兄のお嫁さん候補、イルレーヌさんの登場ですよ?
俺が生まれたのは、ビボン駅の近くにある小さな教会だった。
5歳になるまでに電車に乗って、母親に何回か連れていかれたのをぼんやりと覚えている。
西部からふらりと街にやってきた彼女の出産を手伝ってくれた、そのお礼を言うためだ。
最初は誕生日が近づくたびに毎年俺も連れていかれたのだが、そのうち母親ひとりで行くようになった。
俺がシスターさんをナンパしはじめたからではないか、と子どもの頃は思っていたのだが、大人になったいま思うと、母親が神父にナンパされていた可能性もある。
後で神父と結婚したもんな。
そんな俺が『特区』で生まれたか、などと聞かれても、首をかしげるしかない。
そもそも、『特区』なんて今まで聞いたこともない場所だった。
「『特区』って、どこの事なんです?」
「知らないのね……精霊ネットで流れている噂よ」
「知りませんね。そもそも俺は精霊ネットに接続できませんから」
「どうして魔力の弱い人間が、現代社会で他の魔法民族と肩を並べられるくらい発展してきたか……そのカギを握っていると言われている、歴史の闇に隠された秘密の地域のことよ」
「へぇ……そんな地域があったのか」
「ええ、恐らく、人間社会では国家機密クラスの情報でしょうね」
俺が知っている訳がなかった。
「で、それって、どういう噂なんです?」
「つまり、人間は自分たちの領土の中に、『特区』というのを設定して、そこから大量の魔石資源を得ることで発展してきたというのよ。
反魔法特別地区、通称『特区』。そこでは、すべての魔法が封じられている。住んでいる人間は魔法を使えないし、魔法道具も一切動かない、魔の領域なの」
「けど、この世界で魔法や魔法道具が使えなかったら……すごく不便じゃありませんか?」
「そうね。魔法がなければ、魔力灯もインターネットも自動車も飛空艇も存在しないでしょう。けれど、産業革命期の後期から、かれこれ300年くらい『特区』は存在し続けているらしいわ」
「300年も……ですか?」
「そう、だから『特区』では、魔法を使わない道具が独自に発達してきたというの。水車やネジは『特区』で発明されたものだと言われているの」
ビビ先輩の言わんとしていることが分かった。
ひょっとすると、魔法を使わない調理器具を作ろうという俺のアイデアも、『特区』からもってきたものかもしれない、と考えたのだ。
「人間が魔工機を発達させられたのは、こうした魔法を使わない技術を数多く取り入れることで、魔石資源の節約に成功していたからだと言われているわ。
さらに『特区』では役に立たない魔石資源を、一部の魔術師たちがただの石ころと同じ値段で買い取っていたそうよ。この『特区』があるお陰で、人間の社会は産業革命期に他種族から抜きんでて発達してきたというわけ」
「そりゃなんとも……ひどい話だな……」
「ひどい? すごいと思うけど。奴隷のお陰で発展した文明なんていくらでもあるでしょう?」
「けれど……ひどいのは変わらないっすよ」
俺は、ふごふご、と鼻を鳴らした。
命を懸けてモンスターと戦いながら魔石資源を集めているアールシュバリエがある一方で、奴隷地区のような『特区』を擁して魔石資源を集めさせ、それを横取りしている強欲な魔術師たちがいるのだろうか。
もしそうなら、騎士として許しがたいことだと思う。
その時からだ、俺が魔法の封じられた社会、『特区』について思いを巡らせるようになったのは。
本当に『特区』が存在しているのならば、俺の前世の科学知識を『特区』の人々の生活に役立てることはできないんだろうか?
