【春/つつじ】 花は強く生きようとするから、美しい
ゴールデンウィークに実家へ帰省するはずだったのに、前日になって車が故障してしまい、遠出ができなくなりました。
車だと短時間で着くのですけれど、列車だと大回りしなくちゃいけなくて時間がかかるんです。帰省は中止にしました。連休は、家で過ごすしかありません。
家でゴロゴロするのはもったいないので、ご近所にあるお寺へつつじを見に行きました。
こちらのお寺のつつじは、ピシッとした美しいラインで四角く刈り込まれています。ハッキリとした赤紫と淡いシュガーピンクと真っ白、三色の株を組み合わせてあり、満開になると華やかなマーブル模様の植え込みが完成します。私は一度だけ満開に近い状態を見たことがあるのですが、それはもうハッとするほど美しいのです。
例年、ゴールデンウィーク頃にちょうど満開になります。
町中でよくある植え込みのつつじとは品種が違い、開花時期が短いのです。見頃はあっという間に過ぎてしまうので、行くのが一週間遅いと、花びらがしなびて汚く見えてしまいます。
毎年この時期に遠くの実家へ帰省していたので、いちばんよい時期には見られません。
連休前のギリギリに行ったら花より葉っぱの方が目立っていて、五月の半ばに行くと花びらが茶色くクシャクシャになっていて。何年も空振りばかりでした。
今回は、ちょうどいいタイミングで満開を拝めるのじゃないかと期待して出かけたのです。
が!
がっ!
ガガーン!
見頃をとっくに過ぎていました。今年の春は温かかったので、つつじがいつもより早く咲いたようです。30分くらい歩いて行ったのに、悲しすぎます……。
でもせっかく行ったので、枯れずに残っていた部分だけアップで写真を撮りました。
☆
花の見頃は、短いです。
美しく咲いていられる時はほんのわずかで、その儚さが人の心を打つのでしょう。
儚さゆえに、今回は残念な結果になってしまいました。
でもその代わりに、違う美しさを見つけたのです。
まだ枯れずに残って、空へ向かってパアッと花びらを開いたつつじを見て、儚さとは違った美しさを感じたんです。
「ああ、強いな」と思いました。
花の生命力が、空へ放たれているような気がしたんです。
花の色が鮮やかなのは、命をつなぐためだと聞いたことがあります。
鮮やかな色で自分の存在をアピールして、昆虫に気づいてもらい、受粉をさせて、次世代へ命をつなぐ。そのために、競って美しい色をまとうのだそうです。
野生の花は、そういう理由で色がきれいなんだそうです。お寺にあったつつじは、人間が品種改良して色をつけています。人の手が加わっていても、生命力は色あせていません。
他のつつじより盛りが短いから、よけいに強く主張しなくちゃいけないんでしょう。
生きるために「私を見て!」と主張する強さは美しくて、心を打たれます。
☆
自分が感じた美しさを詩的な文章にして、つつじの写真に添えたくなりました。
詩というには短く、短歌や俳句の字数に収める文才もなく、ジャンルのわからない短文になってしまいましたけれど、せっかく考えたので載せてしまいます。
躑躅たち 赤い命よ 強く咲け 指をいっぱい 空へ広げて 尽きぬ命を つかみ取れ
☆
6/30追記
せっかく『歳時記』なんて大それたタイトルをつけたので、俳句モドキも詠んでみました。
赤き手で 太陽つかめ 躑躅花
空へ向かっていっぱいに開くつつじの花弁を、手のひらに見立てました。
ヘタクソでお恥ずかしいですが、自分の感じたことがいきいきと読者さんに伝わるよう勉強していきたいです。