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兄は避難所でも女の子に困らないようですよ?

 アールシュバリエには基本、電線もコンセントもACアダプターもない。


 魔工デバイスに使われている魔石は、魔力塔から発せられる魔法を浴びることによって、ふたたび魔力を帯びる。

 再付与リ・エンチャントと呼ばれているリモート充電方式が一般化していた。


 電波時計が毎日決まった時間に時刻を自動的にあわせるように、スマホがデータを自動的にダウンロードするように、電池が自動的に充電されるのだ。

 俺の前世の記憶では、このリモート充電方式はまだ存在していなかったはずだが、いつか似たようなものが登場するはずだ。こんなに似ているのだからな。それが文化収斂というものである。


 ともあれ、魔力塔が停止させられているお陰で、アールシュバリエはとても静かだった。

 どの機械も、わずかに充電が残っている内臓魔石だけで動いている。


 車も電車もまったくと言っていいほど通らない。

 動く物と言えば、水面とか鳥とかの自然物ぐらいで、逆に今はそいつらが魔法で動いているような感じがした。


 派手なネオンサインも、町の景観を維持するための装飾も、街頭の投影結晶も、節電のためにすべてが消え失せてしまっていた。


 もっと大事な魔法が消えてしまった気がするのだが、それが何かはわからない。


 水上バイクは、3000発の貫甲弾を受けて穴だらけになったビルの脇の堤防に横づけた。

 ちょうど桟橋が渡してあって、カモの親子がバイクを避けていった。カモって可愛いよな。


「5年前にも似たような災害はありました。氷の迷宮の最上階にいたレッド・ドラゴン『エルダ』が街に逃げ出し、ツインタワー周辺の市街地が被害を受けています」


「ああ、そういや、そんな事もあったかな……」


 レッド・ドラゴンの方には前科があった。

 割と臆病なボスだったらしく、いきなり最上階にやってきた冒険者たちに驚いて、逃げ出してしまったのだ。


「黒いのは見た事なかったけど。あいつはどこからやってきたの?」


「黒い竜はこの土地に古くからいる守護竜オールローズです。8279年に英霊星降臨の魔法によって復活させられた、魔王討伐時代の竜姫だと言われています」


「8279年って、それ200年以上昔じゃない?」


 英霊星降臨。いまでは9つの禁魔法のひとつに数えられている、国際的に禁止された魔法のひとつだ。

 いわゆる死者蘇生、ネクロマンスの魔法である。


 モンスターが星座から呼び出されるのならば、英雄の星座すなわち英霊星を作って、彼等の幻影を生み出して戦わせよう、という発想で生まれた魔法だ。


 人権や肖像権をひどく侵害する魔法として、今では禁止にされている。

 だが、200年前ならばまだ当たり前に使っている国もあったそうだ。


「オールローズは事件後、アールシュバリエの守護者となる契約を交わしたそうです。本官もビデオで見ただけですが、200年前に県知事とかわした交渉の様子が記録されております。さっき赤い竜と戦っていたでしょう?」


 俺は、思わず後ろを振り返った。

 分断された陸橋のあたりに、戦っていた2匹の姿はもう見えない。


「じゃあ、あの黒いのは、赤いのを倒そうとしていただけなの? 俺たち電車ごと吹っ飛ばされそうになっていたんだけど?」


「街が滅びさえしなければ、多少の人命ならば時間が経てば幾らでも増えてくる、という発想のようです。なにせドラゴンですから、人間とは感性が違うのです」


「なるほど、ドラゴンだな」


 どうやらアールシュバリエには、東京でいう所のゴジラ的な立ち位置にいる怪獣がいるらしかった。

 母親もとんだワケあり物件を手に入れてしまったものである。




 水辺からやや離れたあたり、開けた広場の真ん中に結界でバリケードが張られているのが見えた。

 10マイクロメートルほどの細かい格子状の結界で、触れるとダメージを受けるようなタイプではないが、ふわっとはじき返される。

 通気性に優れ、汚れもつかず、景観も損ねない。理想の金網といったところだ。


 ちょうど銃を構えたレンジャー部隊が、何名かで警護をしている。

 レンジャー部隊はぶかぶかな迷彩服を着ていて、マッチの頭みたいな固いヘルメットをかぶっていた。


 ヘルメットの下で髪の毛を縛って、ツインテールにした女の子が俺のところにやってきた。背がちびっこいのが超可愛い。


 海上保安部隊はレンジャー部隊とお互いに敬礼を交わしていた。海上保安部隊は平らなおっぱいを見下ろす感じで、レンジャー部隊は山盛りのおっぱいを見上げる感じで敬礼をしている。


