56話 触手襲撃
『ギンローハ、ケッコウツヨイ、ヨ』
結構なドヤ顔をしながらそう主張するギンローに反応するのは、ソフィアとオリーヌくらいのものだ。
他の冒険者たちは驚きつつも静かに傾聴している。爪や牙が頑丈なこと、ブレスも三種類吐けることなども説明する。
顎の強さを証明したいから誰か果物でもないかとギンローが言うと、近くにいた冒険者がリンゴを放り投げた。
山なりに落ちてくるリンゴを口でキャッチ。サク、と軽く噛んだだけで砕け散るリンゴを見て歓声があがる。
もちろん、リンゴを噛み砕くなんてその辺の犬でも可能である。でもその場合でも顎にいくらか力は込める。ギンローは、その込める力があまりにも少ないように見えた。
『ホカニナイ~? ドンドン、ヤルヨー!』
「ほれ、これもやる」
果物やらお菓子やら四方八方から投げられる食べ物をギンローは大急ぎで口に入れていく。モグモグと美味しそうに食べる姿に癒やしを覚えた冒険者は少なくない。
ほんわかとした空気が流れる。ギンローだからこそ作り出せる空間に多くの者がリラックスを覚えた。
一人の女性が、恐る恐る頭を撫でようとする。
主人以外には体を触らせない従魔も多い。従魔は普通魔物であり、本能的な面では人間と敵対する傾向がある。だから主人以外には懐かないことが多い。
でもギンローは人なつっこい。地球で言うならば洋犬並に人が好きな生物なのだ。
「俺も、撫でさせてくれ」
触れても怒らないとわかると、多くの冒険者が撫でたり、毛を指でとかしたりする。
すっかり和んだギルド内であったが、穏やかな時間はそう長くは続かない。外で見張っていた兵士が息を荒くさせて入ってきたのだ。
「クラーケンが出たぞ! 港に来てくれっ」
一声を受けた冒険者たちの顔が険しくなる。すぐに飛び出していく者、一度武器を確認する者、リーダーであるトランスの後ろをついていく者。
「ギンロー、私たちもいきましょう」
『アオー!』
ソフィアの呼びかけに呼応して雄叫びをあげ、ギンローは疾走する。緩やかな坂を下っていくと、港と広大に広がる海が視界に入った。
ギンローが海を見たのは初めてだ。でも今の海の状態が普通じゃないと判断がつく。海面から巨大な触手が上空の方へ伸びているのだ。一本ではなく十本である。
それらは、それぞれウニョウニョと生き物のように動いている。
『……キモチワル』
ゴブリンやオークなど気持ち悪い魔物は何度も目にしてきたけれど、それらとは比にならない気味悪さがある。触手は全体的に汚らしい灰色で、触手によって微妙に形状が異なる。
吸盤がついているタコのようなタイプもあれば、先っぽが槍の穂のように鋭く硬質そうなもの。そして一際太い二本の触手はさらに異色だ。触手の先が口のように開いていた。
ギンローと同じく初見の冒険者も結構多いようで、その顔には畏怖の念が貼り付いている。
動揺して己の仕事を忘れかけている彼らに対して、トランスが叫ぶ。
「説明する! 吸盤には触れちゃダメだ。体が吸い付かれる。先端が刃物のようなものは直接攻撃してくる。そして二つある口の触手、あれに吸収されると養分にされるんだ。あれは僕のパーティが引きつける。みんなは吸盤と刃物の触手を攻撃してくれ」
リーダーの指示もあって、我を取り戻した冒険者たちが動き出す。
「あたしたちも暴れるわよ」
「はい、オリーヌさん! ギンローも頑張ろうね」
ギンローは頷いて近くの触手に向かう。すると接近を関知したのか、刃先のような触手が上から高速に振り下ろされる。
『アブ、ナァァ』
持ち前の反射神経で回避したものの、一秒でも判断が遅れたら串刺しになっていたに違いない。それほどまでに狙いが正確だった。
