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私の超ニガテなモンスター、オールローズさんの登場ですよ?

「モンスター・ハザード警報か。久しぶりだな、詳しいニュースないか?」


「画像が1枚添付されているみたいですよ?」


 モンスターが町中に出現したときの災害速報、モンスター・ハザード警報だ。

 一般人がスマホで撮影したらしい提供写真には、謎のモンスターが写っていた。


 黒い怪物がツインタワーの白い方をかぎ爪のついた足で鷲掴みにし、赤い方にはもう1体の赤い怪物が、トゲトゲのついた尻尾を巻きつけている。


 赤い怪物の方は、恐らくドラゴンだ。

 翼の生えたトカゲといった表現がしっくりくる、恐竜のような怪物。

 この様子だと幼竜といった感じだろうが、虹のアーチみたいに立派な翼を広げて、ツインタワーを旋回する放送局の飛空艇を睨んでいた。


 黒い怪物は……一体なんだろう? これは。


「……なんだ? 何が出た?」


「むーん?」


 前世では多くのゲームをやってきた俺の記憶にもない怪物だ。

 ごてごてした岩のような、スクラップの塊のような、ずんぐりした何かが塔にへばりついている。


 同じニュースは、徐々に他の乗客にも拡散していった。

 乗客が不安げに、あるいは興味深げに窓の外を見始めた。

 この都電が陸橋を渡った時に、ツインタワーが海の向こうに見えるからだ。


「俺たちの1本先の便から撮ってんのかな、これ」


「角度的に、もうちょっとツインタワー寄りの路線じゃない? 都営線?」


 間もなく、謎の怪物とエンカウントする。

 俺もスマホを開いて、ビビ先輩に教えて貰ったSNSサイト、エルフウッズを開いた。


「どうします、兄さん」


「エルフの知恵を借りる」


 世界中のエルフが高速で情報のやり取りをしている、巨大掲示板である。

 こんな時にはエルフの超高速情報網が非常に役に立つ。


 案の定、このニュースに関する議論が活発に行われている最中だった。

 やがて、エルフの有志によって、その怪物の正体が同定された。


「赤い方は幻獣MH360種、種族名『飛行竜ワイバーン』、個体名エルダ、通称がレッド・ドラゴン。黒い方は幻獣F350種……種族名『人造竜ジルニトラ』、個体名オールローズ、通称がブラック・ドラゴン」


「ドラゴン?」


「うん、ドラゴン。真竜だってさ」


 ドラゴン。

 最高破壊力のツメ、最高防御力のウロコを持ち、最高速度の翼で空を飛び、最高温度の口から炎を吹く、この世界では、全生物の頂点に君臨する存在だ。


 今はすでに絶滅したモンスターとして有名だったが、限られたダンジョンの奥地にはまだ生息していたりする。


 伝承によると、真竜と呼ばれる完全体のドラゴンは昼夜を逆転させる特有の『瘴気』を放っていたという。


 さらに、精霊と生物が本能的に従う『竜語』を話し、エルフのように精霊と対話するのではなく、命令を下すことで、森羅万象を自在に操ったそうだ。


 地上から根絶されるまで、天災のひとつに数えられていた正真正銘のモンスターだ。


 だが……黒い方はビジュアル的に問題があった。

 アールシュバリエ人は、ことモンスターのビジュアルにはうるさいのだった。


「どーみても、ドラゴンには見えないよな、これ……」


「ドラゴンじゃないですよね、これ」


「ドラゴン失格だな」


「ドラゴン失格ですね」


 ドラゴンに見えないとドラゴン失格の烙印を押す、俺たち現代人の方が今ではモンスターと呼ばれるのに相応しい存在なのかもしれない。


 ドラゴンは食物連鎖の頂点に立つため、その体は完全な実体であることが多い。

 つまりドラゴンを倒せば、その肉体はほとんど消えずにドロップアイテムとして残るため、1体のドラゴンから膨大な魔術素材が得られたという。


 魔法道具の普及に伴い、際限なく高まって行く魔術素材の需要を満たすため、数多の騎士や冒険家がドラゴンを求めて地上を歩き尽くした、それが大竜伐時代の到来である。


 けれど、これはどうやって素材にするんだろう?