 バチバチ、と目から火花を飛ばしながら報告しあっていた。


「海上保安部隊第11偵察部隊より、アルファ地点にて発見した遭難者を護送してまいりました。本官は引き続き海上偵察に戻ります」


「連絡は受けています、ご苦労」


 海上保安部隊って、ぜったい他の部署からもやっかみを受けてんな。

 あの水着みたいな装備なにー? みたいな。

 ひと仕事終えて安堵したのか、ふう、と息をついた海上保安部隊。


「じゃあね、辛い事もあると思うけど、がんばって」


「ああ、色々とありがとう。番号交換しない?」


「ごめんなさい、本気にしちゃうから、また今度ね?」


 などと言って、俺の唇に人差し指をあてて、やんわりと拒否する海上保安部隊。

 どうやら、口説かれ慣れているみたいだ。そりゃあこんな美人だからなぁ。


 ビビ先輩とはまた違った、お姉さん的な魅力があって、これもまたいい感じである。

 あの温もりのあるむき出しの背中とお別れかとおもうと、少し寂しい気もする。


 ぼーっと見とれていると、足を分厚いブーツでずがっと踏まれた。

 痛い。


「こちらへどうぞ」


 ちびっ子にギロッと睨まれた。なぜか不機嫌なのが怖い。

 非常事態でピリピリしているせいか、いやに不機嫌だった。


 これから長く付き合うことになるかもしれないのに、第一印象が悪いのはいただけない。

 しかたない、ここは俺の騎士スキルを駆使して、彼女のご機嫌取りをせねばなるまい。

 女の子と仲良くなるのは俺の得意技だ。



「ふっ、君みたいな魅力的な子がいるなんて、軍隊もなかなかいいところみたいだね」


「なによぉ、私の、身体なんて、全然、いいわけないじゃないぃ」


「ああ、そうだな。だから今日だけ特別に、お前を俺の妹にしてやろう」


「い、妹ぉ?」


「妹が世界で一番だと思うのは、兄として当然だからな。ほら、俺にもっと笑顔を見せてご覧? 俺の事をお兄様と呼んでご覧?」


「お兄様ぁ! あ、お兄様の、熱いのを、くださいぃ!」


「残念、妹に中出しはNGだ……!」


「しょ、しょんなぁぁ……! あぐひぃっ! あひ……あひぃぃあぁぁぁ……!!!」


 閑話休題。

 俺の騎士スキルを遺憾なく発揮したお陰で仲良くなった俺とツインテールの子は、手を繋いでバリケードの中を歩いていった。


 ビル群のど真ん中にあるとは思えない、ファンタジー世界の田舎町である。

 舗装されていない地面は芝生に覆われていて、斧が切り株に刺さってそのままになっている。


「なんか、ファンタジー世界ののどかな村みたいなんだけど……こんな避難所があったんだ?」


「『兵站召喚ベース・サモン』です」


「魔法なの? それって具体的にはどんな?」


「村を召喚します」


「へー、そうなの。たしかに、その方が設営の時間は短縮できるだろうな。戦争で使ったら最強じゃん?」


「飛島になりやすいです」


 つまり、拠点同士の繋がりが断たれやすく、戦力の分散になる。

 なのであまり多用されない、ということだった。使われるとしたら、緊急事態ぐらいだそうだ。


「ひょっとして、男の人と話すの苦手だったりする?」


「…………」


 顔を赤くしたツインテール。

 どうやら図星のようだ。可愛い奴め。


 やがて、フェンスの向こうに、見覚えのある人の姿が見受けられた。

 真っ先に目についたのがリクルートスーツをまとったビビ先輩だったあたり、俺のエルフに対する愛情の深さがうかがえるというものだ。


 あとは、制服姿の騎士候補生たち。

 やけに体格のいい獣人のおっさん。

 足元には、ちっこい子どもたちがわらわらと群れていた。


「おー、ドナテロにいちゃー、無事だったかー」


「お前ら、良く無事だったなッ……!」


 誰ひとりとして欠けてはいない。

 俺は感極まって、ちっこい子たちを抱き寄せた。


「おー、みんなで『強化魔法パワー』使ったり、『防御魔法プロテクト』使ったり、わりかし大変だったぜー」


「なんか魔法ききづらくて大変だったよねー」


「ねー」


 そういえば、『宵闇の瘴気』は魔法の威力が半減するだけで、俺の『ボス部屋』みたいに魔法を完全に使えなくする、というものではなかった。

 魔法が得意な3代目クラスの子ども達はなんとか自力で生き延び、それどころか他の被災者まで助けていたらしい。


 ひょっとすると、黒いドラゴンがわざと手加減してくれていたのかもしれない。

 街の守護者だって話だものな。実はそのくらいの分別はあるんじゃなかろうか。


 ユリアとジャガーも子ども達に助けられたらしい、彼らのすぐそばにいた。


「ドナテッロさま! お怪我はありませんでしたか!」


「大丈夫? どこも怪我はない? おっぱい揉む?」


「ああ、大丈夫、おっぱいは揉んできたから……ユリアもジャガーも無事でよかった。子ども達を助けてくれたんだ?」


「いえ、そ、その……」


「ふがいないことに、私たちが助けられたんだ」


 普通のモンスターハザードだったら、戦闘に慣れている騎士の方が助ける立場にあるんだけどな。


