少女達の能力
食事が終わり……八鹿たち三人は、手分けして食卓を片づけていた。
「あ、いけね。コーヒー豆が切れてたんだった。ちょっと買ってくる」
「わかりました。後は任せてください」
万次は八鹿たちに片付けを任せ、バイクに乗って出ていった。
「八鹿、食器は私が洗っておくから、流しに持ってくわよ」
咲葵はそう言いながら台所に入っていく。
「ああ、はい。ありがとうございます」
「当然でしょ」
――チリンチリン。
サラリーマン風の男が一人、玄関に立っていた。八鹿はこの顔に見覚えがある。白髪混じりの頭の、くたびれたスーツを着た初老の男。その眼光は鋭く、真っ直ぐ八鹿を見据えている。この人は――。
「徳仲祝。いるな? ここに」
男は、落ち着いて、尋問でもするかのように言った。
「当店はもうとっくに閉店しましたが。それに、もし開店中だったとしても、そんなこと教えるわけないでしょう」
「そうか、そりゃ残念だな」
「私の父を殺したことをお忘れですか? 乙夜鳳花」
「個人のことをいつまでも覚えておくほど、無駄なことはないと思うからな」
八鹿は両手のトレイを投げた。トレイは八鹿の手から離れ、回転速度を上げて乙夜を両サイドから襲う。乙夜は頭を反らして避けると、飛んできたトレイを裏拳でかち割った。トレイは粉々、破片がパラパラと音を立て、床に散らばる。
乙夜が一歩踏み出した直後、乙夜の眼前にグラスの破片が迫る。八鹿がグラスを割って作った破片である。しかし乙夜は冷静である。乙夜は足元に空気を固めて、トランポリンのように跳んだ。天井に張り付いて、八鹿の様子をじっとうかがう。何らかの方法で乙夜に攻撃を加えているはずだが、八鹿はただ乙夜の方をじっと見ているだけだ。
乙夜の手足に、グラスの破片が刺さる。さっき避けた破片がいつの間にか背後に迫っていたのだ。グラスの破片を一枚残らず抜き取り、溢れる血液は空気の層で止血する。抜き取られたグラスの破片がバラバラと床に落ち、紅い染みが床に広がる。
一息ついている暇はない。正面からナイフがイワシの群れのように乙夜に突っ込んでくる。今度は空気弾で片っ端から迎撃していき、そして薄い空気の層を纏うと、破片の中に飛び込んだ。
乙夜が放たれた矢のように八鹿に向かって飛ぶ。破片をはねのけ、回転しながら八鹿が立つ場所に落下する。
その時、誰かが八鹿の肩を掴んだ。
「咲葵さん!」
咲葵は思い切り八鹿を突き飛ばすと、代わりに正面に進み出た。
直後、壁を砕く轟音が八鹿の耳に響く。
(強い……!)
砕けたレンガの破片が八鹿に降り注いだ。
乙夜鳳花はただ者ではなかった。乙夜は能力は使えどただの人間だ。しかし乙夜の場合、自分の能力を完璧に理解し、うまく活用しているため、まさに鬼人のごとく力を有している。
そのため、八鹿を守って攻撃が直撃した咲葵はもう動けないだろう。一方八鹿の身体の方も、破片や衝撃で多少ダメージを受けた、だが行動に支障が出るほどではない。
八鹿はカウンターの下から二枚の円盤を取りだす。
「【チョコレティアー・メダルッ!】」
乙夜が再び空気弾を発射する。鋭い刃を持った二枚の円盤が空気弾と衝突するが、円盤は回転速度を増して空気弾を切断し、乙夜の方に飛んでいく。乙夜はとっさに右に飛び退くが、避けきれず、左腕の皮膚が少しえぐれる。即座に受け身を取って体勢を整え、今度はさっきよりも大型の空気弾を放った。
八鹿は空気弾を削り取ろうとするが、削りきれず、八鹿の身体は回転しながら壁に激突する。衝撃を食らった壁は轟音をたてながら八鹿を巻き込んで崩れた。
「八鹿ちゃん!」
寿羽が階段を駆け下りてきた。乙夜は高速で寿羽との間合いを詰め、そのまま右腕を振りぬく。
しかし、その一撃は寿羽の白銀色の腕に受け止められる。
「【ファースト・キス!】」
受け止められた乙夜の右腕の上を、寿羽のペンが目にも止まらぬ速さで動く。
これは危険だ、と直感的に感じた乙夜は瞬時に右腕を引っ込め、三メートルほど後ろにジャンプする。ペンに触れられて右腕が侵食するように石化していくのがわかった。
視界の端を円盤が過ぎる。
すぐさま後ろ飛びで回避するが、円盤は現れない。ふと空気の揺れを感じ、脚をあげて跳躍すると、さっきまで乙夜の足首があったところを円盤が通過する。
乙夜が振り向きながら一歩踏み出すと、寿羽の拳が目の前をよぎった。乙夜はその拳を反射的につかみ取ると、身体を捻って寿羽を空中へ投げ飛ばした。
寿羽は空中で方向を転換し、着地しようとする。このままの勢いで壁にぶつかることはつまり死を意味するのだ。
乙夜が空気弾を射出した。小型の空気弾が二発、乙夜の両手から放たれ、寿羽の右頬と首筋を掠める。
寿羽が腕を店内の壁に突きたてた。腕に細かい傷が大量につくが、そんなことは気にしていられない。止まらなければ壁に激突する上に、無防備な状態が続くことになるのだ。寿羽の身体は、乙夜と五メートルほどのところで止まった。体勢を整え、寿羽が乙夜へ駆けだす瞬間、胸と頬にぽっかりと穴が空いた。
体内の血管が何本も切れ、血液が噴き出す。
足がよろめいた。駆けだそうとした勢いのまま、寿羽の身体は斜め前に倒れこんだ。寿羽の脳は、今しがた起こった出来事を理解できなかった。さっき掠めたはずの空気弾が今度は逆から飛んできたのだ。
「弾の種類ってよ。一つじゃねえんだよな。拡散するヤツ、追尾するヤツ、帯状のヤツ。形だってそうだ。小型の丸、大型の丸、楕円形、蝶の形をしてるヤツだってある。だったら、壁に当たって反射する弾もあるだろ?」
乙夜の声が、だんだん迫ってくる。身体を動かそうにも、全然力が入らない。
「【アネスタシアッ!】」
意識を失う瞬間、咲葵が乙夜に飛びかかる姿が、目に入った。
「なっ――」
予想外の攻撃に、乙夜はどうすることもできなかった。咲葵の飛び蹴りが、乙夜の左肩をとらえた。乙夜は突き飛ばされながら、身をよじり、石化した右腕で反撃する。咲葵は、その一撃をまともにくらい、紙きれのように吹っ飛ぶと、床に叩きつけられた。乙夜は右腕で壁を受け止め、身体を強制停止させる。
乙夜は、左肩に力が入らない気がした。どんなに力を入れても肩が持ち上がらない。まるで、肩の筋肉が消失したかのように――。
八鹿は乙夜が混乱している瞬間を見逃さなかった。乙夜がいた場所を、円盤が通り抜ける。
しかし、切断されたのは乙夜ではなかった。乙夜の背後の壁には、消火器が設置されていたのだ。そして彼はその存在に気がついていた。
八鹿たちの視界が、白煙に包まれる。ところどころ崩れた壁の隙間まで煙は入り込み、空間は色を失った。
やがて、霧が晴れるように白が薄くなったと思えば、乙夜の姿はすでに店内から消えていた。