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いよいよ私の登場ですよ?

 ハーレムは大変美味しかったが、これで何か問題がおこらないわけがなかった。

 後日、騎士学園から呼び出しを食らった俺に、学園理事長がじきじきに対面した。


 学園理事長は俺の母の友達、というからには最低でも30は超えているはずだが、彼女といざ対面してみると、まるっきり少女のような可愛らしい姿をしている。


 これでもマザーは300年前にツインタワーを生み出した偉大な冒険者のドワーフの末裔で、いくつかの学園の理事長をつとめていた。

 なんでも作らなければならない性分のドワーフは、赤ん坊のミルクも手作りなので、胸も一生ぺったんだ。

 人間だったら10代前半になるかならないかといった容姿で、俺より年下に見える。


 マザーは俺と向かい合って座ると、実年齢を感じさせる落ち着いた眼差しでまっすぐ俺を見つめてきた。俺はその目をまっすぐ見つめ返せなかった。


「あの子たちがお嫁に行けなくなったら責任を取るの?」


「全員ってわけには……」


「私はふざけているんじゃないの。どこからか貴方の本家のことをかぎつけた連中がいたらしくて、嫁に取れってしつこいくらいに問い合わせがきているのよ」


「マザーのところに?」


「いちおう、あなたたち兄妹の保護者という肩書ですからね?」


 マザーは、メガネを拭きながら言った。


 俺の本家、つまりオークに犯された姫騎士の母親の実家は、2000年前の光の勇者の子孫を標榜していて、かなりの名門だったらしい。


 母親が俺を身ごもった時、一族は俺を産むことに猛反対した。

 だが、母親は「この子を産んで育てる」と言って親戚と大喧嘩をし、その際に国宝に指定されていた実家の巨大な石の門を蹴っ飛ばして粉砕しながら実家を飛び出し、ここ迷宮都市アールシュバリエの小さなアパートを借りて住むようになった。


 母親は、指先に凍傷や赤切れを作りながら『氷の迷宮』に幾たびも潜り込んで、まだ赤ん坊だったころから俺を育ててきた。

 マザーには、その頃からなにかと世話になっていたのだった。

 母親には優先的に仕事をまわしてくれていたし、手の放せないときは俺のお守りもしてくれていた。


 マザーはその頃から今と変わらない見た目だったので、俺の方がでかくなってもお姉ちゃん的な立ち位置だった。

 なので、いまだに彼女には頭が上がらない俺である。


「そりゃまあ、あんな状況になったらああなるのが自然というか、向こうからやってきたんですよ」


「騎士はそのような言い訳はしないわよ」


「……わかっています」


「だって、あなたにも下心がなかったわけじゃないんでしょう?」


「……はい、おっしゃる通りです、すみません」


 俺はふごふご、とうなだれた。

 どうやら俺は、マザーが呆れるぐらい、どーしようもない女好きになってしまったらしい。


 それがオークから受け継いだ性質なのか、勇者から受け継いだ性質なのかはわからない。

 両方だとしても決して矛盾しないから始末が悪い。



「ドナテッロ、小さい頃の貴方が『騎士を目指す』って言ってくれたときは正直うれしかったわ。アリアは貴方に騎士になってもらいたがっていたもの。それが彼女の唯一の悲願だった。けれど今はろくに授業も出ていないじゃないの。一体なにかあったの?」


 マザーは、俺の膝にぴとっと小さな手を置いて、心配するように下からのぞき込んできた。

 気が付いたらマザーの身長を追い抜いてしまった俺だったが、彼女にとって俺はまだ世話の焼ける子供みたいなのだった。


「……べつに何もありません。女の子と遊ぶ予約でいっぱいなんです」


「またふざけてる。知ってるわよ、あなたが魔法士の資格を取得するために頑張っているってこと」


 マザーは、ツインタワーのすべての出来事をお見通しであるらしく、俺はぐうとうなるしかなかった。


 母親は、俺に自分と同じ騎士の道を歩んでもらいたがっていた。

 俺に面と向かって言ったことはなかったが、それが母親の唯一の悲願だったと、周りの人たちは口を揃えて言うのだった。

 ……けれど、俺にはどうしてもダメだった。


「……知っていたんですか」


「残念だけど……貴方は魔法士にはなれないわ。あの資格試験は、たとえ筆記試験で満点を取っても、実技ができなければ8割は落選するのよ。貴方は『魔法』を使えないんでしょう?」