 4本足のトカゲのような姿をしてはいるが、表皮は焦げた鉄板のようなもので覆われている。

 機械じみた身体の各所に、紫電をまき散らす透明なガラス玉や、水蒸気を勢いよく吐き散らすブリキの気筒が伸びている。


 しかも、各所に身につけている物々しい艦載兵器らしきもの。


 背中には戦艦のように巨大な61センチ砲。前に横浜の記念艦を見たことがあるが、そっくりだ。

 腹部からは帆船のようにいくつもの砲門が飛び出し、広げた翼の下には真っ赤なミサイルが2機ずつ搭載されていて、翼の筋肉と直結しているのか、ときおり位置をかえていた。

 頭部は水死体のようにぶくぶくに膨らんでいて、目はカメレオンみたいに細い目が、背筋も凍るような眼光を放っていた。


「兄さん……恐いです」


 リリエンタールは俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。


「怖がってどうするんだ。こんなのより怖いのなんてダンジョンにいくらでもいるだろ?」


「兄さんは恐くないのですか? こうやって私と兄さんが一緒にいられるのも、騎士団から私に出動要請が出るまでの間なのですよ?」


「じゃあ、代わりに俺が行ってきてやるよ。お前があんなデカいのと戦う必要はないさ」


「兄さんはわかっていません。姫騎士は現場になんか行かされないのです。どうせ県の緊急対策本部か、市長宅の地下シェルターに集められて、政府要人の警護をまかされるのです。どうせならリリエンタールはこの街と兄さんを守りたいのです」


「そっちか」


 ぎゅーっと、俺を抱きしめる腕に力を籠めるリリエンタール。


 その目は乗客たちと同様に、かたくなに窓の外に向けられていた。

 まもなく、ツインタワーが一望できる位置に差し掛かろうとしているのだ。


 ぴりり、ぴりり、と、リリエンタールの鞄にぶら下げられた、いかにも魔法少女らしいハート型のペンダントが警告音を発していた。

 赤いランプまで点滅している。


「それ出動要請来てないか?」


「いいえ、これは私のラブメーターです」


「お前のラブメーターがどういう仕組みで動いているのかよくわかんないけど、なんかお前の事を必死によんでないか、その魔法少女っぽいペンダント」


「いいのです、無視していればそのうちスマホの方にかけてくるから」


 そう言う側から、リリエンタールはスマホの電源を落としていた。


「これでよし」


「聞く気ゼロか」


「大丈夫です、ずっと無視していたら、使い魔の妖精さんたちが『大変クポ~』とか騒いで飛んでくるから、その時に対応すればいいのです」


「一体なんのために姫騎士になったんだよ」


「兄さんを守るためですよ。やだ、そんなこと人前で言わせないでくださいよ、恥ずかしい……」


「そこお前が顔を赤くするところじゃないだろ」


 恥ずかしいのは俺の方だ。


 やがて、窓の外に広い水面が見えた。

 陸橋に差し掛かったのだ。


 海の向こうに紅白2本の塔と、その上に鎮座する不気味な黒い影が浮かび上がった。

 61センチ砲が画面で見ていたのよりデカく感じる。

 巨体も10メートルはくだらない。


「本当は、兄さんと同じ騎士になりたかったんですよ……?」


 リリエンタールが、仕事をしない言い訳をするようにそう言った。


 黒いドラゴンの体は赤外線でも放っているのか、見ているだけで汗をかいてきた。


 得体のしれないエネルギーの塊が、口からこぼこぼと湯気を立ててこぼれている。

 火山口を覗いているみたいにまぶしい。

 恐ろしいほどの灼熱が口内を煌々と照らしていた。


 その首はうるさい虫を追うようにレッド・ドラゴンの動きにあわせ、上空をゆっくりと右から左へと旋回、そして、ぴたりと定められた。

 気のせいか、こっちを狙っているような気がする。


「こっちに来ます」


「マジ来るの」


 そのとき、俺の周囲にいる乗客たちのスマホが一斉に警報をがなり立てた。

 モンスター・ハザードとは別に避難勧告が発令されたのだ。


 どうやらドラゴンを中心にして地面が震え、大規模な地震が起きているらしかった。

 共振現象というよりも、街そのものが咆哮に怯えているかのように、なにもかもが青ざめて見えた。


 白い砲弾のようなものが、ふわっとドラゴンの口から放たれた。


 それは宙をゆっくりたゆたうクジラの魂のように見えた。

 空気が弾かれた衝撃波かなにかで、その周囲だけ海面が激しく波打った。

 ビルのガラスが粉砕されて飛び散るのが見えた。


 2キロ以上の距離が隔たっているのを、少しずつ時間をかけて飛んでくるみたいだった。


「兄さん……行ってきますね?」


 リリエンタールは、名残惜しそうに俺の腕から離れると、その砲弾に立ち向かうように歩みを寄せ、ペンダントを握りしめた腕を、胸の上にそっと重ねた。

 大きく深呼吸すると、まるで祈りを捧げるように、呪文を呟いた。


「まことの盾は、国家の御前にあり、まことの剣は、主君の御前にあり、魂の器よ、主の帰還を祝福せよ、姫騎士アールシュバリエの名において、万世竜の覚書に曰く、我が名、|《盾の戦姫リリエンタール》!」


