ロスト・チケット②
結構短いですね。
「八鹿ちゃん!」
八鹿は首と鉄棒の間に指をいれ、何とか窒息しないように耐えている。
「哀れね」
電車の窓ガラス越しに、若い女が笑みを浮かべていた。餓鬼のような細身の体型で、骨が浮き出ている。遠目から見たら老人かと思うほどの猫背だった。頭にかぶる麦わら帽子に加えて、どうみてもサイズが大きいシャツを着ている姿は、まるで動くかかしだ。
「この車両は、私の【ロスト・チケット】がすでに浸透している。他の乗客は入れない。つまり、この車両には私とあなたたちしかいない。助けもこない」
寿羽は振り返った。電車の窓が全てすりガラスのように曇っている。吊皮も手すりも何もかもグニャグニャと曲がっていた。いつの間に横にいたのか、女が立ちつくす寿羽を見つめている。
「……目的は何?」
「あら、あなたは娯楽に理由を求めるのかしら」
女は妖しく微笑む。その表情は悪魔や邪神を思わせた。
「……決まりだね。強制突破だよ」
寿羽が構える。
その眼の色は――憤怒と敵意に溢れていた。
「行くよッ!」
寿羽が行動を開始する。疾風迅雷という言葉がぴったり当てはまりそうだ。寿羽は身体の回転から生み出すエネルギーを受け、空間ごと切り裂くような回し蹴りを放った。
寿羽の蹴りは女をとらえ、右肩を蹴り砕く。女の身体は半回転すると、その場に倒れこんだ。
瞬間、ガツン、と寿羽の身体が壁に固定された。
まったく気がつかなかった。知らないうちに手すりが寿羽の手と首を縛りあげ、足は宙に浮いている。
女は肩をかばいながら、よろよろと立ちあがる。女は強烈な打撃を受けた後も、その笑みを崩さない。女の舌は、唇をナメクジのように這いまわっている。
「あなたたちの完敗ね。あなたもあの小娘も、すぐに手すりが絞め殺すわ」
絞めあげられる手すりに、血流が止まるような圧迫感を感じる。
息が上手く吸えない。八鹿はここにきて、死を覚悟した。
「八鹿……諦めないで。すぐに、脱出……できる」
八鹿がハッとして寿羽を見ると、血管を浮かせて手すりを引きちぎろうとしているところだった。首を絞められ、八鹿と同じように酸素不足になりながらも、その眼はまだ精気を失っていない。
「無駄よ。その手すりは人間の力じゃ引きちぎれない。もう諦めたら? これ以上、運命は変わらないよ」
女の声は、寿羽には届いていなかった。
寿羽の髪が一瞬ふわりと揺れると、きらりと眼が光った。
「……【ファースト・キス】今、私の身体はこの手すりと『接している』……この能力は『接している』ものの性質を吸収する」
寿羽の腕は、接している手首から広がるように皮膚を白銀色に変化させ、指の先から肩までを硬質化したプロテクターに変えた。
「ま、まさか……」
あの強靭な手すりが、肩まで白銀色になった瞬間、引きちぎられたのである。
「油断しすぎだよ。さっさと絞め殺せばこんなことにはならなかったのに」
「――ッ!」
寿羽の背後の手すりがゆらりと立ちあがり――大蛇のようにうねりながら、寿羽に伸びた。
高速で近づく手すりが寿羽の身体に巻きつ――かなかった。
ガン、という金属同士が触れ合う音が車両に響いた。手すりは寿羽の両手の中で止まっていた。
「あ……あ、ああ……」
敵わない。絶対に敵わない。たまらず、女は後ろに後ずさる。
しかし、女が一歩下がるよりも早く、寿羽の拳が顔面に迫っていた。頬が裂け、顎が砕け、女が宙に浮く。
さらに浮いた身体に一発、砲弾のような一撃を打ちこんだ。浮き上がった身体は空を切り、連結部分の扉にぶつかって沈黙した。
魂を入れ替えることで出来た寿羽の新しい能力です。