 むしろ、この状況では魔法の使えない俺の方が心配されていてしかるべきだったのかもしれない。

 ビビ先輩は、あきれたようなため息をついた。


「心配されてしかるべきはむしろあんたの方よ、ドナテッロ」


「び、ビビ先輩……なんか、怒ってない?」


「ふん。別に、さっき盛大に闇魔法が発動してスマホが繋がらなくなったから、イラついているだけよ」


 そっぽを向かれてしまった。

 ひょっとして、さっきツインテールの子と兄妹の契りを交わしたのを咎められているのかもしれない。


 エルフは精霊と情報交換をするので、精霊に告げ口されたらなんでも筒抜けなのだ。

 おまけに嫉妬深いから、なかなか許してくれないだろう。なんか俺から距離を置こうとしているような気がする。


 首にまとわりついてくるちっこい子を宥めながら、俺はジャガーとユリアに聞いてみる。


「というか、あの赤いドラゴンって結局どうなったんだろうな? 氷の迷宮のボスが塔から追い出されたって話だけど」


「えっ、真竜の生き残りが現れたんじゃなかったの?」


「生き残りの可能性はないよ。たぶん土から生まれたての幻影だろ?」


「生き残りの方が夢があるっしょ。氷の迷宮には、星190クラスの大モンスターがいたんですよ、そんなの一度見てみたいっすよ!」


 はぁはぁ、よだれを垂らしているユリア。普通は星100でも見たくないけどな。


 最後に討伐された記録のあるザ・ラスト・ドラゴンが星150ぽっちだったという。

 素材も冒険者ギルドに二束三文で売買され、行方も知れなくなったそうだ。


 史上最強のモンスターとしては、なんとも寂しい最後である。

 ジャガーはいかめしい顔をして、なにやら思案げな様子だ。


「黒い方は守護竜オールローズという話を聞いたが、本物かどうかわからないぞ。なんせ途中で消えたからな」


「さすがジャガー、よく見ているな」


「モンスターの幻影を生み出す『幻術』なら、術者が何らかの理由があって魔法を解除すると、簡単に消える。今回消えたのもそれによく似ている」


「ふむ……つまり、2匹とも魔術師の仕業だったかもしれないのか」


「ええー! 生き残り説の方がロマンがありませんかぁー!?」


 そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。

 魔法犯罪の最前線にいない騎士候補生にできる推測は、ここまでだ。

 姫騎士のリリエンタールなら、何かわかるのかもしれないけれど。


「そういえば、リリエンタールは見なかった?」


「リリエンタール?」


「うん、さっき姫騎士になって戦ってたと思うけど」


「姫騎士……?」


 女の子たちは、首をかしげてきょとんとしてしまった。

 あれ、電車であれだけ派手に暴れていたから、彼女たちも覚えているだろう、と思ったのだけれど……。


 この反応は、ひょっとして、リリエンタールが魔法で彼女たちの記憶を消してしまったのかもしれない。

 リリエンタールは自分がなにか派手な失敗すると、目撃者の記憶を消してしまうんだ。

 魔法得意すぎだろ。俺もそういうのぜひ欲しいんだが。使い道ならありあまるほどある。


「えーっ、ドナテッロ先輩、姫騎士にも知り合いがいたんですか?」


「さすがだな、ドナテッロ。守備範囲が広い」


「う、うん……まあな」


 まあ、記憶を消しすぎて、もう一度妹を紹介しなくてはならない、ということも日常茶飯事なんだけどな。

 今回もみんなの記憶から消えてるってことは、無事ってことでいいんだろう。



 避難所では他にすることもない。

 女の子たちととりとめも無い話をしていると、獣人のおっさんがなにか喚いていた。


「がーっ! べっ! なんだこれは、不味すぎる!」


 見ると、おっさんはお腹が空いていたのか、さっそく非常食を食べていた。

 インスタントのクラムチャウダーに、冷凍食品のエビピラフだ。


 俺も割とお世話になっていた部類のコンビニ食だが、いったい何が気に食わなかったのか、おっさんはヒゲを膨らませて、怒り心頭の様子である。


「魔法使いのメシがマズイとは聞いていたが、まさかここまでとは! わしを一体誰だと思っている! タンデム王室秘書官、ミズライール様であるぞォ!」


 おっさんはおもむろにマントを翻し、腰からぎらりと輝く半月刀を抜き放つと、大声で雄たけびをあげた。


「わしにこのような不味いメシを食わせようとは、おのれ人間どもめ、いますぐ戦争だ! どこからでもかかってこい!」


 すぐさま周囲のレンジャー部隊が駆けつけてきて、おっさんに銃が向けられた。

 おっさんは「冗談じゃわい」とぐちぐちいいながら半月刀をおさめ、怒って席に戻った。


 冗談だったのか。獣人のジョークは真に迫っていて分からない。


 タンデム王室秘書官……なんだろう、と思ってググってみると、モンスター・ハザードの膨大なニュースに隠れて、「タンデム王室秘書官、行方不明」のニュースが小さく存在していた。


