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サラリーマンと総菜屋の娘

作者: 白くじら
掲載日:2018/04/22

 今日も一日が終わった。


 曲がったネクタイも気にならない家路。

 ぬるまったい疲労に浸かりながら、僕は最寄駅の改札をくぐる。



 社会人7年目。

 いいかげん、酸いも甘いも嗅ぎ分けられるようになったかと思えば、今みたいにキツイ日々に逆戻りする事もある。まだまだ一人称が「私」よりも「僕」の方がしっくりくる。

 未熟者。

 若輩者。

 半端者。

 なんとでも呼んでくれていい。

 どうせ、僕の生活はどう切り取ってもドキュメンタリー番組には向かない。せいぜい、サラ〇シがいいところだろう。


 でも、そんな波風立たない人生を悲観してるわけじゃない。大洋を知らない蛙は、井戸の底で空の青さを知る――。気付く事で感じられる幸福が、世界には至る所に落ちているんだ。


 花街銀座商店街は、その小さな幸福に溢れている。

 郊外にある何の変哲もない商店街だけど、人々が生き生きしていて、それでいて気取っていなくて、剥き出しの生活がこぼれている感じがたまらない。

 母親の長話に飽きた子供。喫茶店の入口でメニューに首を傾げる老夫婦。声を張り上げる魚屋さんが、買い物しているおばさんに「五月蠅い」と注意されていたのは最高だった。

 これこそが平和だし、つまり、幸福だと思う。

 見ているだけで、生活の温かさが伝わって来る。生きているって実感できる。目から吸収する栄養ドリンクのようだ。

 

 

 でも、流石に今日は時間も遅い。

 居酒屋以外の店にはシャッターが下ろされていて、通りは閑散としている。

 少し寂しい……。


 でも、大丈夫。この商店街には強い味方がいる。

 鈴木惣菜店だ。


 なにせコンセプトが「かかってこいコンビニエンスストア」らしいから、この時間でも店が開いている。流石に作りたてってわけじゃあないけど、帰ってからレンジで温めるから問題はない。花街商店街全体の健康を担っていると豪語しているだけあって、味付けも優しいから毎日でも食べられる。

 まさに、コンクリートジャングルに湧くオアシス!

 モテない、忙しい、仕事嫌いなサラリーマンにとって、こんなに癒される場所はない。

 

 数十メートル離れた場所から、店が開いているのを見ると、僕はじんわりと手足が温まるのを感じた。




「おかえりなさい、最近遅いですね」

 迎えてくれたのは、ここの娘さん。昼間は別の仕事をしているみたいなんだけど、夜にはこうして店番に立つことが多い。本人曰く、「花街銀座商店街を背負って立つ看板娘」らしいけど、少し大げさな気がする。

 まあ、屈託のない笑顔と八重歯が、ここを通る(けっしてこの店を訪れる人に限らないのがポイント)人達を癒しているのは間違いない。

 僕もその一人だ。


「要領が悪いのは治らないからね」

 僕は少し恰好をつけながら、閑散とした陳列棚を物色するフリをする。その隙に彼女はススッと後ろからプラスチックの容器を出してきた。

 予定調和――。

 でも、それが楽しい。

「はい、鈴木スペシャル350円です」

「さすが。いつもありがとう」

 鈴木惣菜店に、こんな横文字の商品はない。色々な惣菜を1人分に取り分けた裏メニューだ。栄養価が偏りまくっている僕にはとても心強い。田舎のお袋も安心だろう。



 普段ならここで、お金を払って「ありがとうございました」「おやすみなさい」のやり取りをして終わるのだが、今日はもう一声あった。

「なんだか、疲れてませんか?」

 ふいに娘さんに声をかけられた。

 アドリブの利かない僕は、つい慌ててしまう。

「ああ、うん。いや、そんなことないよ」

 口に出した瞬間、後悔するような気の利かないセリフ。なさけない笑いが顔にこびりつく。

「やっぱり、疲れてますね」

 彼女は八重歯を見せながらコロコロと笑う。僕のそれとは大分違う。

「ははははは。そうなのかな」

「そうですって。疲れている人って、自分じゃあ気付かないんです」

「まあ、明日は金曜日だしね。あと一日だし、頑張るよ」

「無理はしないでくださいね」

「ありがとう。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 ヒラヒラと振られる手。

 僕はそれに軽く頭を下げて答えた。


 いつもと同じ帰り道。

 違うのは、ちょっと増えた会話だけ。


 でも、僕には十分な幸福だ。

 これで、明日も頑張れる。


 やっぱり幸福は足元に転がっている。




 ―――――――



 


 そろそろ来るだろう。

 最近、あの人は帰りが遅いから困る。

 

 私はチラッと、あくまでチラッと、手鏡を見て、三角巾を整える。

 

 親からは、「仕事で疲れているのだから店の手伝いはやらなくていい」と言われているのだけれど、私はこの場所が好きだから、できるだけ店番に立つようにしている。

 本当はここで総菜屋の仕事をずっと手伝っていたい。でも、高校の時に「家業を手伝いたい」と言ったら、「先に婿を連れてこい」と言われたので()()()()()NPO法人の仕事をしている。

 ここが私の場所。

 婿の見込みはまだないけれど、私の幸福はここにある。




 時計が22時を過ぎる。

 もう、店を閉めなくちゃいけない。


 とは言っても、もうあらかた片づけも終了していて、あとは電気を消してシャッターを閉めればおしまい。両親はすでに2階へ上がって休んでいる。 

「来ないかな……」

 思わず口に出してみる。

 出してみてら、ものすごく恥ずかしくなった。


 でも、今日は10分だけ開店時間を延長することに()した。社長令嬢特権である。




「こんばんは」

 ようやく彼が顔を出す。

 時計は22時20分を指している。

 結局、20分も延長してしまった。


 彼は緩んだネクタイをそのままに、少し不器用な会釈をする。

 なんだか、疲れているような印象――それもそうか。ここ一か月、帰る時間がいつもこのぐらいになってしまっている。両親が言うには、朝も早いみたい。

「おかえりなさい。最近、遅いですね」

 しまった。

 少し、嫌味っぽく聞こえちゃったかな?

