迷子のコトダマ その壱
数話編成で一つのお話、一章となります。 投稿間隔は不定期ですが、一度の投稿にて一章分の投稿となります。
拝啓、母さん。 俺は今、とっても困っております。 そして同時に生きて帰れない予感がしております。
そんな一文が脳内に浮かんできて、俺はすぐさま振り払う。 今現在、絶賛遭難中だ。 担任の教師に軽々しく「そういえば水無くん、朝岡さんと家近かったわよね? このプリント渡しておいてくれる?」と頼まれたのが運の尽きと言っても良い。 恨むぞ風邪を引いた朝岡さん……それと軽いノリで俺に任せた安田先生……。
「……どこだろここは。 ていうか朝岡さんは修行僧か何かか」
近い、と言われ素直に「そうなんだ、なら俺が行っても良いかな」と思ってしまったのが失敗だ。 正直、田舎に置ける近いの定義を理解していなかった。
……まさかこんな山中に住んでいるとは。 この辺りまで来るだけで相当な険しい道だったけど、これを毎日となると修行僧としか思えない。 恐るべし朝岡家だ。 きっと朝岡さんの父親は仙人に違いない。 少なくとも先祖の一人に仙人が居ても不思議ではない。
既に陽は沈みかけている。 当然、誰かに連絡を取る手段なんてない。 俺は携帯という文明の利器を持っていないし、そもそもあったとしてもここで電波が入るとは思えないし。 というわけで、最初の脳内遺書になったという流れだ。
……こんなことなら、一緒に行こうかと声をかけてくれた矢沢に助けてもらうべきだったか? いやでも、それだと矢沢に迷惑がかかっていたし……俺がちゃんと家に帰れれば問題はない、よな。
ちなみに矢沢とは、数ヶ月前に転校してきた俺に対し、いろいろと世話を焼いてくれている女子のこと。 学校案内から始まり近所の便利なところ、家までの近道から教師たちの裏話まで教えてくれ、俺は非常に助かっている。 返しきれない恩があるとも言える女子だ。 だからこそ、そんな奴に迷惑なんて掛けられないという考えが先行してしまった。
「疲れた……普段運動してないからなぁ」
俺は呟き、立ち止まる。 辺りは数十分前とさほど変わらない景色、まさに遭難だ。 山の恐ろしさを再確認した俺である。
だが、そのとき一陣の風が吹いた。 俺はなんとなく、その風が流れていった方へと顔を向ける。 すると、視界には小さいながらも建物が映った。 何やら廃墟……のような建物だけど、一応形は保っている。
俺はようやく、何かしらの目印になりそうなそれに近づいていく。 目的地とは違ったものの、たぶん藁にもすがる思いというのはこういうことを言うのだろう。
「なんだこれ……神社?」
それは、神社だった。 鳥居があり、社があり、その見た目はかなり傷んでいたものの立派な神社だった。 一体何年放置されればこうなってしまうのか、少しだけ物寂しさを感じさせる。 枯葉は境内に多く散らばっており、人の気配は全くない。
明らかに人が出入りしている気配もない、俺は少々期待していた肩を落とす。 が、幸いにも休憩くらいは出来そうな場所であった。 一応、神を祀る神社ということもあり、恐る恐る棒のようになっている足を踏み入れていく。
冬の寒さの所為か、木から落ちた葉の数々が地面を覆っている。 歩く度に葉の砕ける音が響き渡り、俺は子供の頃を思い出していた。 あの頃は些細なひとつひとつのことが楽しかったっけ。
「失礼しまーす……ふう……結構良い場所だな」
挨拶をし、俺は社に腰掛ける。 きっと朝なら方角的に陽の光が心地良い場所だ。 開けたこの場所はまさに山の中の秘密基地といった感じで、なんだかワクワクしてしまう。
「ええ、わたしも好きです、この場所は」
「うん……ってうわっ!? 誰だッ!?」
死ぬかと思った! 俺がゆっくり休んでいたら、いつの間にか横に人が居たんだぞ!? これで驚かない奴絶対いないだろ! マジで心臓止まったかと思ったよ!!
