59話 悪の会話
じめりとした地下の廊下を一人の男が足音を立てずに歩く。石壁に囲まれた廊下は、人がすれ違う際にストレスを感じるくらい狭い。
男は愛用の武器をぶつけないように気をつけながら、とある一室の前で立ち止まる。
中にいるであろう存在に断りを入れ、許可を得てからなるべく音を響かせないようにドアを開けた。
狭い廊下とは変わり、室内はかなりの広さがあって窮屈さは感じさせない。
壁際には本や薬を置いた棚があり、奥には机と椅子がある。そこに男が最も崇拝する存在が、両腕を組んで座っていた。
「あうぅ……ぅあぁ……だず……げ……」
男は声の方に顔を向ける。壁に釘で打ち付けられた数人の男女がいる。
中年の男女、若い男女、そして五、六歳ほどの子供だ。
彼らは例外なく両手両足を長い釘で貫かれ、そのまま壁にとめられている。昆虫の標本みたいだなと男は思った。
腫れた顔の状態、傷口から流れる血が固まっていないことから、まだ捕らえて間もないオモチャなのだろうと認識した。
「つい先ほど捕まえた家族じゃ。面白いとは思わぬか?」
奥から届く低く威圧的な声音に、男は心から敬意を示し、深く首肯した。その存在は男にとって主人であり、憧憬の対象でもある。
主人はグラスに入った新鮮な血を一口飲んでから、鋭い眼光を放つ。
「して、貴様がここにきたわけは? 儂はリーバレッドの住民から血を集めてこいと命令した。クラーケンに襲われている今こそ好機ゆえ」
「はっ。その件は抜かりなく行っております。ただ一つ、報告をしたいことがあります」
「い……いだ……い……」
「少しうるさいのぅ。黙らせてはくれぬか」
「畏まりました」
男はうめき声を漏らす子供の顔面を軽く殴った。
軽く、はあくまで男の感覚で、ただの人間からすれば鎚で叩かれたような威力がある。子供の歯はほとんど折れ、鼻もまた折れ曲がる。
悲痛な声を上げる度、男はまた拳で殴ることを繰り返す。
大人しくなるまでやめないと伝えると、子供はようやく静かになる。目にはとめどなく涙が溢れ出し、顔は血で染まっていた。
横目で確認していた家族もまた、声を殺しながら泣いている。
その様子を楽しそうに眺める主人を男は確認して、幸福感を覚えた。
「ククク。何十、何百年と繰り返しても飽きないのはこれくらいのものじゃ。死ぬ寸前で回復させ、殺し合いをさせようと思っておる。最後まで生き残った者は……眷属の餌にするか、戦いぶりによっては眷属もあり得るぞ。誰が勝つと思う?」
男は少し考えてから、若い男の髪の毛を乱暴に掴む。
「この男が勝つように思います。肉体的にもそうですし、なにより反抗的な目つきが良いです」
「その男は恋人がいたのだが、ここで殺してやった。骨すら残らぬように殺してやったのじゃよ。そのときの顔、お前にも見せてやりたかった」
「絶対殺してやる!」
怒りを堪えきれずに若い男が怒号を発する。だが本人の代わりに家族が暴力を振るわれ、嫌でも沈黙せざるを得ない。
一家の苦しむ姿を見て、男は自分もかつてただの人間であったことを思い出す。弱さを捨てたくて悪魔の眷属になったが、そこからも楽な道ではなかった。
人間から眷属になった者は、眷属の中でも差別を受けやすい。ときには暗殺されることもある。
しかし男は主人の命令を確実にこなして、今や眷属の中でも最も信頼される存在に成り上がった。
「さて、そろそろ本題を聞こうかのう」
「リーバレッドに集まった冒険者の中に何名か我々の敵になり得る者がいます」
男は過去視という特殊能力が使える。名前の通り、相手の過去を確認できてしまうのだ。
この能力があると、悪魔に強い憎悪を抱いている人間が簡単にわかる。
主人からの信頼を得るにあたって、大いに貢献している力だ。そして冒険者に使用した際、過去に悪魔を退治している者がいた。
「最も厄介なのはユウト・ダイモンという男です。同胞が数体始末されています。悪魔に対して敵対心が強いですね。また、オリーヌという仲間は我々に深い憎悪があります。この女も実力者です」
「面白い。ユウトとやらの話が聞きたいのう」