「あ、そうだ。ビビ先輩、なにかエルフ料理で食べたいものありますか?」
「ドナテッロ、この私を胃袋から落とすつもり? まさか私の事を狙っているなんて思いもよらなかったわ。身の程をわきまえなさい、このオーク風情が」
「ちがいますって、最近エルフ調味料に凝ってて、レパートリーを増やしてみたいだけですよ。ビビ先輩も落とせるし、一石二鳥だ。ふごふご」
エルフ食と日本食が似ているのなら、前世の記憶を頼りにすれば簡単に作られるかもしれない。
俺の闇魔法を使えば、きっと美味しいものを作られるはずだ。
ビビ先輩は、少しばかり首をかしげていたが、やがて迷うことなく言った。
「味噌煮込みうどんが食べたい」
「み、味噌煮込みうどん……他のはありませんかね?」
「ん、どうして及び腰なの?」
味噌煮込みうどんは、名古屋の郷土料理である。不勉強なことに、俺は名古屋といえば味噌カツしか食べたことがなかった。
しかし、ビビ先輩はどうしても味噌煮込みうどんが食べたかったらしい。
残念な顔をされてしまった。もっと食べときゃよかったな……。
「2020年にオリンピックが開かれるんだよ」
「ふーん」
「オリンピックって、なんて言ったらいいんだろう、世界中の国が参加するスポーツ大会みたいなもんでさ」
オリンピックが何かから説明しなくてはならないリリエンタールは、俺の語る異世界の話はどうでも良いわよ、という感じで、アサリの味噌汁をすすりながらテレビを観ていた。
テレビというのは俺の記憶にある世界での呼称だ。
アールシュバリエでは『投影結晶』と呼ぶ。
器に張った水鏡にお互いの姿を映して会話をする、通信用の魔術を応用した魔法道具で、中世に入るころにはすでに鏡のタイプが出現していた。
その次に鏡より大量生産しやすいプラスチックの結晶板へと進化しており、東京のブラウン管テレビが今の薄型液晶テレビの形になったことで、両者は偶然にもほとんど同じ形になった。
まったく別の所で生まれた技術や道具が、まったく同じ目的で使われ続けるうちに、ほとんど同じ形状に進化してしまう。
これを文化収斂というそうだ。こうしてみると、アールシュバリエと東京はほんとよく似ている気がする。
「お前のそのアサリの味噌汁だって、東京じゃめっちゃくちゃ昔からある馴染みの食べ物だったんだぞ」
「へー、そうなんだ」
「マジだって、夏には潮干狩りなんてやってたんだから」
ビビ先輩に教わったカナサ貝のエルフ味噌スープを飲んでみて、アサリの味噌汁そっくりだな、と直感し、改良を重ねてみたのだ。
あれ以降、魔工機技師資格を必死で勉強した俺は、遠火炉の代わりにガスボンベを使ったコンロを生み出し、さらにオリジナルの炊飯器も作ってみた。
それを使って、前世の記憶を頼りにアサリの味噌汁を作ってみたところ、親指をぐっと立てて「ドナテッロ、あなた今すぐエルフの里に嫁に行けるわ」とビビ先輩にお墨付きをもらえて、俺は無性に嬉しくなった。
「本当ですか? オークの性欲は人間の10倍、エルフに換算すると250倍っすよ? もしエルフの里で貰い手がなかったら、先輩が全部受け止めてくれるんですよね?」
と、からかうと、ビビ先輩は顔をぽっと赤くしたが、ためらわずに両手をばっと広げた。
「いいわ、私が全部受け止めてあげる。ばっちこーい!」
「先輩……ッ!」
魔法薬研究室でひしっと抱き合い、将来を誓い合った俺と先輩。マジ青春。
そんなばっちこーい、なやり取りがあって、帰宅してみると、妹はこの不機嫌顔である。
今日に限ったことではない、俺が女の子といちゃいちゃした日には、必ずこんな顔をしているのだ。
たまに超能力でもあるのかと思う。
「まあ、あれだな、それでも、アールシュバリエと東京の一番の違いは、向こうじゃ誰も魔法を使えないってことなんだよ。魔法道具なんてものも存在しない。それでも文明を発達させていって、アールシュバリエとほとんど同じような社会を築き上げてるんだ。これってすげぇ事だと思わない?」
ずずず、と味噌汁をすすって、リリエンタールはハシを置いた。エルフ食がなんだか味気ないものに思えるのか、ふう、と息をつく。
「兄さん」
「うん?」
「また魔法士試験しっぱいした?」
「………………………………うん」
がっくりとうなだれる俺の赤い髪を、リリエンタールはよしよしと撫でた。
なんで知ってるんだ。
くっそ、妹の前に隠し事はできない。
「兄さん、泣かないで」
「泣いていない、騎士は泣かないからだ」
「泣かないでよ」