 でも、まあしょうがない。

 店を開けておいたし、なによりその疲れた顔で人を心配させているのだから、これぐらいは許容でしょう。


「要領が悪いのは、治らないからね」

 

 帰ってきた答えは、少し自虐的なもの――。

 普通なら会社や上司の悪口でも出てきそうなところを、この人はいつもこうだ。本心から出ているとしたら、とても心配になる。

 だけど、短大で介護心理学をかじったくらいでは、大人の思考を矯正することなんてできそうもない。手持ちの武器で彼を応援してあげるには、選ぶ惣菜を健康に良いモノへ誘導してあげるくらいだ。

 放っておくと、この人はレバニラしか食べなそう……。


「はい、鈴木スペシャル350円です」


 有無も言わさず、健康食材を詰め込んだフードパックを取り出す。

 お主は知らぬであろう――そこにはウチで作っている惣菜だけじゃなくて、私が職場からおすそ分け頂いた高齢者向け減塩メニューがふんだんに盛り込まれているのだ。


 ちなみに、裏メニューなんて鈴木惣菜店には存在しません。それは私が勝手にやっていること。



「おやすみなさい」

 彼はいつもどおり、身を屈めてから去っていく。

 あったものが無くなる感覚が襲う。

 この感じは好きじゃない……。




 しばらくしてからシャッターを下ろした。

 電気を消して、余った食材を冷蔵庫へと突っ込む。これは明日、私たちの朝ごはんになる。

 

 2階にあがると、父はすでに寝ていて、母はドラマを見ていた。どうやら贔屓にしている男性アイドルグループの一人が出ているらしい。まだまだ若いな55歳――。

「お疲れ様~」

 母よ。

 婆ちゃんに、(せんべい)を食べながら喋るなと教育されなかったか。

「座ってただけだから」

 言いながらせんべいをかっさらう。私も大概だ。

「無理に出なくていいのに。家事をやっててもらった方が助かるし」

 結局、働かせる気じゃん。

「いいの。あそこが私の場所なんだから」

「ミス花街商店街の責任からお店に出てるんだとしたら、大丈夫よ。柏屋の美代ちゃんがいるから」

「どういう意味?」

「あんたより若くて綺麗」

「!?」

「なんとかってファッション雑誌にも載ったらしいわよ」

「張り合ってないから!」

 まったく、無神経極まりない母親だ。

 私だって、店番していれば声くらいかけられるから。主に還暦超えたおじい様方だけど、若い人から食事の誘いも無いわけじゃないからね?



 ドラマがCMに切り替わる。

 母と娘が清涼飲料水をがぶ飲みする俳優さんを、ただ眺める。

「今日も来たの?」

 母からの質問。

 目が合わない。

「……うん。来た」

「……いい人そうよね」

「どうかな。ここで見てるだけじゃあ分からないって……」

「それもそうか……」

 互いに煎餅へ手が伸びる。



「あたしはね……」

 母が海苔の巻いてある煎餅をほおぼりながら、しみじみと言う。

「あたしは良いと思うわよ?あんたらしくて」

 前言撤回。

 母よ。

 あなたは無神経じゃない……。


 


 きっとまだ始まっていないんだ。

 始まっていないから、明日、彼が来なくても大丈夫なんだ。

 

 何十年と店をやっていても、商品が売れ残ってしまう日はある。それが惣菜屋の難しいところ。

 待たなければいけない。

 しかも、準備して待たなければいけない。

 

 無駄が多いかもしれない。

 時代に反しているかもしれない。


 でも、「待っていてくれる幸福」というのは絶対に存在する。

 それを与えたいと思ってしまう――。


 


 きっと、誰かに背中を押されたら始まってしまうだろう。

 それぐらい私は危うい場所にいる。

 訂正――私達だ。

 彼もそれぐらいの位置にいるのは分かる。長年、商店街を眺めて培ったこの眼は伊達じゃない。


 始まってしまったら、なんらかの「答え」を出すまで、走り続けなくてはならなくなる。でも、無我夢中でそれを追いかけられるほどの熱量は(きっと)お互いにない。


 この商店街はぬくい。心地良い。

 だから、フランベするような想いは育たない。

 炭火でじわじわと温められるような想いがいいところ。


 時間はかかるだろう。

 もしかしたら半煮えのままかもしれない。

 いや、かなりの確率で彼は湿った薪みたいになっている可能性が高いから、食材側から油を落とす必要があるかもしれない。


「はあ……」

 思わず、ため息がでる。

 私は何の話を、何に例えて考えているんだろう。

 



 テレビとは違う世界でのお話――。

 母よ。

 チャンネルを変えろ。

 

 



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