兄は触手に興味があるようですよ?
俺が破邪の剣を肩に担いで荒々しく攻撃すると、ウェアラブル・ウルフの方は自前の右腕に持った巨大な包丁のような剣で受け止め……ようとして、考えを改めた。
右肩のチャックから生えた槍、さらに右の脇腹辺りのチャックから生えたもう1本の剣を追加して、3本でそれを横にいなした。
どふっ、と衝撃波が地面をゆさぶった。
よくぞ見切った。『黄泉神脅し(アレス・スタン)』、地底にもぐった竜を仕留めるために編み出された、バンカーミサイル的な剣術スキルだ。
1本で受け止めていたら剣ごとウルフを粉砕していたところだが、3本で微妙に軌道をずらしつつ受け止められれば、さすがに粉砕はかなわない。
ぐるるるっ、とひと唸りして、ウルフが反撃に転じる。
かと思うと、するっと相手が消えたような錯覚を受けた。
ウェアラブル・ウルフはコマのように回転しつつ、その場で車輪のように横にも側転する複合的な動きを見せた。
腰の位置をほとんど浮かせることなく上下さかさまになり、その上下反転と回転の勢いを利用して、俺の足を狙って切りつけてきたのだ。
悪魔の名を取って、ブエルと名付けられた奇剣。
初見の奴はそのトリッキーな動きもあいまって相手の剣先を見失うため、確実に片脚を吹っ飛ばされる、まさに起死回生の一撃である。
ダンジョン探索時代のわりと新しい剣術だった。
どうやら冒険者の亡霊を食うと、そのスキルまで習得するらしい。
だが、母親の剣の動きを見てきた俺に見切れない攻撃ではなかった。
俺は落ち着いて破邪の剣をぐるりと振り回し、俺の足を狙って放たれる剣を、天井近くまでかちあげた。
ウェアラブル・ウルフは細っこい亡霊の手を地面について、そのまま側転し、俺から間合いを取った。
さすが星6モンスター、本体もいい動きをする。
「だが遅い……ッ!」
俺はすぐにウェアラブル・ウルフに追いすがり、6本の亡霊の腕を切り飛ばしていた。
亡霊の腕を失って、ウェアラブル・ウルフが狼狽えたのがわかった、その開きっぱなしになった口の中に破邪の剣を突っ込む。
ロックを解除し、柄の部分にあるトリガーに手を添える。
避けようのない超至近距離から破邪の剣の高圧電流を放とうとした。
――そのとき。
剣を突っ込まれたウェアラブル・ウルフのもふもふ頭の向こうから、ぶつぶつと不気味なつぶやきが聞こえてきた。
それはまるで魔術師が使う、呪文のようなつぶやきだった。
俺ははっと思い当たり、とっさに剣を奴の口からぬるっと引き抜いた。
「ちいっ!」
そのとき、ダンジョンの暗闇が真昼に変わるほどの、凄まじい業火が巻き起こった。
俺の半身を巻き込むほどの大爆発だ。
ウェアラブル・ウルフの全身が激しく燃え上がっている。
爆弾でも持っていやがったのか。いや、違う。
こいつ、もう1個チャックを隠し持ってやがった。
目はなんとか守ったが、爆発の騒音で耳がやられた。
まともに立つことができないでいると、ウェアラブル・ウルフは、炎に包まれながらにやりと笑った。
奴の方から不気味な声が響いてくる。
「真理と幻想よ、のたうつ蛇の姿でこの世にあらわれたそなたらは、我が前に不滅の縄を紡ぐ……!」
その声を耳にしたとたん、俺の体は見えない縄でしばられたように動かなくなった。
幻覚ではない。
それを示唆するように、縄はするすると動き、足から胴体、肩から首と、次々に縛り付けられていく。
「ぐうぅっ……!」
間違いない、こいつ、『人間の呪文』を唱えやがった。
周囲にいた女の子たちもその様子に気づいたが、どうやら同じように魔法で縛られたらしい。
「やだ、なにこれ……ッ」
「おのれ、魔物の分際で……ッ! くッ! ひれつな……ッ!」
自動で魔法を打ち消す反魔法システムが反応していない。
たぶん魔法のコードを改造して検知にひっかからないようにしたものだと思うが、そんなの魔法士3級でならうレベルじゃない。
なんだこの縄……解けないぞ。
ウェアラブル・ウルフの狼の顔が横を向いた。
すると、首の後ろの毛深いところに隠されたチャックが開いており、そこから粘土で作ったような人間の顔がにょっきりとのぞいていた。
それは、古い大木のように皺が刻まれた魔術師の顔だ。
表情を動かすたびに、ドロドロした黄色い粘液が顔から滴り落ちている。
腐ってるのか。
亡霊の腕ならぬ、亡霊の顔ってわけだ。
どうやら、こいつが人間の呪文を唱えていた張本人らしい。
「くくく……ワシの意見をまだ言っていなかったな。魔物と化してから、人間を見ると食欲がわいてくる。どいつもこいつも、よだれが垂れてくるほど旨そうだわい……」
「ほう……悪者確定のセリフを吐くじゃねぇか!」