「そんなことは……ありません。今は調子が悪いだけです。現に小さい頃は3級まで合格したんだ」


「けれど、今はまったく使えなくなった……そうでしょう?」


 そう、俺が15歳を超え、マザーのことをいつの間にか小さな女の子みたいに見下ろしはじめたあたりからだろうか。

 魔法を使おうとすると、体に例の黒い孔が空くようになったのだ。


 魔術師はこの力を『闇魔法』と呼んでいたが、俺はこの力がいったいどんなものなのか、あまり詳しい事はわからなかった。

 ……わかるのは、それが俺の魔法はおろか、身の回りにあるすべての魔法を食いつくしてしまう、という事だった。


「よくある魔力過敏症(魔法の使いすぎで身体が常に魔力を帯びた状態になる症状。複雑な魔法が構築できなくなる)みたいなものですって、いつか元に戻るはず」


「そうじゃないのよ、ドナテッロ。お母様とも話しあっていたのよ。貴方が成長してゆけば、いずれオークの血が濃くなって、人間の血を上回ってしまうんじゃないかって……」


「オークの血なんて大したことないですよ。氷の迷宮じゃあ、最高クラスのゴールドオークだって星5がせいぜいでしょう?」


「いまの時代のオークならね。けれど、あなたの父親は違った。大竜伐時代の生き残り、オークキングよ」


 2000年前の『魔王討伐時代』や、そのあとに続く『大竜伐時代』なら、魔王一族にも比肩するようなモンスターが、まだ地上にうようよしていたという。

 世界各地の迷宮の奥には、その生き残りがいると噂されていた。


「その青ざめた体毛は常に瘴気をまとっていて、魔法が一切通じなかった。そのくせ死者蘇生の魔法を操り、倒されたモンスターを次々と蘇らせた。名だたる英雄が集結し、壮絶な戦いの末に倒されたと聞いたわ。ドロップした魔石は正確に数え切れなかったけれど、星190相当だったそうよ」


 星190……現代では考えられない、ぞっとするような数字だ。

 今では星2桁が出現しただけでニュースになるというのに。


「こう考えたらどうかしら。貴方は魔法が使えなくなったんじゃない。オークの魔法が使えるようになったのよ」


「オークの……魔法ですか……?」


「そう、だから代わりに人間の魔法が使えなくなったのよ」


 マザーは、そのまま食べられそうなくらい小さな指をぴんと立てると、まじめな顔でこくり、と頷いた。


「知ってるかしら? まったく違う魔法民族が、お互いの魔法を教えあっても使うことはできない。できるのは、自分たちの魔法で相手の魔法を模倣することだけなのよ。ドワーフも人間の魔石工学機器をよく研究して模倣していたわ」


