プロローグ
ーーーそこは戦場だった。
辺り一面が打ち捨てられた死体とそこから流れる血や臓物で溢れ、酷い臭気と死の気配が戦場一帯に満ちている。
遠くを見渡せば火事も起きているようだ。じきに生きている人間などいないこの戦場の全域に火が回るだろう。
この戦場だけではない。最早、大陸中の戦場がこのような風景に成り果てていた。
そんな惨憺たる状況の戦場に場違いな存在がポツンと立っていた。
『ソレ』は美しい銀髪を返り血で汚し、同じく白銀の鎧は同様に赤色に変わっていた。
『ソレ』はぼんやりとした目で周囲を見渡し緩慢な動きで自らの足元を見る。そこには血塗れの男が倒れていたが『ソレ』はほとんど興味を示さず視線を前に向けるとやはり緩慢な動きで歩き出す。
『ソレ』の手はまるで血に浸したかのようにべっとりと血に染まり歩いた跡に血を点々と落としていった。
しばらく歩いただろうか。
ふと『ソレ』は空を見上げた。空は厚い雲と立ち上る煙で何も見えなかったがまるで何かを見つけたように一心に見続ける。
やがて今までのぼんやりした足取りから打って変わり別人のように力強く歩き出した。
「刀冶……」
小さな声で一言だけ呟くと先ほどまでの気力の全く無い目から変わり生気に満ちた目をしてどこかを目指して進む。
『ソレ』はどういう仕掛けか身に付けていた鎧を手を使うことなく歩きながら脱ぎ捨てていった。不思議なことに全ての鎧が鋭利な刃物で斬られたかのように真っ二つであった。
…その後の『ソレ』の行方は誰にも分からない。
***
戦争の発端がなんだったのかそれを正確に伝えているモノはもうない。
何故なら戦争が始まってから既に100年が過ぎた時になってようやく主要参戦国家による同時終結宣言が成されたからである。
終結宣言の後に大陸中で国家の見直しが始まった。
戦争に参戦した国もしなかった国も大陸全土が疲弊していた。この疲弊からやっと回復し始めたのは終結宣言から50年が経ったときだった。
今まで大小様々な国家が大陸中に存在していたが疲弊は根深く幾つもの小さな国が消えていった。
いつしか大陸を東西南北の4つの大きな国に分け、中心にこれからの若い世代の為の都市を設け共同で運営することとなった。
それから以降は戦争もなく平和な日々が続き人々が大陸戦争を過去のものとして受け入れ始めた頃、時と場所が異なるがある噂が出回るようになった。
ある有名な某国の大臣は語る。
『戦争が終わったきっかけはたった数本の剣の力だ。
終戦間際に現れその絶大な力で戦場を圧倒し、戦いの悉くを終わりへと導いたのだ』
ある老人は語る。
『俺はあの戦場で確かに見たんだ。今でも覚えてる。1人の騎士が一振りの剣を振るっただけで辺り一面が火の海になったんだ。
…嘘じゃない、本当だ。
どこからともなく現れた騎士は目に見える範囲を焼け野原にした後戦火の上がる方へと向かった。その先でまた炎が空高く昇って音がまた1つ静かになった』
ある男は語る。
『オレは当時まだ10にもならないくらいのガキだったんだがよく覚えてるさ。
…あの日も戦いの音に怯えながら母ちゃんと家に隠れてたんだけどよ、とうとう敵の部隊がオレのいた町に攻めて来たんだ。
小さな町だからあっという間に侵攻されてな。あの時は死を覚悟したよ。
けどな、その時だった。いきなり現れた騎士様が侵攻してきた敵の武器と荷物だけ破壊していくんだよ。
たった1本の剣でだぜ?明らかに鎧ごと敵を斬ってるのに斬られてるのは武器とか鎧とかだけなんだよ。夢でも見てるのかと思ったくらいだぜ』
このように語られる噂話が大陸中で語られたが西と南の国で不思議な力を持った剣を所持している者がいるとされ、噂話は一躍実話へと変わった。
西の国では自在に雷を操り、南の国では炎を己の手足のように使う剣があるとされた。
それ以外の各地でも不思議な力を持った剣の目撃情報が後を絶たなかった。