 リリエンタールの小さな体が、急に炎を噴き上げた。


 白色のさらさらとした長い髪をなびかせ、凛々しい顔を窓の外に向けたその姿は、もう俺の妹ではない。

 炎が甲冑へと姿をかえ、制服は純白のドレスに。頭部にティアラをかぶった姫騎士へと変身してしまった。

 国家の剣にして、国家の盾、まごうことなき姫騎士だった。


 俺の母親も戦うときはこんなに綺麗だったんだろうか。今はその姿を見ることもかなわないが、その姿を想像しないでもない。


「いきます……絶対障壁アイギス30×400……展開ッ!」


 リリエンタールの得意とする魔法は、『盾』だ。

 魔法を含む、あらゆる攻撃を通過させない、絶対の結界を生み出す。


 リリエンタールは素早くドラゴンの砲弾の軌道を計算すると、必要最小限の大きさと数の『盾』を展開して、電車を覆った。

 半透明で向こうの透けて見える六角形の盾。

 絶対障壁アイギス30×400。

 1枚の盾が直径30メートルの巨大な盾が400枚、次々と電車の横一面に展開されていく。


 海面を割って突撃してきたドラゴンの砲弾は、その表面に触れるや、光を膨らませ、動きを止めた。

 受け止めたとかいう生易しいものではない、エネルギーが消滅したのだ。

 砲弾はみるみるうちに空中で拡散。周囲に電撃をばらまきながら爆発した。


 リリエンタールの400枚の盾は、散らばったその電撃の先にも素早く展開され、周囲の建物を守っていく。

 周囲に影響を及ぼすものを律儀に受け止めていく。

 さすがリリエンタールらしい丁寧な魔法だ。

 ドラゴンの砲弾は痕跡も残さず、完全に消滅してしまった。


 リリエンタールは白い髪を振りながら、くるり、と俺の方に向き直った。


「兄さん、お怪我はありませんか」


「ないよ」


 もし怪我をしたと言ったらぺろぺろ舐めだしそうな距離まで顔を近づけてくるので、そう言うしかなかった。


「では行ってまいります」


 リリエンタールはぺこり、と俺に一礼すると、電車の扉に向かって走っていった。

 小柄な姫騎士の身体は扉にぶつかることなく、するっと壁を透過してしまう。


 彼女のまとう特殊な甲冑は、騎士候補生の進化の鎧よりも数段レベルが高いものだ。

 重力さえ、その体の周囲では彼女の意志に従い、自在に捻じ曲げられてしまう。


 だが、空を飛ぶのはリリエンタールも得意な魔術師の基本技芸だった。

 彼女の甲冑はそれをサポートすることで、彼女を戦闘に集中させているに過ぎない。


 リリエンタールは白銀の剣を両手で持ち、そのままどす黒いドラゴンの影まで突撃していった。

 その勇ましい姿が、乗客たちのスマホにしかと収められていく。

 こうして妹の画像がネットに出回ってしまうというのは、兄としてなんとも複雑な気持であった。


「おのれ……小娘、貴様のせいで取り逃がしたではないか!」


 ブラック・ドラゴンの真っ黒な口から、ぞっとするような声が発せられた。

 その瞳の先にあるのは、もう1匹のドラゴン、レッド・ドラゴンであった。どうやら2匹のドラゴンは対立関係にあったらしい。


 リリエンタールは平然と立ち向かい続けている。

 6歳の頃に騎士団にスカウトされ、特級魔法士資格を取得したリリエンタール。

 その姿には姫騎士としての貫禄さえにじみ出ていた。


「あなたの攻撃で街や人に危害が及んでいます、それ以上の勝手な交戦は許しません。速やかに騎士団に降伏しなさい」


「ふん、のろまな騎士団がいまさら出てきて何をほざく。多少の被害なぞ知った事か。我はあの赤いのを我が視界から排除せねば収まらんのじゃ!」


「ならば……致し方ありませんね!」


 リリエンタールが剣を構えると、20メートル級の巨大な剣が蜃気楼のように背後に浮かび上がる。

 その動きはリリエンタールの胸元の小さな剣とシンクロし、寸分たがわぬ動きをする。


 リリエンタールは半身に構えると、教科書のような綺麗な動きで剣を振り下ろした。

 それと同時に、ドラゴンの真上へと降下していく巨大な剣は、ツインタワーの白い塔を野菜のようにぶつ切りにした。