妹は、ふかふかの胸に俺の頭を抱き寄せた。
俺が異世界転生してきたことなど、割とどうでもいい感じでスルーされてしまった。
というか目下の問題に比べれば本当にどうでもいい問題だったのだ。
将来の生活が懸かっているんだものな。
「大丈夫、兄さんだったらきっとすごい料理人になれる。だって、こんなに人の心に響く、おいしい料理が作られるんだから」
「それな、料理人も考えたんだけどな……兄ちゃんの料理は魔法を使わずに作るから、ピークタイムの1分間に一気に3000食も作る他の店みたいな真似ができないんだ……しかも兄ちゃんしか作られないから、他の料理人を雇うこともできないしな……」
「高級料理店にしましょう。一見さんお断りみたいな知る人ぞ知るお店でいいわ」
「それが、魔法耐性のない普通の人には、魔法で作った飯の方が普通に美味いみたいなんだ、これが……」
「もう、兄さんは私が一生養ってあげる。法律で配偶者にすることはできないけど、被扶養者にすることはできるから」
「ありがとう、リリ。嬉しいよ。その代り、去勢しろって言うんだろ?」
去勢はマジ勘弁してください。
気持ちだけでも貰っておくとしよう。
リリは胸のカンフー猫を左右にぐりぐりスウィングさせて言った。
「ふふん、リリエンタールのやさしさは半分で出来ているんですよ?」
「ああ、そうだな、お前のやさしさは半分でできているよな」
「もう半分は兄さんのやさしさでできているの。だから安心してね」
俺は妹に頭を撫でられながら、このやり取り10年前にもした気がするな、と思った。
かたや、エリートコースを順調に進んで姫騎士。かたや、魔法士の資格も取れない落ちこぼれ騎士候補生。
俺が妹に勝てるものといえば、異性と一夜を共にした回数を除外すれば、料理の腕前ぐらいだった。
せめて、妹には美味いものを食べさせてびっくりさせてやりたい。
俺の手料理なんかじゃなくて、東京のうまい店にでも連れて行ってやりたい。
魔法の一切かかっていない、本物の料理を食べれば、あいつはいったいどのくらい喜ぶのだろう。
そんな愉快な想像をしない日はなかった。
闇魔法の研究をしろと言われても、いったい何をすればいいのかわからない。
とりあえず氷の迷宮の低階層に潜って、風船のようにぷくぷくした丸っこいウサギのモンスター、バルーン・ラビットの風船みたいにむにゅむにゅした体を触って遊んでいた。
平日の真昼間なので、人のいる気配がまるでなかった。
静かなダンジョンはやっぱり落ち着く。
モンスターっていうのは、見れば見るほど不思議な体をしていた。
この風船っぽい以外はよく分からないウサギのモンスターも面白い体をしている。
耳をぎゅっとにぎると、顔と胴がぷくっと膨らむ。
胴をぎゅっと掴むと、顔と耳がぷくっと膨らむ。
なるほど、風船っぽい。
いざ本気を出すと、ばるるるるっ、と風船に穴が開いたような速度でタックルしてきたり、予測不可能な軌道を描きながら逃げたりする。
そのとき風圧で顔が歪むのがブサ可愛い。
ダンジョンのあちこちに体をぶつけながら逃げていくので、どんな強面の冒険者も小一時間爆笑し続け、そこから動くことができなくなる呪いにかかるという。
飽きない。いつまでも遊んでいられる。
相手はもう逃げたくて仕方なさそうだったが。ほんっとコイツ飽きない。
しかし、こいつらモンスターって一体何者なんだろう。
魔法の存在するこの土地では、地殻変動なんかで地中に埋まった魔石が特定の配列になると、異形の獣を生み出す。
そのモンスターを生み出す特別な魔石の配列が『星座』になぞらえられていた。
ゴブリン座からはゴブリンが、スライム座からはスライムが生まれ、そいつらは身体に魔石核を携えたまま、特に目的もなく、ダンジョンの中心である魔石核『北極星』を中心にして徘徊し続けるという。
だが、仕組みは分かっても、どうしてそうなっているのか。
どうやって『北極星』が生まれるのかも、じつはまだよく分かっていない。
はるか古代に存在したというドワーフ、エルフ、獣人、人間、魔物、妖精、すべての魔法民族の共通の祖先、原初魔法民族がこの世界にかけた、謎すぎる魔法のひとつである。
「誰だ?」
俺は、傍らに置いてあった破邪の剣の柄に手をかけつつ、暗闇のほうに声をかけてみた。
先ほどからバルーン・ラビットを虐めている俺の様子をちらちらとうかがっている影があったのだ。
じっと見ていると、おどおどしながら出てきたのは、雪のように白い肌をした少女だった。
