第15話 脱走と追跡と魔剣の闘い
「……フハハ、引きこもりだからって甘く見るなよ?」
場所は寮を囲う塀の近く、乗り越えてすぐの地点だった。口調だけは強気に呟くのはボロボロの薄汚れた白衣を着たハンナだ。ハンナは不恰好な姿勢で落ち葉にまみれて誰もいなくなった場所からゆっくり起き上がる。その途端に訪れた猛烈な吐き気を堪えきれず盛大に吐いた。
「……うぇぇ。覚悟していたけど副作用が酷いなぁ、こりゃ。でも、塀を乗り越えるほどの力と体力が無い私はドーピングでもしなきゃ逃げられないのであった」
口元を白衣の袖で拭いながら握りしめていたビンをその場に落とす。ラベルにはシンプルに「強化1」とだけ書かれている。
「とりあえず、脱出には成功した訳だ。あのままだったら私は何にもしないまま終わっちゃうからね。頼られた手前、簡単には引き下がれないってもんさ。
しかし、白衣に施した隠蔽魔法とこの辺にバラ撒いた認識阻害薬があって助かったわ。まさかあんなにも早くシェフィに勘付かれるとは思わなかったよん」
緊張と副作用の両方から来る冷や汗を乱雑に拭うと木々の合間から見える学園を囲う壁を見る。本来であればこの状況で四方に置かれた門を通り抜けられないだろうが何事にも抜け道というものがあるのは定石である。
「誰だか知らないけど秘密の抜け道作ってくれてた人には感謝だよね。その人に生きて会えたらお礼言わなきゃだね」
ふらつきながら荷物を背負い直し木々を支えに歩き出す。
ここで一つ、訂正しよう。彼女、ハンナ・ユリフィスが特別科に送られた理由は極度のズボラでも、実験失敗の末の連続爆発事故でもない。それは目的に対して何をしてでも辿り着こうとする度を越した執念が一番の理由なのを知る者は少ない。普段は研究意欲に矛先が向いているが向かう先が変われば当然、アプローチの仕方も変わる。今は少ない後輩からの頼みを全うすることに全力を傾けているのだ。
「後輩は私が守る。相手が誰だろうが後輩の尊厳を踏みにじる奴らは全員吹き飛ばしてやる……」
燃え盛る炎のように怒りと決意を胸に秘めたハンナは止まらない吐き気に辟易しながら壁を目指す。しかし、
「ウオエエエエッ!こ、これはダメかも知れない……。思ったより副作用が激しい……」
どうにも締まらないのはハンナの生まれ持った悲しい運命なのかも知れないが早くも後悔し始めたハンナは再び盛大に吐いた。
***
なんとか学園を囲う壁の門から出られた特別科のメンバーは寮で待機しているミランダから連絡を受け取っていた。
ちなみに門を出られたのはミランダの御家パワーでのゴリ押しが効いたからであった。
『シェフィ、ハンナはどうやら北に向かったみたいね。忘れて行ったのか単に不用になったのか知らないけど地図に丸が付けてあるわ』
「了解しました、お嬢様」
ハンナ捜索のために特別科のメンバーはミランダの指示でひとまず学園都市北部を目指す。ハンナの残した手がかりは少ないが慌てて飛び出して行った部屋にはいくつかのメモなり、資料なりが乱雑に放置されていてそれらから読み取れるのは学園都市北部に何かがある、ということだった。
全員で固まって移動する最中にもどこからか魔獣の鳴き声が響く。その鳴き声から遠ざかるように移動するためスピードはやや、控え目の行軍だった。その道中でシェフィールドが今の状況を整理する。
「恐らくハンナ様は暗号にも出ていた廃棄物処理場に向かったと考えて良いでしょう。目的は相談された件についての後始末かと思われます。サイラス元教諭が何をどれだけ相手とやり取りしていたのかは不明ですがハンナ様はその相手にも制裁を与えることを考えたと思われます」
「あいつ、こんなに熱血なヤツだったか?普段のアイツからしてみりゃ面倒がりそうだけどよ」
「確かにそう思うけどさ、アレであいつは意外と面倒見が良かったりするぜ?」
ギルバートとザックスが好き勝手に言う隣でシルヴィアは油断無く周囲を警戒していた。
(近くに魔獣の気配は無し、と。一番近いのも低級みたいだから問題は無いかな?)
