愛しの婚約者が隣国で侍女になっていた!?
『新人侍女』が思いのほか高評価だったので、王子視点を書いてみました。
読んで分からない点や感想等ありましたら送ってくださると嬉しいです!
連載で『しろねこ姫の不思議な力』という作品も書いています。宜しければ是非そちらも読んで頂けると嬉しいです!
オレはレオナルド·サリル·アストレン。れっきとしたアストレン王国の第一王子だ。髪は王族の証である柔らかいプラチナブロンドで、母譲りの紫の瞳を持っている。人一倍公務もこなし、父である国王陛下からの信頼も厚いと自負している。
今日は王家主催のダンスパーティーが開かれている。オレも王家の一員として参加する。ただし、誰もエスコートせずに。
貴族達からの挨拶も、毎度の事ながらオレの隣に並び立つべき人を散々薦めてくる。いつも笑顔をはりつけてそれを断っているのに、懲りない奴らだな。
そんなオレが唯一警戒しないでいられるのは、アストレン王国の敏腕宰相であるラファンスト公爵と夫人、その息子二人だけだ。それには、オレが一人きりでパーティーに参加する理由も関わっている。
今日も最後に挨拶に来たラファンスト公爵一家。軽く挨拶を交わした後、オレはいつもの質問をした。
「……例の件はどうなっている?」
いつもであれば、ここで揃って沈痛な面持ちになり、まだ見つかっておりませんと返ってくる。毎度言われるにも関わらず、未だに胸を刺されたような痛みが襲ってくる。
しかし、今日は少し……いや、かなり様子が違った。
「まだ、確実ではないのですが……」
まだと聞いてやはりと思ったオレは、その後の言葉を聞いて改めて宰相の顔を見た。いつからか表情には常に差していた陰が、少し和らいでいる気がする。
「……もしかしたら、見つけた、かもしれません」
「……………」
咄嗟には理解出来なかった。見つけた、それは十年間待ち望んだ言葉で。今までオレが行ってきた事も、全てはここに繋がる。パーティーへの参加も、勉強も、果ては公務までも、全て。
オレはともすれば震えそうになる声を絞り出した。
「……それは、本当か?」
「…先程、使用人が話しておりましたので。『こちらでは、水色の髪の人は有名なのか』と。そして、『じゃああの子ももしかしたら…』と」
やっとだ。やっと、手がかりを見つけた。この十年間、何の進展もなかった暗闇に、僅かながら希望の光明が差したのだ。
「……娘は、ティアリアは、本当にそこに……」
「きっと連れて帰ってみせる」
漸く、十年ぶりに、愛しの婚約者に会える…………!
その後件の使用人を呼び出し、詳しく話を聞いた。使用人によれば、つい一年前まで働いていた隣国イルク王国の王宮に、至極真面目な新人の侍女がいたらしい。他の侍女と違って完全に髪を隠していたその侍女は、一部の傲慢な侍女から『あの忌々しい水色の髪、きっと呪われてるのよ』などと言われていたそうだ。
それを聞いてオレはいても立ってもいられなくなった。確かにイルク王国では圧倒的に茶系の髪が多い。その上青は忌まれている。ラファンスト公爵家の血を引くティアリアの、水色の髪で蒼い瞳という容姿であれば、きっと虐められてしまう。
オレは父上の元に行き、隣国へ視察に行きたい旨を伝えた。もちろん視察などというのは名目上であって、ティアリアを見つけ次第帰国する予定でいた。
父上はオレの話を聞いて眉間に皺を寄せ、何事か考え込む。その間にオレはティアリアの事を思い出していた。
☆☆☆
初めて会ったのは、オレが五歳になった時だった。父上が将来の宰相となるラファンスト公爵家長男のウィリアムと、オレの補佐候補として次男のアレクセルを連れてきた時に、一緒についてきたのだ。三人とも整った顔立ちをしていた。
「第一王子、レオナルド·サリル·アストレンだ」
「初めまして殿下、ラファンスト公爵家長男のウィリアムと申します」
「次男のアレクセルです」
「ちょうじょの、てぃありあ、ですわ」
当時ウィリアムは八歳、アレクセルが同い年の五歳で、末っ子のティアリアは二つ下の三歳だった。三人とも綺麗な水色の髪を持っていたが、その中でもティアリアの髪はさらさらで輝いているように見えた。