 ドラゴンはその巨体からは信じられない速度で塔から離れ、リリエンタールの剣から一定の距離を保ちながら旋回した。

 ガチャガチャガチャ、と、飛行中のドラゴンの鱗はけたたましい音を立てる。


 全身がウロコに覆われているドラゴンは、まるで重戦車のキャタピラー音のような音を鳴らしながら飛ぶのだ。

 だが、本気で飛んだドラゴンの鱗は隙間なくぴっちり締まり、特有のキャタピラー音がしなくなる。


 このドラゴンは本気で飛んでいた。

 最高時速300キロ。地上のどんなマシンより速い。


 その背中に搭載された61センチ砲の回転式砲台がギリギリと回転し、リリエンタールの姿を常に真正面にとらえている。


「逃げろ、リリ……ッ!」


 俺がそれに気づくのとほぼ同時に、砲弾が発射された。


 そのあとリリエンタールが一体どうなったか、俺はまったく確認できなかった。

 ドラゴンの砲弾が放たれた瞬間、凄まじい衝撃波が周囲に広がり、俺と乗客を乗せた電車を襲った。


 乗客は誰もが立っていられない様子で、床に横倒しになっていた。

 窓の外は煙が充満して視界が悪く、どこからともなく錆臭いにおいがしていた。

 ギリギリという不快な音が響いて、床が大きく傾いでいく。


 電車は海面に落ちないのが不思議なくらいの塩梅で、ほとんど横倒しになっていた。


「ビビ先輩ッ!」


 俺はビビ先輩の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。

 いない。

 小さな子どもたちやゴブリンスレイヤーも近くにいたはずだが、一緒に消えてしまった。


 いないはずだ、電車は真っ二つに分断されていて、半分がどこかに消えてしまっている。


 どうやら陸橋から落とされたのか。


 俺の乗っているもう半分も、間もなく落ちそうだ。

 乗客は恐怖におののいて、悲鳴を上げていた。


「兄さん、掴まって!」


 リリエンタールの顔が目の前に迫ってきて、床を滑っていく俺の腕をつかんだ。

 無事だったか……とは言い難い。銀のティアラからひと筋、血が流れていた。

 おのれ、ドラゴンめ。


 姫騎士の鎧が関節から火花をバチバチと散らしながら、空中で姿勢制御を行っている。


 鎧だけではない、魔工デバイスは軒並み不調をきたしていて、もうスマホの警報も鳴り響かない。

 どうやら、これがこのドラゴンの放つ『瘴気』の効果みたいだ。


「一瞬だけ足場を展開します。この場合、海に落ちた方がいくらか安全だわ」


 そう言って、俺のさらに眼下の海面に向かって、指でいくつもの円を描くリリエンタール。


 信じがたい数の円形の盾を生み出し、乗客全員分の足場を作っていた。

 柔らかい盾は、落下のエネルギーをふっと消滅させると、すぐに消えていく。


 一瞬だけ宙に浮かんだ乗客たちは、速度を若干緩めながら海に落下していった。


「あとは海上保安部隊に回収を任せましょう」そう言って、リリエンタールは再びブラック・ドラゴンの方にきりっと眼差しを向けた。


 太陽を背にリリエンタールと相対するブラック・ドラゴンは、空中に浮かぶ古代の神殿のように見えた。

 蔦のような長い金属片が全身に絡みつき、身につけた近代兵器に神聖な印象を与えている。


 魔王領はもともと竜の巣であったという。

 そこはドラゴンの放つ『宵闇の瘴気』によって満たされ、永遠に太陽の登らない『常夜の世界』と呼ばれていた。


 その昼夜逆転魔法により、いままさに、アールシュバリエの空からすさまじい速さで太陽が沈み、夕暮れへと近づいていた。


 ビル群が真っ赤な夕日に染まり、大都会が次第にこのドラゴンのボス部屋へと変貌してゆく。

 魔力の明かりは次々と消えてゆき、真の闇に飲み込まれていった。


 西日に照らされたドラゴンは、細長い両目に赤い光をたたえていた。

 その目は平穏を求めて暴れているのか、それとも、騒乱を渇望して無意味な殺戮をしているのか。


 リリエンタールが、ごくり、と喉を鳴らした。

 俺とほぼ同時だった。

 妙なところでシンクロするのは、やはり兄妹だった。


「リリエンタール、俺もそろそろ海に落としてもらいたいんだけど」


「…………」


