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ショーペンハウアーの世界観  「意志と表象としての世界」とは?

作者: 舜風人

その生涯


アルツール・ショーペンハウアーは1788年、商業都市として栄えた、ダンティッヒに生まれる、父は富裕な商人、母は、旧家の娘だった。

少年時代から父に連れられて各地を商用のお供として連れ歩かされたという、父は後継ぎとして期待していたのだろう。

だが本人は商売は向いていないと分かっていて学者になりたいと思っていたようだ、

父の死ををきっかけに、商売から足を洗い、21歳でゲッチンゲン大学医学部に入学する。

が、、すぐに、医者に向いてないとわかったので哲学科に転部する。

当時はプラトンやカントに私淑していた。

やがてイエナ大学に移りのちベルリン大学に移って哲学の研究に励む。

そうして31歳の時、それまでの研究成果を一冊の本にまとめて世に問うたのである。

それが彼の主著「意志と表象としての世界」Die Welt als Wille und Vorstellungである。

(ディー・ベルト・アルス・ヴィーレ・ウント・フォールシュテールンク)

この本は自信作だったが本人の期待に反して全くといていいほど世評は芳しくなかった。というか全く無視されたのである。しかし父の遺産が尽きてしまったので、働くことにして、ようやくベルリン大学で講義を持つことになったが、当時はヘーゲルがドイツの哲学界を席巻しており、ショーペンハウアーの講義など誰も受ける学生はいなかったのである。仕方なく退職して、以後は、在野の文筆家としてまるで隠者のように暮らすこととなるのである。

そんなショーペンハウアーが再評価されるのは50歳を過ぎてから、エッセー集「余禄と補遺」を出してそれが当時の人々の厭世気分にマッチして成功したのである。やっと時代が追いついた?のである?

晩年をフランクフルトで過ごし、1860年、72歳で亡くなった。

生涯独身で、まるで隠者のような暮らしぶりだったという。

後世、厭世哲学者として、影響を様々な分野に与えたのである。


以下、ウイキペデャより引用。

仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家[2]であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる。フリードリヒ・ニーチェへの影響は有名であるが、その他にもリヒャルト・ワーグナー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト、オットー・ランク、カール・グスタフ・ユング、ジョーゼフ・キャンベル、レフ・トルストイ、トーマス・マン、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど様々な学者、思想家、文筆家に影響を与え、その哲学は現代思想においても受け継がれている。

ハルトマン、ヴァーグナー、ヒトラー、トルストイ、ハーディ、フロイト、ニーチェ。プルースト、トーマス・マン、ヘッセ、ユンガー、ベルクソン、ユング、ジッド、ホルクハイマー、ウィトゲンシュタイン、アインシュタイン、ベケット、フーコーといった、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した多くの哲学者、芸術家、作家に大きな影響を与えた。


日本

日本でも森鴎外をはじめ、堀辰雄、萩原朔太郎、筒井康隆[7]など多くの作家に影響を及ぼした。


以上、引用終わり。






その思想背景、





さてショーペンハウアーというとすぐ

ペシミズムの大家?と女性嫌い、いう評価になるわけだが実は

それはもっぱら50代以降に書いた「余禄と補遺」という一連のエッセー集においての評価なのである。

だが彼の哲学史的な位置づけとなるとやはり、

30代で書いた、主著「意志と表象としての世界」を挙げるべきであろう。

彼の思想基盤は3つあると思う。


カントに始まるところの「ドイツ観念論哲学」が一つ。

インドのウパニシャッド哲学が一つ

そして仏教思想である。

この三本柱の上に成り立っているのがショーペンハウアー哲学ということになる。

特にウパニシャッド哲学はそのドイツ語訳を読んで感動し、

「世界にある書物の中でこれほど有益な書物はない」とまでいわせしめているのである・


そして大づかみに言うならばショーペンハウアー哲学はその後世、影響受けた顔ぶれを見ればわかる通り、現代思想の中核をなす、

実存主義や

生命哲学の

嚆矢。先駆けだったということなのである。


さてでは早速「意志と表象としての世界」を読み解いてゆくことにしよう。





意志と表象としての世界の解明。





物自体と現象を峻別したカントを肯定して、

「世界は私の表象である」と、ショーペンハウアーは言う。

つまり私の認識作用に応じて世界が表象(世界像)として認知される。

したがって表象とは私の主観によって制約されたうえでの世界像である。

つまりもっと言っちゃうと、、「世界は幻である」というインド古代思想にたどり着くのである。

しかしこれだと、独我論に陥るのを避けるために世界は意志の世界でもあると彼は説く。




「世界は私の意志である」という。

吾が現象するのは意志としての行動によってであり、行動とは生きんとする意志の発現である、

そして他我も意志である。つまりわれも他我もすべてを貫く「世界意志」の発現、それがすなわち

「もの自体」の世界である。と彼は説く。意志としての世界が、実在する。

こうした世界意志はまさに意志そのものであり、完成も終着点もない。

ということはすべてが未完であり、不満であり、欠乏であり、つまりそういう世界は人間にとって苦でしかない。





さて表象の世界においてイデアの世界、物自体の世界は認識できないが。一つだけイデアの世界に近づける方法がある。それが芸術である。人は芸術の至高の境地に達するとき、完全なるイデアの世界を垣間見れるのである。






④生きようとする意志は盲目的であり、一切を飲みほす巨大な「衝動」です。こうした意志の世界ではすべては「苦」です。そこから逃れるには、直感的なサトリしかありません。

個々の人間はいわば「マーヤーのベール」によって目を曇らされ、個別化こそが物自体なのだと信じているがそれは誤謬だ。個別化を捨象して、大いなる全一性に目覚めることこそがあくなき世界意志の奴隷状態からの解放に他ならないのです。

それをショーペンハウアーは『汝はそれなり』というウパニシャッド哲学の格言に求めます。

その直感知に達して、自我を超越して、同苦。同情の境地に達した時、盲目的な世界意志は収束することができ、平安の境地に達するのである。これはまさに聖者の境地であり、清貧。純潔、粗衣粗食の生活である。そうしてその聖なる生活の果てに肉体の死とともに人は「解脱」できるのである。


と、いう東洋的な。諦念。諦観の世界を希求したのがショーペンハウエルの哲学だったのである。、

このショーペンハウアーの思想は、のちに、あの、ニーチェが読んで感動して、

「世界意志」、、から「権力への意志」を思い至ったという影響をあたえたわけである。

ニーチェもまたインド思想に強い関心を持ち、「マヌの法典」のドイツ語訳を愛読したことで知られている。

さて

ショーペンハウアーのこうした思想を今の時代から振り返ってみれば


実存哲学や

生命哲学の先駆者だったという位置づけができるのではないかと思われます。


















































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