第23話 歪曲の三角関係【トライアングル】
「大丈夫そうだけど、一応、ここに入っててね」
研究室に戻ると、リアは俺を機械パーツの胸から取り外し、液体で満たされた試験管の中に入れる。
緑色をしたその液体は、万能薬と呼ばれる高価なもので、物品を没収される際に、密かに隠して持ってきたらしい。
「腕の機械パーツは、完全にダメね。盾は岩甲虫の残骸で補強して治せそう」
リアがせっせとメンテナンスをする中、サクラは機械パーツを乱雑に脱ぎ捨てて、ソファで眠っている。
黒いタンクトップに黒の短パン。褐色の肌が露わになり、大きな胸が強調されている。
今、しっぽを装備してなくてよかった、と心底思った。
研究室にはリアが機械パーツを修理する音だけが響いている。
核となり、色々なことが起こったが、なんだか夢を見ているようで、あまり現実だという実感がない。
もしかしたら俺は長い夢を見ているだけじゃないのだろうか。
液体の中でそんなことを考えていると、だんだんと意識がぼやけてくる。
いつの間にか、機械パーツを修理する音も聞こえなくなり、暗闇の中に落ちていった。
昼休み。
作戦会議と称して猪国さんと二人で屋上に行く。もはや毎日の恒例行事になっていた。
俺はいつも購買の焼きそばパンで、猪国さんはいつもおかずがギッシリ入った大きな弁当箱だった。
「どうすれば告白した時の成功確率があがるか、それを考えないとね」
唐揚げを食べながら喋る猪国さん。
ここ数日で、俺たちはかなりフレンドリーに話せるようになっていた。
「まずは、自分磨きじゃないかな? 竜崎君も輪蛇さんも、別世界の人みたいだからね」
「自分磨きか。あれかな、髪型変えたりオシャレしたり?」
おにぎりを豪快にかぶりつくつきながら話す猪国さん。非常に男らしい。
「私、髪型男の子みたいだし、眉毛も整えたほうがいいかな?」
「うーん、髪型は似合ってると思うし、眉毛もそのままで良いと思うけど、寝癖は直したほうがいいよ」
「え、寝癖ついてるっ?」
ピンと跳ねた後頭部を押さえて悶える猪国さん。
「それと相手の好みとかも知っといたほうがいいかもね、竜崎君とは結構仲がいいからそれとなく聞いとくよ」
「おーー、さすが犬飼くん。仕事ができるねっ」
肩をバシバシ叩かれる。
「私も輪蛇さんとは、あんまり喋ったことないけど出来る限り調べておくねっ」
「い、いや俺のほうはいいよ。まずは猪国さんが上手くいったらで」
そもそも本当に好きな人は輪蛇さんではないのだから。
「そうなの? じゃあお礼に卵焼きあげるよ」
「あ、ありがとう」
焼きそばパンの中に挟む。
卵焼きそばパンになり、いつもより三倍ほど美味しくなる。
二人で食事しながらあーだこーだ言っている間にあっというまに時間が過ぎていく。
幸せな時間だった。
いつまでもこの時間が続けば、もう猪国さんと付き合えなくても幸せだと思ってしまう。
予鈴のチャイムが鳴り、教室に戻ろうとした時、猪国さんが後ろから声をかけてきた。
「犬飼くんって、仲のいい友達にイチって呼ばれてるよね」
「あ、うん。小学校からのあだ名なんだ」
「そっかぁ、あ、あのさ......」
猪国さんが頭をかきながら、下を向く。
寝癖がますます酷いことになってしまう。
「わ、私もイチって呼んでいいかな? ほ、ほらっ、私達、友達っていうか、共闘っていうか、同士みたいなものだからさっ」
「う、うん。い、いいよっ」
思わず声がうわずる。
「あ、じゃあさ、私の事も......」
猪国さんがまた何か言いかけた時に本鈴のチャイムが鳴る。
「うわっ、やばいっ。続きはまた明日でっ」
「う、うんっ、わかった、行こう」
二人で屋上の出口に向かう。
「また明日ね、イチ」
猪国さんにイチと呼ばれて、体温が上昇し、心臓が高鳴る。
「うん、また明日っ」
屋上の階段を二人で飛ぶように降りていく。
だが、その明日は二度と来なかった。
これが俺と猪国さんの最後の作戦会議になった。
『マックに来て』
放課後、猪国さんからラインが来た。
屋上の作戦会議以外は、滅多に外で会うことはなかったのだが、どうしたんだろう。
昼の話の続きが、明日と言ったが待てなかったのだろうか。『了解しました』と返信して、駅前のマックに向かう。
上手くいっている。
猪国さんとの距離はだんだんと近づいて来ている。
俺はこの時、浮かれまくっていた。
すでに取り返しのつかない事態になっていたことに気がついてなかったのだ。
「早かったね、イチ」
マックに到着すると、すでに猪国さんは待っていた。
四人がけテーブルで、ビックマックとナゲットを頼んで座っていた。
だが、そこにいたのは、猪国さんだけではなかった。
もう一人。
学年一の美少女、クールビューティ輪蛇 藍さんが隣に座っている。
凄まじく綺麗だった。
すらっとしたモデル体型。
透き通るような白い肌。
長い髪はサラサラで輝いている。
切れ長の綺麗な瞳、高い鼻に薄い唇、それらが見事に整い、まるで素晴らしい芸術作品のようだ。
同じ人間とは思えないほど美しい。
よく、こんな人が好きだと言えたものだと、恥かしくなる。
だが、俺はそんな輪蛇さんよりも、マックナゲット五個をいっぺんに頬張る猪国さんが好きなのだ。
しかし、猪国さんは、どうして輪蛇さんを連れてきたんだろうか? すごく嫌な予感がする。
「な、なぜ、輪蛇さんがここに?」
輪蛇さんは答えない。
顔を赤く染めて目線をそらす。
まさか、猪国さんが、輪蛇さんに......
「ごめん、イチが輪蛇さんの事、好きなことバレちゃった」
一瞬目の前が真っ暗になる。
嫌な予感が的中した。
しかし、こうなることも予想はしていた。
大丈夫だ。どうせフラれるだろうし、猪国さんとは、今まで通りの関係でやっていけるはずだ。
だが、予想外の答えが返ってくる。
「それで、輪蛇さん、イチと付き合ってもいいって」
「え?」
俺はこの時、どんな顔をしていただろう。
猪国さんはどんな顔をしていたのだろう。
何も思い出せない。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる輪蛇さん。
世界がぐにゃりと歪み、ここからすべてが狂い出した。