「なんで俺だけずっと腕を掴まれているんだ?」


「それは……海上保安部隊に、大事な兄さんを任せたくないからです」


 リリエンタールは一瞬、言いようのない悲しみをたたえた眼を俺に向けた。


「だって、だって……海上保安部隊はみんなセクシーな水着が制服だし、ぼんきゅっぼんなビッチが多いから……兄さんが誘惑されそうで心配なのです」


「リリ、俺、命が助かるのなら方法とかはえり好みしないよ。だから安心して落としてほしい」


「けど安心してください。兄さんの童貞は、なんとしても私が守りますから」


「お前こそ安心しろよ。俺が童貞だった方が驚きだから」


 彼女の甲冑は、ばちばち、と火花を吹き続けている。

 銀のティアラは少々ずれて、額を半分隠していた。


 ほんの少ししか動いた様子はないのに、もはやこの鎧の性能の限界なのではないか、という感じがした。

 早く俺を落とさないとまずい。


 いい的になっていた俺たち目がけて、ドラゴンが頭から突撃してきた。


「来ます!」


「おうっ」


 俺は思い切り腕を引っ張られて、変なうめき声をあげた。


 どうやら海とは逆に、空に向かって放り投げられたらしい。

 俺は変にねじ曲がった陸橋の、電車が排除された線路の上にようやく着地した。


 空中にいるよりかは安全な状況には違いなかったが、線路の隙間から遥か下方に海が見えるので、生きた心地がしない。


 ここから落ちたら、もちろん空なんか飛べない俺は一巻の終わりだろう。


 リリエンタールは俺を放り投げた体勢のまま、ぐるりと宙を一回転し、先ほどと同じ炎を左右に広げた手から発し、マスタング銃を取り出した。


 魔王討伐時代に生まれた魔法道具のひとつだ。

 彼女が卓越したイメージによって現出させたその銃は、尖端から物体を断絶させる鋭利な亜空間の断片を飛ばす。


 相手の巨体を鑑みるに、それで致命傷は与えられないだろう。

 まずは遠距離攻撃で挑発し、自分に注意を引きつけるつもりだ。


「来なさいッ! オールローズッ!」


 しかし、ドラゴンはそんな挑発にやすやすと乗ってくれるようなモンスターではなかった。

 銃撃を食らって機関砲の一部を欠けさせながらも、姿がブレるような凄まじい超加速で戦線から離脱したのだ。


 逃げた。いや、逃がしてしまった。


「いけない……っ!」


 リリエンタールは、ドラゴンの目論見を察知した様子で、慌てて剣を抜いた。

 最悪なことに、ドラゴンの顔は、眼下、まっすぐ海に向かっていたのだ。


 まだ乗客たちのいる、海の方向だ。


 それを阻止しようと、巨大な蜃気楼の剣を背後に現出させ、高速で追いすがってゆくリリエンタール。

 だが、それこそ相手の思うつぼだった。


 上下逆さになったドラゴンの巨体は、とつぜん首から尻尾の先までヘビの体のように大きくうねった。


 ガチャガチャ唸るドラゴンの装甲は、それ自体がすでに武器のようなものだった。

 身震いするだけの簡単な動作で、追いすがったリリエンタールの背後の巨剣を砕き、彼女の身体をはるか遠くへ弾き飛ばしたのだった。



「あぅっ!」


 弾丸のように弾き飛ばされたリリエンタールは、沖あいのビルに衝突していた。

 ビルの壁面がクレーターのように丸くくぼむほどの破壊力。


 数キロ先から伝わってきた衝撃に、俺は身をすくめた。


 リリエンタールは、恐らく無事だろう。

 あれくらいで大事があるようでは、姫騎士など務められない。


 ドラゴンはまっすぐ落下し続ける。

 まだ海上には、ちらほらと数名の人影が浮かんでいた。


 水上バイクがちらほらと集まっている。

 たぶん陸軍の海上保安部隊だろう。


 あの中にビビ先輩がいるのか、ここからは確認できない。


「……おい、ちょっと、待てよ」


 俺は立ち上がって、ブラック・ドラゴンの背中を視線で追った。

 まちがいない、こいつはあのど真ん中を突っ切って逃げるつもりだ。


「待て……って、言ってんだろ! 止まれえぇぇぇぇぇ!」


 陸橋の上に取り残された俺は、ドラゴンの背中を真下にとらえていた。


 ここからあいつの背中に飛び移られるか?