あーあ、だから俺は騎士に向いてないんだ。
ためらわずに切っとけばよかった。
まさか、こんな奥の手があったなんて。
アールシュバリエのような迷宮都市は、モンスター・ハザードという、ダンジョンの魔物が大量発生する大災害と常に隣り合わせにある。
それがこんな調子では、いつか自分が命を落としかねないどころか、他者の命を危険にさらしているようなものだ。
ジャガーのようにモンスターをためらいなく倒せなければ、騎士は務まらない。ちなみに、俺的には彼女はありっちゃありだ。
ウェアラブル・ウルフから出てきた魔術師は、表情のないのっぺりとした顔を震わせ、声を押し殺して笑った。
「こいつは、冒険者を食うのが好きでな……貴様のような腕の立つ冒険者を、もう何人食ってきたかわからぬ……」
「ああ、そうかい」
ちなみに俺は冒険者じゃないけどな。
「ふくく……貴様も一度、モンスターになった気分を味わってみるといい……すばらしいぞ、奴らの力は無尽蔵だ……! この身体になって、わしは何百年と研究を重ねてきた……!」
こいつ、いったいいつの時代の魔術師なんだろう。
ウェアラブル・ウルフの開きっぱなしになったジッパーから、腕の代わりに、ぬらぬらとしたヘビのような触手が伸びてきた。亡霊の触手だ。
おいおい、いったいどんな冒険者を食ったんだ、こいつ。
地面に横たわって動けないでいる騎士候補生たちは、黄色い粘液を飛ばしながらのたうつ触手たちに怯えて悲鳴を上げた。
「ひっ、やだ、これ、ぬるぬるしてる……!」
「いや……いやあああぁぁっ! 触らないでぇ!」
ああ、ジャガー……ユリア……すまん、俺はこの状況で、ちょっと興奮してる。
だって触手だぜ。触手プレイなんてこの世界に転生してから17年、まだお目にかかった事すらない。
触手はジャガーの胸元に這い寄ると、万力のような凄まじい力で鎧の胸当てをはぎとり、両腕を無理やりこじあけ、足を押さえつけ、大きく膨らんだシャツの中へと乱暴に侵入していった。
ユリアは両腕を縛られた状態で前屈みにさせられ、ぬめった触手にスパッツの中に侵入され、声も出せないでひくひくしている。
いいぞ、その調子だ!
「ぐぅぅ! ひれつな……!」
「ふははは! 安心しろ、命までは取らん! 貴様らは私の開発した新薬の実験体として、地下深くで死ぬまで飼い続けてやるからな!」
俺はふつふつと血が煮えたぎるのを感じていた。
怒りではない、怒りなんかよりももっと神聖な感情。
そう、性欲だ。
オークという種族はモンスターの中でも性欲がけた外れているという。
異種族でさえも襲って妊娠させてしまうというその性欲は、人間の10倍、エルフに換算すると250倍。
ひょっとすると神聖なモンスターなのかもしれない、と思うことがある。
だって怒りが破壊をもたらす悪の感情ならば、性欲は新たな生命を生み出す聖なる感情じゃないか?
全身に血がたぎり、細胞の新陳代謝が活発になると、深海と同じ組成の魔鋼の粒子、マジック・ミネラルを利用して、体内につぎつぎと魔力が放出されていく。
この世界における、すべての魔法生物に共通の細胞機能だ。この謎の多いエナジー魔力を利用して、魔法が発動する。
そのとき、魔法の発動を邪魔するように、胸の中心にずどんっと、まるでブラックホールのような凄まじい質量の塊を感じた。
呼吸ができないほどの苦しみを覚える。
まただ。いつもこれだ。最近、魔法を使おうとすると、俺の体の中に決まって現れる、謎の黒い孔。体中からあふれる力が、そこにどんどん吸い込まれていく。
「が……は……ああああッ!」
意識がふっと遠ざかりそうになる。俺はすんででそれをこらえた。こんなところで気絶するなんてありえない。
地面に爪を立て、血管がブチ切れそうになるぐらい力を込めて、どんどん成長していくブラックホールに魔力のエサを与え続けながら、全神経を集中させて覚醒し続けた。
そのとき、俺の体内にあった黒い孔が、影のようにぬうっと伸びあがった。
それはまるで壁面にうつった俺の影のように、物理的な一切の抵抗を受けずにのうのうと巨大化していく。
やがて横にも伸びて十字の影となり、俺の背中から黒い翼のようなものが生えてきた。
「ぬぅッ!?」
ウェアラブル・ウルフはとっさに飛び下がった。
黒い波動がダンジョンの屋内に広がり、俺たちの体を縛っていた透明な縄は燃え上がり、ただの土くれと金色の昆虫になって崩れ去った。
騎士候補生は全員の体が自由になったが、それよりも魔術師は俺の存在を脅威ととらえた様子だった。
「ば、バカな……ありえん、『虚無の縄そのⅠ』が……破壊されるだとッ! そんな……そんな魔法は、理論上ありえん……ッ!」
