武闘派赤ずきんのワンダーワールド
緑あふれる森の開けた場所に佇む、一件の木造の平屋に老婆と小柄な少女がいた。
日の光をカーテンが遮っており、部屋は薄暗い。老婆はベッドで体を起こしており、顔を伏せている。その傍らにある椅子に赤いフードを被った少女が座っていた。
「よく来てくれたわねぇ。もうちょっと、こっちにいらっしゃい」
しゃがれた声を出した老婆が少女に言うと、少女はこくりと頷いて近づいた。少女が老婆に近寄った時、伏せていた顔をゆっくりと上げると、にたりと顔を歪めた。
しわの入った老婆の顔中から白い毛が生え、鼻と口がせり上がる。その姿はオオカミのようだった。
「ぶはははは、掛かったな! 小遣い欲しさに、のこのこやって来るとはなぁ! ガキはちょろいぜ! んじゃ、いただきま~!」
オオカミは少女を頭から飲み込まんとする程に大口を開けて、噛みつこうと首を伸ばした。
「ずがっ!」
オオカミの下あごが突然上に上がると、勢いそのままに上あごとかち合い、尖った歯がぶつかり合うとものの見事に砕け散った。
痛みと驚きに目をひん剥いたオオカミが見たのは、メリケンサックをはめた少女の左手のアッパーカットの姿だった。
「アガガガ……。いひゃい、いひゃい~」
オオカミは口を手で押さえて、もんどり打ち何度も情けない声を上げた。その姿を少女はじっと見つめると、右手を後ろに回して何かを取り出した。それは小ぶりな斧だ。
刃は赤く血に濡れた色をしており、鮮やかな色をしていた。少女はその斧を振り上げる。
「あなた達の悪行は終わりよ」
可愛らしい声で言うと、雷霆の如き速さで腕を振り抜いた。
オオカミの頭蓋を砕き、頭を両断した斧にはどろりとした血と肉が付いていた。その付着物を少女は斧を振って払った時、部屋のドアがぶち破られた。
「アリッサ! 伏せろあぁぁ!?」
ドアから姿を見せたのは拳銃を手にした長身痩躯の青年だった。青いコートを羽織った青年は、黒髪を肩まで伸ばしており、口周りに綺麗なヒゲを生やしている。涼やかな顔に、透明感のある声から気品の高さが感じ取れた。
青年は目を吊って、アリッサと呼ばれた少女に食って掛かった。
「またか、君は! どうして、人の話を聞かないんだ!? 事前に打ち合わせした通りに動かないと、困るじゃないか!」
「え? まあ、良いじゃん。倒すことができたんだし。ほら?」
アリッサは先ほどのオオカミを指さした。そこには、オオカミではなく人間が横たわっていた。その体の輪郭が風化するように少しずつ薄っすらと消えていく。塵芥のように消えるのを見て、青年は嘆かわしく首を横に振った。
「まったく君というヤツは……。お叱りを貰っても、庇ってはやらないぞ?」
「そんなぁ~。ハンク以外に頼れる人はいないんだから、助けてよぉ~」
「勝手に執行した君に落ち度がある。甘んじて受け入れたまえ」
「ケチッ! もういい! さっさと次、探しましょう! レッツゴー!」
アリッサは手を高々と上げると家の外へと行き、フードを脱いだ。綺麗な金髪を三つ編みにした美少女が、顔をあらわにし、日差しに目を細めた。鳥のさえずりに、そよ風が吹くのどかな光景は、血濡れた赤い斧によって、ぶち壊しにされていた。
・ ・ ・
うっそうとした森の中をアリッサとハンクは並んで歩いている。
二人は夜の気配が迫る前に宿を探そうと地図を片手に辺りを見回していた。陽はまだ高く、葉っぱの隙間から光がこぼれているが、森が闇に染まるのは早い。宿を探すのに早いに越したことはないのだ。
「ん~……。もしかして、さっきの分かれ道、左だったかなぁ」
アリッサは地図を上下させ、くるりと何度も回しており、眉をへの字に曲げている。二人はここに至る前にあった分かれ道のどちらが正しいかの賭けをしていたのだ。ハンクはその様子を見て、深いため息を吐いた。
「どうやら、今回も君の負けのようだな。では、干し肉は僕がいただこう」