少し見つめていると、ティアリアがちょっと首を傾げた。そして無邪気な笑顔で手を伸ばしてきた。
「おーじさまのかみ、きらきらできれい!」
「ちょ、ティア、駄目だよ」
オレの髪を触ろうとしたティアリアは、慌てたウィリアムに抱えられて、なんでーと頬を膨らませた。優しく頭を撫でながらウィリアムがティアリアを宥める。すると膨れっ面だったティアリアはすぐに笑顔に戻り、ウィリアムに頬ずりしていた。
「……なあアレクセル、あれはいつもの事なのか?」
「はい、そうですよ。でも……兄上、ずるい」
無邪気に声を上げるティアリアは、今度はアレクセルに小走りで近づいてきた。転びそうになるのがハラハラして目が離せない。そのうちに無事辿り着いたティアリアはアレクセルにぎゅっと抱きついた。
「あれくにぃさま、ぎゅーっ!」
「ぎゅーっ」
ウィリアム達の様子を見て羨ましそうにしていたアレクセルも、嬉しそうに抱き返す。オレは、そんなティアリアに釘付けになった。
そのうちオレの視線に気がついたティアリアは、ウィリアムが止めるより早くオレに抱きついてきた。
「おーじさまも、ぎゅーっ」
オレの胸までしかない小さなティアリア。可愛さに思わず頭を撫でると、ふんわりと優しいラベンダーの香りがした。
それからティアリアは兄に連れられてよく王宮に遊びに来た。しかし、兄二人のどちらかが常にティアリアのそばにいて、オレはなかなか仲を深められなかった。
ある日、遊びに来たティアリアはオレのところにすっ飛んできた。今にも零れそうな程瞳を潤ませていた。
「ねえおーじさま、なんでにぃさまたちは、おーじさまをれんかってよぶの?」
「えっ、なんでと聞かれても……」
「りあ、うまくいえない。おーじさまのほうがいい」
ティアリアはまだ三歳、『で』とか『ティ』とかは上手く言えなかった。確かに『おーじさま』よりは『殿下』の方が普通で、だけどティアリアにそう呼ばれるのは嫌だった。
「そうだな……じゃあ名前で呼んでよ」
「なまえ?」
キョトンとしてオレを見上げたティアリア。目を瞬いた事で、頬を一筋涙が通った。
「そう、オレはレオナルドだ」
「れおなるど…………」
何度か口の中でれおなるどと呟いたティアリアは、やがてぱっと笑顔になった。
「それじゃあ、おーじさまは今から『れおにぃさま』ね!」
その輝くような表情と濡れた頬、まだ潤んでいる蒼い瞳がオレの心を揺さぶった。オレは無意識のうちにティアリアの頬に手を伸ばしていた。
「……?れおにぃさま、どうしたの?」
「…………いや、何でもない。これからもよろしくな、リア」
「うん!」
なぜティアじゃなくリアと言ったのか、当時は分からなかったが、今なら分かる。オレの恋する相手を、無意識に守ろうとしていた。それと同時に特別になりたかった。リアと呼ぶのはオレだけ、オレを愛称で呼ぶのはティアリアだけ。
そう、この時確実に、しかし無意識に、オレはティアリアに恋をしたのだ。
オレがティアリアへの恋心を自覚したのは、それから四年後、オレが九歳になってからだった。その頃にはオレの呼び名は『れおにぃ』から『レオニー』となっていた。そしてオレらの仲が良いからと、オレが六歳になった時にオレとティアリアは婚約した。その時に揃ってつけられた婚約の証、手首の内側にある不思議な模様を見ながら勉強をしていたオレの元に、ある知らせが届いたのだ。
「失礼致します!殿下、至急来るようにと陛下のお達しです!」
「……分かった、今行く」
呼びに来た侍従について行くと、父上は文字通り頭を抱えていた。その横には、手を組んで祈るようにしながら右往左往する宰相の姿があった。…………状況が全然分からない。
「父上、ただ今参りました」
「………ああ。今日呼んだのは、言っておかなければならない事があるからだ」
ゆっくり顔を上げた父上は、疲れ切った声を出した。その場が重苦しい雰囲気に包まれる。動き回っていた宰相もいつしか大人しくなっていた。
これから言われる事は、きっと良い事ではない。それどころかとてつもなく悪い知らせだろう。そう覚悟したオレだったが、次の瞬間頭が真っ白になった。
「お前の婚約者、ティアリア嬢が、失踪した」
……は………?…ティアリアが、どうしたって?