シルヴィアが人知れず警戒しているのを余所に、あまり緊張感が無いまま学園都市北部に到着した一同はそこで2手に別れることになった。
「では事前に決めた2班でここからは行動しましょう。戦闘はなるべく避けること、魔獣及び学園の者に見つからないようにすること、連絡はこまめにすることを前提条件として無理の無い範囲で捜索に当たりましょう。
ハンナ様はお一人の上、戦闘も得意ではないですので私達よりも慎重に行動していると思われます。隠れながらの移動と予測されますからそれを念頭にお願いいたします」
シェフィールドの注意事項に全員が頷いて2班に別れる。シルヴィアはアイシアと手を繋いでギルバートの隣に立った。それを見たシェフィールドは手元の小型魔力通信機を口元に近付けて、
「それではお嬢様、これから2手に別れて捜索致します。逐一連絡はしますのでもうしばらくお待ち下さいませ」
『分かったわ、みんな気を付けてね?ちゃんとみんなで戻って来るのを待ってるわ』
「了解しました、お嬢様。無事にハンナ様を連れてなるべく早く戻ります」
ミランダとの通信を終えたシェフィールドが一同に向かって言った。
「それでは捜索開始です」
***
「……お嬢様、よろしかったのですか?」
「どうかしたかしら、ナーシャ?」
「皆様に朝霞様が向かわれたとお伝えしなくてもよろしかったのですか?」
実は先ほどの通信より少し前、シェフィールド達が寮を出てから30分ほどしてからマリアベルに報告に行っていた朝霞が戻って来ていたのである。戻った朝霞はミランダを問い詰めるまでもなくガランとして静かな寮を見回して全てを悟ったようだった。
『……言いたいことはいくつもあるけど今はいいわ。みんなはハンナを探しに行ったのよね?なら、私も行くから2人はここで待ってて』
『もちろん、最初からそのつもりよ。気を付けて行ってらっしゃい』
『…………』
苦いものを噛み潰したような顔をして朝霞は寮から出て行った。それを笑顔で見送るミランダは凄いとナーシャはしみじみ思ったのだった。
そんなナーシャの内心など考慮しないミランダは手元の小型魔力通信機を弄びながら微笑む。
「別に言っても言わなくてもそのうち合流するのだからどちらでもいいでしょう?それにシェフィとシルヴィアなら朝霞も追ってくることは予想してるでしょうしナーシャの影だって付いてるんだから問題無いわ」
ミランダの何気ない一言でナーシャは心の底から凍りついた。実はナーシャはとんぼ返りで出ていく朝霞にほとんど反射的に影を飛ばしていた。それはミランダの許可無くやったことだったがミランダの死角になる位置だったことと、許可を取る時間が無かったことがあってミランダは気付いていないと思ったので報告をしていなかったのだ。従者が主の要望も許可無く勝手に動くなど言語道断である。ただ微笑むミランダにナーシャは冷や汗を流して固まるしかなかった。
「お、お嬢様……、勝手なことをしてしまい、申し訳ありませんでした……」
「別に怒ってないわよ?むしろ言われる前に動けていて感心したものだけど」
今度こそ本当に驚いたような反応をするミランダにナーシャは呆気に取られる。仕え始めて早、2年になるが未だにこの主の考えていることは解らない。
ともあれ、ミランダの逆鱗に触れるようなことにはならなかったことにホッとしていると(実はそれすらもバレているが)、まるで世間話でもするかのようにミランダが言った。
「朝霞が自分から出て行ったのは良かったわね。わざわざこちらから水を向ける手間が省けた訳だし、これで街中であのゲイル……とか言ったかしら?あの男とぶつかってくれれば私の見たいものが見れるのだけど」
「ですが、朝霞様はゲイル・ジニアスという傭兵を突破できるでしょうか?先日のシルヴィア様との稽古……と言って良いのか分かりませんがあれを見る限りでは不安もありますが」