「ドワーフも魔法が使えるんですか?」


「あまり知られていないけど、ほんのちょっとだけね。物質精製の魔法よ」


 物づくりに関しては右に出る者のいないドワーフ族だったが、それでも人間が発達させてきた魔石工学機器の技術にはかなわなかった。


 ドワーフ族はなまじ技術力があるため、魔法を組み込まなくても十分に機能的な道具類を生み出してしまう。

 おまけに魔法は不安定な力なので、ドワーフの気質に合わなかったらしい。

 そのためドワーフは魔法道具をあまり発達させられなかったという説があった。

 現代でも、大量の魔石資源を確保できないことが問題になっていて、この分野では人間の後塵を拝しているのだそうだ。


「魔法を使うためには、まずは、自分の魔法をはっきり理解しなさい。しばらく休学でもして、自分の魔法を研究してみることをおすすめします」


「俺が? 『闇魔法』の研究をするんですか?」


「そうよ? 手続きはもうお姉ちゃんしておきましたからね?」


「えっ、というかもう俺、休学決定ですか……」


 にこにこ、と優しくほほ笑んでいるマザー。

 その優しい笑顔の後ろにあるマザーの企みを直感して、俺はふう、とため息をついた。


「……俺が学園にいない方が、なにかと都合がいいって、そういうことですよね?」


「ええ、率直に言えばそうよ」


 どうやら、俺がいない間に女の子たちの家を回って、事件の処理をするつもりのようだ。

 こう見えて、マザーはやり手だった。

 母親の実家の連中がアールシュバリエに乗り込んできた時も、事を荒立てずに穏便に帰らせた謎の交渉力を持っていた。


 マザーは「なにも? いっしょにお酒を飲んで、お話をしただけよ」と言っていた。

 今回の騒動も、俺がいない間に丸く収めてくれるのだろう。

 マザーには、相変わらず頭の上がらない俺なのだった。


「ハーレムとか、お姉ちゃん許しませんからね? ドナテッロにはまだ早すぎると思います」


「ハーレムに年齢制限ってあるんですか」


 そしてマザーは、相変わらず過保護なのだった。




 せっかく手に入れたハーレムを年齢制限で失った俺に、失意のクリスマスが訪れた。


 この世界のクリスマスに相当する祭日は『太陽祭ソラフェス』と呼ばれている。

 クリスマスとの違いは大してない、ごちそうを食べて、プレゼントを交換して、恋人同士がいちゃいちゃする日なのは変わらない。寒いから他にすることないんだろうな。


 ダンジョン探索ギルドで騎士の装備から私服に着替えてでてくると、外気の寒さに一瞬立ち止まった。


 往来の人々も分厚いコートに身を包んでいて、エルフも亜人デミも見分けがつかない。みなどこか急ぎ足だった。


 連日単独(ソロ)で潜り続けていたおかげで、俺の所持金はけっこう潤っていたが、心は弾まなかった。


 せっかくのクリスマスなのに、一緒に過ごす相手も妹だけとは。

 自然とプレゼントも奮発してしまった。

 無駄に豪華なクマのぬいぐるみだ。

 こんなカワイイ顔して星7モンスター相当の値段がするんだぜ、こいつ。


 学園のあるツインタワーに背を向け、寄り道もせずにそのまま駅に向かい、ビボン駅でコンビニに立ち寄った。

 いつも買いなれている惣菜パンとコーヒーを買ったついでに、「そう言えば、年末と言えば年越しそばだなー」と思った俺は、ふらりと近くのスーパーに立ち寄り、袋入りの麺を吟味していた。


 ブタの嗅覚はイヌの数倍、人間に換算すると数十倍と言われている。

 オークの血を引く俺の嗅覚も人一倍すぐれていて、パッケージ越しにもにおいがわかった。


 生臭い生鮮に、揚げたての総菜、カートに山盛りの果実、スーパーはにおいの洪水だった。


 そばに一番近い麺はどれだろう、と思って、ふごふご、とにおいをかいでいると、ぴこぴこ、と妹からのLINEが入ってきて、俺はスマホをじっと見る。


「兄さん兄さん、今日は帰りが遅くなりますよ? 兄さんにキス。ちゅっちゅっちゅっ」


 無邪気なメッセージを見て、俺はがっくりと肩を落とした。

 やれやれ、妹にも見放されるとは。

 今日は寂しいクリスマスになりそうだ。


「ただいまー」


 小さなケーキを買って、3DKの手狭な家に帰ると、暗闇の中からなにやら音が聞こえてくる。

 籠の中のネズミがカラカラと元気にねずみ車を回しているのだ。


 魔導学園の魔法薬研究室から1匹こっそり連れてきたもので、ビビ先輩によると名前はピョートルくんだそうだ。


 俺の憧れのエルフ、ビビ先輩の使い魔にあるまじきことに、なぜか魔法が使えないらしく、ビビ先輩は「ドナテッロみたいで可愛いでしょ? ふふ、明日殺処分されるのよ」と言っていた。


