20話 悪魔に取り憑かれた男
なぜギルドマスターは、俺を殺しにくるのか?
今はどうでもいい。襲ってくるのに黙ってやられるつもりはない。
俺は後退せずに、敢えて相手の懐に飛び込んだ。
マスターの両手が俺を捕まえるより、こっちのアッパーの方がわずかに速い。
「うぐ」
綺麗に入ってマスターの顔が天井を向く。けど彼の両手は……俺をちゃんと掴んでいた。
なんつー腕力だ。
俺も身体能力と怪力スキルはあるけど、それを上回っている。さすがマスターってところか。
もっとも、こんなことで降参はしない。少々汚いけど股間を蹴ろうとして――
「そこはさすがに勘弁してくれーっ」
拍子抜けするような威厳ない口調で、頼んでくるじゃないか。
俺も咄嗟に蹴り上げるのを止めた。
ギリギリセーフ……。
俺だけじゃなく、マスターもホッとした様子だ。
「いやー、登録から最速で難関Dランクを突破したというから気にはなっていたんだ! やはりやる男だな、ガハハハ!」
さっきまでの敵愾心は完全に消え、マスターは朗らかに大笑いする。
「試すとはいえ、いきなり攻撃はちょっと……」
「悪い悪いっ。不意打ちにどの程度対応できるのかと気になって。だが、さすがだ。オレの威圧をものともせず反撃するとはな」
マスターは俺の肩をギュッと掴む。
「ラッドを捜しに行ってくれるか」
「ええ、そのつもりです」
「あいつは水魔法を使う。赤髪で背丈はちょうどお前さんくらいだ」
「俺なら勝てると思いますか?」
「少なくとも、危なくなったら逃げることはできる。その高い身体能力と冷静な判断があればな」
かなり俺を買ってくれているな。
捕まえれば特別報酬も出るというので、俺はソフィアに参加の意思があるか尋ねる。
「先生のお邪魔でなければ、参加させてください」
「よし、じゃあ行こう」
ギルドを出て少し進むと、俺はあることに気づく。
町の様子がいつもと同じなのだ。
行き交う人々は多く、誰も犯罪に怯えている様子はない。
「まだ、犯罪のことが広まってないのかもしれません」
「やっぱそうなのかな。結構危険だと思うが」
「でも変に家にこもられて、通りに人がいなくなるのも危険かもしれません」
「なるほど、一理あるな」
テッドが民家に侵入した際、外を歩いている人がいれば、悲鳴などを聞く人もいるだろう。
それに、日中の人が多い場所では、さすがに暴れないはずだ。
「いたかーっ」
「こっちにはいない!」
同じギルドの人たちとすれ違う。必死にテッドを捜している。
そもそも、まだテッドは町にいるのだろうか?
「ソフィアは、テッドが隠れるとしたらどこだと思う?」
「民家を襲ってそこに隠れるか、廃屋でしょうか。スラムの近くに、廃屋がいくつかある場所は知ってます」
俺たちはテッドの人となりを知らない。
当然あてもないので、廃屋を捜すことにした。
居住区の中の端に移動する。
木造の家が何軒か並ぶ。経年劣化が目立ち、木材が腐っている家もあった。
ちょっと、入るのに戸惑う。中に入ったら家が崩れたりしないのかよ。
「先生、行きましょう」
「あ、ああ、そうだね」
貴族の出なのに、ソフィアはあんまり抵抗がないみたいだ。凜としててかっこいいな。
温室な日本育ちの俺の方がナヨナヨしている。気合い入れろ。
頬をパシパシ叩きながら廊下を進む。
「うおあっ!」
「どうしました!?」
うん、ごめん、気合い吹っ飛んだ。
俺は床を指さす。ゴキブリっぽい、赤黒い虫が床に集まっていたのだ。表面がテカテカしてるところまで似ている。
「病虫ですね。えい、えい、えい」
潰すの!?