黒いショートヘアからにょっきり飛び出した、とんがった耳。バニラの味がしそう。俺の大好きなエルフ耳だ。
ひょっとして、バルーン・ラビットの妖精かなにかが「弱い者いじめはダメです!」とか俺に言いに来たんじゃないかと思った。
そのくらい非現実的な可愛らしさの少女だった。
可憐だ。ぺろぺろしたい。俺はひと目で心に火が付いた。そのまま勢い余って性欲と同時に闇魔法が暴発しそうになったが、なんとかこらえる。
だってここ、モンスターの徘徊するダンジョンだぜ? 普通、女の子が1人で来るような場所じゃねぇよ。
「よ、よ、よ」
「よ?」
がたがた、ぶるぶる震えながら、俺の方を指さした。
「弱い者いじめは、ダメ、です……!」
「……………………」
俺は、バルーン・ラビットを見下ろした。うるうるした瞳とばっちり目が合った。
もう一度少女を見ると、同じくらいうるうるした大きな瞳で俺を見つめている。
4つのうるうる、うるうるした瞳に見つめられて、俺はいたたまれない気持ちになった。
「そうだよな、弱い者いじめはダメだよな。ああ、なんてことだ、こんなに可愛いバルーン・ラビットを虐めるなんて、そんな奴は騎士の風上にも置けない。断じて許せないな……お詫びと言ってはなんだけど、一緒にお茶しない?」
「……なんです?」
要領を得ない様子で、じとーっと、俺をにらみ続けているエルフ少女。食らった俺が思わずにやけてしまう、ネコパンチのような破壊力の目だった。
「……悪い、いじめていたんじゃなくて、研究したかったんだよ」
「研究、ですか? バルーン・ラビットについて?」
「そう」
俺はバルーン・ラビットの耳を両手で持ったまま、胴体をくるくる回しながら言った。
ねじれた耳をにょいーんと左右にひっぱると、胴体が超高速で回転してもとの形に復元する。この遊びよくやったわ。
いや、ほんっと飽きないコイツ。いくら研究しても飽きない。
エルフの少女は、首をかしげて、しばらく不思議そうな顔をしていた。
やがて、機械のような口調ですらすらと言葉を紡ぎ始めた。
「バルーン・ラビットの研究でしたら、エルフの里の『世界樹』が向いています」
「ほうほう」
「彼らの主な生息地は、標高差の激しい高山や、もっと地底深くへと続いているダンジョンだと言われています。他の動物が食べられないような高所の草や苔をはみはみすることで生存競争を勝ち抜いているのです。平地における生存率は低いから、あまり見かけないの」
「へー、そうだったのか……はみはみって、天使の名前かなにかかな?」
「また、外部の気圧によって体形が著しく変化するのもこのモンスターの特徴です。高いところのバルーン・ラビットほど大きくて力が強く、最上位は《スカイシップ》の名を持つ100メートル級の星9級モンスター。逆に地下深くの低いところではどんどん小型化してゆき、大きな動物が潜り込むことのできない岩の隙間で苔などをはみはみしています。こちらは出現数が極めて少ないのですが、最上位は《フルメタル・ジャケット》の名を持つ直径10センチ未満の鋼鉄の体を持つ星16級モンスターです。いずれも毎年新種が発見されており、伝説上でしかその存在を知られていない亜種も多数います」
エルフ耳の少女は俺の発言を遮る勢いで一気に言い切ると、ふっと俺の方に目を向けた。
……よーするに、キングとメタルがいるわけね。バルーン・ラビットのくせに、やるじゃないの。
なんでこんなに詳しいのか。ズレているのもまた可愛いかった。
「しかし、どうしてこんな面白い生物がいるんだろう。モンスターって何者なんだろうな?」
「それぞれの星座に住んでいる宇宙人の幻影だという説があります」
「へぇ、宇宙人説派なんだ」
こくり、とうなずくエルフ耳の少女。
こことは違う、遠いどこかの惑星にも『北極星』があって、お互いの『北極星』はそれぞれの星の生物の幻影を映し出しているのでは、という説があった。
まあ、そんな惑星がひとつも見つかっていない現状では、ただのオカルトではあるのだけど。
モンスターが何者であるかという問いに対する、ひとつの解釈ではある。
「ダンジョンは、『北極星』を中心にして生まれる巨大なプラネタリウムなんです。……モンスターと遭遇することは、星の巡りと同じなのだと、師匠は言っています」
「星の巡りか……君もひょっとして、モンスターの研究をするためにダンジョンに潜っているの?」
「そんなところです。そしてゆくゆくはエイリアンを発見するのです」
「名前は?」