 列車でぐーぐー眠っていた姿からは想像もよらなかったのだが、ひょっとすると、ただのゴブリンスレイヤーではなかったみたいだ。


 聞いたことのない国名だったが、きっと西方の獣人が治める小国の一つだろう。

 アールシュバリエではアフリカの国名みたいなもので、知らない人の方が多い。


 おっさんの事はいちおう記憶にとどめておこう。

 ひょっとすると、クエストを受注する前にすでにクエストを攻略してしまった的なことがあるかもしれない。


 そう思って、俺はおっさんが食べていた非常食に鼻を近づけてみた。

 美味いか不味いかはオークの嗅覚でだいたい分かるのだが、そんなにマズそうではない。


 その辺に破り捨てられていたパッケージを見ると、賞味期限もまだ来ていない、初級魔法をかけるだけで誰でも手軽にできる簡単なインスタント食だった。


 圧縮・乾燥・冷凍の3重呪術を料理にかけることによって、日持ちしやすい状態にしたものである。

 食べるときは反対魔法で呪術を解呪するだけ。まさに残留魔法のオンパレードだ。


 なるほど、だから、おっさんのような獣人にはちょっとキツいのかもな。

 おっさんもきっと『魔法舌』に違いない。薄味すぎて受け入れられなかったんだ。

 獣人はエルフやレプリカントと同じ、れっきとした水の魔法民族である。

 人間よりも生まれつき魔力が強くて、得意技はヒーリングだ。


 ならば、俺が闇魔法を使ってやれば、きっと魔法がかかるまえの本来の味が取り戻せるだろう。

 そう思って闇魔法をかけてみると、クラムチャウダーは水分がなくなって、ぺしゃんこになってしまった。

 味も匂いもまったく変わって、小麦粉を水で溶かしたようになっている。

 どうやら魔法調味料で味を整えていたようだ。人間の食品はどこまでも魔法頼みなんだよなぁ。


 人間は他の魔法民族にくらべて魔力が少ないから、リリエンタールぐらい強度の『魔法舌』を持つ者はごく希なのだ。

 それになんと言っても非常食だしな、味はさほど重要ではないのだろう。


 辛うじて、まともな食品に戻せたのはご飯ぐらいだった。

 もともと味のついていないデンプンの塊だから、大して魔法をかける必要がなかったのだろう。


 これを使ってなんとか美味しい料理に変貌させられないだろうか。

 しばらくうーんと頭を捻った末に、俺はとてもシンプルな結論に至った。


「カレーだ」


 ある日急にカレーが食べたくなって、この世界にもカレーがあるのか、と思ってネットでさんざん探しまくったことがある。

 すると、ホビットの伝統料理であるシチューに似た牛乳系のルーや、亜人の伝統料理である激辛なものなど、多種多様な料理がヒットした。


 この亜人の激辛なものが、数十種類のスパイスと野菜をドロドロになるまで煮詰めるもので、一番カレーっぽいものだった。


 ハチミツやリンゴ、イチゴなんかも加えて、苦心してまろやかな日本風の味わいに仕上げ、瓶に詰めた状態で1ヶ月分は携帯していた。

 こういう災害には常日頃から備えておくよう、姫騎士の妹には口うるさく言われているのだ。


 それに、カレーは自他ともに認める自信作だった。

 俺の闇魔法料理が、ここにいる大勢の魔法使いたちに一体どれほど通用するか。

 いずれ料理人になるには、決して避けられない関門だ。

 ここで俺の腕を試さずにはいられない。


 だが、そうなると、カレーのルーとご飯だけではどうしても物足りない。

 俺の中ではそんなものをカレーと呼ばない。


 具材が必用だ。

 この村でもなにか食材は手に入らないかと、あたりをウロウロと歩いてみることにした。


 幸運にも、過疎地の山村がまるごと召喚されている緊急避難場所は、ちょっと角を覗いてみると、あった。


 広い畑だ。

 定期的に管理されているのか、作物もしっかりたわわに実っている。

 トマトっぽい野菜をもぎってかじってみた。

 もう冬なので魔法を使って栽培されているのかもしれないが、闇魔法をかけてみても新鮮なトマトの味しか感じられない。

 代用品としては充分だろう。


 ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、ブロッコリー。ちなみに肉はない。

 ウサギやスズメなんかの野生動物はいるのだが、彼らを狩って精肉するなんてスキル、シティボーイの俺は持ち合わせていなかった。素直に諦めよう。


 ほかにも、採れたての季節の野菜をザルに乗せて、畑から村の中心部へと戻っていった。

 俺の荷物には愛用の携帯用ガスコンロがあるのだが、これ1台で30人分の調理をするのは無理なので、村の厨房を拝借することにした。


 煙突がついた家に入ってみると、かまどや暖炉がそのまま残されている。

 薪もその傍らに麻縄で縛った状態で積んであった。


 薪に火をつけるのに魔法なんていらない。

 ガスコンロの火を使って紙を燃やし、その種火を薪に移す。


 火の粉が俺の指を多少焦がしたが、問題ない。

 配給された飲料水を鍋にすべてぶちまけ、かまどの上に設置。


 手早く30人分の食材を切り刻んでいく。

 普段から数キロの剣を振っているので、こういった作業はまったく苦にならなかった。


 ふっ、やはり俺は調理人になるべき男だな。

 俺のこれまで積んできた全ての経験が、俺を料理人になる運命へと導いているようだ。


 隣の家のかまどで深鍋を用意して、ぐつぐつ煮えたぎってきた頃合いを見計らって、大量の具材を鍋に投入する。