 別に可哀想だから、自分の姿と重ね合わせてしまったから、という理由で連れて帰ったわけではないのだが、妹の中ではきっとそうなってしまったらしく、妹は「兄さんが育ててあげて」と言って世話を放棄してしまった。


 アールシュバリエは年中雪が降っているので、エアコンは彼のために常時つけっぱなしにしてあった。

 ここでは生き物を一匹飼うのにかなりお金がかかる。


 せめて暖房魔法ぐらい覚えてくれれば楽になるのだが。ビビ先輩がこの前エルフテクノロジーで作ったという魔力増強の薬を毎日あげていても効果が見られない。


 ちなみに、俺も同じ薬を飲んでみたのだが、やはり期待したような効果は見られなかった。

 闇魔法が強化されたからなのか、あるいは先輩の薬の効能そのものを疑うべきかもしれない。

 ひょっとしたら、俺が飲むのを見越した先輩の罠という可能性もあった。先輩ならやりかねない。


「ピョートル君、毎日ねずみ車を回してご苦労さん。順調かね? 我が家の将来の家計簿事情を鑑みて、キミに折り入って相談したいことがあるんだが。もし、仮にこことは違う異世界にネズミの王国というものがあって……。

 そこでは毎日ネズミと会うために子供たちが大勢やってきて、毎日ネズミのためにお祭りやパレードが開催されていて……。

 そんなところからある日突然、キミの元にオファーが届いたとしたら。もしもそうなったら、キミはこの魔法世界を捨てて、異世界に飛んで行ってくれるかい? ……おっと、仮にと言っただろう? 安心したまえ、痛みは一瞬だから……おわっ」