「イルレーヌ。もし私がバルーン・ラビットの新種を発見したら、バルーン・ラビット・イルレーヌスになります」
「フランスのお菓子みたいな名前だな、なんか超食べたい」
イルレーヌは、にこっと笑った。不覚にもどきっとした。
俺の手から解放されたバルーン・ラビットは、きゅーきゅー、ぷしゅるるる、と鳴きながら、イルレーヌの肩に飛び乗った。
「よしよし」
子供をいたわるようにほほを寄せ、バルーン・ラビットの頭を撫でてやっているエルフ少女。
エルフって動物とも仲がいいんだよな。いつもビビ先輩を見てるから気づかなかったけど。
モンスターと心を通わせる彼女は、とても神聖な存在に思えた。
「あ、そういや、モンスターの肉って食材としてどうなんだろう。食えるのかな……」
「食べてみます?」
ふと、俺がひとりごちた言葉に、イルレーヌが斜め上の即答をした。
バルーン・ラビットは、もきょー、と声にならない声をあげていた。
「エルフって肉食を禁じているんじゃなかったの?」
「ごめんなさい、私エルフのこと、あんまりよく分からないんです」
エルフの少女イルレーヌに言われて、俺は思わず「どういうこと?」と聞き返した。
イルレーヌは、ちょっと言いにくそうにしていた。
「私……実はハーフエルフなんです」
「なるほど」
人間とエルフの間に生まれた混血種族のことをハーフエルフと呼ぶ。
なぜかは分からないが、両者の間に子どもをもうける事は、エルフの間では禁忌とされていた。
ハーフエルフは、純血のエルフほどその特性を色濃くもってはいないが、人間よりも寿命が長く、魔力も強いという。
しかし、エルフとの間に子供を産むなんて、うらやましい人間である。
禁じられているのならゴムくらいしろよ? いや、禁じられているからこそ燃えあがってしまうというのも、分からなくはないけど。
「じゃあ、普段から精霊ネットで情報を調べたりとかもしないんだ?」
「お母さんとしか繋がっていません」
おお、なんという箱入り娘か。
お母さんは人間なので、娘とお話するために苦労してエルフの魔法を覚えたのだそうだ。
お母さんの方ともぜひお近づきになりたいものである。
「知らない人と話しちゃダメって言われてるんです」
「ひょっとしてスマホも? 俺とLINE登録とかしちゃダメ?」
「スマホ……もってないです」
よっし、箱入り娘確定である。
こういうタイプのエルフが俺の前に現れるのは非常にめずらしい。
俺の騎士スキルを総動員して、全力で守ってあげたい。
というわけで、さっそく俺はダンジョンでの料理に挑戦した。
イルレーヌが織物のカバンから取り出したウサギ肉を調理する。
メキシコの郷土品みたいな、カラフルな糸をより合わせて作ったカバンだ。
「平地のバルーン・ラビットは、肉を落とす確率が低いと言われていますから、いま狩ってもお昼ごはんまでに間に合いません」
などと、肩の上でまだ涙目になっているバルーン・ラビットに言い聞かせるようにイルレーヌは言った。
優しいんだか残酷なんだか。仲間の肉を食うところを見せるんだぜ?
「なかなか良いカバン持ってるな」
「マルドラームの森に住んでいるイルイド僧から色魔術布を分けてもらったんです」
「てことは、地味に魔法効果がついてるんだ」
「はい、師匠がカバンにしてくれたんですよ」
「へー、錬金術師なの?」
「本人の職能は聞いたことありませんが、いろいろとつてのある人みたいなんです。素材を持っていくとなんでもアイテムに変えてくれちゃいますよ」
「ほうほう、すごいな」
「ふふん」
イルレーヌは嬉しそうにしていた。
なんでこの子が自慢げにしているんだろう。
俺へのサービスだとしか思えない。
俺は、そうだ、と思いだして、ショルダーバッグからウェアラブル・ウルフの毛皮を取り出した。
「これもアイテムにできちゃう? ジャケットに仕立てるつもりなんだけど」
「ジャケットですか。頼んでみますね」
と言って、イルレーヌはウルフの毛皮を受け取った。「わあ、セブン・ジッパー……すごい」と言って銀色の毛並みを撫でていた。
ウルフを倒せば必ずといっていいほど落とす素材なので、そんなに大したものではない。たまに落ちてるのを拾ったりするぐらいだからな。
だが、あえて素材の状態で持ち歩くことで、こうやってばったり出会った冒険者の女の子と話題を共有することが出来るし、あわよくば、再会する約束を取り付けることだってできるのだぜ。
まったく、ウェアラブル・ウルフ先生さまさまだぜ!