ちゃんと聞こえていたはずなのに、心が理解するのを拒んだ。
だって、ティアリアが、オレの隣からいなくなるなんて、そんな事ありえない。認めるものか。
「…………そんなわけ、ないでしょう?なあ宰相、何とか言ってくれよ」
「……残念ながら、事実でございます、殿下」
「迷子になっているだけの可能性は?」
「……低いでしょう。かれこれ一週間、王都中を探してもどこにもいない。あの子は、あの子は一体どこに……!」
その宰相の様子で、父上の発言が嘘でも冗談でもない事が思い知らされた。常に冷静な宰相、その彼がここまで取り乱しているのだ。失踪すれば、ティアリアのような貴族令嬢など、ほとんど生き延びることは出来ないに等しい。
…………………ティアリアが、いない。もう会えない。あの可愛い笑顔も、『レオニー』と呼ぶ甘えた声も、ふんわりと纏っていた優しいラベンダーの香りも、もうないんだ。
理解した途端、胸が強く締めつけられた。たった一人いなくなるだけで、ここまで辛く苦しいなんて、知らなかった。いや、違うな。ティアリアだから、辛いんだ。
オレがどれだけティアリアの事を想っていたのか、この時初めて気がついた。涙が一筋流れ落ちる。それはちょうど手の甲に乗った。
その時視界の端に映ったものに、オレは注意を向けた。それはティアリアとお揃いの、婚約の証。婚約破棄或いは片方が死んでしまえば、自動的に消える模様。もちろん結婚した時も消えるが、逆に言えばこれがある限りティアリアは生きていると、そういう事だ。
「……父上、宰相、これを見てください」
「これは婚約の……そうか!」
「これが消えるまで、オレは彼女を探し続けます。オレの隣に、ティアリア以外の令嬢が並ぶなど、考えられません。もちろん婚約破棄も、新たに婚約を結ぶ事もしません」
「……だが、それは………」
「お願いします!絶対に見つけてみせますから!」
父上は散々悩んだ挙句、一つ大きくため息をついた。
「分かった、ただし条件がある。お前が王となる時までに見つからなければ、別の令嬢をあてがう。たとえ模様があってもだ」
「……分かりました」
要は早く見つければ良いだけだ。それがまさか、十年間手がかりが一つもないだなんて、誰が予想しただろうか。
オレはティアリアを見つけるために、早速行動を起こした。出来る事は手当たり次第やった。
王都の貧民街にティアリアがいるかもしれないと、視察に行った。その時にその治安の悪さや生活環境の酷さを思い知り、もしティアリアがここにいるなら辛いだろうと、探しつつ環境改善に務めた。結果ティアリアはいなかったが、貧民街はまるで生まれ変わったように住みやすい場所になっていた。
おかげでオレは『民の事をよく考えている、将来有望な王子様』などと呼ばれる事となった。オレが考えているのはただ一つ、ティアリアの事だけだというのに。
ティアリアが帰ってきた時に喜んでもらえるように、王宮にある庭には新たに温室を作らせた。そこでは一年中花が咲き誇り、その中で遊ぶティアリアが目に浮かぶようだった。
『ねえレオニー、とてもキレイね!良い香りがするわ!』
ここにいればティアリアが隣にいるような気がして、疲れた時などは温室に来るようになった。
十五歳になって、学園に入学しても、頭の中はティアリアで一杯だった。その頃になると、オレの周りには見た目空欄となっている婚約者の座を狙いに来る令嬢が大勢集まってきた。
「殿下、逃げた人を追いかけるのは無駄ですわ。私は決してそのような事致しませんわ」
「殿下の婚約者に相応しいのは、このわたくしですわ!」
あの手この手でオレを誘惑してきたが、そんな手に乗るオレではない。寧ろ何度言っても諦めない彼女らには、在園中ずっと辟易していた。そのせいで彼女らの纏うフローラルな香り、特に代表格だった令嬢の強いバラの香りを感じると落ち着かなくなった。全く皮肉だな。人を落ち着かせるための香りが、その対象たるオレを落ち着かなくさせているなど。
☆☆☆
そんなこんなで十年が経ってしまった。いつしかオレは十九歳。当時は大騒ぎになっていたティアリアの失踪も、話題にものぼらなくなってきた。
そんな中での、初めての手がかり。オレはたとえ父上に反対されても隣国に乗り込む気でいた。
その覚悟を読み取ったのか、目の前にいる父上に注意を戻すと、覚悟を決めた表情をしていた。
「分かった。隣国イルク王国に行く事を許可する。ただし条件がある」
十年前と同じような事を言う。確かあの時は、『見つからなければ諦めろ』的な条件だったが、今回は何だ?