男はユウトについて見たことを全て話す。異世界人であること、特殊能力があることなど。
マーナガルムを従えていることを言うと、主人の顔が嬉しさに歪む。
「まるで儂を殺すために送り込まれたような男じゃ」
「あの男を放置するのは危険です。殺しても、よろしいですか」
「殺せるならば良い。だが血を集めることを忘れてはならぬぞ」
「はっ」
男は胸に手を添え、敬愛の情を示してから地下室を出て行く。
狭い廊下を歩いていると、先ほどの部屋の中から悲鳴が聞こえてきた。
特に気にすることもなく進む。すでに人間に対する情は消え失せている。それどころか下等な生物であり続ける人間全般を軽蔑していた。
「ユウト・ダイモン。やはり、あれのときを狙って殺すべきだろうか」
どうやれば、確実にユウトを殺せるだろうか。
男は思考を巡らした。
◇ ◆ ◇
昨晩の宴は結構豪華だったな。肉を食い過ぎたせいか朝起きたら少し胃もたれがした。
冒険者の顔と名前もだいぶ覚えたし、能力も親切に教えてくれる人が多かった。
フリースキルにはないスキルも結構存在すると改めて認識した。ブーメラン系のスキルとか、魔法についても聞いたことないのがあった。
逆に、フリースキルしか存在しないスキルもあるけどね。
さて、今日はゆっくりと休める。
クラーケンが連日攻めてくることはまずない。新しい子を産むのには数日から二週間ほどかかるからだ。
討伐隊の連携訓練は明日からになる。
――ブォン、ブォン、といった音が窓の外から聞こえてきて開けてみる。
裏庭でオリーヌが大剣を振っている音だった。
俺も下りて参加する。
「おはよう。俺も素振りが日課なんだ」
「やらないと気持ち悪くなるわよね」
「そうそう」
剣士あるある話をしつつ、少し距離を取って俺も素振りを行う。
オリーヌが大剣を握ったのは十歳で、それまでは普通のサイズを扱っていたらしい。
十歳で振り回せるもんなのか。女の子は成長が早いからかな。
軽く手合わせもする。うーん、重い……。武器の重量だけの問題じゃない。技術だろうな。
「ユウトは打ち合いになればなるほど、踏み込みが少しずつ甘くなっていくわよね」
「そうだったんだ……」
「致命傷を喰らわないようにって気持ちはわかるの。でも攻撃するときは、中途半端だと危険なことも多いから」
「わかります……」
師匠と呼ばせてください。前世からの安全志向の癖が出ているのだろう。相手が強いとなると防御策に走ってしまう。
剣一つ取っても性格ってのはよく出るな。
攻撃は最大の防御というように、攻めるなら攻めるとメリハリをつけるべきだと指導をいただく。
結構ハードに動いたところで終了。いい汗かいたぜ~。
俺が服を着替えていると、オリーヌが物憂げに空を見上げている。
「雨は降らないと思うけど」
「そうじゃないの。綺麗な青空だなって」
「同意見だよ。空の色は俺も好きでさ」
「……あたしの親友も、この景色をもっと見られたはずなのに。悪魔にさえ出会わなければ……」
友人が殺されているのは聞いている。俺が静かに頷くと、オリーヌが自然と語り始めた。
一緒に冒険者になった同郷の友人がある日、首と骨だけになって町の広場に晒されていたとのこと。
顔だけは本人のままだが首から下は骨だけで肉が削がれていたというから惨い。
さらに近くには立て札があった。ベルゼガス作・人の骨造りと書かれていた。
また、彼女の最後のセリフも記載されていたようだ。
助けてください、悪魔様。
「悪いことなんてなに一つしない子よ。いつも優しさに溢れていて、誰からも好かれていた。そして芯が強くて絶対に弱音を吐かない子だった。……あの子の顔は、恐怖でひきつっていたわ。あんなこと、許されるわけがないの。ふざけないでよ」
感情がフラッシュバックしたのだろう。
普段は冷静なオリーヌが取り乱して泣き出す。
俺は背中を擦りながら、静かに声を発する。
「野放しにはしない。必ず討つ。俺も力になるよ」
「……ユウト、頼りにしてる」
町の離れた建物に視線を伸ばす。
悪魔。雨女もそうだったが、悪魔憑きじゃなくて、眷属それ自体が人間のフリしていることがあるんだよな。
注意は払っておこう。




