スローライフ・ハードライフ
私の息子には秘密がある。その秘密は、上手く使えば人類にとって非常に役立つものになるかもしれないが、私はそれを世間に公表したくはないし活用させる気もない。逆に、世間から遠ざかるようにこの人里離れた地に居を構え、むしろ田舎ながらの人付き合いさえ避けている。それは、息子を世間の目から隠すために必要だと思ったからである。
彼の一生を私が面倒見ることなど到底叶わないことかもしれないが、それでも人の親としてできる限り最大限のことはしていきたい。だからこそ、社会との関わりを避けようとしている。
私の息子は既に30歳を少し超えている。しかし、彼は未だ少年のままの姿だ。寝たきりというわけでもなく、外に出れば虫を追いかけ鳥の声にはしゃぐごく普通の少年だ。しかし彼はおよそ4年に1年分のペースでしか歳を取らない。もちろん正確に計った訳じゃない。ただ、その成長速度が通常の子供達とは明らかに違っていた。
生まれ出でたときより鳴き声が他の子供達と明らかに違った我が子は、乳飲み子の頃には一向に成長しなかった。そんな我が子を見て何か特殊な病気かと疑いもし、様々な検査を受けもした。ただ、その結果わかったことは我が子には基本的な異常は全く見つからず、それにも関わらず医師達の興味の的にされてしまうと言うことであった。
妻は、我が子の他とのあまりの違いに耐えきれず去っていき、結局私が息子を一人で育てることになった。幸いにも文筆で糧を得ていたこともあり、最小限の生活はその仕事で賄える。私は、学校に行くことなど到底叶わない息子のために、最低限の通信以外は世間と隔絶する場所を選んだのだ。
息子はゆっくりと成長する。普段の行動も普通の子供とは明らかにペースが異なる。彼の一日は長い。地球の自転とは異なる時間軸で生きているのだ。それが原因かどうかはわからないが、彼の触れるものは全て時間がゆっくりと流れる。彼の着る服はその着ている時間なかなか劣化しないし、彼の鼓動は私達より明らかにペースが遅い。彼は、私達の1/4のペースで生きているのである。
正確に言えば、言葉も通じるしこちらの問いかけにもきちんと反応する。彼がそれを通常の4倍のスピードで処理しているのかどうかはわからないが、少なくとも父親である私と通常のコミュニケーションが取れない訳じゃない。
彼に流れる時間が明らかに異なるのを感じるのは彼に触れていたときである。彼を抱いていれば時間は矢のように過ぎ去るのだ。彼を手放したときに信じられない速度で時間が経過していたことに気づく。30分ほど抱いたはずが、2時間近くが過ぎ去る。妻は、そのギャップに耐えきれなくなったのであろう。私でさえ、未だに時間の流れの変化には戸惑い続ける。息子は、私達とは異なる時間軸を生きているのだ。
息子との接触時間が長い私も、既に実年齢は60を超えるのだが見た目は50に届くか届かないかのレベルにある。さすがにこの年であれば若々しいとの評判に特段の配慮を払う必要もないが、それでも畑仕事などをするには都合がよい。ただ、それでも息子との肉体年齢は少しずつ開いていく。いつかは息子を残して先にいなくなってしまうことは間違いない。その時、息子が一人で生きていけるようになっているかどうかはおおいな不安である。
そんなある日、我が家の土間玄関に訪問者がやって来た。明らかに大きな組織の人間とわかる身なりである。息子のことできたのは間違いないだろう。逃げ隠れるように現在の地に来たのだが、完全に隠れ果せると言うことはないのだ。動揺する私の背後から息子がゆっくりと声を上げる。
「心配しないで。僕が呼んだんだ。」
「お父さん、僕の話を聞いて欲しい。」
話し始めた息子の言うことは容易に信じることができないものであったが、その説得力は私にも十分い伝わってきた。そもそも、肉体的にはわずか8歳程度の息子がこれだけ論理的な話をできると言うことが何よりの証拠であろう。
息子の話はこんなものだった。
実は人類はこの地球という流刑地に幽閉されている存在なのだと言うこと。そして、幽閉するための鎖が時間感覚なのだ。地球の自転という時間の流れに繋がれた人間は、それから大きく外れた世界には出て行くことができないのだという。そして、地球の自転に支配されない時間感覚を有する者のみが宇宙に旅立てると言うことを。
息子は、人類よりも4倍も遅い時間の世界で生きてきた。私達にはなかなか理解できないことだろうが、周囲が4倍の速さに動き続けるのである。言葉も動きもそれだ。息子の脳はその状況にさえも適合した。彼は、4倍の速度で考え話すことすら身につけている。その過酷な状況は彼の頭脳を素晴らしいレベルまで引き上げていたのである。
そして、今では自分の回りの時間の速度を自分の意思である程度変化させることすらできるようになったらしい。
「彼は、人類が宇宙に旅立つ上で絶対に必要な人材なのです。」
政府から出向いてきた訪問者は礼儀正しく接してきた。
「現状の人類の技術力ではウラシマ効果が期待できるような速度の宇宙船を開発できませんし、またコールドスリープ技術などもまだまだ途上です。だからこそ、自分自身のまわりに独自の時間軸を持つことができる人間だけが、遠い宇宙にチャレンジできるのです。」
世界には、息子と似たような人がいくらか存在しているらしい。そして、息子の能力はその中でも突出しているようだ。
「だから、僕は僕の生きている意味を見付けるために宇宙に出たい。」
「私どもはそのための訓練や技術開発を今の内から開始させていただきたいと考えているのです。」
私は問う。
「それは、息子を異端として追いやることはありませんか?」
「それだけは絶対にありません。この秘密は何より厳重に管理されます。」
息子の生きていく道を見いだせたことは、替えようのない喜びのはずである。そして、それは息子の意思でもあるのだ。認めるしかないではないか。
しかし、それをすぐに認められない自分がいる。息子の未来を憂う自分がいる。それは、息子のために自らが決意したものが全て消え去ることから来るのはわかっている。
息子が私に言う。
「僕が同じような力のある人たちと生きていけるとすれば、それはいいことでしょう。」
これ以上彼を留める権利は私にはなさそうだ。
「わかった。ただ、ゆっくりした生き方だがそれ故に大変だぞ。」
息子は去っていった。
さて、人類は今回の試練に耐えられるであろうか。
私は実を言えばあの少年の親でも何でもない。この幽閉された人類を監視するための存在である。そして、このような独自な時間軸を有する人間の監視を続けている。別に、それを拘束するわけではない。人類に課された幽閉期間はまだ長い。かつて、ムーと呼ばれた人類が宇宙にばらまいた害悪に対する措置なのだから。
この少年一人では、人類が宇宙に本格的に漕ぎ出すことには至らないだろう。結局彼の成果を共有できる人類がいないのだから。それでも、さらに時間が過ぎれば多くの人間は再び独自の時間軸を取り戻す。現段階で稀に現れる彼のような存在が知れ渡ることで、人類全体への戒めがあまりにも早く解かれないように監視することが私の役目なのだ。
ただ、長年一緒に暮らしていることで情が移ったのも事実である。4年後の彼も今とはあまり変わらない時間を過ごしているはずだ。
彼の一生が、幸あらんことを祈るとするか。