「……絶対に、何をしてでも連れて帰って来い」
「はい!………え?」
反射的に返事をしたオレは、その意味を理解して何とも間抜けな声を上げてしまった。いや、オレにとっては願ってもない条件だが……
唖然とするオレに、父上が国王の顔をして説明を加える。
「今やお前は、民からの信頼も厚い優秀な王子だ。だが、そこまでの信頼を勝ち得た行動の根底にあるのは、色褪せることのないティアリア嬢への想いだろう?」
面と向かって言われると恥ずかしいが、父上や宰相、それに幼馴染達には今更な事だ。オレの返事を待たず、父上は話を続ける。
「それを無視してしまえば、お前はきっとただの人形になってしまう。言われた事しかやらない、感情のないただの機械に。それはあまりにも勿体ない事だ」
父上は真剣な瞳でオレを見据えた。
「お前を賢王たらしめるのは、ティアリア嬢がいてこそ。きっと、いや必ず、連れて帰って来い」
そこにあるのは、国王として国を栄えさせる目的だけではない。子を心配する親としての感情も感じられた。だからオレは、その両方に応える。
「必ず、連れて参ります」
☆☆☆
長い時間をかけてイルク王国の王都に辿り着いたオレは、ベテランらしき侍女に連れられて部屋へと向かう。そこにはこれからオレの世話をしてくれる、オレが頼んで選んでもらった若い侍女がいた。
選定条件は、『真面目な新人である事』。新人であれば、同僚にいる水色の髪の侍女と聞けば分かるだろう。真面目なとつけたのは、適当な新人をつけられればアストレン王国の立つ瀬がなくなるからだ。
そんなわけで、部屋に通されたオレはまずは長旅の疲れを取る事とした。侍女にお茶を頼んで窓の外に目を向ける。
「リア……きっと見つけるから、待ってて」
小さく呟いた言葉は、風に乗って消えていった。
ティアリアの事を考えていると、いつの間にかお茶の準備が終わっていたらしい。まあ、ぼうっとしていた時間を考えても淹れたてくらいだろう。
オレが机に向かうと、扉近くにいた侍女は自然にオレの後ろにまわり椅子を引く。そしてそのまま机の横に待機していた。何というか、新人とは思えない程美しく滑らかな動きだった。
用意されたお茶を口に含む。どうやら割と前に淹れられたらしく、飲むのにちょうどいいか少しぬるいくらいの温度だった。味も申し分ない。その上、お茶を淹れた事に気が付かなかったから、音も出さないでやった事になる。新人らしいが、かなり優秀な侍女を選んでくれたようだ。
それに、オレにはもう一つ気になる事があった。横に立つ侍女の方を向き、疑問をぶつける。
「……このオレンジの香りは、君が焚いたのか?」
そう、この部屋には少しながらオレンジの香りが漂っていた。今までの疲れを癒してくれるような香り。これも、この侍女がやったのか?
「はい、わたしが準備致しましたが……気に障りましたでしょうか」
「いや、問い詰める訳では無い。むしろ心地良く過ごせる事、感謝する。……ちなみに、何故オレンジの香りを選んだ?」
これは純粋な興味だった。侍女とはいえ元は貴族令嬢、あの諦めの悪い令嬢達のように、焚くならフローラル系を好みそうだが……
それにオレンジなどアロマとしては特殊だ。ほとんどがフローラル系のものの中、何でわざわざ滅多に見ないオレンジなどを選んだのか。
「こちらにいらっしゃるまでの長旅でお疲れかと思いまして、爽やかな物をお選び致しました」
フローラル系の香りは、オレにとっては安らぐ香りでは決してない。この事を知っているのは幼馴染の二人くらいなので流石に偶然だろうが、やはりこの侍女は優秀だな。
「そうか……優秀な人だ、侍女にしておくなんて勿体無い」
そう言いながらオレは侍女の顔を見た。思ったより整った顔立ちをしていた彼女は、一度その蒼い目を瞬かせると、それはそれは綺麗に笑った。すぐに頭を下げてしまったが、オレの目にはその笑顔が焼き付いた。
『ありがとう!』
ティアリアの笑顔が脳裏に浮かび上がる。そう、あの子もこんな風に笑っていて、きっと成長した今はこの侍女くらいになっているだろう……………この侍女?ま、まさか?