ソフィアは大胆にも靴で虫を一匹残らず踏み潰す。
そのグロテスクな光景、そして彼女の大胆さに俺は口を開けっぱなしになる。
全滅させると、爽やかな笑顔を俺に向けてくる。殺しを終えたばかりの顔の表情とは思えませんな……。
「ソフィアって、貴族少女っぽくないよな。ああいや! それは悪い意味じゃなくて!」
「ふふ、気を遣わずとも大丈夫ですよ。私は一般の友人などもいるで、あまり貴族っぽくないのかもしれません。父がそういう人ですから」
確かに、ドーガさんは選民意識とか薄そうだ。どこの馬の骨かわからない俺にも敬意を払ってくれていた。
やはり、子は親に似るのかもしれない。
「この病虫は人が寝ている間に口から入り、内臓に卵を産み付けて、出ていきます。すると人は重い病気にかかります。死に至ることも多いんですよ」
「ゴキブリなんかより、よっぽど有害なんだな……」
「見つけたら、絶対に殺した方がいいんです。特に子供や赤ちゃんが被害にあいますから」
ソフィアが、靴の汚れも構わず潰した理由がわかった。
大人はともかく、赤ちゃんなんて抵抗できないもんな。
次発見したら、俺もやろう。気持ち悪がってる場合じゃない。
十七歳の少女が、こんなに頑張ってるのに。
「……いないな」
「ですねー。隣の家に行ってみましょうか」
この家に人はいなかった。最近、誰かが住んだ形跡もない。
隣の廃屋に移る。
音は立てず、こっそりと室内を調べる。念のため、離れずに一緒に行動する。
――――ゴトッ。
なにかが落ちる音が微かに聞こえた。聞き間違いかもしれないけど、悲鳴のようなものも。
「今、聞こえた?」
「え? 私はなにも聞こえませんでした」
俺は聴力スキルがあるので、普通の人は聞き逃すものでも聞こえたのかな。
「一度、外に出よう」
音は外からだったからだ。隣の二階建ての家に行こうとすると、玄関のドアが勢いよく開いた。
中から出てきた男が段差に足を引っかけて転ぶ。
「ふげっ!?」
「だ、大丈夫ですか」
駆け寄って起こしてあげる。
「あ、あ、あんた、さっきギルドにいたよな」
「はい、あなたも冒険者ですね?」
俺が訊くと、彼は何度も首を縦に振る。相当怖い目にあったのか、体が震えている。
「な、中に、いる。テッドが、中にいるんだ」
「この中に!?」
「一階リビングだ。仲間が数人で戦ってる。でも、やべえ。強すぎて二人斬られた。残り二人も、やられるかも……。おれは、報告のために、出てきて」
「わかりました。ギルドにマスターがいるので伝えてください」
「あんたは?」
「俺は中に入って、手助けします」
「無理だけはしないでくれよ」
彼は立ち上がり、再び走り出す。足取りはしっかりしているし、問題ないだろう。
町中には冒険者が多くいる。すれ違う際に伝えてくれれば、増援はすぐ来るはずだ。
「先生、行くのですね」
「ソフィアはここで待機してても構わないよ」
「いいえ、先生とご一緒させてください!」
「頼りにしてるよ」
俺たちは早足でリビングへ。ここは一番大きい廃屋で、ドアや壁も比較的しっかりしている。金持ちが住んでいたのかもな。
リビングのドアは開けっぱなしだった。
戦闘の音は聞こえない。
意を決して中に入ると、四人が倒れており、窓際に一人の男が佇んでいた。
「少し虐めてから、出て行こうと思ったんだけどなぁ。また来ちゃったかぁ。うざいなー、やっぱ一気にブチ殺すしかないか」
男は二十半ばくらいの赤髪でレイピアを手にしている。
優男風だけど、口にする言葉は過激だ。
乗っ取った悪魔が言っているか、おかしくなった本人か。
「先生、四人とも生きています」
「致命傷では、ないかもしれない。あれなら治せる」
治癒院でも、あれくらい何度も治している。
問題は、テッドが窓から出ていく気配はないこと。
俺たちを殺して、堂々と出て行くつもりだ。強気だな。
「私が彼の相手をします。先生は怪我人をお願いできますか」
「わかった、すぐに回復させる」
ソフィアが剣を片手に、テッドとの距離を詰める。
あちらはヘラヘラとして、余裕綽々だ。
「遊んで殺すのは辞めたから、彼ら程度の傷じゃ済まないよ? その綺麗なお顔が真っ赤に染まっちゃうよ?」
「そう簡単に勝てると思わないでください」
「いいいいいねええええええええええ!」
ソフィアとテッド、双方の剣閃が迸る。ついに闘いが始まった。
この隙に、俺は倒れている冒険者たちの手当に移った。