「ズルい! 肉は私の大好物なのに!」
「君が卑しい賭けを持ち掛けるからではないか。正当な報酬なのだから、僕がしっかりと味わっていただくとしよう」
「ハンクのケチ! アホ! ヒゲ! ノッポ!」
「知能指数が低い罵倒は止めたまえ。耳が腐りそうだ」
呆れるハンクに罵詈雑言を浴びせるアリッサが急に大人しくなった。アリッサは森の奥を見つめており、その視線を辿ると一人の少女の姿があった。亜麻色の髪をしており、愛らしい顔立ちをしている。年のころは十代の中程だろうか。アリッサと同年代のように見える。
アリッサとハンクは顔を見合うと、どちらともなく少女の元へと歩き出した。草を踏む音で少女は、はっと目を見開いてアリッサ達を見つめた。
「だ、誰!?」
少女は身の危険を感じたのか、身構えた姿を見せた。その様子にアリッサが慌てて声を掛けた。
「あ、ごめんね。怪しい人じゃないよ。私はアリッサ。こっちのデカい人がハンク。私達、旅をしているの。ね、ハンク?」
「ああ、そうだよ。旅の者なんだ。君こそ、こんな森の中でどうしたのかな? もしかして、迷子かな?」
ハンクの問いかけに、少女は頭を横に振った。強張った表情が少しだけ緩んでいることから見ると、アリッサ達の言葉を少なからず信じたようだ。
少女は恐る恐る口を開いた。
「私、お墓にお花を持って行こうと思って」
少女は言うと、手に持っていた数本の花を見せた。
「そうなんだ。ねぇ、あなたの家って、この辺だよね? 村も近くにあるのかな?」
「うん。近くにあるよ」
頷いた少女を見て、アリッサがガッツポーズをし、ハンクにしたり顔を見せた。思わず、ハンクの顔が歪む。それに満足したアリッサは少女に頭を下げて言った。
「お願い! 私達を村まで案内してもらえないかな? このと~り。私の干し肉が掛ってるの~」
「え? ほ、干し肉? 分かった。お墓に行った後で良ければ、案内するわ。私はコネット。アリッサ、ハンクさん、よろしくね」
快諾したコネットと共に、森の中を歩く。頭上には木々が重なっており、まだ陽があるはずなのに、森が薄闇に包まれているようだ。コネットの足はどんどん森の奥へと向かっていた。
「ねぇ、コネット? お墓って、そんなに遠いの?」
「ううん。もうすぐだよ」
「そう? そういえば、お墓って誰の? ご家族?」
「知らない人の」
アリッサとハンクの表情が険しくなった。知らない人のお墓参りのために、森の奥まで来るなど信じられなかったからだ。凍り付いた場の空気を溶かしたのは、コネットの小さな笑い声だった。
「おばあちゃんからね、知らない人でも優しくしなさいって言われてるの。だから、知らない人のお墓に花をあげるの。う~んと、善行? だったかなぁ? 良い事をすると天国に行けるんだって。逆に悪い事をすると地獄に行っちゃうんだって」
「そうなんだ。コネットは優しいんだね」
「ありがとう、アリッサ。地獄ってね、すごい怖いところなんだって。だから、私は天国に行きたいの。怖い思いはしたくないもん」
そういうと、鼻歌を歌いだした。益々暗くなっていく森の中を軽快に歩くコネットの後ろから、ハンクが真面目な顔で声を掛ける。
「コネット、君は地獄が怖い……と言ったね?」
「うん。怖いよ? ハンクさんは怖くないの?」
「それはもちろん怖いさ。だがね、悪いことをしても、すぐには地獄に行かないんだよ」
「え? 何で?」
「煉獄……。聞いたことがあるかい?」
コネットは首を傾げた。
「煉獄とは、罪や穢れを清める場所。現世と地獄の間。犯してしまった過ちを許される、最後の拠り所。それが煉獄なんだ」
ハンクは足を止めて、一間置いた。
「罪を犯した者達は煉獄で善行を積み、神に許しを請う。そして、許されれば天国に行くことができる、夢のような世界。……そう、ここが煉獄だよ」