確認のために侍女に近づいて眺める。身長はラファンスト公爵夫人くらい、そして特徴である髪はきっちり布に覆われていて見えないが……
顔を上げた彼女と目が合う。はっと息を呑むその表情は、やはり過去に見たものとそっくりで。
「…………リア……?」
そんな都合のいい事があるわけがない。だが、十年ぶりの成長した姿を見て、オレの心は本物だと認めていた。理屈なんかでは説明出来ない、ただ本能がそう言っているのだ。
昔のように彼女の顔に、その頬に触れようとすると彼女は一歩退いた。駄目だよティアリア、どうしてオレから逃げるんだ?
「あ……あの……?」
「……やっと見つけた……オレの大事な人……ティアリア………」
戸惑っている彼女を壁際に追い詰める。さあ、これで君はオレから逃げられない。なあ、オレの事覚えてるだろう?昔のように笑ってよ。
しかし、彼女は少し震える声で思いもよらない発言をした。
「……王子殿下、わたしはアリアナと申します。人違いではありませんか?」
ティアリアは、何を言っているんだ……?人違いだと、そんな事はない。まさか、令嬢どもの言っていたようにオレから逃げたのか……?もう、今度こそ逃がさない。逃がしてたまるか。
逃げ道を塞ぐように壁に手をつく。それに彼女が体を震わせると、頭に巻いていた布が落ちた。
そこにあったのは、予想通りのもの。つまり、ラファンスト公爵家の者の証、水色の美しい髪が波打っていた。
「…いいや、この水色の髪、それに…」
いつしか俯いていたティアリアの顎に手をやり、オレの方を向かせる。ぱちぱちと瞬きした彼女の蒼い瞳には、ただ戸惑いが浮かんでいた。だが、間違いない。
「…綺麗な蒼い瞳。間違いなくティアリアだ」
十年ぶりに会ったオレの愛しの婚約者。気がつけば、オレは彼女を抱きしめていた。ああ、ティアリアの表情、声、香り。十年前と全く同じとはいかないが、やっとオレの元に取り戻したんだ…………!
本音を言えばまだ足りないが、先程のティアリアの発言にいくつか疑問があったのでそっと手を離す。すると案の定、深呼吸したティアリアはこちらを窺いながら発言した。
「あ、あの、王子殿下…」
「レオナルドだ」
「…レオナルド様、その……ティアリアという方は、どなたなのですか?」
まだ、これでもしらを切るつもりか?ずっと仲良しだっただろ?それに『レオナルド様』なんて、何の冗談だ。とぼけるつもりなら、隠す必要がない事を思い知らせてやろう。
「君の事だよ、ティアリア·レーア·ラファンスト公爵令嬢。我が国の宰相の娘でオレの婚約者。髪の毛はラファンスト公爵家の特徴である水色で、母親譲りの蒼い瞳を持っている。七歳の時に突然行方不明になって、今までずっと探してた。……まさか、知らないとは言わせないぞ」
さあティアリア、今ならオレを『レオニー』と呼ばずに避けた事、許してやる。だから正直に言ってくれ。
ティアリアは言うか言わないかで迷っていたようだが、最終的に口を開いてくれた。が、その内容はオレの予想の斜め上を行っていた。
「あの……実は、わたしには七歳以前の記憶が無いのです。そのため、今レオナルド様が仰った事に心当たりはありません」
嘘だろ……?七歳以前の記憶がないのなら、まさか………
「は……?記憶が、無い……じゃ、じゃあ、オレの事も……」
「はい、初めてお会いしました」
「なっ………そんな……」
ティアリアが失踪したと聞いた時と、同じくらいの衝撃を受けた。オレが十年間片時も忘れる事などなかった分、まさかティアリアが忘れているなんて考えもしなかった。
気がつけばオレは椅子に座りこんでいて、それを見たティアリアは慌てたように頭を下げた。
「も、申し訳ございません。レオナルド様の仰る事を信じていない訳では無いのです。ただ、予想外な事だったので理解が全くと言って良いほど追いついていないのです」
ああ、君にそんな事をさせるつもりじゃなかったんだ。オレや家族の事を全て忘れてしまっているティアリアにとって、今のオレは客人、そして自分はそれをもてなす侍女に過ぎないのか。
その事実に愕然としていたオレの耳に、小さく戸惑いの声が入ってきた。
「えっ、同じ模様が……?」
「……ん?」
顔を上げるとティアリアは腕をまくって模様を見ていた。オレとティアリアの婚約の証。だがそれすらも忘れているのだろう、オレはその模様の意味を説明した。
「ああ、これは婚約者同士に同じ模様が付けられるんだ。婚約を破棄するか、無事に結婚するか、あるいは片方が死んだ時には綺麗に消えるが、婚約者である限り何をしても消えない」
「…………わたしが、レオナルド様の婚約者……」
「ああ、そうだ。君がいなくなってから十年も探してたんだ、もう離しはしないから覚悟してろよ?」
そうだ、ティアリアが忘れてしまったなら、今からまた新しく想い出を作ればいい。なあティアリア、だから今日はさしづめ『初めまして記念日』かな?