ギンローは海を一瞥して疑問を覚える。本体らしきものは海面に出ていない。触手だけなのに、どうやって生物を感知しているのだろうと。
地面に突き刺さった触手は、すぐにまた高い位置に上がる。相手に攻撃チャンスを与えるのを拒否しているようだった。
「そうはさせませんけどね」
軽やかな二段ジャンプで舞い上がったソフィアが、空中で何度か触手を斬る。彼女の剣は、ユウト特製のもので並のものより遙かに軽い。着地までに、何度も斬りつけた。
触手のぬめっとした表面に傷口がつき、そこから緑色の血が噴き出す。暴れるような動きをするのを見たギンローは、痛覚があると確信する。
『ソフィアー、ギンローナゲテ』
「いいよ」
ギンローが軽くジャンプする。ソフィアがそれをキャッチして、両腕を使って上に高く投げた。
触手に背が届いたギンローは、鋭い爪の一撃を決める。触手の先っぽが切断されて地面に落ち、ソフィアがそれに刃を突き立てた。
短くなった触手は、あっという間に海の中に入っていき浮上してこなくなる。
「やった」
『イイコンビー! モシカシタラ、ユウトヨリ?』
「そんなこと言ったら、先生悲しんじゃいますよ」
達成感を覚える両者だが、背後から危険を知らせる声が届く。
「別なのが近づいているわ!」
「きゃっ!?」
『アワァーッ』
吸盤タイプの触手が静かに忍び寄っていた。勢いよく襲われていたなら反応できた二者も、これには反応できなかった。吸盤に体がくっつかり、動けなくなる。吸着力がそれほどあった。
こうなるとクラーケンの勝利である。海に引きずりこめば溺死させられる。
でもそれをしない。捕食型の触手に、このまま食べさせた方が早いからだ。現に触手はそちらの方に動き出した……が、動きが極端に鈍重になる。
「――あたしが許すとでも?」
左腕を伸ばしながら、オリーヌは触手を睨み付ける。
念力の力は完璧ではない。距離が離れたり、対象が複数ならば弱くなるし、逃れる方法もなくはない。今だって触手を完璧には止めきれないし、鈍重にしていられるのもせいぜい三、四秒だろう。
だが、Aランク冒険者ならば三秒もあれば強力な攻撃を繰り出せる。大剣が太い触手をぶった切り、仲間を救出した。
触手が海に引っ込んだのを確認してから、オリーヌは吸盤に刃を入れてギンローたちを解放する。
「死ぬかと思いました……。感謝します」
『アリガトネ! オリーヌ、スキ!』
「あら、告白されちゃった。でも喜んでばかりもいられないかも。何人か、捕食されたみたいだわ」
全体で見れば冒険者は善戦していた。オリーヌたち以外にも触手を落としたパーティもいる。
残っている触手もすべて海に引き返した。でもそれは撤退なのか、十分な人間を捕食できたからなのかは不明だ。
「まだ油断はしないでくれ。第二波がくる可能性は否定できない!」
トランスの読みが的中する。触手こそ出てこないが、代わりに海中から次々と魔物が陸地に上がってきたのだ。
体長は小さくて一メートル、大きくとも二メートル程度だ。イカかタコの魔物が多いが、二足歩行の魚人タイプも数体いた。皮膚がうろこに覆われており、手首と足首のあたりにはヒレがある。このヒレは泳ぐ以外にも武器になりそうな気配があった。
「目が、目が痛てえよぉお!」
イカが吐き出す墨を顔に受けた冒険者が武器を放り投げ、激痛に転がり回る。敵に襲われている最中なのに武器を捨てる――その行為から、失明レベルのダメージだと誰でも推測できた。
苦しみ方からして、毒が混じっている可能性もあった。
当然、周りの者たちは助けにいこうとする。ところが今度はタコの魔物たちが一斉に墨を吐き出した。
イカのものとは異なり、こちらは煙のように周囲に広がっていく。視界を奪われた冒険者たちから混乱の声があがった。




