第16話 イノシシの領域【テリトリー】
ダンジョンを出るとまだ昼頃なのか、眩しい光が辺りを照らしていた。
鬱蒼と生い茂る木々の中で聞いたことのないような虫の音を聞く。
セミに似た虫なのか、ガーガー、と洗濯機が回っている時の音に似て、少しうるさい。
そういえば、この世界は今は夏なのだろうか。
暑さというのを感じることができないのでわからない。最後の記憶は夏休み前だったが、ここでは四季があるかどうかも怪しかった。
「お姉ちゃん、大人しくしてるかなあ」
心配そうにリアが呟く。
出会ってまだ一日も立っていないが、サクラの性格はだいたいわかる。多分、彼女は大人しくしていないだろう。
「おーーい」
その予想はあっという間に的中した。
研究室に向かう途中の道。上手の獣道から、俺とリアを発見したサクラが手を振ってやって来た。
「お、お姉ちゃんっ、なにそれっ」
サクラはその背中に巨大なブタのようなものを背負っている。
「暇だからちょっと狩ってきた」
頭に包帯を巻いているサクラはいつもつけている頭部の機械パーツを外していた。
初めてその髪型を見るが、赤みがかかった茶色の髪はショートカットで、ボーイッシュなサクラによく似合っている。
「ちょっとて、それ、バトルボアじゃないっ」
呆れと怒りの混じった声でリアは、サクラの背負うブタを見る。
よく見るとブタというよりはイノシシに近い感じだ。
全長は1メートルをゆうに超えている。
真っ黒な毛に覆われ、大きな牙が二本、頭の方まで伸びている。そして、俺の知っているイノシシと大きく違うのは、おでこの真ん中に長い角が生えていることだ。
ユニコーンのイノシシ版といった感じだ。
「なんで大人しくしてないのっ。頭部装備もとってるし、怪我したらどうするのっ」
「お腹空いたんだよ。イチの歓迎もふくめて、豪華に食べよう」
まったく悪びれないサクラにリアは大きなため息をついた。
「この森にはイノシシから派生した魔物がよく出るの」
巨大な包丁で手際よくバトルボアを捌きながら、リアが話しかけてくる。
研究室の庭で、木に逆さ吊りにされたバトルボアは、血抜きされた後、あっという間に皮を剥がされ、ブツ切りにされていく。
「元々、この国のダンジョンには、亥【い】の十二核が眠っていると言われていたの。その影響もあるのかもね。純血種のイノシシはもう絶滅していないけど」
会話しながらも、バラバラにされたバトルボアの肉を火にかけられた鍋に無動作に入れていく。
中にはすでに野草のようなものと出汁が煮立っている。
サクラは鍋の前で木の椅子に座り、お椀と箸を握りしめ、待ち構えている。
「もう食べていいか?」
「今、入れたばかりでしょっ!」
怒られてしゅん、となるサクラ。
なんだか妹のリアのほうが姉、いやお母さんのようだ。
「でも、亥【い】の十二核はいつまでたっても、見つからなかった。私達の祖父の世代、そのまた祖父の世代からずっとよ。実際私達もイチを見つけるまで、十二核なんて、大袈裟な作り話程度に思っていたからね」
ぺちん、とこっそり箸を伸ばそうとしたサクラの手をリアが叩く。
「それが、半年前、この国一番のダンジョンを所有する私達の家系に疑いがかかったの。とうの昔に、亥【い】の十二核を見つけて、それを隠しているんじゃないかって」
「そんなもん、もぐもぐ、見たことも、んぐ、聞いたこともなかったのにな、もぐもぐ」
「食べながら喋らないで、行儀悪いっ」
いつのまにか、サクラは口にいっぱいの肉を頬張っている。
「父さんと母さんは裁判にかけられて有罪になり、監獄に入っている。ダンジョンも財産もすべて没収された。解放するには国で開催される戦闘機械人形の大会で優勝して保釈金を払わないといけない」
「んっ、ごっくん。ちなみに大会の参加費も払えないから、ワタシとリアは、自分を担保に借金している。大会の賞金がなければ奴隷になるってわけだ」
肉を飲み込んだサクラも話に入ってきた。昨日少し聞いていた姉妹の事情がだいぶ詳しくわかる。
なかなかに大変な状況だ。
「まあ、イチも味方してくれるし、楽勝だけどな。二人で優勝と準優勝だな」
「お箸で人をささないのっ」
またリアにペチンと手を叩かれて凹むサクラ。
しかし、大会で優勝とか準優勝とか、ハッキリ言って、まるで自信がない。
これまで参加した空手の大会は、一回戦すら勝ち抜いたことがない。
「そうだ。ダンジョンの成果はどうだったんだ? イチは強くなったのか?」
まったく強くなりませんでした。
岩甲虫との戦闘でわかったことがある。
リアに操縦され、見事な裏拳をぶちかましたが、正拳突きを覚えたようにスキルとして裏拳を覚えることはなかった。
どうやら操縦されていると、スキルを覚えたり、木偶のレベルが上がったりしないようだ。
「うん、戦闘は一回だけだけどね。地下一階でネームドの岩甲虫が出たんだよ」
「ネームドが地下一階で? そんな事今までなかったな」
浅い階層でネームドが出る事はかなり珍しいことのようだ。
「地下一階はザコしか出なかったからね。ビックリしたよ。レアドロップで機械パーツも落としたしね。もしかしたら、イチが覚醒したからかな」
リアが俺の方をじっ、と見る。
「伝説では、世界で12個しかない王道の十二核。その核が発見されたダンジョンからは、特別な機械パーツが見つかるといわれてるの」
「それなら探索し甲斐があるな。また地下一階から徹底的にいこう」
楽天的なサクラに対してリアは難しそうな顔で何かを考えている。
「どうした? 便秘か?」
「ちがうよっ、なんでこんな小さな森のダンジョンに戌【いぬ】の核とそのダンジョンがあるんだろうって考えてたの」
「イチが小さいところを好きだからじゃないか?」
いや、別にそういうわけではない。気が付いたら宝箱の中にいただけで何もわからないのだが。
「父さんと母さんなら何か知っているかもしれない。何かあった時の為にこのダンジョンを隠していたみたいだし。でも、今は面会にすら行けないわ」
「ま、いいじゃないか。すべては大会で優勝してからで」
考えるリアと何も考えないサクラ。
上手くバランスが取れているのかもしれない。
その時だった。
誰かに呼ばれたような気がして、振り返る。
だが、そこには誰もいない。
イチ。
そう名前を呼ばれた気がしたのだ。
名前。バトルボア。亥【い】の十二核。イノシシ。
何故いままで思い出せなかったのだろう。
俺は告白しようとした彼女の名前を突然、思い出す。
猪国 蘭。
そう、彼女の名前にも十二支の動物が入っていたのだ。