ハンクの眼光が鋭くなった。手を腰に回して、拳銃を手にした時、ハンクの体がくの字に曲がった。
「がはっ!?」
「ハンク!?」
よろめくハンクの陰から姿を見せたのは、目を煌々と輝かせたコネットであった。先ほどまで、アリッサ達の前にいたはずのコネットが一瞬で最後尾のハンクの場所まで移動していたのだ。
コネットの口から、先ほどまでの愛らしい声ではなく、低く暗い声が発せられた。
「訳が分からないことをベラベラと。どこぞのハンターか? 俺を捕らえために何人犠牲にすれば良いのやら」
言うと、ゲラゲラと笑った。コネットの目は赤く染まり、髪の毛も逆立って、雄々しいライオンのたてがみのように広がっていた。掌が倍以上に膨れ上がり、指先から刃物を連想させる鋭さの爪が伸びていた。
コネットは口角から垂れるよだれを舌でゆっくりと拭った。
「しかし、まさかガキ連れとはな。ガキを襲えるなんて、いつ以来ぶりだろか? ぞくぞくしてきたなぁ~」
コネットの口から、よだれが止め処なく流れている。ぞくりとするような暗い笑みを浮かべたコネットは、一歩アリッサに近づいた。
「さぁ、遊ぼうか、お嬢ちゃ」
アリッサが残像を見せる早さでコネットに飛び掛かると、コネットの小さな鼻の真ん中に一本綺麗な筋が入り、赤々とした血が噴き出した。
コネットの鼻を裂いたのは、アリッサの手に握られている斧によるものであった。
「なっ!?」
驚愕したコネットが見たのは、地に降り立って、斧を振り上げようとするアリッサの姿だった。
「くぬっ!?」
「はぁっ!」
一瞬だけ早く動いたコネットの胸を斧が掠めた。アリッサは忌々しそうに歯を強く噛んで、コネットを追って一歩進み、斧を振るう。
乱舞する赤い旋風にコネットはかろうじて攻撃を避けていく。その顔には先ほどまで見せていた余裕は欠片もなかった。ハンクを一瞬で倒した相手を、小柄なアリッサが追い詰めていく。
「は、早い!? 」
「あなたは意外に遅いじゃっ、ないっ!」
アリッサの斧がコネットの腹部を斬りつけると、コネットの絶叫が森を突き抜けた。腹部からおびただしい血を流すコネットの顔には、大量の汗が噴き出ている。苦悶の表情を浮かべた様を見て、アリッサは攻めの手を控えた時、わずかに顔をしかめた。
アリッサの頬に浮かんだ一筋の赤い線を見て、コネットの痛みに歪んでいた表情が、一変して愉悦に染まった。
「くっくっく。俺の爪には即効性の痺れ毒が含まれているんだよ。全身をマヒできる訳じゃないが、足ぐらいは止められる。それに……」
ゆるりとコネットは立ち上がる。その腹部にあったはずの傷口もいつの間にか消えており、コネットの体には血の跡しか残っていなかった。怪しく笑うと、恍惚とした表情を浮かべた。
「ゆっくりといたぶって殺せるからなぁ~。さぁ、踊ろうか、お嬢ちゃん」
歯を見せて笑うと、アリッサに向かって突進を仕掛けた。迫るコネットを避けるためにアリッサは横に飛び退こうとしたが、足が思うように動かず、もつれて地面に倒れた。
「くっ!? あうっ!?」
アリッサの腹を、コネットの足が容赦なく襲った。蹴り飛ばされ、うつぶせになれば、もう一度腹を蹴られて、仰向けに倒れた。何度も何度も、地を転がって土で汚されていった。
「う……うぅ……」
「おいおい、アリッサちゃん。さっきまでの威勢の良さはどこに行ったんだぁ? ああん!」
地に倒れたアリッサの頭を、コネットの膨れ上がった掌が掴み上げる。コネットは怪しい息を吐きながら、アリッサの顔をのぞきこむ。と、アリッサの片側の口角が吊った。
「ハンク、準備は?」
コネットが振り返った先には、開いた本を手にしたハンクの姿があった。本は青い光を放ち、しかとしたハンクの顔を更に輝かせた。
ハンクはしっかりと頷くと一つ息を吐いて、本に目を落とした。
「生前名、オディオ・カールソン! 汝が重ねた罪を今一度知れ!」