 そのとき、俺の手の中にあったエサ袋がひょいっと何かに引っ張られるように飛んでいって、ネズミの籠の前にぽとんと落ちてしまった。

 思わず立ち上がるほど驚いた俺の目の前で、ピョートル君は無邪気に前歯でエサ袋に穴を開け、中のクラッカーをがじがじ食べ始めたのだった。


 初級の『移送魔法ワゴン』だ。


「……お前の方が先に魔法に目覚めてどうするよ?」


 俺は拳をぷるぷると震わせた。

 だが、いくら念じてみても、俺の拳からエサ袋を取り返す魔法が発動する気配はないのだった。

 俺は意気消沈し、ふらふらとキッチンに向かった。


 その途中で、ぴたり、と立ち止まった。


 ドアのすき間から、お餅が焦げたような、ねっとりとして、それでいて甘酸っぱい異臭がただよってきていたのだ。

 その中に、もはや嗅ぎなれた女の子の蜜のようなにおい。


「この……においは……まさか……」


 じりじりとダイニングににじりより、恐る恐る電気をつけた。

 途端に明るくなった室内には、至る所に赤や緑のモールが飾られていて、まるでクリスマス・パーティのような飾りつけがなされていた。

 そして、パーティ皿の上にてんこ盛りになった紫色の異様な物体。

 その物体を前にしてスプーンをかたく握りしめ、テーブルにうつぶせになってうーんうーんと唸っている妹がいた。


 帰ってたのか……。

 無茶しやがって……。




 強力無比な7種類の『属性抵抗』を持ち、《盾の戦姫》の2つ名がついた姫騎士の母と妹には、弱点がひとつだけあった。

 現代の魔法使いのじつに9割が持っていると言われている、『魔法舌』と呼ばれる味覚障害だ。


 強い魔力を持った生き物ほど、属性抵抗が強い。

 あまりに属性抵抗が強いと、魔力の宿った食品を口に入れたとき、舌に届く前にバリアによって成分が弾かれ、そのぶん味を感じにくくなってしまうという。


 中世ぐらいの魔法世界だと、こんな問題は起こらなかったんだけどな。

 起こったとしても、せいぜい魔法の実験室の中ぐらいだった。


 いまや、家電製品のごとく至る所に高性能な魔工デバイスがあふれている現代では、食品に魔法がかかってしまうのはもはや避けようがなかった。


 俺と妹の小さなアパートにも、冷却魔法を使った冷蔵庫しかり、加熱魔法を使ったレンジしかり、水精製魔法を使ったウォーターサーバーしかり、消却魔法を使った食器洗浄機しかりだ。

 要するに、現代病なのだ。



 それを踏まえたうえで、今日の妹の様子を見てみよう。

 かろうじて死んではいない。

 死んではいないが、青ざめた表情に、頭髪は毛先まで真っ白になっている。


 頭部には、ティアラのような芸術的な意匠の兜。

 足はこの世の穢れを寄せ付けない短いスカートで膝の真ん中あたりまでおおわれている。


 電灯の白っぽい光を白銀の甲冑がまぶしく反射していて、まるで宝石のように美しい姿が、いかにも気分が悪そうな青ざめた表情と対比的だった。


 全体的に、姫騎士と呼ばれている格好である。

 うーんうーん、と唸っていた。きついなら鎧を脱いだ方がいいんじゃないか。


「り、リリエンタール。大丈夫か、一体何が……」


 原因は、聞かずとも分かっていた。

 その姫騎士の前には、俺にとって不俱戴天の仇たる紫色の物体があったのだ。


 これか……。

 アールシュバリエ風・ウィッチクラフト・リゾット……!


 それは、魔法都市ガーデノンからやってきた唯一にして恐らく最後の民族料理。

『魔法使いの飯は不味い』という不朽の格言を全世界に知らしめた一品。


 作り方は至ってシンプル。

 ラードを引いた鍋の底で骨付き肉を焦げ目がつくまでしばらく焼き、すりこ木で骨付き肉の骨が一口サイズになるまで砕き、その上から皮つきの野菜をもっさり山盛りにし、すりこ木でぐちゃぐちゃに潰す。


 また、聖書の第二章三節を10回読みながらぐつぐつ長時間煮込み、原型も残さないぐらいにドロドロに煮詰めると、そうして浮かんできた苦みのある灰汁を、全体に均一に広がるようにぐるぐるかき混ぜる。


 最後に、熱で失われやすいビタミンや栄養素のサプリメントをどかどか投入して栄養のバランスをとったごった煮スープを、地中海産のライスにぶっかけて完成する。


 驚くべきは、その色彩。

 なんと、アジサイのように鮮やかな紫色をしているのである。

 必須栄養素のヨウ素がライスと化学反応を起こし、紫色の発色をするのだ。俺の前世の記憶によると、ヨウ素デンプン反応という奴である。


 まさに栄養を摂取するためだけに生まれた、栄養の究極破壊魔法。

 誰が呼んだか、通称『黒猫まんま』だ。


「おま……これ、作ったのか……?」


 妹の首が、こくり、と頷くように動いた。


「俺の……ために……? 俺を……驚かそうとして……? びっくりして死にそうになったんだけど……?」


 少しのためらいがあったのちに、恥じらうように、こくり、と頷いた。「……だいせいこう」

 ドジなところは抜きにして、こういうところ本当に可愛い。


「そして……待っている間に我慢できずに自分で食ったのか……」


 こくこく、こくこく、と頷いた。

 まあ、やっぱりドジだけどな。


 小さなころから妹の得意料理といえばこれだった。

 ひと口食べて、俺は妹への愛以外のすべてを忘れてしまいそうになった。


 想像を絶するマズさなのだ。


 母親の手料理も似たり寄ったりだったので、俺は生まれた時から「ご飯なんてこういうもんなんだなー」と刷り込みされて育ってきたのであったが、転生前の記憶が戻ってきた今の俺はちがう。


