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母へ返す言葉

 私の母は世間なりに言えば決して良い母親ではなかった。と言うよりは、むしろ私自身に実の母親の記憶はほとんど無い。だからそんな母親を憎んでいるかと問われれば、憎みも感謝もないと答えるだろう。そこにある感覚は無関心に非常に近い。もちろん肉親だと言うことは理性では十分に理解できる。良い子供を演じるつもりならば、思いっきりの悪態をついて子供らしさを演じればいいのかも知れないが、正直言ってその義務感すら感じない。


 別に私は情の薄い人間であるつもりはない。友人は少なくないし、育ての親である叔父叔母には与えられた愛情にふさわしいものを返してきた自負もある。ところが今目の前でベッドに横たわるか細い女性を見ても、普通の人ならばおそらく感じるであろう憐憫の情すら浮かんでこないのである。むしろざらついて無味乾燥な、喩えるならば口の中に乾いた砂を突っ込んだような違和感のみがある。


 病院のベッドに横たわるこの女性は40を幾ばくか越えた若さのはずにも関わらず、見た目にはもっと老いた感じがする。肉は削げ、頬は痩け、眠っているが目のまわりは大きく窪んでいる。それはあたかも何か違法な薬物を使い続けた実験動物のような雰囲気に感じられた。 唯一長い黒髪のみが彼女が女であると言うことを強く主張しているが、それも酸素マスクや数多くの点滴などの管により切れ切れとなった、そうまるで屋根と電線によって分断された狭い都会の空のような存在感の薄さである。その姿からは自分との接点を見出すのは容易ではない。


「こうちゃん、この人があなたのお母さんなんだよ。」

 隣に立っていた叔父が、身動きもせずこの女性を見ている私を見ていて居たたまれなくなったのか、優しく声をかけた。それでも私はこの女性と自分がどのように繋がるのかを掴みあぐねて、一体どのように振る舞うべきなのかを考えるだけで精一杯であり、叔父の優しい後押しにも答えられないでいた。

 頭の中では18年前に私を捨てた母親であると言うことはわかっている。その理由が既に死んでしまった父親の暴力から逃げるためだったと言うことも叔父からは聞いて知っている。本来なら「なぜ子供に会いにも来なかったのか」と恨み辛みの一言でも出してそれを親子の絆とみなせば良いのだろうが、どうしてもその実感が湧きそうにもない。愛情の反対は無関心だと言うが、まさにそれはこういうことなのだと思った。他人としか感じられない人に対して、いきなり繋がりを演じることなど却ってこの死にゆく人に対する冒涜ではないかと感じるのである。


「うん。」


 小さな声で叔父の愛情に応えたものの、それはこの実の母親との繋がりを実感したわけではなく、単なる社会生活上の儀礼のようなものに過ぎなかった。もちろん、その乾いた声から叔父も叔母も私の戸惑いを理解したであろうが、その戸惑いが無感動によるそれだと理解できたかどうかはわからない。

 世間的に見れば情に薄いと言われるであろうことは自分でもわかっている。だから、たとえ義務感ではあったとしてもこの女性との繋がりを模索する努力はしている。それでもこの数分の、しかも言葉を交わすことすらない対面で何を感じればよいのかがわからないのだ。

 叔父や叔母のことを考えれば、多少なりとも愛情らしきもののかけらを披露した方が良いと思いもするが、この意識すらない戸籍上の母親に誠実であろうとするならば虚飾の愛情を披露することにどれだけの意味があろうか。だからこそ、この短い間になんらかの縁をここで見付けて嘘ではない愛情の一端を披露すべく努力することが、個々にいる全ての人に対すて自分が為すべき行為だと思った。


 病室には無機質な医療機器の電子音と、人工呼吸器の繰り返される音のみが響く。努力をしようと足掻く自分の拳はいつの間にか握りしめられていた。込められた力は誠意の証でもあるが、同時に自分自身の焦りでもある。


 叔母の心配そうな視線が目に入り義務感のようなものを感じたが、それに流されるわけにはいかない。自分の親という実感は仮に彼女が今のような状態でなければ感じることができたかも知れないが、今となってはそれも無理な話だと思う。それでも今にも尽きようとしている彼女の命を前にして最後にかけるべき言葉を探している自分が、まるでいきなり舞台に立たされ台詞の出てこなくなった新米俳優のようで、もどかしいような感じになる。それでも、この人の世界における最後のはなむけを自分が送るのだという厳かな感覚が身を律するような緊張感を同時に覚えている。

 叔父からすれば義理の妹に当たる実母ではあるが、私には知らせない中で多少の連絡は取り合っていたらしい。ただ、私がそれを望むまでは知らせずにいたいという実母の気持ちを汲んで今に至り、結果的にこの初顔合わせとなってしまった。これが彼女の望む形の面会でないのは明らかだが、仮に元気な状態で会ったとしたらもう少し心を動かされるのであろうか。


 こんな風に言葉を探しているような私の姿を見守る周囲の人たちは目を伏せて誰も口を開かない。それが今生の別れとなることを知っているからでもあろうし、複雑な心中をおもんばかってのこともあろう。ただ、この他人としか感じられない人であっても自分を生み出してくれたがあったからこそ今は叔父叔母の下で幸せに暮らすことができている。本当の両親はなくとも幸せに育った私とは違い、この人がどれだけ苦しい思いをしてきたかは実年齢を量れない現状を見れば十分想像もできる。

 だとすれば、息子に会いに来なかったこの哀れな母親を責めるのはやはり筋違いでは無かろうか。むしろいっぱしの年齢を重ねたにも関わらず、自らの幸せに満足し実の母親がいることを知りながらもそれを探さなかった自分の方に随分と重い罪があるようにすら感じられる。


 そんな実母に対してかけるべき言葉が自分の語彙には存在しないのではないかと不安が突然襲う。ほんの数秒前には決めたつもりの覚悟が今では干潟の泥のように軟弱なものに変わってしまった。それでもこれは子供の義務なのだ。最大限の敬意を払い、その上でも感情的に揺さぶられない私としての責任でもある。

 いくら語りかけても彼女にはわからない。それでも彼女、いや母であった人にかける言葉を考えると、もはやこれしか思いつかない。

私は、深く頭を下げながら彼女に声をかける。


「お母さん、長い間お疲れ様でした。」


 その言葉を吐いた途端に不意に涙が頬を伝う。悲しいわけではない。嬉しいはずでもない。ただ、生を終えるというこの女性に今言える言葉がそれしかないのだと考えると、彼女が生きてきた上で得たものの少なさを想像しその儚さに感情が込み上げてしまった。

 泣き声は出ない。それでも眼から滴り落ちる涙が足下の床をハンマーのように打ち叩く。その衝撃に耐えかね私は思わずベットに手を突いてしまう。


 「ありがとう」と言うには縁が足りず、「バカ野郎」と言うほど深くもない。ただ、人として彼女の尊厳を維持しようとすれば出てくる言葉はこれしか思い浮かばなかったのだ。横では叔父が私の身体を優しく支えており、叔母がすすり泣きをしている。

 それでも、「お母さん」という私の発した言葉が再び自らの耳を通して頭の中に木霊する。情など無かったはずなのに、自分がそれを発することでまるで昔から愛情を受けていたかのような感覚に変わっていった。


 そして次の日、母は何も言わないままに息を引き取った。心なしか穏やかな顔だと感じられたのは、僅かながらも変化の兆しなのだと思いたい。

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