「別に勝敗は関係無いの。私が見たいのは魔剣と魔剣の闘いだもの。どちらが勝とうとも最終的に私が満足できれば問題無いわ。まぁ、強いて言えば付き合いのある分、朝霞が勝てば良いとは思うわね」
ナーシャはミランダの言葉に今度こそ絶句した。主人であるミランダが元々、自分の目的にしか興味が無いのは分かっていたがクラスメートの生死が懸かった状況でさえ己の目的を優先とする姿勢はナーシャには刺激が強かった。そんな従者の様子など、どうでもいいかのようにミランダは付け足した。
「我が儘を言えばどちらかの魔剣を回収できれば今回の騒ぎにも感謝するわね」
それが本心からの偽り無い言葉ということを悟ったナーシャは態度に出さないまま心の底から願った。
(どうか皆様、無事に戻られますように……)
***
ナーシャの切実な願いを知らないシルヴィア達は2手に別れてからハンナの捜索を始めていた。まだ魔獣とも学園の保安部とも接触が無く、ハンナの通りそうな道、すなわち裏路地を意外と呑気に歩いていた。なにせシルヴィアとアイシアは魔力感知が桁違いに鋭いので魔獣はもちろん、保安部の魔法使いも全て回避していた。そんな余裕のある雰囲気の中でギルバートはなんとなくシルヴィアに問いかけた。
「……なぁ、シルヴィアはさ、結局なんなんだ?」
「また随分と漠然とした質問だね」
「お前が普通の人間じゃないのは分かってる。恐ろしく強いことも分かってる。ならなんでこんなところで学生なんかやってんだ?他にも色々あったんじゃねぇのか?騎士団とかさ」
ギルバートの人によっては失礼にも受け取れる質問に気分を害した様子もなくシルヴィアは淡々と答える。
「前にも言ったけど私の正体は知らない方がいいよ。教えなきゃならない状況なら教えるのに抵抗は無いけどそれは今じゃない」
「別にどうしてもって話な訳じゃないんだよ。ただ……、そうだな、なんとなくだな」
「なんとなく、ね。まぁ、気になるのはしょうがないか。私がギルバート達の立場なら同じように思うだろうしね。
でも、これだけは信じて欲しい。私は何があっても君達を傷付けない。この身を以て全力で守ることを誓うよ」
「待て待て、そんな仰々しいことを言わせたかった訳じゃない!」
ギルバートはなんとなくの問いかけが思わず重苦しい話になったことに驚いた。ギルバートとしては世間話のつもりで口から溢れた本当になんとなくの話だったからだ。
「正直に言えば、オレは別にお前の正体が誰だろうが何だろうがどうだっていいんだよ。オレが聞きたかったのはお前がオレ達をどう思ってるかってところだ。最初にも言ったけど、本当なら学生なんかやるつもりなんか無かったんだろう?それなのにこんなハンナのアホを連れ戻す面倒までやらせてよ、嫌じゃねぇのか?」
慌てて質問の意味を説明するギルバートにシルヴィアは微笑んだ。最初に曖昧な質問をされたときは、自身の正体を勘繰っているのかと思って今まで幾度となくしてきた回答をしたがどうやら違ったらしい。
ギルバートは続けてバツが悪そうに頭をかきながら先ほどより幾らか調子を落として言った。
「オレの言い方が悪かったな……。お前の正体は確かに気になるけどさ、それは本人が言うまで無理矢理聞くつもりはねぇんだよ。そうじゃなくて、なんというかさ、あの……なんだ?クソ、なんて言うのが合ってるのかわかんねぇな……」
まだ自身の中で言いたい言葉が具体的にならないのかギルバートは苦々しい顔で悪態をつく。その様子にシルヴィアは堪えきれない風に吹き出した。
「ふふふっ。ギルバートは優しいね?」
「あぁ……?やめろ、気持ち悪ぃ」
「そんなこと言わずに、ねぇ?アイシアもそう思うでしょう?」
「ギルバートは口が悪いけど優しい」
「だあああっ、やめろやめろ!鳥肌立ってきたぞ、チクショウ」