 薪の火力が思いのほか凄すぎた。10リットルの水がもう煮立ってる。煙もすごい。

 ものの数分で野菜が煮えてくるにおいがして、ふごふご、と鼻を鳴らす余裕もなかった。


 火加減を調節するために、慌てて2件の家を行ったりきたりする俺の様子を、他の避難民たちは不思議そうに見ていた。


 この下準備におおよそ2時間がかかった。

 そして、いよいよ仕上げは闇魔法だ。


 闇魔法をコントロールするだけで、俺がイメージした通りの味を生み出すことはできるのか、実験したことがある。

 答えは、半分イエスだ。


 極端な魔法舌のリリエンタールは、ほんのわずかに魔力付与された食材があれば味を感じなかった。

 なので、最終的に俺が闇魔法を強くしたり弱くしたりすれば、それがイコール彼女の感じる味の強さになってしまう。

 これを逆に利用して、俺の思うままの味を生み出すことができた。


 だが、そこまで極度の魔法舌でないイルレーヌたんは、俺のカレーをひと口食べて「辛いれす」と言っていた。


 俺が騎士の精神を持っていなければ口をぺろぺろしていたところだったが、なんとか踏みとどまった。

 どうやら、魔力付与のかかりが弱かったスパイスが、イルレーヌの舌の弱い属性バリアに弾かれず、そのまま彼女の舌に当たってしまうみたいなのだ。


 妹の『魔法舌』が標準だと考えていると、失敗していたところだ。彼女は特別だったらしい。


 なので、イルレーヌを喜ばせるためには、魔法舌でなくとも本当に美味しいと感じるようなカレーを作らなければならなかった。


 そのためには、ひたすら料理の腕を磨くしかない。

 イルレーヌたんがにっこり笑って「おいひいれす」と言ってくれるまで苦心を重ねることに、俺は労力を惜しまなかった。


「イルレーヌ、お前に美味しいといってもらえるまで、俺は諦めないからな」


「ありがとう!」


「大丈夫、最初は痛くても苦くても、そのうち、だんだんとお前を気持ちよくしてあげられるように、頑張るから」


「うん、楽しみにしているね、ドナテッロ!」


「イルレーヌ……ッ!」


「うむ、へーキュンも楽しみにしているぞ」


「……はい、そうですね」


「なぜそこでテンションがダダ下がりする? ぷんぷん」


 ともあれ、俺とイルレーヌの愛の結晶がこのカレーのルーなのである。

 けっして妹との愛の結晶ではない。


 閑話休題。

 俺は広場のテーブルの上にカレー鍋を置いて、銀の食器にインスタントご飯と一緒によそっていった。


「さあ、こいつを食べてくれよ。そんなインスタント食品なんか食ってたら体こわすぜ?」


「わぁー!」


 最初に飛びついてきたのは、もちろんちびっこ達だった。

 常日頃から俺の自作クッキーをあげてるからな、食いつきがいい。


「おいしー!」


「兄ちゃんこれサイコー! おかわりー!」


 俺の料理は、強い魔法使いほどよく効く。

 魔法の使えないユリアとジャガーも、「すごく美味しい」「ドナテッロ、今すぐ店を開くべきだ」という評価をくれた。


 魔法舌じゃないと、あんまり効果がないと思ったんだけどな。げんに、俺はそこまで美味しいとは思わない。


 けれど、こういった非常事態における炊き出しほど心に染み渡る美味しいものはないのではなかろうか。

 最初はよそよそしく、遠慮しがちだった他の被災者たちが、カレーの魅力に取りつかれるのにさほど時間はかからなかった。


 不満げにふんぞり返っていた獣人のおっちゃんも、口の中にいっぱいライスを含んだまま「んー!」と喜びを言い表し、親指を立てていた。

 亜人カレーの味をイメージしながら闇魔法をかけておいたからな。ほぼその通りの味に仕上がったのだ。


 ビビ先輩はカレーを一口食べると、黙ってカレーの写メを撮っていた。

 どうやらそんなに嫌いではないらしい。


 炊き出しは全員に行き渡り、あっという間になくなった。

 俺はほっと息をついた。

 この世界で料理人をやっていくのは、そう難しい事ではないのかもしれない。



 この避難生活がいつまで続くのか、不安を抱えたまま緊急避難所での一日を終え、とうとう夜が更けた。


 3代目クラスのちっこい子供たちが一つ屋根の下に集まり、俺の周りで雑魚寝していた。

 みんなちっこい。へーキュン師匠といい勝負だ。


 普通の学校は3年かそこらで卒業できるものだが、魔導学園は卒業に最低でも『3代』かかるという。

 つまり、国お抱えの魔法士である魔導士メイジを志して入学する学生がある日突然現れたとしても、その学生が一人前の魔導士として卒業することはまずありえない。


 どんなに優秀な成績を収めても得ることができるのは、他の魔導士の下で働く権利と、子供が2代目クラスで魔術を学ぶ権利のみである。

 そして2代目が成績優秀だったら、その子供が3代目クラスで魔術を学ぶ権利を得る。

 3代目の卒業と同時に、ようやくその一族が魔導士メイジの家系を名乗ることができるのだ。


 最大の理由は、『人質』だと言われている。

 魔導士には国が秘匿しているテロ兵器にすらなりうる大魔法を授けるわけだが、その際に、国に対して決して反乱しないという保証が欲しいのだ。


 才能のある人間を数多く登用した方がいいのは明らかだが、一刻も早くその身元をはっきりさせる必要がある。極端に言えば、子供や親を国が人質に取るためにこのシステムは存続している。