オレの発言を聞いて耳まで真っ赤にしたティアリア。
「色々至らないとは思いますが……どうぞ、宜しくお願い致します」
オレの、十年の苦労が報われた瞬間だった。
☆☆☆
公務を終えたオレは、いつものように温室へと向かう。そこには可憐に笑うオレの愛しい妃が花を愛でていた。
「リア」
オレが彼女を呼ぶ。いつもならここで『レオナルド様』と返ってくるが、今日は戸惑った表情をしていた。
「あ……レオニー?」
それは久しく聞いていなかったオレの愛称。これを言うという事は、つまりオレの事を思い出したのか?
思いもしなかった時に言われ、オレはその場に固まってしまった。ティアリアはそんなオレに気づく事なく、何度もレオニーと呟いた。やがて何かを決意したように頷く。
「ねえレオニー、こっちへ来て。話があるの」
「なあにリア?」
何だろう、思い出した事を話してくれるのか?ティアリアは失っていた記憶の半分はもう思い出していて、それに従って失踪の原因となった例の令嬢達は処罰した。よりにもよって婚約者の座に嫉妬した彼女らがティアリアを川に突き落としたのだ。
それを思い出した時のティアリアは、真っ青になって震えていた。そして怖いと言いながらオレに抱きついてきたのだ。あれはあれで可愛かったが、今目の前で幸せそうに笑うティアリアは、もっと可愛い。
「また何か、思い出した?」
「ええ、レオニーと呼ぶようになった時の事を。あの時は、本当にレオニーをお兄様だと思っていたのよ?」
言いながらオレの頭に手を伸ばしてくる。そしてオレの髪をそっと撫でる。
「でも、今言いたいのはその事ではないの。……あのね、わたし、今おなかの中に赤ちゃんがいるのよ」
オレにとってレオニー呼び以上の良い事などないと思っていたが、それは見事に覆された。
「い、いま、なんて………?」
「だから、赤ちゃんが出来たのよ。ほら」
聞き返す声は感動のあまりかすれてしまったが、それはもはやどうでもいい。穏やかに微笑むティアリアがオレの手を引いておなかに当てる。まだ全然分からないのに、ティアリアは嬉しそうに笑った。
「ここに、わたし達の子が、いるの」
「……………ほん、とうに…?」
まだ、実感がわかない。それでも、オレを思い出した事より大事だなんて、本当だとしか思えない。ここに、オレ達の子が………
「………リアぁぁぁっ!」
この短時間に知らされた、オレを最大級に喜ばせる知らせが、二つ分。その喜びが、一気に爆発した。子供の頃の想い、離れていた間に積もった想い、結婚してからの想い、それに今の喜びが合わさって抑えられなかった。
「きゃ、レ、レオニー?」
「リア、リアぁ……」
想いのままに、しかしおなかに気を使いながらティアリアを抱きしめて首筋に顔を埋める。それでも想いは溢れて止まらない。
「ああリア、大好き、愛してるよ……!もう二度と離さないからっ!」
「レオニー……ふふ、わたしもよ。わたし、レオニーの事が大好き。もう離れるなんて嫌だわ」
「………!!」
そんな可愛い事を、今言うか………!?オレ今、かなり余裕がないんだけど?!
「これからもよろしくね、わたしの『おーじさま』」
後に民から賢王と称され、何事にも冷静な判断を下した偉大な国王は、最愛の王妃にだけは振り回されていた、らしい。
実はこの作品を連載にしようか悩んでます。
読者の皆様の意見も聞きたいです。正直連載を二つ同時進行するのは難しいので、連載にするとすればかなり先になってしまうと思いますが……
短編でも十分だという方、連載を読んでみたい方、是非感想などで意見をお寄せください!お願いいたします。