ハンクが本を高々と掲げると、眩い光が森の中を照らした。光が治まると、コネットは手で顔を覆って震えていた。
「お、俺は、死んだ? そうだ、俺は縛り首になったんだ……。ははっ、死んで、俺はここにいるんだよ! こんなハッピーな場所になぁ! 人を殺せば殺すほど、俺は強くなった。欲望が更に俺を強くしてくれる。また……、いや、まだまだ、俺は人を殺せるんだ!」
雄たけびを上げると、一人で笑い転げまわった。はたと、男の笑いが止まった。にやりと、怪しい笑みを浮かべた。
「お前達も煉獄にいるってことは、罪を犯した人間なんだよなぁ? 俺達はお友達だよなぁ? なぁ、兄弟? どんな罪を犯してここに来たんだ? これから、何をしたいんだ? あっ!?」
男がハンクに怒鳴る。ハンクは目をコネットの後ろにいるアリッサに向けた。
「殺しよ」
アリッサはさも当然と言わんばかりであった。その言葉に、高ぶっていたコネットの勢いが萎む。
すくっと立ち上がると、凍えそうな程に冷たい瞳の色を見せ、淡々と続けた。
「私達は人を殺した。私達、兄弟の両親を殺したヤツを。そして、この煉獄でも殺すの。ヤツのことを……ね」
「そ、そうかい。お前も、なかなか頭いかれてるぜ」
「そうね。自分でもそう思うわ。でもね、魂が言うの。ヤツを地獄に落とせって。だから、決めたの。私達は罪人を殺す、神の執行官になることをね」
ちらりと視線をハンクに向けた。
「で、神様はなんて?」
ハンクは本に目を落とすと、両手で本を閉じた。
「死刑だそうだ」
「オッケー。てことで」
アリッサは軽やかな口調でいうと、斧を振り上げて。
「さようなら」
油断していたコネットの瞳に映ったのは、血で染まった斧の刃であった。
・ ・ ・
人外の姿に変わっていたコネットが、元の少女の姿に戻り、その体は少しずつ塵のように散って行った。
「まったく……。いちいち神様の指示がないと殺せないなんて、面倒で仕方がないわ」
先ほどまでぼろ雑巾のように扱われたアリッサは、痛みなどどこ吹く風といったようで服に付いた砂ぼこりを払った。
「過去を思い出させ、地獄へと落とす。それが神様のお望みなのだから、そうするしかない。なのに君と来たら」
「わ~かったから。今日は我慢したでしょ? 割と痛い思いをしたんだからね?」
「そうだな。毒なんて効かない体なのだから、良い演技だった。どうかね? 役者に転向するというのは?」
「笑えない冗談ね。言ったでしょ? 化け物になってでも、ヤツを殺すって」
緩い表情で口にした言葉には確かな意志がこもっており、瞳は決意の色に染まっていた。ハンクは少しだけ目を伏せると、遠い目をして過去に思いを馳せだした。
「ヤツに両親を殺され、その復讐を果たした僕達が、再びヤツを殺す……か。もう、記憶もおぼろげなのに、殺意だけは胸の中で熱くたぎっている。アリッサも……いや、兄さんも同じなのだな」
「止めてよね、兄さんって呼ぶの。私は可憐な女の子なのよ? それを言ったら、あなたなんてチビで弱虫の弟だったじゃない? デカくなったからって、弱虫のままってこと?」
「失敬なやつだな、君は! こういうキャラ付けで生まれたのだから、弱虫のままのはずがなかろう。男女逆転した、肉弾戦どんと来いな兄に言うのもなんだがね」
ハンクはふふん、と笑うとアリッサは地団駄を踏んで怒りをあらわにした。仲が良かった兄弟は姿を変えてもなお、その絆の深さは変わってはいなかった。むしろ、過酷な旅を重ねて、更に堅固なものへと変わっている。
ひとしきり感情をぶつけた二人は、笑みを浮かべた。
「さて、行こうか、アリッサ。このままでは野宿になってしまう」
「そうね。早く探さないと。ああ~、お風呂入りた~い」
二人は元来た道へと歩みを進めた。その一歩一歩が復讐のための一里塚になると信じている。いずれはヤツの元へと辿り着き地獄へと叩き落す。魂に刻まれた怒りを胸に、二人の神の執行人としての旅は続く。