 とんでもないアイデアが俺の脳裏に浮かんだ。


 飛び移って、いったいどうするつもりだったのか。

 ドノヴァン一族の剣術に、超巨大モブ戦用のスキルならある。

 至近距離から放てば、装甲の一カ所を破ることは可能かもしれない。

 それがどれだけ功を奏するかは分からない。意味などまったくない可能性の方が高い。

 相手は俺の父親と同じ、星3桁モンスター、ダンジョンの星1桁モンスター相手に苦戦している俺が敵う相手ではない。


 正直に言うと、いま一番やりたいことはドラゴン狩りなんかじゃない、早く帰って仕事に疲れた妹のためにのんびり揚げ出し豆腐でも作る事だ。


 俺の夢はこのアールシュバリエで料理人になること。

 けれども、それを美味いと言ってくれる顧客を失っては、作る意味などなくなってしまう。

 俺の舌じゃあ、コンビニ食の方が美味しく感じられるんだ。結局はまたコンビニ食ですませてしまうだろう。


 ドラゴンの背中を追って、俺は鉄橋を捨てた。

 ケースから破邪の剣を取りだすと、中に溜まっていたどす黒い煙が一気に外にあふれ出した。


 破邪の剣はブラック・ドラゴンの一部みたいな禍々しい姿に変貌していた。

 これも『宵闇の瘴気』の影響か、魔工デバイスとしての機能はすでに失われて、煙を吹くただの鉄くずと化している。


 どうせなら、殴っただけで威力のある重量級の剣を持ってくればよかったかと思ったが、時すでに遅し。もうこれで行くしかない。


 落下する俺の全身を、まもなくビルの影がひやりと包んだ。

 ドラゴンの巨体は海上から吹き上げる風の抵抗をもろに受けている。


 その風はドラゴンのすぐ背後へと回り込んで、後ろの俺に追い風をつくっている。

 エアポケット現象という奴だ。


 しかし、ドラゴンという幻想生物のスペックは、そんな物理の常識で測れるようなものではなかった。


 常識的に考えれば、あんなでかい生物が空を飛べるわけがない。

 奴らは物理の力ではなく、魔法の力によって空を飛ぶのだ。


 巨体にはそれ相応の空気抵抗がかかるはずが、魔法でそのベクトルをすべて揚力と推進力に変えてしまう。


 重力の強弱や比重の大小を意のままに操り、そしてエネルギー保存則を破壊してなにもないところから爆発的な推進力を生み出す。


 ドラゴンは空中に描かれた魔法陣の輪をくぐって、ロケットのように加速した。

 加速したくせにそれによって巻き起こる風なんて本当に微々たるものでしかない。


 これもドラゴンが空気抵抗をなくした影響で、背後に生まれていたエアポケットがすぐに力を失った。

 俺の受けていた追い風がはっきりと感じられるぐらい弱まって、どんどん引き離されていく。


 敵の魔法を封じて、自分の魔法の効果を倍増させる。

 なんて傲慢な魔法使いだ。


「届かねぇ……!」


 海上の乗客たちと、一瞬目があった。

 俺は彼らを守ることもできないのか。


 騎士の俺に非難の目が向けられているような気がしたが、そんな余裕がある奴はまずいないだろう。

 いったい何が起こっているのか、それがドラゴンなのかどうかさえはっきりしないうちに、ドラゴンに轢き殺される。

 残った人々も、海を突き破って生じた高波によって無事ではすまないはずだ。


 俺に魔法があれば。

 そうだ、俺がリリエンタールの鎧と同じ魔法を使って、ドラゴンと同じくらい加速できていれば、まだ追いつくこともできたかもしれなかった。

 俺に非難の目が向けられている気がしたのは、俺が魔法を使えないまがい物だからだ。


「笑わせるな、小僧。その程度の魔法を恐れるのか?」


 その声は。ふいにすぐ傍から聞こえてきた。

 誰の声だったのかはわからない。聞いたことのない声だ。


 ウェアラブル・ウルフのジッパーは亡者の魂を封じる。

 ひょっとしたら、へーキュン師匠の仕掛けたイタズラだったのかもしれない。

 ファーに隠れた第七のジッパーに、ダンジョンにいた誰かの亡霊が宿ったのだ。


「己の支配すべき魔法を恐れるな、お前の魔法は『王の魔法』だ」


 誰の声だろう。魔術師ではない。

 力強い声だった。


 とつぜん、心臓が撃ち抜かれたような衝撃を受けた。

 いつもの倍の大きさで、体内の漆黒の孔が勢いよく開いた。


 漆黒の翼の数も倍になっている。

 俺の背中から生えている翼は2対になっていた。

 計4枚の翼だ。どうして1対増えたのかはわからない。

 飛べない影のような翼だが、とにかく今は何枚でも欲しい。


 手の中の破邪の剣が、キィィィィィィンという凄まじい鳴動をあげ、禍々しい姿からいっしゅん元の姿を取り戻した。

 俺の『オークの瘴気』が、ドラゴンの『宵闇の瘴気』を打ち消したのだ。

 だが、耐久力の限界を超えたのか、元の姿に戻ったと思った破邪の剣は、ボロボロと崩れてしまった。


 剣はいらない。

 闇魔法だ。

 ここが俺のボス部屋なら、俺の魔法が使えてもいいはずだ。


 ブラック・ドラゴンの背中に手をかざすと、その体にまとっていた白い魔法陣がかき消えた。

 いや、消えただけにとどまらない。

 加速をあたえる純白の魔法陣が消えたかわりに、あらたに漆黒の魔法陣がいくつも刻まれた。


 なんだ、これは。

 授業でも習ったことのない、まったく見覚えのない魔法陣が7つ。


 魔法文字はすべて鏡文字。回転も反時計回り。

 力を増加させる光の粒子を飛ばしていたのが、逆にブラックホールのように光の粒子を吸い込んでいる。


 その魔法陣は、ドラゴンが落下に向かう力のすべてを、一瞬で奪い去った。

 それだけだったら、まるでリリエンタールの『盾』のような魔法だと思っただろう。


 違う、止まったのではない。

 マイナスに加速していたのだ。


 止まったのは一瞬だった。

 ドラゴンは頭を地面に向けたまま、空に落ちていくみたいに、後ろ向きに飛び始めた。

 岩のように巨大なドラゴンが、背後の俺めがけて飛んでくる。


 ……えっ、避けられねぇ?