「モンスターの毛皮はドロップしやすいんだけど、肉のドロップは少ないんだよな。というか、逆になんで肉が残るんだろうな?」
モンスターは幻影なので、本来ならば倒せば核となる魔石を残して消滅するものだ。
だが、そのモンスターの体の一部はなぜか実体を持っていることがあり、消滅せずにドロップアイテムとして残ることがある。
いままで当たり前だと思っていたが、これもモンスターにまつわる不思議な話だった。
「たとえ幻影でも、異星の生物とまったく同じ生活をしているからだそうですよ」
「というと?」
「ほら、生き物は他の生き物を食べて、その栄養素を身体に取り込んで、新しい細胞を作っているじゃないですか? だからダンジョンに迷い込んだ動物や、バルーン・ラビットみたいに実体のある草ばかりはみはみし続けていると、モンスターの幻影の細胞が実体のある物質にすこしずつ置き換わっていくそうなんですよ」
はみはみいただきました!
ほんとこの子食べたい。耳の先っちょからはみはみしたい。
「実体のある生き物をずーっと食べなかったら、幻影にもどっちゃうの?」
「そう聞いています。肉の細胞は入れ替わりのサイクルが早いと言われていますから、だいたい2ヶ月も経てば、完全に幻影にもどるみたいです」
「ははあ、それで長いこと細胞が入れ替わらないツメとか毛皮がドロップしやすいわけだな」
「そうですね。確実にドロップすると言われている魔石核も、本当に生まれたばかりのモンスターは持っていないんだそうですよ。魔力の塊みたいな状態で長いこと土の中にいて、土中のミネラルを吸収して少しずつ魔石核が結晶化して、はじめて土から出てくることが出来る。だから土から出たモンスターはみんなすでに魔石核を持っているの」
イルレーヌは、本当にモンスターのことが好きそうだった。
調べれば調べるほど、モンスターに善も悪もないのだと言った。
実体を持つ生物と何らかの関わりを持とうとするモンスターが生き残りやすく、俺たちがよく見かけるだけなのだ。
けれど善も悪もなければ仲良くできるか、と言われれば、けっしてそういう訳ではない。
大抵の女の子は、異種族を強姦してしまうオークの事を毛嫌いしているものだった。
俺がハーフオークだと知って態度を急変させる子もいる。
いつもなら、自分から言う必要もないのだが、この子とはもっと深い仲になりたい。
俺は、ちょっと遠回しにオークの事も聞いてみた。
「たとえば、オークみたいに異種族との間に子どもを産むとか?」
イルレーヌは、こういう話にちょっと抵抗はあるみたいだ。
顔を赤らめたが、うなずいて見せた。
「はい、オークは肉食で大きいのに弱いモンスターですから。大きな身体を維持できるほど大量の肉を食べつづけられない。だから『托卵』のように、他の生物の母体に子供を産みつける進化をしたそうです」
「『托卵』か、なるほど」
「そうして母親から栄養素を得て成長する子供は、生まれた時から実体を持っている。生まれた時には自分が幻影だったなんて気づいてもいないでしょう……実に利に叶っていると思いませんか? 彼等を設計した知的生命体の存在を疑わざるを得ません。そう、これはモンスターがエイリアンである証拠。緩やかな惑星侵略なのです!」
などと興奮気味に不思議なことを言っていたが、とりあえず、オークに対する偏見がないことはわかった。
それはつまり、俺にも希望があるということだ。
しかし、ここで自分の事をそのエイリアンだと打ち明けたらいったいどんな反応をされるのだろう。
楽しみでもあり、恐くもある。
イルレーヌをどうやって攻略すべきか、うんうん悩みながら料理を続けていた。
悩みながらも、手は勝手に動いてゆく。
数種類の野菜を刻み、よく肥えたウサギ肉といっしょに鍋で煮込んだ。
イルレーヌが持っていたのは、1人用の小さな鍋だった。
俺には物足りないぐらいの容量だったが、ただで食べさせてもらえるんだから贅沢は言わない。
さらに、イルレーヌが笹の葉にくるんでいたのは、なんとエルフ大豆から作ったエルフ味噌だった。
「旅先でもお味噌がないとやっぱり落ち着かなくて……」
「おおおお……!」
決めた、この子、絶対に俺の嫁にする!