ギルバートが両腕を擦りながら悪態を吐く。それを見ながらシルヴィアとアイシアは笑った。和やかな雰囲気が路地に広がろうとしている時、アイシアが唐突に真顔になって路地の向こうを向いた。それにギルバートが気付き、同じ方に顔を向けようとした瞬間、シルヴィアは既に動いていた。
「三の型、打ち風」
路地の向こう、その曲がり角から大型の魔獣が勢い良く飛び出した瞬間にその魔獣は胴から真っ二つに分かれて呆気なく絶命した。ギルバートが顔を向けたときには既に魔獣は地面に2つになって落ちていた。
「は?」
「スピード特化なのかな?魔力感知の範囲外から急にここまで突っ込んで来るから取り敢えず処分したけど。初めて見るタイプの魔獣だなぁ」
「いや、は?なん……」
「私もビックリした。でもお姉さんすごい」
「いや、ちょっと待てって……」
「アイシアに褒められると嬉しいよ」
「だから、ちょっと待てって言ってんだろ!」
唐突な展開に追いつけないギルバートを余所にほのぼのし始めた2人に怒鳴った。当の2人はキョトンとして何がなんなのかわからない様子でいる。そんな様子に少しずつ冷静さを取り戻したギルバートは真っ二つになった魔獣を指差して尋ねた。
「取り敢えず状況を説明してくれ」
「説明も何も魔獣が来たから処分しただけだよ?」
「そんな『さも当然』みたいな顔されても困る。もし人だったらどうするつもりだったんだよ!」
「魔獣の魔力は澱んだ気配だから人と間違えることは無いよ。仮に人だとしても魔獣によく似た魔力を持ってたらそれはもう真っ当な人間じゃないからどちらにしても問題無いよ」
どこまでもあっけらかんと言い放つシルヴィアに尚も食い下がろうとするギルバートだが不意に足元が微かに振動していることに気が付いた。
「なんだ……?」
「ギルバート、お姉さん。来るよ」
足元の揺れは次第に大きくなり始めている。それに従って地響きも聞こえてきた。
「おい、これ、なんか来てるぞ!?」
「ギルバートとアイシアは下がってて。自分の身を守ることだけに注意して」
意味がわからないままギルバートがアイシアを庇うように立ち、シルヴィアが右手を手刀の形にしたところで『ソレ』は来た。
建物の角を悠々と曲がって来たのは巨大な魔獣だった。ちょうど並んだ二階建ての建物に相当するほどの巨体で四足歩行の魔獣だった。
「アンスラウムか。上の下くらいの魔獣だったかな」
「シルヴィア、これ、マズくないか?逃げた方がいいんじゃねぇのか?」
「うーん、相手がアンスラウムじゃなければそうしたんだけどね。あいつの足元と後ろ、見えるかな?小さい魔獣がいっぱいいるでしょ?あんな感じに大量の取り巻きを連れ歩くのがアンスラウムの特徴なんだよね。逃げても延々と追いかけられるのは面倒なんだよ。それに取り巻きは雑魚だけど数が多くて厄介でね、相手にするときは苦労するんだ、これが」
シルヴィアが呑気にアンスラウムについて説明している内に周囲はあっという間に取り巻きに囲まれてしまった。アンスラウムの号令待ちなのか取り巻きはこちらの様子を伺っていてすぐに飛び出す気配は無い。だからといって安心などできないが。
「どうする、さすがに全部はしんどいぞ?」
「ギルバート、アイシア。2人はどれくらい自衛できる?」
「悪ぃがオレは自分だけで手一杯だ。アイシアを抱えて逃げ回るくらいならイケるけどよ」
「下級魔獣ならいくらいても関係無い。全部凍らせて終わり」
「じゃあそれで。2人は自分の身を最優先にしていざとなれば私を無視して学園まで逃げて。私もなるべく早くアンスラウムを倒して取り巻きを片付けるから」
言うや否やシルヴィアは返事を待たずに駆け出す。アンスラウムは耳障りな鳴き声をあげると足元の取り巻きが一斉にシルヴィアへと襲いかかった。しかし、シルヴィアはまるで羽虫でも払うかのように右手を振るだけで、襲いかかった取り巻きは全て両断されて地面に転がった。