 ガラスの破片、電車から吹き上がる黒煙、水しぶき、それらがぜんぶ上空の俺に向かって、吸い上げられてくる。


 まるで天地が逆転して、空に自由落下しているような錯覚さえ覚えた。

 いや、何がって。ドラゴンが。


 黒い魔法陣の正体はいまだに不明だが、これは凄まじい威力だ。


 空中で背中を丸めたドラゴンは、身を裂くような咆哮を上げた。

 どうやら自分の身に起こっている異常を察知したのだ。


 7つの魔法陣から逃れようともがくと、さらに真上から挟み込むように同様の魔法陣が生まれた。


 さらにドラゴンの逃げ場を奪うように、周囲を取り囲むように魔法陣が生まれた。

 計18枚の魔法陣の檻に阻まれ、身動きが取れないでいる。


 これが一体何の魔法なのか、一体誰が放った魔法なのかさえ、そのときの俺には分らなかった。


 こんな高度な魔法を俺はいままで見たことがない。

 けれども、それで捕らえられたと考えるのは早計だった。


「……小賢しいわ」


 ドラゴンは、なにやらブツブツつぶやくと、何か新しい魔法を組み立てていた。


 ドラゴンの黒い鱗から、なにやら水蒸気のようなものが噴き出し始めている。

 体のあちこちに突き刺さっている排気筒からも、凄まじい量の蒸気が噴出しはじめた。


 これが闇魔法だと見破って、体内に魔法を構築しはじめたようだ。

 研究によると、俺の闇魔法は肉体を透過しにくいらしい。

 体の外側の魔法なら文字通りなんでも消すことはできるが、体の内側に魔法を構築されると、途端に弱くなる。


 ドラゴンは全身を赤く染め、汽笛まで響いて、まるで蒸気機関車だった。


 まさかこいつ、馬力をあげて腕力で強引に結界を突破するつもりか。

 そのまさかだった。


 縮こまっていた巨大な体は、重圧の中で軋みながら動き始め、軽く身震いするだけで、魔法陣の檻をはじき飛ばしてしまった。


 ダメだ、相手の方が魔法戦には遥かに長じている。


 目を薄く開いて、周囲を睥睨しているドラゴン。

 先ほどの魔法を使った魔法使いを探しているみたいだった。


 しかし、その姿を見つける前に、俺の手はドラゴンの首に届いていた。

 排気筒をすり抜け、その真っ黒な鱗に、吸い込まれるように俺の手が伸びる。


 ようやくドラゴンに触れる……そう思った瞬間、ドラゴンは霧に溶け込むように、ばっと消えた。


 ドラゴンの背中が硬いのか、柔らかいのか。ヤケドするくらい熱いのか、ひやりとするくらい冷たいのか。

 なにひとつ感じられないまま、感じる前に、そのドラゴンが消えてしまった。

 宙に残ったのは、その輪郭と、微弱な魔力を帯びた水蒸気だけだった。


「あ……消え、た……?」


 消えてしまった。

 そして、今度こそ乗客たちの目は、空中の俺に注がれていた。

 俺は何も捕まるもののない空中でじたばたもがきながら、まっすぐ海に落ちていった。




 海に落ちた俺は、どうやら海上保安部隊に助けられたらしい。

 エンジンの心地よい振動が腰に響いてくる。

 オイルの燃焼するにおいがどこか懐かしい。


 アールシュバリエの車のエンジンは、オイルを生み出す土魔法式と、エネルギーを生み出す火魔法式の2種類があった。


 魔工機技師の教科書によると、基本的に魔法を使う場所ほど部品の消耗が激しくなるため、オイルタンクに魔法を使う土魔法式の方が、エンジン部に直接魔法を使う火魔法式よりも、耐久年数がはるかに長い、という違いがあった。