だが、落ち着け、彼女はウサギのように臆病な生き物だ。
いきなり飛びかかってはみはみしてはならない。
モンスターに善も悪もなければ仲良くできるかと言われれば、けっしてそういう訳でもないのと同様に。
俺の事が好きでも嫌いでもなければエッチさせてくれるか、と言われれば、決してそうでもない。
ここは頼りがいのある騎士の顔を見せ、徐々に彼女のガードを解いてゆくのだ。
最初は友達でいい、彼女が唯一精霊ネットで繋がっているという過保護なお母さんのアドレスの隣に俺の名前が乗るようにして、その名前を見るたびに俺の事を意識してしまうようにする。
そして徐々に俺の事を異性として意識しはじめ、かけようか、かけまいか、悩ましい日々が続くように仕向けるのだ。
イルレーヌは、見たところ純情な魔法使いタイプだ。
男性に対する強い警戒心と強力な魔法耐性を併せ持っていそうだった。
ならば、この無属性料理は、効くはずだ。
俺はとっておきの料理を作るべく、鍋の上に手をかざして、「美味しくなるおまじないだ」と言いながら、いつもより強めの闇魔法をかけ、ぐるぐると手をまわした。
いい感じに濃厚な味噌の薫りと、香草のさわやかな薫りが洞窟内に充満してきた。
小さな器によそおうと、イルレーヌはその小さな器が重そうなくらい小さな手でそれを受け取った。
「ドナテッロさんは、料理が好きなんです?」
「ああ、よく妹に作ってあげているんだ」
「妹さん思いなんですね、いいなぁ。私も弟か妹が欲しかったわ」
イルレーヌはお箸を指に挟んで両手をあわせ、「いただきます」と言っていた。
耳にかかっていた髪の毛を軽く手で押さえながら、はふはふ、と熱い肉を口に運んでいく。
イルレーヌにばかり見とれている訳にもいかないので、俺もひと口食べてみて、驚いた。
これは美味い。
ウサギのもちもちした肌は脂身も多く、口の中でとろけるような柔らかさだ。
噛みしめると同時に味噌の風味がたっぷりしみこんだ肉汁があふれてきて、俺は思わず身震いした。
バルーン・ラビットってこんなに美味かったのか。
イルレーヌのエルフ口内でも同じ味が踊っているはずだ。
彼女はまだ口をもきゅもきゅ動かしながらも、おどろきに目を見開いていた。
「――美味ひぃ! すごく美味しいです!」
「そんなに?」
「そうですよ! どうしてこんなに美味しくなるんです!?」
「好きな人と一緒に食べていると、美味しく感じられるらしいぜ?」
「……えっ?」
イルレーヌは、きょとんとして俺を見つめたまま、固まってしまった。
あっ、やばい。いつもの女ったらしのセリフがすらっと出てきた。
落ち着け、まだ俺の本性を彼女に見せてはならない。
「えっ……えっと」
イルレーヌの顔がみるみる赤くなって、小さな器に顔を隠すようにうつむいてしまった。
計画失敗。相手にこちらの意図を察知された可能性あり。
なんとか形成を建て直さなければ。
俺はふごふご、と誤魔化すように苦笑いしながら、スープを一気に飲み干そうとした。
その瞬間――。
頭の奥にガーン、という強い衝撃が走り、俺は器を地面に落とした。
「ぐッ……!?」
心臓が、どっどっ、と早鐘を打ち始めた。
胸の奥がかき乱されているような痛み。
全身に悪寒が走り、まともに立っていられなくなった。
「どうしたんです、ドナテッロさん……ドナテッロさん!? しっかりして……!」
慌てふためくイルレーヌの声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
……どうしたんだ、俺の体。
目の前の風景がぐるぐる回り、俺はそのまま意識を失った。