そんなシルヴィアの様子をじっくり見る暇も無くギルバートはアイシアを抱え上げてしっかりとホールドした。
「アイシア、こいつらの掃除は任せた。オレは絶対に逃げ切ってやる」
「ん。信じる」
「任せろ。……全身強化開始、身体能力一律向上。天身賦活!」
ギルバートが自身の魔法のトリガーとなるキーワードを呟いた瞬間、全身に魔力が行き渡った。漲る力を感じたギルバートは軽い一言と共に地面を蹴った。
「よっ、と」
次の瞬間、アイシアを抱えたギルバートは建物の壁に着地していた。飛び掛かろうとしていた魔獣が目標を見失い困惑するのを下に見ながら、アイシアが魔獣に向けて手を翳す。
「アイスランス」
アイシアの魔力によって生み出された氷の槍は狙い違わず3体の魔獣を見事に貫いた。だが、それでも魔獣には決定打にはならなかったようだ。貫かれながらも動こうとする魔獣は改めてギルバート達に襲い掛かろうとするがアイシアは翳した手をそのままに呟いた。
「凍結」
その瞬間、氷の槍が突き刺さった魔獣は槍を基点に一瞬で氷の彫像と化した。音も無くゆっくりと倒れる氷像は地面にぶつかると、細かい氷の粒になった。
氷の粒が散乱する地面にギルバートは再び着地した。アイシアの技に恐れを為したのか、魔獣は怯んだように後ずさる。
「なんか調子良くないか、今日は」
「ギルバートが守ってくれるから。安心できるの」
「そうかよ」
相変わらず無表情なアイシアが、心なしか嬉しそうな感じがして妙に落ち着かない。ギルバートは誤魔化すように走り出した。
「おら、魔獣ども!ガキ相手にビビってないでこっち来てみろや!」
「ギルバートは逃げるだけだけど」
「うるせぇな!どっちの味方だよ!」
ギルバートとアイシアが言い合いをしている後ろから魔獣が追い縋るが、あっという間に氷槍に貫かれ、氷像となっていく。
「なんとか凌げるか?シルヴィアは大丈夫だろうな……」
別の魔獣を盾にして至近まで迫った魔獣の鼻先を思い切り蹴り飛ばす。すかさず、アイシアに氷像とされたのを見ながらアンスラウムの激しい暴れっぷりに、シルヴィアの無事を思った。
しかし、そんなシルヴィアは心配も余所に酷く呑気にアンスラウムと戯れていた。
「相変わらず単調だね、お前は。お前の強みは取り巻きの統率力と巨体を生かしたパワーだけだからね」
シルヴィアを踏み潰さんとして巨大な足を地面に叩き付けるアンスラウムは、足元をちょこまかと動き回るシルヴィアに相当イラついているようで執拗にシルヴィアを狙う。しかし、当たらない。
「それはさておき、大口を叩いて出てきたのはいいとしても思ったより制限されるなぁ。今は万全の状態から程遠いし、おまけにリンクもほとんど切られてて参ったね」
困ったような口調とは裏腹にシルヴィアの表情に困っている素振りは無い。そんな余裕そうなシルヴィアにアンスラウムは一段と大きな鳴き声をあげ、両の前足を大きく持ち上げた。一気に潰そうというつもりなのだろう。それを見たシルヴィアは、右手を腰だめに構えた。そして、言った。
「だからと言ってお前を殺せない訳じゃないんだよ」
シルヴィアが言い、アンスラウムが振り上げた前足を地面に叩き付けた時には全てが終わっていた。気付けばシルヴィアは先ほどの位置から数メートルほど、移動している。
「秘剣、二の型。待ち風一閃 道行介錯」
アンスラウムは前足を叩き付けた姿勢で固まっている。シルヴィアが目もくれずに離れていくと、その後ろで思い出したかのように巨大な首が落ちた。バランスが崩れたのか巨体がゆっくりと横倒しになっていく。
「うーん、やっぱり力が弱いなぁ。本当なら首が落ちたりしないのに」
アンスラウムが死んだことで取り巻きの統率が無くなったようで、残った取り巻きの魔獣は好き勝手に暴れ始める。それに嘆息しながらシルヴィアは手近な魔獣を切り捨てると面倒そうに言った。
「やっぱり数が多い……」