どうやら、魔術師にとって破られると困る決め手を破ってしまったらしい。
本来なら壊れちゃいけないものだったのか。ごめんな、魔法士3級ではわからないことが多いんだわ。
ちらり、と他の女騎士たちの様子を見ると、鎧や服を脱がされかかっていた。『脱がされかかっていた』。……俺はその場にくずおれそうになった。
俺はウェアラブル・ウルフを睨みつけながら、「もう一度お願いします」と泣いて謝っていた。心の中で彼に全力で土下座していた。
けれど、騎士の俺はそんなみっともないことはしない。なぜなら騎士は触手プレイみたいなアブノーマルな趣味をもたないからだ。
「はぁっ、はぁっ……な、なに、これ……!」
「う……動けない……ッ!?」
魔法が解け、手足が動くようになったにもかかわらず、女騎士たちはなかなか地面から立てずにいた。
あ、そうそう。俺の黒い翼は『すべての魔法を封じる』。
進化の鎧は総重量40キロ、パワー・アシストがない状態で動かすのは、至難の業だ。
まあ、俺には関係ないけどな。俺の鎧はこの力がいつ発動してもいいように、常に魔工デバイスを切ってあった。
「みんな、落ち着いて……鎧を脱いで……!」
その一言に従って、女騎士たちはいっせいに鎧を脱ぎ始めた。
ふっ……。
俺は眼前に広がる桃色の光景を温かい眼差しで見守りながら口の端を吊り上げた。
「ドナテッロ! あんた何者なの!」
「俺の秘密はベッドの上で教えてやるよ……後で部屋に来な?」
などと言ってみたけれど、俺にもこの黒い翼の正体はわからない。答えられる質問には限りがある。
「はぅぅ、ドナテッロさま」
けれども、女の子たちはきゅんときたみたいだ。何人かは本当に来てしまいそうだ。
騎士になってわかったのは、中身はともなわなくてもコミュ力さえ鍛えれば、欲しいものは大抵手に入るってことだ。
女の子たちの身体にからみついていた亡霊の触手が、しゅるしゅると宿主のところに戻っていった。
あーあ、もったいない。俺も黒い翼を背中に収納すると、そのままウェアラブル・ウルフに向かって歩いていった。
魔法を封じられ、相手はすっかり戦意を喪失した様子だったが、俺の力はまだ体から黒い霧となってこんこんと湧き上がっている。
オークの性欲は無尽蔵、したがってこの謎の力も無尽蔵だ。
それにつれて、俺の背後の黒い影はますます肥大化し、ダンジョンの床も壁も天井も真っ黒に染め上げた。
ウェアラブル・ウルフは、前の顔も後ろの顔もうろたえていた。
前の顔なんて特に逃げたくて哀れで仕方ないって顔をしていた。……この顔を見れば、どんな悪党でも殺す気が失せてしまう。
そうだ、モンスターたちには、わかるらしいんだ。
目の前にいるのが、自分がけっして逆らってはいけない相手だというのが。
「これは……この黒い気配は、『瘴気』か……ッ!」
「へぇ、これの名前、知ってんのか。さすがだな」
「古の時代、魔王領を支配していた強大なモンスターたちが、常に体から放っていたという暗黒……! 『闇魔法』の中でも『王の魔法』に属する最上位魔法、自分の眷属以外の魔法を退ける領域を生み出したという……! なぜ、貴様がそれを……!?」
魔術師の顔は、木のうろのような目を半月状に吊り上げ、歯のない口を食いしばっていた。
嫉妬か? どうやら嫉妬しているのか。自分より俺の方がモンスターだったから嫉妬しているようだ。
ふふん、魔王討伐時代のモンスターなんて、現代のモンスターにとっては神話の怪物みたいなものだからな。
地上の覇者だった時期もあるから、まさにトカゲと恐竜というたとえがぴったりくるレベル差なのだ。
「ありえない、人間ごときに使いこなせるはずがない、ダンジョンでも一部のモンスターが『ボス部屋』を生み出している魔法だぞ……!」
「なるほどなぁ、『ボス部屋』を作る魔法だったのか……なんで俺にこんな力があるのかと思ったら、そういう事だったのか」
「し、知らなかったというのか!? き、貴様……一体……!?」
さすがウェアラブル・ウルフさん。勉強になりますね。
「じゃあ、俺はこのダンジョンのボスってことでいいんじゃね?」
俺は、グーでそいつを殴った。
その一撃で勝負はついた。
どぱんっ、と毛皮の隙間から黒い霧が噴出し、ウェアラブル・ウルフの名の通り、着ぐるみみたいな毛皮がくたっと地面に落ちた。
悪霊は7つの一等魔石と、大量の星雲魔石をじゃらじゃらと落として消え去った。
おまけのドロップアイテムも、魔術師がえり好みしたらしい伝説級の剣が6本。
そして忘れちゃならない、5名からなる下着姿の女の子たちをゲットした。
たとえ俺の正体が勇者だろうとオークだろうと、この状況でやることは決まっている。
クリスマス前に早速いただきだ。