 全然ちがう。俺は騙されていた。

 こんなものはまず、料理とは呼ばない。

 転生前の俺の魂は、そう言っている。


「お、お腹が……」


「痛いのか?」


「空きました……」


「とりあえず、装備を解除して楽な姿勢でいろ。これ食うか?」


 俺が惣菜パンとコーヒーを差し出すと、リリエンタールは見たくないものから逃げるように顔を背け、ぶんぶんと首を振っていた。


 ああそうだった、健康志向のリリエンタールはコンビニ食が健康に害をなすと、いつもうるさいのだ。


 けれどこの様子だと、それ以前の問題みたいだな。

 一体何を使ったのかと思って冷蔵庫を覗いてみたが、見事にすっからかんだ。

 俺のとっておきのアイスクリームまでなくなっていた。アイスクリームまで入れたのか。そりゃお腹も壊すわ。


 妹に何か食べさせてやりたいが、食材がないのではどうしようもない。

 コートを羽織って、もう一度出かける準備をした。


「ちょっと待て、今から30分くらいで戻ってくる。それまでにその鎧脱いでトイレに行ってこい」


「……兄さんは勘違いをしています」


「何を」


「姫騎士は、トイレになんかいかなのです」


「何言ってるんだ、スーパーマンだって変身を解くときぐらいはトイレに行くだろ。いいから行ってこい」


「……スーパーマンって何です?」


 と不思議そうな顔をするリリエンタールを残し、俺は急いでアパートから飛び出した。



 ぶひぶひ言いながら走って、スーパーの暖かい空気に、ようやく人心地がついた。


 壁には魔法文字のネオンが輝き、投影結晶ヴィジョンがミュージシャンのPVを垂れ流している。


 魔法使いたちが集まってできた魔法都市ガーデノンは、世界一飯がまずい街と言われている。

 かつてドワーフの学者がガーデノンを研究して、「彼らはエールを飲むだけで生きていける。なぜならスーパーに他の食料が売っていないからだ」と結論したという冗談まである徹底ぶりだったらしい。


 対して、迷宮都市のアールシュバリエはいろんな地方から冒険者が集まってできた町なので、平均すればメシはうまい方だった。

 年中雪が降っているので、アイスクリームやジェラートに至っては名物になるほど絶品である。


 そんな街のスーパーには世界各国から食材が輸入されていて、俺の記憶にある日本とほとんど変わらない豊富な品ぞろえになっていた。


 中世ヨーロッパでは金と取り引きされていたというコショウに、日本でも戦争の行く末を左右していたという塩。

 妖精の幻惑魔法がかかった『魔法の調味料』なる商品もあったが、妹の料理には使えない。


 それらのコーナーをしり目に、さらに奥に向かうと……あった。

 俺の大好きなエルフの調味料だ。


 いや、こう書くと俺がエルフ大好きみたいだが、この場合は俺が好きなのは調味料の方だ。むろんエルフも大好物だが。


 それらの商品には、小さくアルミラージ社の紋章が書かれていた。

 健康志向の妹のメガネにかなう数少ない企業である。ありがたい気持ちでそれを手に取る。


 ウニ、マグロ、エビ、イカなど、名前と形は少々違っていても似たような食材はいくらでも手に入ったが、魔法で冷凍して転送魔法で国外から送ってくるので、さすがに魔力を帯びてしまっている。みんな使えなかった。