次々と襲い掛かる魔獣を切り捨てながらギルバート達と合流しようとすると不意に足元に冷気が走った。魔力の出所を探知するとその中心に、ギルバートに抱えられたアイシアがいる。そのアイシアが両手を前に翳すと小さく呟いた。
「アイスエイジ」
その瞬間にギルバートとシルヴィアを避けて辺り一面が全て氷に覆われた。建物も道路も魔獣も全てが一様に凍り付く様はまさに圧巻だった。ほどなくして元は魔獣だった氷像だけがひび割れ砕けて散っていく。風に流され空に舞っていく氷の粒は、太陽の光を反射してキラキラと非常に幻想的な絵を作り上げた。
周囲の魔獣が全て氷の粒となって空に舞う中、シルヴィアがギルバート達と合流した。
「お疲れ様、二人とも。ギルバートもアイシアも見事だったよ」
「シルヴィアは全然平気そうだな」
「私、今日は張り切った」
シルヴィアの労いにギルバートは素っ気なく、アイシアは珍しく興奮気味に答えた。アイシアの頭を撫でながらシルヴィアはギルバートの見せた強化魔法について尋ねた。
「ギルバートはなんか珍しい強化使ってたね?」
「そうか?ありゃ、昔に師匠から教わったものでさ、強化魔法しか使えないオレにはちょうどいいんだよな」
「うん?強化魔法しか使えないって?」
「そう言えば言ってなかったか。オレは何故か生まれつき、強化魔法しか使えないんだよ。基礎の魔法も初歩の魔法も何一つ使えなくてな、困って地元の道場の師範に頼み込んで弟子入りしたんだよ。全部を教わる前にこっちに来たから中途半端になっちまってんだがな」
「多分、魔力変換が強化に特化してるのかな」
「師匠もそんなようなこと言ってたな。まぁ、そんな訳で普通科にいる意味が無いから特別科に飛ばされたんだな」
「なるほどねぇ」
確かに学長は、特別科は訳有りの生徒の為にあると言っていた。ギルバートの事情はまさにその通りだ。話の流れでアイシアが特別科にいる理由を聞いてみたが、
「アイシアは単純に周りと比較にならないレベルの魔力量だからだ。周囲に合わせてたんじゃ魔力が溢れるし、だからと言って適当にその辺に捨てる訳にもいかないからな」
とのことだった。当の本人は周囲の状況を魔力感知で探っているようでこちらの話に参加する意思は無さそうである。
ともあれ、長居は無用である。既にここでの戦闘も観測されているに違いないので、早く離れなければ他の魔獣や学園の先生に見つかってしまう。
「とりあえず、移動しようか。ここにいてもしょうがないし、また魔獣が来られても困るからね」
「そりゃそうだな。しっかし、ハンナはどこほっつき歩いてんだ?」
「それが分かればここまで苦労はしないよね……。うん?」
苦笑していたシルヴィアが不意にあらぬ方向を向いて止まる。
「どうした?」
「これは……、魔剣の魔力かな。しかもぶつかり合ってる。ということは……」
「おい、シルヴィア。どうしたってんだよ」
肩を掴まれたシルヴィアがギルバートに振り向いた。その目はいつもと違い、剣呑な雰囲気を湛えている。
「ギルバート、アイシア。よく聞いて。私はこれから朝霞のところに行く。2人はできるだけ戦闘は避けてシェフィールド達と合流して欲しい。それが難しいなら寮に戻るんだよ」
「ちょっと待て、いきなりなんだよ。朝霞が来てんのか?だったらオレ達も一緒に……」
「駄目だ、時間が無い。すぐにでも行かないと朝霞が危ないんだ。2人のスピードに合わせていられない」
「はあ?ふざけんな!そんな切羽詰まってんなら人数は多い方がいいだろ!?」
有無を言わせず置いていこうとするシルヴィアにギルバートが怒鳴ったところで、それまで無言を貫いていたアイシアが喋りだした。
「ギルバート、私達はシェフィ達のところに行こう。それからみんなでお姉さんのところに行けばいい」
「アイシア、お前それでいいのかよ?」
「多分、私達が行っても足手まとい。少なくとも私じゃこの魔力の持ち主を相手に戦えない」