 そんなわけで、3代目の彼らは物心がつく前から魔法を勉強させられ、英才コースを経て真っ直ぐ3代目クラスに入らされていた。


 優秀な魔法の使い手なのだが、まだ甘えたい盛りの子供なのだ。

 ドラゴンに襲われて、こんな環境に閉じ込められて、それに耐えきれるほどすれた精神を持ち合わせてはいない。


 騎士候補生の女の子たちも、同じ民家の床にマットを敷いて雑魚寝をしていた。

 彼女たちも子供たちのケアを最優先にしているのだ。

 少なくとも、俺はそう思っていた。


「ドナテッロさま……」


 そのうち、ユリアがじりじりとこっちに距離を詰めてきた。

 制服から、ゆったりとした厚手のパジャマに着替えている。こういった服もタンスに備えてあった。

 胸には小さな子供を抱きかかえて、盾にするように俺に迫ってくる。


「この子が、ドナテッロさまの隣がいいと言っているんです」


「……その子、もうぐっすり寝てる気がするのは俺の気のせい?」


「お願いします、一緒に寝てあげてもらえませんか?」


 分かりやすいハニートラップだった。

 ここまで分かりやすいハニートラップはないと言っていい。

 せっかく休学までしたのに、ここでユリアと俺の間に何か問題が起これば、またマザーに迷惑がかかってしまう。


 オークの性欲は人間の10倍だが、騎士としての誇りも人間の10倍あると自負している。

 俺はブランケットを持ち上げて、ユリアを招き入れた。


「寂しい女の子よりも、寂しい子供の気持ちを大事にするのが俺たち騎士の務めだ。それは分かっているな?」


「はい、ドナテッロさま」


「よし、来い」


 なんだか心酔しきった眼で俺を見てくるユリア。


「子供たちがドナテッロさまに懐く気持ち、すごくわかります」


「俺は意外だったけどな。モンスターの子どもだぜ?」


「だからですよ、カッコいいんです」


「カッコいい?」


「この子たちはエリートの魔術師ですから、普段から血統というものに敏感になっているんです。周りの誰も、父親か母親が2代目クラスの生徒で、何番目の成績でクラスを修了した、迷宮でも2つ名を持って大活躍していた、なんて話で普段からぴりぴりしているんです。そこへ来て、ドナテッロさまの存在はその重圧を吹き飛ばすぐらい爽快だったんだと思います」