 馬力はぜんぜん劣るから、犯人とのスピードレースなんかには向かないはずだ。

 たぶんハイブリッド・エンジンにして、両方のいいとこどりをしているんだろう。


 ともかく、俺は水上バイクを駆る特殊な装備をした騎士の背中に、濡れた猿のようにしがみついて凍えていた。


「ごめん、なんか鼻水出た」


「気にしないで、安静にしていてください」


 海上保安部隊の騎士は、誰もが水着を着ている。

 いわゆる、ビキニアーマーというやつだった。


 水棲モンスターとの戦闘が多いため、鎧は緊急時に素早く脱着のできる特殊プラスチック製の簡潔なものになっていた。


 また、彼女たちのもっとも得意とする水中戦に持ち込んだときには、衣服にかかるわずかな水圧が戦闘力に大きく影響するため、自然と布面積が少ない服装になっていったという。


 つまり、ほとんど水着なのである。

 人間の弱点であるお腹が丸出しになっているが、水棲モンスターは水棲動物の弱点である頭をよく狙ってくるらしい。

 頭部だけはガッチリ兜で固めてある。


 なるほど、ビキニアーマーのような特殊な装備が生まれた背景には、そのような理由があったのだ。

 前の世界の俺は感心しながら彼女たちのお尻を眺めていた。


「ここ……どこだよ?」


 俺を乗せた水上バイクは、見知らぬ廃墟の間を走っていた。

 ドラゴンの『瘴気』の影響はなくなっていたが、空は心なしかどんよりと曇っていた。


 ビルのガラスはほとんどが割れ、ゴーストタウンと呼ぶにふさわしい景観になっている。


「どうしましたか」


 俺の乗った水上バイクを運転している騎士は、つまり、俺が後ろからしがみついているビキニ姿の女の子は、大きめの声で尋ねてきた。

 身長は180センチぐらいだろうか。体格のガッチリした女の子だ。

 大きなエンジンの駆動音に、ともすればかき消されてしまいそうだった。


「どこに向かっているんだ?」


「安全な陸地を探しています」


「安全な陸地って? ここ、アールシュバリエじゃないよね」


「アールシュバリエです。ツインタワーからさほど離れていません」


「……マジで?」


 美しい街並みは見る影もなかった。

 けれども言われて見ると、巨大な蛇が這っていったように丸くえぐられたビル群のずっと先に、紅白のツインタワーが見える。


 俺たちが渡っていた陸橋は、途中で完全に分断されていて、電車が鳥の食い残しみたいに横向きにぶら下がっていた。


 この廃墟のような光景は、ついさっき現れた2匹のドラゴンとの戦闘によって生まれたものだった。


 ドラゴンは一体どれだけ広範囲で争いを繰り広げていたのか。

 同じような廃墟が延々と広がっている。


「なんか、あんまり風景がボロボロになっちゃってて……ここが本当にアールシュバリエなのかと思っちゃって」


「モンスター・ハザードが起きたため、周辺の魔力塔が緊急停止させられているのです。魔力に敏感な人は違和感を覚えるそうです」


「ああ……そういう事か」


 そういう事……にしておきたかったが、やっぱり、俺の中の違和感はぬぐい去れなかった。

 何かが違うのだ。


 まるで、これまで街にかかっていた魔法が解けたみたいな、そんな気配がする。

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