アイシアの静かな瞳に見つめられ、ギルバートは少しずつ落ち着きを取り戻した。
「……アイシアがそう言うならそうなんだろうな」
「ごめんね、2人とも。本当なら私がシェフィールドのところに送ってあげたいんだけど本当に時間が無いんだ。なんなら学園の先生達に頼ってもいいから無事でいて」
「分かったよ、オレとアイシアはシェフィールド達と合流する。そんで、お前と朝霞を助けに行くからな。これは文句言わせねぇぞ」
「正直に言えば学園の先生に全部任せて寮に戻って欲しいのが本音なんだけどね?」
苦笑したシルヴィアは2人に背を向けると普段通りの調子で言った。
「じゃ、2人はなるべく早くシェフィールド達と合流してね。私は朝霞を助けて来るから」
そう言ってシルヴィアは散歩のような調子で歩き出すと軽快に建物の外壁を駆けて屋根に乗るとそのまま走り去って行った。それを見送ったギルバートはアイシアを手早く抱えるとすぐさま移動を始めた。
「急ぐぞ、周囲の警戒は頼んだぜ」
「任せて」
走るギルバートに抱えられたアイシアはそっと、ギルバートの上着を握る。不安は無い。むしろ、その逆だ。
「ギルバート、2つ先の道に魔獣がいるから迂回して」
「おう!」
力強く返事をするギルバートにアイシアは小さく微笑んだ。
***
時は少し遡る。シルヴィア達が連れ立った後、朝霞が寮を出るところまでだ。
朝霞は真っ直ぐに学園の外へ行くのではなく、シェフィールドが最後にハンナを見かけた場所に立ち寄っていた。寮を囲う塀には何かが擦れた痕があり、シェフィールドによって手入れされていた下草は踏み荒らされている。近くの茂みにはハンナの物と思われるビンも落ちていた。
「ハンナ、やっぱり無茶してまで……」
ビンを見つめながら呟いた朝霞はハンナの通ったであろう道筋を辿った。辿ること自体は簡単で、草が踏み荒らされているのを見つければ容易だった。しばらく歩いたところで学園を囲う壁に行き着いた。本来ならば門以外の場所からは出入りできないはずなのでここに意味は無いはずだが、周囲を探っているとある一ヶ所に行き当たった。
「こんなところに扉?随分と古ぼけているけど、ここから出られるの……?」
周囲の壁と生い茂った草に同化するようにある扉は長い間手入れがされていないように思えた。しかし、錆びた古い閂は外されてそのままになっている。最近誰かがここを通ったのは間違いなさそうではあった。
「なんでハンナはここを知ってたのかしら」
疑問に思いながらも恐る恐る、扉を開けてみる。中は真っ暗で先は見通せない。漂うカビ臭さに顔をしかめつつ、朝霞は腰のポーチから小さい魔石灯を取り出して明かりをつけた。
用心しながら中を進むと古さの割に、意外と丈夫な作りであることに気が付いた。恐らく壁と一緒に作られた緊急時の避難路のようなものだと思う。
周囲の暗さとカビ臭さに慣れ始めた頃、通路の途中で同じくらい古ぼけた扉に出会した。しかしこちらは何故か錠前も無いのに扉はびくともしなかった。
「施錠の魔法がかかってるのかしら?でも、ここじゃなさそうだからまた後で確かめましょう」
気を取り直して先へと進む。どうやらかなり長い通路らしく、進めども出口に辿り着かない。本当にハンナがこの通路を通ったのかが怪しくなり始めた時、ようやく暗がりの向こうに光が漏れているのを見つけた。
「やっと出口……」
辟易しながらも出口と思われる場所に向かうと通路の途中に梯子が掛かっており、その上から光が漏れているようだった。
「いつの間にか地下に降りてた訳?」
梯子と通路の先を見比べる。通路はまだまだ先があるようで相変わらず真っ暗闇が続いている。少しの間悩んだが朝霞は梯子を登ることに決めた。そろそろ新鮮な空気を吸いたかったという理由もあったのだ。