西の国のとある騎士はこれらの剣を『魔剣』と呼び普通の人では全く太刀打ちできないモノだとして過度な詮索や探索は危険だと進言し、国王へと全ての魔剣を収集することを公式の謁見の場で発言した。
これは1つの大きな国家が完全に魔剣はあると認めたこととなり大陸中に激震が走った。
ここまでが100年戦争の終結から復興開始までのこと。戦争が始まってから150年が経っていた。
ここから更に30年を要してようやく大陸から戦火の爪跡が消えようとしていた。4つの大国は独自の文化、商業、工業を発展させ人々の暮らしを大きく変えていった。
そして4つの大国の中心、若き世代を教え導く場として作られた学生のための都市である、『学園都市』も大きくなっていった。
それから200年が過ぎ大戦が遠い過去になった。
***
とある森の中。小さな家がポツンとあった。
灯りの乏しい部屋の中で2つの声が響く。
1つは老人の声。今にも尽きてしまいそうなしわがれ声で傍らの椅子に座るもう一つの存在に優しい声音で囁く。
もう一つは少女のような、しかし鋭く触れれば斬られそうな声。やはり優しい声音で対する老人へと語りかける。
「……さて、と。長らく世話になったね、オルロック。君ともこれでお別れとは少しばかり寂しい気分だよ」
「……ああ、僕も寂しいよ銀の君。もう少し君と一緒にいたかった…」
「ふふ、『銀の君』なんて懐かしい呼び方じゃないか。初めて君が私を呼んだときのことちゃんと覚えてるよ、今でもね」
暗がりのせいか表情はよく見えないが微かに見える口元は微笑んだようだった。
「……あれが僕の初恋だったんだ。君に声をかけてそれから君のことを知って…、それでも諦められなくて告白したんだ」
「ああ、私の正体を知っても好きだと言ってくれた君は私にとっても大事な人間だよ。
だからこの別れは今までのどの別れよりも寂しくて辛いよ。
…思わず涙がこぼれるくらいにね」
『銀の君』と呼ばれた存在は軽い口調とは裏腹に大量の涙を流していた。
堪えようとせず敢えて流れるに任せているようだった。
「……泣かないで、銀の君。いや、シルヴィア。…もうほとんど見えないけど君がとても悲しい顔をしているのがよく分かるよ。
君は微笑む顔が1番美しいんだから」
「…ははは、君はいつもキザだなぁ。
よくもまぁそんな浮ついたセリフが恥ずかしげもなく言えるよ。
私に告白してきたときもそんなようなセリフを言ってくれたね」
「……君のためなら一日中だって聞かせてあげるよ。
音楽も演奏しようか。僕はこれでもいろいろ演奏できるんだ」
老人の声が少しはしゃいだように大きくなる。重い体を動かしてまるで何か楽器を演奏しているかのように腕を振る。
その腕を取って枯れ枝のような手を優しく握ると『シルヴィア』と呼ばれた少女は老人に向かって微笑む。
その手に涙が落ちる。
「オルロック、私は大丈夫だよ。
君が私を普通の少女のように愛してくれて本当に嬉しかった。ここでの生活は楽しくて幸せだった。
……だから、もうお休み。疲れただろう?」
「……そうだね、少し疲れたかな…。
…シルヴィア、これからのことは僕の古い友人の息子さんが助けてくれるそうだよ。…村の教会に話は通してあるから…神父様に言って学園都市行きの馬車を…」
そこまで言って老人は激しく咳き込む。
「オルロック!?」
シルヴィアは老人の手を握って名前を呼び続ける。
しばらくして落ち着いたのか少し荒れた息で老人が再びしゃべり出す。
「……ごめんよ、シルヴィア。まだ大丈夫さ。
…馬車に乗って学園都市まで行くんだ。そこから先はシルヴィアの自由にするんだ。
…僕のことは気にしなくていいんだよ?」
「オルロック…。
わかったよ、君の言う通りに自由にするよ。
これから私は学園都市に行ってまた新しい生活を始めよう」
「……ありがとう。
シルヴィア、君に出逢えて良かった。
君を愛せて良かった。
君と一緒にいられて良かった。
…君が最期まで隣にいてくれて本当に良かった。
愛してるよ、シルヴィア」
