも預りますよ。それともお墓に直接行かれますか?」
「直接がいいなぁ。せっかくここまで来たんだから、一言くらい直接ね?」
「分かりました、ご案内しますよ」
「悪いよ。場所さえ教えてくれれば……」
「いえ、バラガンさんのお話をもっと聞きたいですし、フリージア様のお話もできれば聞きたいですから」
「フリージアはともかく、バラガンの話なんて録なものが無いよ?」
「実は、バラガンさんが教会に訪れて最初に会ったのが……」
昔を語り、懐かしそうに微笑むシスターに銀髪の少女が笑う。連れ立って歩き出した2人は時折クスクスと笑いをこぼしながら、フリージアの待つ墓所へと向かう。
今日も街は平和に賑わっていた。
***
「バラガン、貴様は戦いが終わったらどうするつもりだ?」
「……なんだよ、藪から棒に。今から先の話かよ」
「いつ、命を落とすかは誰にも分からないんだ。心構えくらいはあるだろう?」
「とは言ってもな……。まぁ、お前らに酒持って訪ねるくらいはするか」
「酒だけか?借りた金はちゃんと返せよ?」
「もう時効だろ?忘れとけ、そんなもん」
「それは貴様のセリフじゃないだろうが。……まぁ、いい。私の元にも来るなら最も雪の深い時期に来い。体力バカの貴様を思う存分こき使ってやる」
「それは構わねぇけどよ、酒くらいは出せよな。燃料が無くっちゃオレだって動けねぇからよ」
「仕方ない。一年で限られた時期に少ない量だけ造られる、外にまったく出ない酒を出してやろう。燃料としてはうってつけだと思うが?」
「よっしゃ!その言葉、忘れんなよ!?」
「貴様と一緒にするなバカ」
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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