そうと決まれば早く登ろうと、手に持っていた『連斬』を背中に背負い、梯子が壊れないか調べてみる。するとホコリが無くなっている箇所があるのに気付いた。ハンナもここを登ったのだろうと当たりをつける。
「さあ、この先はどこに続いているのやら」
梯子はせいぜい3メートルほどしか無く、上の蓋らしき物も長い間放置されていたのか木材自体が傷んでいた。大した抵抗もなく蓋を押し上げるとそこは、どこかの建物の中だった。素早く梯子を登りきり、辺りを見渡す。しかし、部屋の中は家具1つ無い、殺風景な場所だった。
「どこかしら、ここは」
部屋には窓も無い為に外の風景すらわからない。あるのは扉が1つだけ。あの真っ暗な通路の為だけの部屋のようだ。
「とにかく、ここから出てハンナを追わなくちゃ」
用心しながら扉に手をかけると全く抵抗無く開く。その先の部屋も同じく殺風景で何も無かった。しかし、こちらは先ほどと違い窓はあった。
「窓から外が見えるってことはここから外に出られるのね」
念のために用心しながらゆっくりと扉を開けるが、こちらも特に何も無いまま開く。外は普通に学園都市の一角のようだ。
「ここは……」
辺りを見渡し、特徴のある目印を探すと遠目に学園の時計塔が見えた。方角から察するにどうやら学園都市北部のどこからしい。
「とりあえずはメモにあった場所に行った方がいいのかしら」
朝霞がひとまず行き先を決めて歩き出した時、前方の建物の角から誰かが歩いてきた。
その男は一振りの大剣を背負っていた。一見、無造作に歩いているように見えるがその姿に隙は一分たりとも無かった。
朝霞に遅れて男も気付いたらしく僅かに眉を上げた顔をして朝霞と視線が合う。
「おお……?なんでこんなところにガキがいるんだ?」
男、ゲイル・ジニアスは突然目の前に女子生徒が現れたことに面食らったようだったが、朝霞の視線が己の背負う大剣に向かっているのに気付くとそこでようやく朝霞の持つ『連斬』に目を向けた。
「嬢ちゃん、こいつが気になるか?」
「……あなたは誰ですか?」
「なんだ、こいつじゃなくてオレが気になるのか?でもまぁ、悪いことは言わねぇからオレのことは忘れてとっとと帰んな。ここら辺は危ねぇからよ」
ゲイルが虫を追い払うように手をしっしっ、と振るが朝霞は完全に無視した。
「あなたからは危険な雰囲気がします。それにその大剣、どうして血が付いてるんですか?」
「……嬢ちゃんよ、そういうのは見て見ぬ振りするのが長生きの秘訣だぜ?」
「あなたがどこの誰かは知りませんけど学園都市で何かをやろうとしているなら許しません」
朝霞がそっと『連斬』に手を伸ばす。それを見たゲイルもさりげなく半歩下がる。
「嬢ちゃん、そいつに手をかけたら止まれないぜ?今なら見逃してやるから早く帰れや」
「ご忠告、ありがとうございます。でも、その大剣に着いてる血を見つけた以上は見て見ぬ振りなんてできません」
朝霞の言葉にゲイルが小さく笑った。そして背負う大剣『剛刃』に手を伸ばす。それに続くように朝霞も『連斬』の柄に手をかけた。
「風斬活心流、師範見込み。風斬朝霞です」
「オレみたいなゴロつきにわざわざ名乗るなんざ良いとこのお嬢様か?まぁ、名乗られたからには適当でも返すのが筋ってもんか。
傭兵、ゲイル・ジニアス。今後、雇うことがあったらよろしくどうぞ」
ゲイルが冗談混じりに言った直後、朝霞は『連斬』を抜き放って一息に肉薄した。そのまま放たれた横凪ぎの一撃をあっさり防いだゲイルは面白いと言わんばかりに口角を吊り上げた。
ここに、お互いが知らぬまま魔剣同士の闘いの火蓋が切って落とされた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
気にいった所などがありましたら感想など、残してくれると嬉しいです。
ブックマーク、高評価お待ちしておりますので忘れずにお願いいたします。