「だ、大丈夫ですか? 申し訳ありません、驚かせてしまったようで……。 わたしは、この神社に住んでいる者です。 人が訪ねて下さるのはとても珍しく、思わず出てきてしまいました」
……人、住んでたのか。 しかしやけに古風な雰囲気の女性だ。 黒い羽織に、落ち着いた茶色の髪の毛、穏やかな雰囲気であったものの、年齢は俺とそう変わらないように見える。 声色は優しく、神社という神聖な場所がとても似合うような女性だった。 そんな人がこんな場所に? と思ってしまうが、声に出すことはしなかった。 誰だって、自分が住んでいる場所を馬鹿にされるのは快く思いはしないだろうから。
「あーっと、まぁ、いや、大丈夫。 確かに驚いたけど……俺も突然来たようなものだし」
「そうでしたか。 ええと、失礼ですがお名前を伺っても?」
「……水無葵。 君は?」
「わたしは桜花と申します。 あの、少々失礼なことを尋ねても宜しいですか?」
桜花と名乗った少女は、優しく微笑み、自身の胸に手を置きながら俺に言う。 何やら少し緊張している様子も見て取ることができ、久々に人が来たと言っていたし、きっとそれからだろう。
「うん、いいよ」
「では。 葵様は、女性の方でしょうか?」
「それ失礼っていうかめっちゃ傷付くパターンだったよ!?」
これは予想以上に手痛い一撃だ。 確かに女性っぽい名前だけど……小学生の頃に「葵ちゃん」というアダ名が浸透していた悪夢を思い返してしまう。 辛い日々だったなぁ……。
「あ、葵様? だ、大丈夫ですか? 何やら目が据わっておりますが……」
「あ、ああ……大丈夫。 ギリギリ」
「ぎりぎりですか!? えと……ええと、そう、そういうときは楽しいことを考えましょう!」
桜花は必死に俺の手を握りながら言う。 なんとかしようという心遣いはありがたいけど、残念ながら楽しいことを考えられる状況でもなかった。
……いや、待てよ。 俺、今現在の遭難しているという状況に落ち込んでたけど、目の前に道を知ってそうな人が居たじゃん! 突然のことで全然頭が回っていなかったよ。
「も、もう大丈夫。 で、桜花……さん、だっけ? この辺りの地理って詳しい?」
「良かったです。 わたしのことは呼び捨てで構いませんよ。 何かお困りごとですか?」
桜花は微笑み言うと、俺の顔を見た。 その真っ直ぐすぎる視線がちょっと恥ずかしくなり、俺は慌てて桜花から視線を外し、神社の前に広がる景色に顔を向けながら答えた。
「実は迷子になっちゃって。 朝岡って人の家を探しているんだけど」
「……迷子。 申し訳ありません葵様、もう一度伺っても?」
「へ? いや、だから迷子になってここに着いてって流れだけど」
改めて言わされると大分恥ずかしい。 一応俺高校生だしね? 迷子って単語自体滅多に使わない年頃だしね? 高校生が迷子って文だけで恥ずかしいよね? だからそれ以上言わせないでください桜花さん。
なんて馬鹿な思考をしていたときだった。 俺の体を風が突き抜けた。 文字通り、手の先から足の先……体全体を吹き抜けていくような心地良い風だ。 俺は思わず目を見開き、その風を受け入れた。
「もしも」
不意に、桜花が口を開く。
「もしも葵様が道に迷い、この神社へと辿り着いたのなら……少々、不味いかもしれません」
「へ?」
いきなり妙なことを言い出す所為で、変な声が出てしまう。 だが、お構いなしに桜花は続けた。
「きっと、わたしの所為です。 わたしが姿を出さなければ、葵様は「ただ道に迷っただけ」で済んでいたのですが……葵様は、わたしと出遭ってしまった。 わたしという存在を認識してしまった」
「……ごめん桜花、言っている意味が良く分からないんだけど」
「葵様」
俺の言葉に反応したのか、していないのか、それは分からない。 だが、桜花は今までよりも一際強く俺の名前を呼んだ。 そして、その視線もまた鋭いものだ。 今まで感じてきた柔らかい気配、空気は既にない。
「言霊というのをご存知でしょうか。 元来、人の言葉には魂、霊が乗るというものです」
「一応……聞いたことはあるけど、詳しくは知らないよ」
「目標を口に出したり、人と約束をしたり。 最近のことで言えばふぁんたじー? などに置ける詠唱などもそれに含まれます。 言葉を霊力とし、言霊はコトダマ足り得るということです」
……もしかしてあれかな? 何か、壷とか売りつけられるのかな? 逃げた方がいいよね、これ。 いやぁ最初から怪しいと思ったよ。 こんな廃墟みたいな神社に住んでいる美人とか明らかに怪しいよな。 後から怖い人たち出てこないよね、大丈夫だよね。 五千円くらいなら払いますから。
「葵様は、先ほどご自身で「迷子」と仰いました。 通常であれば問題ないのですが……今となると、少々不味いのです……あの、聞いてますか?」
「え、ああ、聞いてる聞いてる。 その不味いってのを回避するために、壷を買えってこと?」
「壷……? いいえ、違います」
俺の言葉の意味が本当に分からないのか、桜花はきょとんとした顔付きで言う。 壷でないならば布団か、布団なのか! 羽毛布団だな!? しかし、桜花はばっさりと俺の言葉を斬った後に続けた。
「葵様、事前に一つ伝えておきます。 わたしは、人間ではありません。 今でこそこのような姿形をしておりますが、葵様のような生きた人間ではないのです」
「事前にって……は? 人間じゃない?」
「コトダマ。 わたしたちのような者はそう言われております。 人の言葉によってのみ姿を作る存在……言わば幽霊、化け物ということです」
桜花は言うと、立ち上がって俺の正面へと回り込む。 そして丁寧に頭を下げると、こう告げた。
「改めまして。 名は桜花、この廃れた神社に住まうコトダマでございます。 宿った言葉は『祈り』。 不束者ではありますが、どうか少々のお時間お付き合いください。 わたしの責もあります故、お手伝いさせて頂きます」
これが、俺と桜花の出会いであった。 人と人、ヒトとコトダマの出会いであった。