「そうか、子ども心には、カッコいいのかもな」


 いつの間に俺は、純粋な子ども心を失ってしまったのだろう。


「あと、この子たちの家族はみんな魔法舌だから、手料理の味が感じられないんですよ。美味しい料理なんて食べた事がないんです」


「そういえば、みんなお昼ごはんはコンビニのパンをもそもそ食ってるな。給食とかはじめられないんだろうか」


「給食?」


「食堂みたいなもの。ツインタワーに」


「最高です。そうしたらカレーは鉄板メニューですね」


 安心したように、体をくっつけて眠りについたユリアの反対側を見ると、ジャガーが物欲しそうにこっちを見ていた。


 じーっと見ている。俺はそちら側のブランケットの端を持ち上げて、ジャガーを手招きした。


「来いよ」


「……くっ、か、勘違いするなよ!」


「来いよ。何を勘違いするんだ。一緒に寝たいんだろ?」


「失敬な、お前のような女たらしが、ユリアと一緒に寝てなにかしでかさない訳がないと思って、監視していただけだ!」


「いいから来いよ。もっと近くで監視してろ」


「うぐっ……! お、覚えていろ、ハーフオーク……!」


 女の子2人に挟まれての就寝となった。寝づらい。

 その場を離れると子供はすごく気にするので、俺も寝たままぼんやりとスマホをいじっていた。


 この世界のスマホは魔力塔から魔力が供給されるため、半永久的に電池切れになることはない。

 反対に言うと、魔力塔が周囲にない田舎だったり、魔力塔が機能停止している災害下だったりすると、内臓魔石はすぐに燃え尽きてしまう。


 2時間とちょっとで燃え尽きた。わりと持った方だ。

 俺はそのスマホの画面が消える瞬間を見とって、ぼそりと呟いた。


「ね、眠れねぇ……」


 カッコつけたけど、やっぱ無理だわ。

 オークの血を引いていなくてもこれは無理だわ。

 俺は子供たちを起こさないように慎重に群れの中から抜け出し、こっそり民家から出てみた。


 すでに深夜が近づいていたが、魔法使いにとって夜はまだまだこれからという時間帯だ。

 避難キャンプのあちこちに光が立ち昇り、瞑想をする魔術師の姿がちらほらと見受けられた。


 湯沸かし器や、パソコンなど、みんなそれぞれの魔工デバイスに魔力付与をしていた。

 よく見ると、空には満月が出ていた。月に2度、魔力が最大になるこの日を逃すことはない。


 俺も魔法が使えたら、自力でスマホに魔力付与していたんだけどな。

 むかし、林間学校の時にやったのが最後だ。3代目クラスの子供たちは寝ちゃってるので頼めないし、どうしたものか。


「おっ」


 ビビ先輩を発見した俺は、息をのんだ。

 足元からふわふわと綿毛のような精霊が浮かび上がり、彼女の周囲を飛び交っていた。


 ぼんやりと光る精霊の体に囲まれて、いつにもまして綺麗だった。

 あかぬけてない服装も、薄明かりのなかでは洗練されたキャリアウーマンのように見える。


 しかし、彼女はそんな精霊に興味はないらしい。

 自分の手元をじっと見つめて、ひたすら両手でポチポチとスマホをいじくっていた。


 ……精霊を呼び出しておいて、精霊そっちのけでスマホをいじっている。

 いったい何のために呼び出したんだろう。


 幻想的な風景にしばし見とれていたが、意を決して話しかけてみる。


「ビビ先輩、こんばんは。綺麗ですね」


 ビビ先輩は、急に精霊との交信をやめ、驚いた顔で俺の方に振り返った。

 精霊は姿を消し、あとにはリクルートスーツをまとった少女が残された。


「なにか御用? セックス?」


「いや、俺が話しかけたらそれが目的だと思わないでください。別に大した用事じゃないんですけど」


「なら話しかけてこないで」


「あう……」


 俺は二の句が継げないでいた。

 まだご機嫌が斜めらしい。


 今度は味噌カツカレーでも作ってあげたいけれど、本物は食べた事ないしな。どうしよう。


「先輩って、エルフ食に詳しいですよね?」


 ビビ先輩は、すごい勢いで俺の方を見ると、こくこく、こくこくこくこく、としきりに頷いていた。

 食いつきが良すぎだろ。ほんと食い意地が張ってるな、この人……。


「エルフ味噌の作り方なんだけど……どうやって作るの、あれ」


「知りたいの?」


「ネットで調べたんだけど、ぜんぜん関係ないサイトしかヒットしないんだけど」


「エルフ味噌の製法は秘伝だから、廃エルフたちが情報操作しているのよ」


「さすが情報系お仕事民族……」


 コンピュータに関する事で、廃エルフに敵う者はいない。

 ちょっと前、エルフ味噌を常備していたイルレーヌたんにその作り方を尋ねてみたことがあるのだが、


「エルフ味噌の製法に関する情報はいろいろあるけど、言っちゃめー、らしいです」


「めー?」


「めー、です」


 口の前に指でばってんをしながら言った。

 なにそのばってん。

 そのばってんは俺の唇がランディングする目標地点ですか?


