第17話 忘れていた名前【ネーム】
どうして今まで彼女の名前を忘れていたのか。
猪国 蘭。
そうだ。それが俺の好きな人の名前だ。
「あれ、なんかイチ固まってない?」
「ご飯食べれないから凹んでるんじゃないか?」
ガツガツとボア肉をガッつきながらサクラが言う。
「お姉ちゃんじゃないんだから」
心配そうにリアが覗き込んできたが、それどころではなかった。
記憶が蘇ってくる。
あの時、俺が嘘をついた時の記憶。
告白の二ヶ月前、教室で猪国さんと向き合っている。
名前は思い出したが相変わらず顔は靄がかかったようにボヤけて思い出せない。
「俺が好きなのは......」
あなたが好きですとは言えなかった。
彼女は俺の前の席。学校一のイケメン男子、竜崎君にラブレターを出そうとしていたのだ。
「輪蛇さんだよ」
咄嗟に出た名前は学校一の美少女の名前だった。
「えっ、本当にっ? 輪蛇さんて隣のクラスの輪蛇 藍さんだよね。パーフェクトクールビューティーとか呼ばれてる超絶お嬢様だよね」
そうだ。全男子が憧れる高嶺の花、絶対に付き合うことが出来ない輪蛇さんの名前を言う。
「い、犬飼くんって意外とチャレンジャーなんだね」
「い、いや猪国さんも学年一の美形、パーフェクト万能生徒会長竜崎君に告白するつもりだったよね? 人のこと言えないよ」
はっ、と驚くようなリアクションをする猪国さん。
まるで自分の好きな人を忘れていたかのようだ。
「だいたい俺は告白するつもりはないし、遠くから見ているだけでいいんだよ」
そう本当に好きな人は、別の人が好きなのだから。
「ダメだよっ、そんなのっ」
肩をぐっと捕まれる。
「好きな人がいて告白しないなんて、そんなのきっと後悔するよっ」
彼女は自分にも言い聞かせているのだろうか。
「む、無理だよ。難攻不落の高嶺の華だよ。今まで何十人も輪蛇さんに告白して玉砕している。俺なんて絶対うまくいかないっ」
必死の説得。告白なんて出来るわけがない。そもそも本当に好きな人は目の前の猪国さんだ。
その猪国さんが固まっている。
何か考えているようだ。
「確かに犬飼くんも、私もこのまま告白しても上手くいかないかもしれない」
「だよね、そうだよね、じゃあそういう事で」
逃げるように教室から出ようとしたら、学生服の裾ガシッと掴まれた。
「なら上手くいくよう二人で協力しよう」
「え?」
意外な展開に今度は俺が固まった。
「一人では無理でも、二人で協力すれば確率が二倍に上がるよっ。いや、三倍にも四倍にもなるかもしれない」
「いや、ゼロは何倍になってもゼロだからっ」
「この世にゼロなんてないよっ」
やばい、目がマジだ。
猪国さんが顔と顔がくっつく寸前の至近距離まで迫ってきている。
「わ、わかった。協力するからっ、ちょっと離れてっ」
「本当にっ、やったーー!!」
猪国さんが飛び跳ねる。
まるで告白に成功したかのような喜びようだ。
この時、俺は甘い考えを抱いていた。
二人で恋を成し遂げるという同じ目的をもって一緒にいれば、もしかしたら猪国さんは心変わりをするかもしれない。
好きな人より身近にいる俺のほうを好きになってくれるのではないか、そんな甘い考えを持ってしまった。
その考えがすべての後悔の始まりだった。
「イチっ、イチっ!」
リアの声に気がつき、回想から帰ってくる。
断片的に蘇る記憶。それは後悔と失敗の記憶だった。
彼女の名前と共に思い出した、もう一人の名前。
輪蛇 藍。
蛇の名前を持つ彼女も、巳【み】の核として、この世界に来ているのだろうか。
だとしたら俺は、彼女に謝らなければならない。
目的が二つになる。
猪国さんに会って告白すること。
輪蛇さんに会って謝ること。
どうして、俺がこの世界で核になったのか。
彼女達は本当に俺と同じように核になっているのか。
そもそも、この世界は一体どのような世界なのか。
十二支の名前を持つ俺達と王道の十二核の関係はなんなのか。
なにもかもわからない。だが、今は出来ることをやっていくしかない。
リアの話だと、本来ならこの国の巨大ダンジョンに亥【い】の核があるといっていた。
その核が猪国さんの可能性が高い。
なんらかの理由で亥【い】の核が発見されないのなら、そのダンジョンに潜って、原因を調べたい。
サクラとリア、二人の姉妹と目的が一致する。
大会で優勝し、二人の両親を助け出し、罠にかけた金色成金野郎から巨大ダンジョンを取り返す。
その為に、俺は機械パーツを集めて強くならないといけない。
「イチ、大丈夫? まさか、壊れちゃった?」
いつまでも動かない俺を心配そうに見るリア。
「大丈夫だよ」
鍋を空にしたサクラが笑みを浮かべて、俺を見る。
「闘志を感じる。燃えているんだろう」
その通りだ。
流されるように核として、動いていた俺は初めてこの世界で目標を見つけた。
早く、再びダンジョンに潜り、強くなりたい。
そんな俺の前に再び、大きな【✖️】の文字が浮かび上がる。
全ての答えスキルの発動条件がわかってきた。
胸を焦がすような熱い想いを抱いた時に、それは発動される。
姉妹に協力するのは間違っていると、全ての答えは言っているのだろうか。
もしかしたら、大会に出たらとんでもない強敵に俺は殺されるのかもしれない。
それでも俺は、ここで姉妹を助けずに何もしない事は絶対に間違っていると思った。
大きな【✖️】の文字に向かって 正拳突きの構えをする。
「ほらな」
サクラがリアに向かって笑う。
「ワタシと一緒だ。イチはやる気満々だ」
姉妹にはやはり【✖️】の文字は見えていないようだ。ただ、正拳突きの練習をしているように見えているのだろう。
今の俺にはまだ【正拳突き・鈍】という情けないスキルしか使えない。
だが、必ず強くなり、この岩巨人の体でも、あの時の正拳突きを覚えてみせる。
俺は目の前の大きな【✖️】の文字に向かって、力いっぱい【正拳突き・鈍】を撃ち込んだ。