老人はベッドに力無く横たわる。あまり時間は無さそうである。
「私も君に出逢えて良かった、オルロック。
君が私を見つけてくれて良かった。
君に嫌われなくて良かった。
君と一緒にいられて良かった。
君の最期を看取れて…良かった…。
愛してるよ、オルロック。ありがとう」
涙を大量に流しながらシルヴィアは老人…オルロックに告げた。
オルロックは笑顔を浮かべシルヴィアの手を強く握るとそのまま息を引き取った。
…1人になった部屋の中に泣き声が上がる。夜が明けるまでシルヴィアは泣き続けた。
***
翌朝、赤い目をしてシルヴィアは神父にオルロックの埋葬を頼んだ。
神父はシルヴィアにお茶を出しながらこれからのことを告げる。
「オルロックさんは手厚く埋葬するよ。今までお疲れ様、シルヴィア。
少し休んで行きなさい」
「ありがとう、イアン。最近は世話になりっぱなしで悪いね。
出立まで教会の草刈りとか樹の手入れとかやっておくよ。近頃はサボり気味だったしね」
「そんなのはいいんだよ。荷物の準備と家の整理で忙しいだろう?なんなら村の若い衆を手伝いに行かせようか?」
「いや、荷物はもう前から準備してあるし、家の片づけは1人でやりたいんだ。
せっかくだけど申し訳ないね」
「そうか、分かった。
家はどうする?残しておくことも一応は出来るが…」
「…名残惜しいけど処分するよ。人の住まない家はあっという間に朽ちる。そうなったら村の子供達が危険だよ」
シルヴィアの顔が悲しそうに曇る。
「…分かった。家の解体はシルヴィアが出て行った後に村のみんなでやる」
「解体くらいなら私1人でもできるから大丈夫だよ?
それにそんな迷惑はかけられない…」
「シルヴィア。旅立つときに家があるのと無いのでは大きく違うよ。しかも大切な家を自分で壊すなんて辛いじゃないか。
それにこの村でシルヴィアは家族と同じなんだから迷惑だなんて言わないでくれ。
今、この村にいる子供達はみんなシルヴィアが名付けてくれた。
…それなのに迷惑なんて言うのかい?」
「…ズルいよ、イアン。そんなこと言われたら断れないし旅立てないじゃないか…」
「すまないね、シルヴィア。君はみんなにとってお姉さんのような存在だから、君が自分だけ違うと線を引くのが許せないんだよ」
「こんな私を受け入れてくれたみんなは私も家族のように思ってるよ。
みんな私の子供のようなものだしね」
シルヴィアはカップの中のお茶を飲み干すとサイドテーブルに戻し立ち上がる。
神父も同じく立ち上がるのを見てから静かな声で神父に言う。
「さて、オルロックを送ってあげるとしようか」
***
それからは慌ただしく時間が過ぎた。
オルロックを弔ってから身辺整理と村中の草刈り、畑の手入れをしてついでに近くに来た夜盗を血祭りに上げた。
夜盗を最寄りの街の衛兵に預け、褒賞を旅の資金に充てる。
そんなことをしてたらとうとう出立の時が来てしまった。
「みんな、今まで世話になったよ。
これからも元気でいてくれよ?手紙は出すしたまには帰ってくるからさ。
…泣くのを我慢してるんだ早く送り出してくれないかな?」
シルヴィアは幼い子供達がしがみついて離れないのを子供達の親に離すよう伝える。
その親も口々にシルヴィアへと別れを告げる。
そこに神父がやって来てシルヴィアに隣村まで馬車がやって来たことを伝えた。
「ありがとう、イアン。
…それじゃあみんな、行ってくるよ。今までありがとう!」
シルヴィアはそう言って村から旅立つ。
何度も振り返っては手を振り続ける子供達に同じく振り返す。
…やがて村が完全に見えなくなってから近くの樹の根元に座り込んでほんの少し泣いた。
隣村に到着すると村の入口で1つの馬車が待っていた。御者台の老人に名前を告げ、チップを渡し乗り込む。
ガタガタと揺られながらシルヴィアは村に思いを馳せ、やがて小さな寝息を立て始めた。
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