 記憶力のずば抜けているイルレーヌたんは、子供の頃にお母さんに教えられた通りに覚えているんだろう。

 ともあれ、人間に対して秘密を保持しているのは、なんとも昔ながらのエルフっぽさがあった。


 大きなエルフの里には1000年くらい生きているのがざらにいるし、そんな古いエルフほど現代も社会に大きな影響力を持っている。

 その点、ビビ先輩はどうだろう。


「むー、公開していい情報かどうか、調べないと」


 ビビ先輩は控えめに言っていた。

 珍しいな、ビビ先輩がそこまで慎重になるとは。

 エルフ味噌にはエルフたちを慎重にさせる何かがあるらしい。


「古いエルフは人間のこと嫌いって言うからね」


「それってよく聞きますけどね。そもそも、どうして人間の事が嫌いなんです?」


「古いエルフは人間の事をエルフだと思っているの」


「……どういう事なの?」


「言った通りの事よ。だから人間の事が許せないのよ」


 なんとも不思議な説明である。

 自分と同じだと思っているから、許せないのか。

 たとえば動物だと思っていたら、人間が何か罪を犯しても、そこまで深く根に持たない、ということだろうか。

 そんなものか。案外、そういうものなのかもしれない。


「けれど先輩、聞いた話じゃ、街の復興までどのくらいかかるか分からないって話でしょう」


「そう、それ問題」


「その間にエルフ味噌もエルフ醤油も手に入らないのは、俺としてもちょっと辛いかなって」


「教えたら、作ってくれるの?」


「作る作る。舌に合えばだけど」


「ちょっと待って、知り合いの廃エルフに聞いてみる」


 行動力のある先輩でよかった。

 ビビ先輩は、再び周囲に精霊を呼び出し、スマホをいじりはじめた。


「土の精霊、風の精霊、火の精霊、水の精霊……あまねくこの世に存在するものの根源たる四精霊たちよ……お願い、私のスマホをネットにつなげてちょうだい……」


 どうしてスマホをいじくるのに、わざわざ精霊を呼び出しているのだろうと思ったが、どうやら四精霊から魔力を供給して貰ってスマホを動かしているみたいだった。

 精霊さん、ご苦労様です。




 大精霊ネットワーク・システムを経由し、エルフたちのSNSエルフ・ウッズに接続したビビ先輩は、俺にエルフ味噌の製法を伝授してくれた。


麹菌こうじきん?」


「うん、シルフの霊力を宿した麹菌が必要」


「じゃあ、その麹菌はいったいどうやって手に入れれば……」


「スーパーで買えばいい」


「……そのスーパーに今通えないからエルフ味噌が作りたいんだけどな」


「麹菌が手元になければ、少量のエルフ味噌で代用できる」


「……そのエルフ味噌が手元にないから、スーパーに通いたいんだけどな」


 ちなみに、俺は自分で作った調味料しか持ち歩かない主義だ。

 ダンジョンではいつもエルフ味噌を持ち歩いているイルレーヌたんにおすそ分けしてもらえるからな。


 ビビ先輩には、イルレーヌたんの素朴な良妻スキルをぜひ見習ってほしいものである。

 純粋なエルフはどこか現実感がないというか、抜けてるんだよな。そこが可愛いっちゃ可愛いんだけど。


 エルフ醤油に関しても、同じく麹菌の力が必要だそうだ。

 気候などの特殊な環境がそろっていれば、空気から麹菌を取り出す方法もあるらしいが……。

 どのみち、大豆をひと冬も寝かせなければならないらしく、すぐには食べられないようだ。


 俺とビビ先輩は途方に暮れて、その辺に座り込んでしまった。


「ところで、私たちはいつまでここにいなくちゃならない?」


「うん……そうですね」


 騎士団の言葉によると、今は街のどこも危険で、外出や帰還は許可されていないそうだ。

 当面ここで過ごさなければならないらしい。


 頼めば、エルフ味噌やエルフ醤油のような嗜好品も配給してもらえるだろうか。

 配給されるのを待った方がいいのだろうか。

 エルフと転生した日本人には辛い時期である。


「まあ、2頭のドラゴンが同時に出現したなんて、モンスター・ハザードでも滅多にないからな。原因の解明にも慎重になるだろうし、そう簡単に元の生活には戻られないだろう。戻ったところで駅もスーパーも何もなくなっているんだから……」


「ねぇ、ドナテッロ」


 現実にしょんぼり打ちひしがれたビビ先輩は、それでも一縷の望みをかけて、決意に満ちたようなまなざしを俺に向けていた。


「ドナテッロが行きたければ、行ってもいいんだよ?」


「行ってもいいって、結界の外に?」


「そう、頑張っていってらっしゃい」


 にこりと笑ったビビ先輩。

 いつも無表情でクールなんだけど、笑うとこんな顔をするんだな、と俺は不覚にも見とれてしまった。


「だいじょうぶ、ちょっと遠くのスーパーで味噌買ってくるだけだから。アールシュバリエから出れば安全圏みたいだから」


「それめちゃくちゃ遠いよ? レインボーブリッジから首都圏を歩いて出ろって言ってるようなもんだよ?」


「なにそれ? ときどき不思議なことを言うのね、ドナテッロは」


 ビビ先輩に言われると心外な言葉ナンバーワンであった。

 ちなみにアールシュバリエに限らず、迷宮都市はみんな同じくらいデカい。

 モンスター・ハザードなどの有事には、このアールシュバリエ全土にバリケードが張られ、他県との行き来が完全に凍結されるのだ。

 飛行モンスターなど機動力のデカいモンスターが出現することを前提にしているため、数十キロに及ぶ広さがあった。


 1匹のボスモンスターが他のモンスターを呼び寄せたりするというが、俺にとってモンスターは大した脅威ではない。

 基本的に、モンスターは俺に襲いかかってこないからな。モンスターと同じ闇魔法を身につけているお陰だ。


 だが、さすがに歩いて出ていくのはしんどい距離である。

 俺がそう言ってしり込みすると、ビビ先輩はむっと頬を膨らませた。

 彼女は、彼女の物にしては大振りな腕時計を外すと、俺に渡してくれた。


「あげる、受け取りなさい」


「なにこれ、いきなり押し付けられた」


「これを使えば、目に見えない妖精を見ることができるようになるし、お友達になった妖精はいつでも呼び寄せることができる、という優れものよ」


「妖怪ウオッチかよ」


「お父さんの形見だけど……もし旅の途中で費用が必要になったら、売ってお金にかえてくれて構わないから」


「重いよ」


 そんなもの売れるわけがなかった。もし失くしたら責任重大すぎる。

 俺が腕時計を押し返そうとすると、ビビ先輩はぶんぶん首を振って、さらに腕時計を押し付けてくる。

 口の端からよだれが垂れていた。


「わたし、味噌煮込みうどんが食べたいの」


「よだれ、よだれ。先輩、よだれ垂れてる」


「お父さんが昔よく作ってくれた思い出の味だから。お父さんも同じ状況に置かれていたら、きっと腕時計を売ってでも食べたいと思っていたわ」


 エルフにとってエルフ味噌とは一体なんなのか。

 味噌煮込みうどん、そういえば最初に食べたいって言ってた料理だよな。

 けっきょく他の料理にしちゃったけど。

 そこまで食べたいのなら、せっかくだし、挑戦してみたい気持ちもある。


「ふっ、話は聞かせてもらったぞ」


 そのとき、物陰から四辻にぬっと姿を現したのは、獣人のおっさんだった。

 本当に壁からぬっと出てきたような気がした。

 こんなに目立つおっさんの存在を、今の今まで感知できなかったなんてありえない。


 たぶん、魔法か何かで気配を消していたのだろう。さすが荒野の魔法民族。獣人と真正面から戦闘するのは、避けた方がよさそうだな。

 おっさんはキラキラした顔をしていた。


「お前の作る料理は確かにうまい。だが、どのみちわしには量が少なすぎるのでな」


「おっさん」


「どうせなら外に出て、大量に材料を買い付けてもらおうか、と思っていたところだったのだ」


 そして、プレートメイルの脇からおっさんの顔と同じくらいキラキラしたクレジットカードを俺に差し出した。

 なにこのスペシャルなカード。


「これで車でも飛行機でも家でも自由に買うがよいぞ。なあに、タンデム王国のツケになるから心配は無用だ」


「いやいやいや……」


 重いよ。

 申し出はありがたいけれど、王国のツケとか一般庶民には重すぎる。

 よその国の人の税金ってことだよね、それは。


 スーパーで味噌を買ってくるだけの話なのに、なんでこんな重い責任を押し付けられる形になっているのだろう?

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