 必要な食材をてきぱきと籠に詰め込んで、頭の中で調理の手順を思い浮かべていた。

 前世の記憶がよみがえったせいか、体が料理をする感覚を覚えている。

 カゴ一杯になるぐらい、何時間でも買い物をしていたいが、あいにく時間がない。


 両手に袋を携えて、アパートの部屋に戻ると、リリエンタールは姫騎士の格好ではなく、平素の女の子の姿に戻っていた。


 髪も白から金色に。

 肩はずいぶん狭めで、背も低かった。

 相変わらず可愛らしい妹だったが、欠点があるとすれば、胸が異様にデカすぎる。


 俺も童貞のころは、女の子の胸は大きければ大きいほどいいと思っていたが、異種族だといくらでも巨乳の女の子がいて、胸を揉むたびに手が異様に疲れるので、ほどほどがいい事に気づいた。

 2リットル入りペットボトルと、500ミリリットル入りペットボトルをずっと手に持っていれば、その違いは明白だろう。

 ちなみに、妹は両方を同時に片手で揉むくらい重たい。なんでこんなにデカくなった。


 本来は可愛らしい子猫がじゃれているイラストがプリントされているはずのTシャツが、イラストが横に引っ張られすぎて、まるでカンフー猫みたいなアグレッシブな猫になっていたり。


「兄さん、私は別に兄さんを待っていたわけではありませんが、3分遅刻ですよ?」


「分かってるよ、待たせてごめんな」


「待っていたわけではありませんってば」


 ふんわり妹の匂いがするエプロンを身に着け、遠火炉コンロに火をつけた。

 出来れば魔法は一切使いたくなかったのだが、アパートでたき火なんかできないから、この辺は仕方がない。

 フライパンに豚の背油を敷くと、ふんわりとしたいい香りの予感が漂った。


「てっきり、クリスマスは仕事仲間と飲んだりするんだと思ったけどな」


「兄さんはわかっていません……恋人のいない姫騎士なんて、いないのですよ?」


「そりゃそうか、恋人のいない姫騎士なんてお前ぐらいだよな」


「そこで納得しないでほしいのです」


「安心しろ、今日は兄ちゃんがお前の恋人になってやる」


「兄さん愛していますよ?」


「俺も愛してるよ、リリ」


 妹がにっこり笑った。

 リリエンタールは可愛いくせに社交性が低くて、あんまりモテないのだった。


 料理の味が分からないから、仲間とパーティに行ってもあんまり楽しめないし、お酒もまだ飲めない。なにかと理由をつけて早々と帰宅して、こうして俺にゴロゴロと甘えてくる。


 いろいろと欠点だらけの妹だったが、それでいい。

 そんな妹を支えてやるのが兄としての俺の役割だと思っていた。


 妹はあまり食欲がないだろうから、ドレッシングをさっぱり目に。

 野菜も軽く湯通ししてから細かく切り刻んだ。


 トントントン、包丁のリズミカルな音に、ピョートル君もネズミ車を回すのをやめていた。


 この世界には、『調理魔法クイジーン』という便利なものがあって、俺も小さい頃はよく使っていた。

 魔法士3級でも使えるのが、包丁の代わりに食材をカットしたり、冷凍庫の代わりに氷水を精製したり、コンロの代わりに保温をしたり、泡だて器の代わりにクリームを泡立てたり、といったところ。


 けれど、今の俺は魔法なんてまったくこれっぽっちも使えない。

 前世の記憶も戻ってきた今は、使う必要もなかった。


 深鍋にお湯をはり、手のひらをかざしたり、裏返したりして温度を確認する。

 豚肉をさっと湯通ししてから、フライパンで片栗粉とともに焼き上げる。

 砂糖、みりんなどの定番調味料を各種混ぜ合わせ、フライパンを強火で加熱して玉ねぎをあえ、特性のソースを作る。


 ふごふご~♪ と鼻歌を歌いながら隣の鍋の様子を見る。

 別の鍋では煮干しと昆布でダシを取っていた。

 ここで登場するのがエルフの調味料……その名も『エルフ味噌』だ。

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